2020年6月21日 (日)

大隅半島への小旅行 かのやバラ園 荒平天神 たるたるぱあく

先日のテレビニュースで,かのやバラ園のあじさいが見頃を迎えていると報じていました。妻とドライブで行ってみることにしました。

午前10時半頃に鹿児島市内を出発。最初は国道10号線を北上します。加治木の「丸亀製麺」でお昼を食べました。2人とも「かけうどん」を注文。それにトッピングの天ぷらとしてさつまいも,かぼちゃ,イカを選びました。全部で950円。こんなに麺が太くてぶっつり切れてたかなあ,というのが感想。なんだか味が落ちているような気がしてちょっと残念です。それにしてもうどんのつゆをセルフで蛇口から入れるというのも驚きですね。回転寿司のお茶みたい。

10分程度で食べ終えると加治木インターから高速道にのりました。12時30分ごろにはかのやバラ園に到着。曇天で風がつよく,雨もぱらぱらとして肌寒い天気。それでも家族連れや夫婦が数組来ていてそれぞれ楽しんでいる様子でした。なにしろ鹿児島県人は「ただ(無料)」に弱いですからね。

アジサイは確かに見事でした。私の背丈よりも大きいアジサイがあちこちにあり,妻もここまでは育てられるんだと気持ちを新たにしていました。我が家の庭のアジサイは膝丈程度で成長が止まっています。まだまだ努力が必要のようです。

そのほか,妻が注目したのはサルビア関係の植物。私は疎いのですが,妻はいろいろ品種を見ては次はこれを植えようかしらと品定めをしていました。転んでもただでは起きぬというか,職人気質(しょくにんかたぎ)なんですよね。

そのまま錦江湾側の県道を経由して戻ることにしました。途中,荒平天神によりました。海岸から30mほど離れた島(岩礁)に砂州(さす)ができてつながっています。その島には菅原神社が祀られています。国道沿いに5台分程度駐車場があるのですがいっぱい。夫婦やカップルばかりでした。私たちと同じです。

それにしても砂州を渡ってからが大変。神社に行くための階段が急勾配,最後の10段ほどはロープをにぎりしめて昇りました。島の最も高いところにほこらがあり,ここにご神体が収められているようです。降りるときはもっと怖かった。ちゃんと手すりはあるのですが,この手すりは金属製なのにつなぎ目がビニールテープで巻き付けてあるだけ! 溶接ぐらいしてくれよと言いたくなります。幸いガタガタ揺れることはありませんでしたけど,ちょっと心配になりますよ。

さらに北上して「道の駅たるたるぱあく」に寄りました。垂水港から南にすぐの国道沿いにあります。こんな立派な施設ができているなんて,まったく知りませんでした。さっそく駐車場に立ち寄り,中を見学しました。

一番目を引いたのは「ドクターフィッシュ」。子どもたちが水槽に足を入れています。そこにメダカのような小魚がいっぱいまとわりついています。どうやらこの魚が人の古い皮膚を食べるようです。5分間で500円。これだったらチャレンジしてみたくなります。

もう一つ注目したのが「あっちゃんの店プラス」。建物が別なのですが,フランクフルトや棒メンチカツなどのテイクアウト商品が置いてありました。私と妻と一緒に食べましたがお味がグッド。フランクフルトは皮がぱりぱり。中もジューシーで本当にお肉の味がします。棒メンチカツも本当に美味しい。そこらの惣菜ではたちうちできない,アツアツのメンチカツでした。こちらもお肉本来の味が満点。人気商品のスペアリブが売り切れだったのがちょっと残念でした。

しかし,道の駅全体としての商品の品揃えは今ひとつ。これだけ広い売り場なのに,地元の産品が占める割合は2~3割程度。加工品のほとんどは県外で製造された商品。地元生産者から仕入れるルートがないのか,あるいは野菜や魚介類などの生鮮が売れないのか,私には分かりませんが,これじゃあ,早々に衰退しそうです。建物が立派なだけにソフトの充実が望まれます。

最後は桜島フェリーに乗って鹿児島市へ戻りました。自宅に到着したのは午後4時。ちょっとくたびれてそのまま夫婦とも横になって寝込んでしまいました。でも,ここちよい疲れでした。

