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2020年8月 1日 (土)

久しぶりの休日の過ごし方 休むことも戦いとなることの悲しさ

7月は新型コロナウイルス感染者が県内で多数発生しました。そして最初の死亡者が出たと南日本新聞がここぞとばかりに(?)報じていました。日本全体でも死者が1000人を超えました。緊急事態宣言が発出された4月よりも感染が広がっています。

アメリカでは死者が15万人を超えたというから大変でしょうね。4月から6月のアメリカの国内総生産は年率換算で32%のマイナスというから,世界恐慌レベルといってもいいでしょう。

これだけの事実がマスコミから垂れ流されているのに,私の家の周りにはそのような悲劇的な様子はまったく見られません。どうしてなんでしょう? 私の住んでいるところは地球上ではないのでしょうか?(もちろん冗談です)

仕事は大変でした。おだまりクラスターが発生してから1ヶ月間休みなし。朝から夜までの1日12時間~15時間の勤務が31日連続。1月末のクルーズ船の騒ぎから通算すると6ヶ月もこんな臨戦態勢が続いています。自分で言うのも何ですが,これで体を壊していないのが不思議です。

会社全体の健康管理を担当する私は,休日出勤のシフトを組むに当たって,個々の体調や体力を勘案して割り振っているのですが,それでも不平等だと不満の声が上がります。

休日出勤の割り当てに個人差があるのが主な理由ですが,社員によっては家庭が大変だったり,持病を持っていたり,メンタルで不安定だったりと様々な事情があります。すべての社員がそのような情報を共有できていれば,休日出勤の個人差に対して「平等」ではないけれども,それが「公正」であることがわかると思うのですが,プライバシーの問題もあるのでそういった情報を共有できない難しさもあります。

そうなると,シフトを組んだ私が責められることになります。それを引き受けることができるかが私の度量となるのでしょう。

この2週間は,想定していないことが次々と発生しました。調整作業が突発的に発生し,不測の支出や契約を求められました。上司に相談しても「どうなんでしょうねえ」とはぐらかされるので,私の即断即決で突き進みました。こういうのって精神的にハイテンションだからできるんですよね。

でも,ハイテンションが続くとどこかに歪(ひず)みが生まれます。やっぱり,クールダウンが必要です。今日はそういう日に設定し,意地でも会社を休むことにしました。もちろん,人命にかかわることが発生すれば別ですが。

周囲から「仕事が停滞している」とか,「お前が休んでいいのか」などの批判は,甘んじて受け止めて無視することにしています。こういう批判は自分勝手ですからね。誰も私の体調を気遣ってくれるわけではない。周囲におもんばかったばかりに私が体調を崩しても,周囲の人はすぐにそんなことを忘れてしまう。「いじめ」と同じ構造です。

私は新型コロナウイルスに対して戦うと同時に,周囲の「もっとがんばれ」圧力に対しても戦います。その先に何があるのか分かりませんが,ひとつ言えることは,こういうときこそ,人の信条,信仰が分かるということです。また,同時に同調圧力を強める周囲の人たちがどういう考えを持っているのかが分かります。彼らは私を非難することで自分を無意識のうちに評価者だ認識しているでしょうが,逆に彼らはそういう行為をすることで私に評価されているのです。

月見草はなればなれに夜明けたり (渡辺水巴)