トーストにハチミツをぬり四十年変わらぬ朝のメニューととのう (俵万智)

2020年6月20日 (土)

今夜から飲み会の自粛解除 コロナに振り回されて5ヶ月目の夜

会社の終業間際,上司から「飲み会自粛解除」のお知らせがありました。当社では新型コロナウイルスの影響で飲み会・懇親会・接待を自粛していたのですが,それを解除するとのこと。本日から全国的にも県をまたぐ移動の自粛要請が解除され,プロ野球も開幕。そういう事情があったようです。

振り返ると今年は1月に職場の新年会を開催したのが飲み会の最後。送別会や歓迎会は自粛のままでとうとう6月下旬を迎えました。長い長いトンネルでしたね。

職場でつけていたテレビでは,「かごしま国体」の延期決定というニュースが流れています。延期と言っても来年度以降でいつ開催できるのかわからないということなので,事実上の中止です。国体もそうですが,私も1月からコロナに振り回されっぱなし。コロナというよりもそれに対応する社長のわがままが混乱に輪をかけました。私はコロナ対策に対するさまざまな不満を上司にぶちまけて退社したのは午後8時でした。

バスを乗り換えるために鹿児島中央駅で降りました。今日から飲み会の自粛解除があったことを思い,ベル通りの居酒屋「あいがて家」に寄ってみました。ここは午後4時から営業という看板が出ていたので,以前から気になっていたのです。

お店のある2階に上がり,扉を開けると店内はカウンター中心の構成。2人掛けの長椅子がカウンターにそって並んでいます。2人連れを想定したお店なんて珍しいと思っていると,カウンターに座っていた若い女の子に目がとまりました。会社の新入社員でした。どうやら友人と2人で飲みに来たようです。お互い気づいたので軽く会釈をして,私はカウンター奥の席に座りました。

メニューを開くと串料理が並んでいて,品数は普通の居酒屋よりもずいぶん絞っています。ドリンクはサワーが中心でビールがない! おとおしは「生野菜のサラダ」とメニューにでている珍しいスタイルです。きっと若い女性客を狙っているんでしょう。

お薦めとあった,チキン南蛮,トロ鯖,塩手羽の串を1本づつ注文し,飲み物は島美人のお湯割りをグラスでお願いしました。

焼酎をちびちび飲みながら,今日一日の会社での出来事を振り返りました。他の部署との嫌な仕事の押し付け合い。社長の指示によって事業を進めてきたのに社長からはしごを外されて責任を取らされている上司。直属の上司のパワハラで抑うつ症状の部下の面談。コロナ騒ぎで長時間労働の部下を何人も抱えている私に対する人事担当者からのヒアリング。・・・。

焼酎を飲み干して,ふと前を見ると,新入社員の女性がカウンターで友人と談笑している姿が見えました。若さで輝いています。私のことなぞ目に入らないようで夢中になっておしゃべりをしていました。人生を謳歌している瞬間のでしょう。とてもまぶしく感じられました。

バスに乗る時間になりました。レジで締めて1900円。中年のおじさんがひとりで心の整理をつけるにはリーズナブルだと思います。これで家に帰ります。悩みは尽きないけれど,明日はまたやってくるからね。

砂の上に死ぬる駱駝(らくだ)の心をも今夜(こよい)悲しみ夜ふけむとす (柴生田稔)

2020年6月17日 (水)

「猫を棄てる 父親について語るとき」を読む

「猫を棄てる 父親について語るとき」(村上春樹)を読みました。

村上春樹の父親の半生をエッセイ風に描いた小品です。幼い頃の村上春樹が父親と猫を棄てにいく思い出からこの作品は始まります。自宅で飼っていたネコを父親と一緒に遠くの海岸に棄てに行き,急いで自宅に帰ってみるとそこには猫が戻ってきていたという不思議なエピソードが,なんとなく,父親の数奇な人生を示唆しているようです。摩訶不思議な村上ワールドと,一切の妥協を許さない戦争という過酷な現実の間を,この父親が村上春樹を通じて交互に行き来をします。

父親が所属していた師団,連隊は,太平洋戦争初期のバターン攻略戦で壊滅し,太平洋戦争末期のレイテ決戦でも同様に全滅します。父親はちょうどこのとき,大学に復学していたため戦後まで生き延び,村上春樹の母親と出会い,そして村上春樹が生まれます。

村上春樹は,この偶然の積み重ねの結果として受けた生について,このように表現しています。

「言い換えれば我々は,広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の,名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど,交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には,一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり,それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれは忘れてはならないだろう」

私は若い頃,自分自身に人間の価値があるのか,という問いを立てていました。こんなことを悩んでもしょうがないのでしょうけど,私なりの答えを見つけました。

そもそも人間の価値があるとはどういうことでしょう。人によっては,ナポレオンのような英雄だったり,ナイチンゲールのような多くの人を救う人であったり,アインシュタインのような人類の発展に貢献する物理学者を思い浮かべることでしょう。

わたしはそういう人間ではありません。では,そういう人間ではないから価値がないということか? いいえ,私はそれをきっぱりと否定します。

ナポレポンのような英雄も彼一人では存在し得ない。彼の両親がいて,さらに彼の両親がいて,さらにそのご先祖から命を受け継いできているのです。無名のご先祖様が命をつないでいたからこそ,ナポレオンは誕生したのです。そして,彼が生まれた時代,彼に影響を与えた全ての人々。このような無数の人々の奇跡のようなつながりが彼を英雄にしたと考えています。

それはナイチンゲールであっても,アインシュタインであっても同じです。

私は平凡なままこの人生を終えるかもしれません。そうだとしても,私の娘たちが,あるいは娘の子どもたちが世界のリーダーになるかもしれません。私の子孫はそうならなくても,私の言動に影響を受けた人々が,未来の鹿児島の発展のために尽くすかもしれません。そう考えると,私がどんなに無価値と言われようと,今ここに存在していることは十年後,百年後には必要であったということになるかもしれないのです。

村上春樹は父親との関係は長く疎遠だったことが,このエッセイには度々紹介されています。それは不幸な出来事なのかも知れませんが,父親から村上春樹に受け継がれたものがあちこちに見え隠れしています。それははっきりしていなくても,確かに存在しているのです。

思い出となりたるゆえに痛切の過去やすやすと語られている (尾崎左永子)

2020年6月16日 (火)

アミュプラザのソーシャルディスタンス 矛盾だらけの世の中

今日は会社をさぼり,定刻前に退社しました。

空は青空,梅雨とは思えない天気です。しかも湿度が低いのか風が心地よく感じられます。市電に乗り,アミュプラザに向かいました。仕事帰りにアミュプラザに寄り道するのは4ヶ月ぶりでしょうか。

かつてのように,鹿児島中央駅前のイオンの地下食品売り場で缶ビールとミックスナッツを買い,アミュ地下のフードコートに足を運びました。かつては机と椅子が数珠つなぎ,全部で200席以上はあったと思うのですが,今や数メートル間隔でぽつんぽつんと机が置かれ,机に椅子が1脚あるだけ。夫婦で同じテーブルを挟んで座ることすら許されない状態になっています。

5,6人のグループでやってきた女子高生たちは,どのグループもフードコートをぐるりと散策して出て行きました。こんな隙間だらけのフードコートじゃ,おしゃべりなんてできやしない,と諦めたんでしょうね。これじゃあ,営業再開したからといって儲けはでないでしょ。こんな閑散としたところじゃ。

缶ビールを飲み干すと4階の紀伊國屋に上がりました。マイクロ法人について詳しい「貧乏はお金持ち」(橘玲)などを買ったところで,まだバスの出発時刻まで時間があります。久しぶりにひとつ上のレストラン街に上がってみました。

2年前にはよく通っていた「うまや」を横目に見ながら,あちこちぶらつきました。「CLOSE(閉店)」の看板が入り口に立っているコーナーが3か所ほどありました。アミュプラザの2ヶ月の営業休止によって採算が合わなくなって撤退したのか,それともまだ客足が戻らないからと休業を続けているのか。いずれにせよ,レストラン街の中に,電気のついていないコーナーやテナントがあると寂しさを際立たせます。

先週の金曜日に鹿児島市で,久しぶりに新型コロナウイルスの感染者が確認されました。感染経路が不明だと騒いでいるその一方で,「ディスカバー鹿児島」という観光ホテル無料券に申込が殺到して県に苦情が寄せられているとのニュースもあります。相反するようなニュース,そのどちらも批判しているマスコミはどういう立場なんでしょうか。感染経路が不明だから外出するときは注意せよと県民に呼びかけるならば,観光キャンペーンなんて中止せよ,と主張しなければならないはずなのに,無料券がもらえないという県民の声を喜んで放送しています。もっと無料券をばらまけと言わんばかりに。

私は新型コロナウイルスの感染者が県内で数百人,数千人確認されたとしても気にしません。もう忘れている人も多いかもしれませんが,新型コロナウイルスはインフルエンザと基本的には同じです。必要以上に恐れる必要はありません。

そして観光キャンペーン。たかが1万円の無料券をもらえないからといって,それがテレビで毎日報道することなんですか? 私はキャンペーンに参加する気はまったくありません。私はそんなに暇じゃないし,だいたい県内のホテルに泊まる必要なんてないでしょう。日帰りできるんだから。

これまで何度も言ってきましたが,マスコミには定見なんてありません。ただ庶民の不平不満の声を垂れ流しているだけです。これで世の中よくなるはずはありません。だって矛盾しているんですから。そしてマスコミ報道を鵜呑(うの)みにする人は最悪です。自分が正義と思っている分,もはや救いがない。

自(みずか)らを弔(とむら)うようにゴミたちは腐敗(ふはい),自然発火をなせり (俵万智)

2020年6月14日 (日)

新刊を次々出しても販売総額はどんどん減少 これこそ構造不況だった

私が中学生の頃は週刊ジャンプの販売部数が朝日新聞のそれを超えるかの勢いがありました。実家の本屋は非常に賑わっていたものです。当時は1日に200人を越えるお客がありました。

ところが大学生の頃から風向きが変わってきます。大型の郊外型書店が近所に出店し,コンビニエンスも次々と開店。雑誌の売り上げは激減し,一日の売り上げは私が小学生の頃に逆戻り。

大学卒業後,就職の内定がとれなかったことから,私はしばらくの間,実家で働いていました。しかし,いつも閑古鳥が鳴いていました。このままではいけないと思い,私は就職活動を始め,幸いなことに会社に就職することができました。

当時,売り上げが減少したのは競争に負けたからだと思っていました。それが「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」(橘玲)を読んで,私の認識が間違っていたことが分かりました。

いうまでもなく,本は定価販売です。1000円の本が1部(冊のこと)売れれば,出版社が700円,問屋(取次)が100円,本屋が200円を受け取るとします。本屋が10部入荷して6部が売れた場合,本屋の収入は200円×6部で1200円になります。6ヶ月後,取次は本屋に請求するので,本屋は取次に(1000円-200円)×6部の4800円を送金し,そして残りの4部は取次に返品します。すなわち,売れ残った4部は6ヶ月以内に返品すれば取次から請求されない仕組みになっています。

ところが出版社は違います。1000円の本を10部取次に送れば,翌月には7000円(700円×10部)を取次から受け取ります。そして6ヶ月後,本屋から取次に4部の返品があれば,出版社は2800円(700円×4部)を返金することになります。すなわち,それまでの5ヶ月間は2800円の仮払金(無利子融資)を受ける特典があるのです。この結果,出版社は仮払金をあてにした自転車操業を続けるようになっていきました。誰でも易(やす)きに流れるのです。

このような出版界の構造があるとき,出版社は次のような行動をとります。1 できるだけ本をたくさんつくる。 2 できるだけ部数を多くする。 出版社は独自の判断で新刊本の企画をすることができました。

取次は次のような行動をとります。3 返品率をできるだけ下げる。そして取次は過去の実績に基づいて本を出版社から何部仕入れるか決めることができます。そうなるとどうなるのか。

本屋からの返品が増えると取次は出版社から仕入れ数を減らします。出版社は仮払金(無利子融資)がないと経営が危うくなるので部数を増やす(仮払金をたくさん受け取る)ために新刊本を発行するのです!

これを読んで「はた」と思い当たりました。私が本屋で働いていたとき,恐ろしいほどの新刊本が出版されたのです。そして雑誌も驚くほど種類が増え,とくにエロ本の新刊や創刊号が次々と本屋に届くのです。

出版業界に詳しくない人は知らないでしょうが,新刊本や雑誌の創刊号は取次が独自の判断で本屋に送りつけるのです! 本屋はそんな新刊本をとりあえず書棚に置こうとしますが,じゃんじゃん本の種類が増えてくるとスペースが足りなくなる。そうなると新刊本が届いても,これは売れないと本屋が判断すればその日のうちに全部返品します。そうなると返品率がさらに跳ね上がります。

当時の私は,本の販売部数と本の種類が反比例しているのは知っていましたが,これは消費者のニーズが多様化したからだと思っていました。しかし,真相は自転車操業状態にあった出版社の苦肉の策であったのですね。

情報化社会の現代,私はこの事実を20年経ってから認識でいました。いかに情報に疎(うと)いことか。私の両親はこんなことはつゆほども知らないことでしょう。最近はお客さんの来店は1日に10人もありません。その一方で,近所の大型の郊外書店は次々閉店。コンビニも開店と閉店を繰り返しています。出版業界の構造不況であればさもありなん。でも実家は今でも存続しています。それって実はすごいことなのかも。

トロウという字を尋ねれば「セイトのト,クロウのロウ」とわけなく言えり (俵万智)

2020年6月13日 (土)

交通死亡事故を防ぐ最大の方法は,自動車の使用禁止

交通事故による死者は毎年3千人います。私が子どもの頃は1万人を超えていました。それに比べるとずいぶん交通事故が減りました。ドライバーのマナーがよくなったのか? ドライバーが少なくなったのか? 警察の取り締まりが厳しくなったからなのか? 原因はよくわかりませんが,数字は正直です。

さて,先日開催された鹿児島県議会の環境厚生委員会における自民党の吉留県議の発言を知って,なかなかやるなあと感心しました。

吉留県議が,新型コロナウイルスに関連して「新しい生活様式なんて長続きするもんじゃない。コロナを怖がって経済活動を止めるなんてことをしたら大変なことになる。交通事故の死亡者をなくすために自動車運転をやめようなんてことは誰も言わないだろう」 

そりゃそうです。本日時点で日本国内の新型コロナウイルスによる死者は1千人弱。2月から5月までの4ヶ月間と考えても年間の死者数は単純に3倍して3千人となります。そう考えると交通事故の死亡者とまったく同じ。

では交通事故の死者をゼロにするために自動車の運転を禁止するかというと,そんなことは一度も聞いたことがありませんよね。正常な思考をもった人ならそんなことを主張する人はいないでしょう。ところが,新型コロナウイルスとなると営業自粛,外出自粛,そういう極端な主張が罷(まか)りとおります。

「今の日本はコロナウイルスの死者は1千人ですんでるけど,アメリカや南米では流行して数万の人が死んでるんだぞ」と反論する人が大勢いることでしょう。でも,日本はアメリカや南米ではありませんよね。当たり前ですが,この当たり前なことが通じない。

今もNHKニュースでは紛争地でコロナウイルスが猛威を振るい,感染者の治療が行き届いていないと悲惨な状況を伝えています。では,一時期は棺桶が足りないと報じていたイタリアはどうしたんでしょうか? ジョンソン首相が集中治療室に入院したと報じられていたイギリスはどうなっているんでしょうか? 当時のペースで行くと今では両国の人口は半減してもおかしくないはずですが,報道しなくてもいいんでしょうか?

結局,感染が終息の方向にある国を報道していないだけです。例えば,感染が広がっていないベトナムなんてテレビの報道を一度も観たことはありません。ベトナムは感染者は1千人以下。死者はゼロです。これだけ感染防止を完璧にやり遂げた国を日本のマスコミは無視しています。台湾もまたしかりです。

アメリカや南米を引き合いに出す人にいいたい。なぜ,ベトナムじゃないのか? なぜ,台湾じゃないのか? 日本と人種的にも環境的にも似ている国と比較しないのか,その理由を教えて欲しい。

「知らなかった」だと? それはあなたがマスコミの垂れ流す報道を浴び続けて,それが常識だと勘違いしているからです。マスコミに踊らされているからです。マスコミの受け売りをしているだけなのに,あなたはすべてを知っているかのような傲慢な態度はとっているのです。

よかったですね。あなたはそれに,今,気づきましたよ。

濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けかは知らぬ (斎藤史)

2020年6月 7日 (日)

一日の最後に話をしたい相手は君だけ たとえ最初の出会いが最悪でも

録画していたメグ・ライアン主演の「恋人たちの予感」を観ました。

ラブコメの女王,メグ・ライアンですからね。若い人は知らないかも知れませんが,私の青春時代は,ラブコメ映画と言えばジュリア・ロバーツかメグ・ライアンです。そして男と女の友情は成立するのか,というテーマはこの映画が火付け役となったのは間違いないでしょう。それぐらい,私たち世代の恋愛のトレンドに大きな影響を与えました。

ハリーとサリー(メグ・ライアン)の掛け合いで映画は進行します。最初からずっーと,セックスの話題が中心。ベッドシーンは1度だけ。それも二人で添い寝をしているだけ。この映画の魅力は二人のセリフの掛け合いなのです。これぞラブコメの王道でしょう。

私は高校,大学と彼女ができたことはなく,合コンなどで知り合ってもその次の約束がないのがお決まりでした。私自身の魅力がないのも当然ですが,相手の女性に魅力を感じなかったのも事実。一緒に食事やカラオケを楽しんでも,もともと自分自身がそれを楽しめないから共感できなかったのかもしれません。どうしてみんなは彼氏,彼女ができるのか,当時の私には謎でした。

今の妻と私は会社に入ってすぐに知り合いました。ただ別の部署だったため,それ以上言葉を交わすこともないまま数ヶ月が過ぎました。夏,暇だった私がその頃のことを思い出し,妻のところに遊びに行きました。妻の家に到着したのはちょうどお昼前。妻は私のためにチャーハンを用意してくれていたので私に多少の好意はあったのでしょう。しかし,そのチャーハンがまずいのなんの。私は「まずい」とつい口に出してしまいました。

その後,数時間二人でドライブをしたのですが,ほとんど会話はなく,ただ二人でぼんやりと風景を眺め,最後に定食屋でご飯を食べて別れました。あまりにも会話が弾まないので,もう二度と会うことはないだろうな,と思ったものです。

でも,分からないものですね。その翌年に,私は妻にプロポーズをしました。会話は弾まなくても,この人となら一緒に苦労することもできる,と思ったからです。不思議なもので,最初の出会いから25年経った今でも,妻と二人いるときもほとんど会話がない。それでもずっと一緒にいられるのです。

さて,映画の話に戻ります。最初に最悪の出会いをしたハリーとサリーは,お互いに離婚などの経験を重ねて12年の時が流れます。そしてその年の大晦日の夜に,ハリーがサリーに告白します。「一日の最後に話をしたい相手は君だけ」と。サリーは「あなたなんて嫌い」といって二人が抱擁してエンディングとなります。

何でも隠さずに言い合える関係っていいですね。私はつい本音を口に出す方なので隠し事ができません。妻に言わせれば「気遣いがない」ということなんでしょうが,それでも許せる信頼関係ができているってことなのかも。

そういう人に出会えたことは本当に幸せなことです。

ところでこの映画には,老夫婦のインタビューがところどころで割り込みます。老夫婦の馴れ初めや数十年変わらぬ愛がそこで語られます。もし,私と妻がこの映画のワンシーンに出ていたとしたら,どんな話をするかしら。チャーハンの話は必須でしょうね。妻は嫌がるかもしれませんが。

眠りつつ髪をまさぐる指やさし夢の中でも私を抱くの(俵万智)

2020年6月 6日 (土)

10年目にしてヒメシャラの花が咲きました 灰雨の中でも気にしない

今日も朝から仕事。昼前には終わると思っていたら,上司から資料にダメ出しを出されて結局終わったのは午後3時。こうして一日が終わってしまうのかと思うと本当に寂しい。

今週は本当に忙しかった。月曜日から毎晩帰宅は午前零時前後。特に木曜日は深夜1時まで残業だったせいで,金曜日は眠くて頭が痛くて忙しくて嫌になり,午後9時には退社したのですが,今朝は疲れがとれない状態でまた仕事。体が持つのか本当に心配になってきます。

今日は時折強い風と雨が降り,さらには桜島も爆発したようで灰混じりの雨。おかげで私の革靴やズボンには灰の白い斑点がいっぱい付いていました。

妻の車で自宅に戻り,庭を眺めるとヒメシャラの花が数輪咲いていました。ヒメシャラはツバキの仲間なのですが,幹が細く花も白くて小さい。サクラよりちょっと大きいかなって感じです。

このヒメシャラは家を建てた10年前に植えたもの。しかし,水が足りていないようでしばしば枝の一部が枯れていて,花をつけることもなく,「大丈夫かな?」と心配して眺めていた木です。

今年の春から樹勢があり,珍しいこともあるもんだとおもっていたら,ようやく開花。暖冬の影響なのか,それとも10年経って根が深く伸び,十分な水を吸い上げるようになったからなのか。園芸の素人の私には分かりようもありませんが,嬉しいことは確かです。

その一方で,毎年真っ白い花をたくさんつけていたヤマボウシが,今年はいまだに花をつけません。サクラの開花が遅れたのは暖冬の影響とわかりますが,ヤマボウシまで遅れるなんてあるのかしら? 植物というのは本当に謎が多いですね。

午後6時に妻と出かけて外食しました。場所は西駅一番街のおばんざいのお店。おばんざいの3種盛りに日本酒をいただきいました。久しぶりの冷えた日本酒は香りがよくてのど越しも最高。一杯だけでしたが今の私にはこれで十分です。おばんざいは,ズッキーニのサラダ,飛び魚の姿揚げ,豚軟骨の甘辛煮。このほかに一品料理でチキン南蛮とタヌキ豆腐(うどんの代わりに豆腐が入った「たぬきうどん」みたいなもの)を妻が注文しました。車を運転している妻の飲み物はウーロン茶。これで全部で4千円。リーズナブルでしかも満腹です。

ベル通りも含め,どのお店もお客さんがいっぱいでした。いつもの夜の街に戻ってきたようです。ここには,「店を営業するなんてけしからん。コロナの感染者が出たら責任をとるのか」と怒るバカ(ひまじん)の姿はなく,久しぶりに外で美味しいものや冷えたビールやお酒を楽しみたい,という人たちが集まっています。こういう雰囲気が私は大好きです。

きっとひまじんは,こういう現実世界を自分の目で見ることなく,マスコミの恐怖報道におびえて家に閉じこもっているか,道徳教育のようなテレビのアドバイスを真に受けて灰雨が降るなかで近所を散歩しているんでしょう。とてもいいことです。このまま,私の生活範囲から消えていてほしいものです。そこでマスコミにお願いです。ついでに「コロナは電話でも感染する」というデマを流してもらえませんか。マスコミの言うことならきっと信じますよ。そうすればもっと平穏な日々が続くでしょう。

栗の花紙縒(こより)の如し雨雫(あめしずく) (杉田久女)

2020年5月30日 (土)

かごしま弁をしゃべるねこ その名は「にゃんどん」 

晩ご飯の後,妻がスマホを私に見せてきました。「ねえねえ,鹿児島弁をしゃべるねこがいるんだけど知ってる?」

スマホを持たない私は,投稿された動画などをみることはまずありません。妻が教えてくれた「鹿児島弁をしゃべるねこ」の動画をみたら,なんとびっくり生粋(きっすい)のかごんま弁をしゃべってる!

しかも妻が言うにはこの動画,鹿児島県が編集している「どんどん鹿児島」にアップされているとか。「前は全然面白くなくてこのサイト死んでたのよ。それが最近はこういう挑戦的というか,面白い動画や写真がつぎつぎとアップされてるの。県がこういうのをのっけて大丈夫かなって思うぐらい」

わたしは「どんどん鹿児島」を見たことはありませんが,妻がしばしばそのサイトに鹿児島県内の写真(画像データ)を投稿しているのは聞いていました。鹿児島県が運営しているとあれば,営利活動や正体不明の(なんとんしれん)サイトや投稿は載せないだろうと思っていましたが,どうやら私が考えていたものとは違うようです。

きっと鹿児島県の担当部署の上司がかわったんでしょうね。このサイトを運営する課の上司が交代したのか,それとも考え方を変えたのかは不明ですが,ここまで勝負しているとなると簡単な決断ではないでしょう。こういう突き抜けた企画は,あれこれけちをつけるおじさん公務員(過去の成功体験にしばられて発想が現実についていけない上司)や,おばちゃん公務員(なんでも杓子定規にやれば間違いないの信奉者)が現れて頓挫するというのがお約束。それを打ち破るとなればトップダウンか,担当者が腹を決めてやっているかのどちらかでしょう。

それにしても「にゃんどん」。よくできてます。口の動きがぴったり。どうやって編集するのかしら。しかも鹿児島弁がすごい。私は普通に聞き取れますが,私の娘世代だとちょっと理解するのは難しいかもしれません。

しゃべってる内容もコロナ対策というところがいい。セリフに出てくる,山形屋,エーコープ,かすたどん,など郷土色の強いところもなかなかグー。このキャラの濃さだと薩摩剣士隼人に出演するかも。

「この猫は毒があるから気をつけて」と猫は喋(しゃべ)った自分のことを (穂村弘)

母の葬儀に出席することが不要不急? 県外から来るな? 非常識は誰か

先日,私が昔お世話になった先輩からこんな話をお聞きする機会がありました。

「関西に住んでいる友人が,お母さんが亡くなったので鹿児島に帰ってきた。母親の葬儀に出席したところ,駐車場にある県外ナンバーの車を見た葬儀社の人が『これでは葬儀はできない』として葬儀が中止になったそうだ。友人は車で鹿児島に帰ってきていたんだが,それを指摘されたようだ。葬儀が中止になったことで友人は親戚から責(せ)められ,関西に戻ってからも非難のメールが届いていると連絡があったよ」

私はこの話を聞いてなんともやりきれない気持ちになりました。「新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため,県をまたぐ移動は絶対にやめてください」と鹿児島県知事は発言していましたが,実の母の葬儀さえ参加できないのでしょうか?

中止を決めた葬儀社の問題と言えばそれまでかもしれませんが,今回のケースでは,親族たちは葬儀社の判断を当然として,その責任を県外から戻ってきた故人の子に押しつけています。ひょっとしたら,もともと親戚たちと疎遠で仲が悪かったということもあるかもしれませんが,葬儀に来るなとなると過剰反応と思えてなりません。

「村八分」という言葉があります。村落の共同体が結束してある特定の個人を無視する行為です。それでも最低限関与することがありました。それは葬式と火事のときです。ウィキペディアによると『地域の生活における十の共同行為のうち,葬式,火事の消火活動という,放置すると他の人間に迷惑のかかる場合(二分)以外の一切の交流を絶つことをいうもの』とあります。

私は,死を悼む行為は人にとって非常に重要なことだと考えています。これを蔑(ないがし)ろにしたり,軽視する人は人として信頼できません。かつて勤めていた会社では社員の親が亡くなるとかならず香典を集め,葬儀のお手伝いをするという「習慣?」がありました。とくに上司の親の葬儀となるとその人数がすごい数になりました。逆に私のような新入り(もちろん「当時は」,という意味です)には香典を出す人もごくわずか。

現在の会社ではそんな習慣はなく,香典は集めないし,葬儀の手伝いもしません。会社の人たちの考えが理解できない私は,上司部下,先輩後輩の区別なく,礼儀を尽くすべきと考えたときには香典を包むことはもちろん,葬儀にも出席してきました。逆にどんなに偉い上司でも面識がないと思えば香典は出しません。

話がずいぶん逸(そ)れてしまいました。母親の葬儀の参加できないなんて,子どもからすれば,人生最大の後悔ではないのでしょうか。しかも,そのことで非難を受け続けるなんて,こんな不条理なことがあるでしょうか。

私は先輩の話を聞いた後,しばらくの間は涙が流れるのをとめることができませんでした。まったく見知らぬ,その友人のつらさを思うと胸が締め付けられました。愚かな人たちは愚かなリーダーの愚かな発言に踊らされ,人間としての本分を守る人たちを傷つけます。私はこのような人間性のかけらもないひどい行為を止めることはできませんが,少なくともこのような愚行に与(くみ)しないことで,人としての信条を守りたいと思います。

亡き母の石臼の音麦こがし (石田波郷)