2020年5月24日 (日)

私は評論家にはなりたくない,決断をする人でありたい

私は会社では中間管理職です。少なからず部下もいるので毎日のように決断する機会が訪れます。そういうときは決して「空気」を読みません。自らの判断基準に従います。私の価値判断は明確です。

1 即断即決(決断の先送りは無駄な業務を生じさせるケースがほとんど)

2 部下は上司の決定に従う(上司の決定がでれば部下は実行するのみであり,上司の決断が出た後に迷うのは時間の無駄である)

3 問題を放置しない(放置,先送りするほど解決は困難になる)

4 問題の重大性(人権侵害の有無,金額の多寡など)を考慮し,軽微であれば簡易な処理を行い,重大であれば厳格な処理を行う(通常はこれとは逆になりがちです。実務をしている人はうすうす感じているでしょうけど,簡単なことは知っていることなので厳格に対応し,重大・困難なことは隠蔽したり,責任を回避するために決断に関与しないようにする人が多いのです。)

5 判断が間違っていたときはすぐに軌道修正する(決断を変えると評判が悪くなることを気にする人が多いけど,私は自分の評判が悪くなっても問題が解決できればいいのです)

私の愛読書にカール・フォン・クラウゼビッツの「戦争論」があります。非常に読みにくい本なのですが,ビジネスの示唆に富む内容です。「決断」についても「戦争論」に記述があります。

「戦争における情報」のなかで「指揮官は,自分自身に対する確乎たる信頼に基づいて,そのときどきに心を脅かす見かけだけの危険に惑わされぬように心がけなければならない」(岩波文庫:上巻130ページ11行目)と断言しています。

「正しい判断」をすることが大切なのはサルでもわかります。しかし,どんなに見識の高い人でも判断を誤ることがあります。だからといって判断を誤ることをおそれては何もできなくなります。そんな批判に耐えるだけの鈍感さ,信念がリーダーには必要だと思います。

私もこれまで幾多の判断をしてきました。もちろん,間違った判断もいっぱいあります。これまで大過なく過ごせたのは周囲のサポートや幸運によるものが多いのは事実です。そうであっても,やはり「決断する」ことこそ,私のやるべきことだと思うのです。

最後に,「正しい」ことを決断・実行することについて,いいことを書いている本があります。「プロカウンセラーが聞く技術」(東山紘幸)から抜粋します。

「正しいこと」は決して一つではありません。評論家はある正しいことをして時期を失して失敗するとなぜ早く手を打たなかったのかと叱責します。逆に急ぎすぎて失敗するとなぜじっくり考えなかったのかと非難します。彼らはいつでも正しい,自分ではいつでも痛みを感じず,痛みを人に押しつけます。だから正しいことを言う人は評論家か傍観者になるのです。正しいことばかりを言う人はどこか信用できないのはこのためです。なぜなら正しいことを言い続けようとすると,自分は何もできないからです。

流弾のごとくしわれが生きゆくに撃ちあたる人間を考へてゐる (森岡貞香)

2020年5月23日 (土)

犬飼滝で出会ったカップル どうして女性の方が印象に残るのか?

今日は午前中に会社で残務整理をした後,妻と霧島方面にドライブをすることになりました。

天気は風がやや強く,雲が多いものの晴れ。心地よい五月特有の天気です。平日は遅くまで残業。休日も出勤するか,しないときは終日自宅待機と仕事漬け(コロナ漬け?)だった私を妻が気遣ってくれたのです。たまには外の空気を吸ったり,まったく違うことを体験して刺激を受けないとね,と。

国道10号線沿いに北上し,鹿児島空港へ。空港駐車場はもちろん,周辺の駐車場もガラガラ。空港に入るとこれまたガラガラ。飲食店で営業していたのはロイヤル,山形屋レストラン,ふく福の3店舗だけ。それ以外はすべて休業中。運航状況をみるとほとんどは「欠航」。

ロイヤルに入ると私は「黒豚溶岩焼丼」,妻は「黒豚パーコー麺」を注文。「黒豚溶岩焼丼」は脂身がたっぷりなのにカリカリで臭みもなく,焼き鳥のタレのような甘いソースがまたぴったり。本当に美味しかった。

その後,妙見温泉近くの犬飼滝まで足を伸ばしました。駐車場に車を停め,滝壺まで歩いて行きました。遊歩道のように足場はしっかり組んであるのですが結構急な坂道。ゆっくりと歩いて下り,2畳程度の狭い展望所にたどり着きました。

展望所には20代ぐらいのカップルが来ていました。どちらも一眼レフと思(おぼ)しき望遠のついたカメラを首から提(さ)げていて,滝の様子やお互いの容姿を撮影していました。女性の方が私に気付き会釈をしたので私も同じように会釈を返しました。そのお嬢さんのかわいらしいこと。服装はこげ茶ベースでシャツとスカートとブーツをあわせていて,目がぱっちりとして笑顔がとても素敵でした。一方の男性は白いTシャツというラフな格好で顔をこちらに向けることはなし。それだけ彼女に夢中なのでしょう。

このカップルが立ち去った後,私と妻は高低差が30メートル以上はある滝を眺め,その迫力に圧倒されました。水しぶきが霧状になっているのか肌で感じます。後ろで男女の声がするので,まだ,あのカップルが残っていたのかしらと思って振り向くと,まったく別のカップルが私たちが立ち去るのを待っていました。

こちらも女性が私に軽く会釈をしました。このお嬢さんもまたかわいらしい。みず色の淡いセーターを着て目を細めていました。一方男性の方は周囲を見渡してこちらには目を向けません。茶髪が鳥の巣のように巻き上がっているのが分かった程度。

展望所は1,2分の滞在でしたが,滝の魅力を十分に感じることができました。それにしても出会った2組のカップルはどちらも女性はかわいらしいのに,男性の魅力のないこと。女性は周囲に配慮する(愛想がいい)けど男性は自分の世界に浸る(無愛想)からなのか,女性の魅力は若さ・美しさだけど男性の魅力は外見以外(経済力,談話力?)なのか。

逆に今日出会ったカップルたちは私たち夫婦をどう見ていたかしら。私と妻はどちらも50歳目前,妻の髪に白いものが混ざり,私はジャケットにチノパンといかにもおじさんファッション。滝を見終えたカップルが「25年後はこんな夫婦になっていたいね」と思ってくれていれば最高なんですけどね。

白玉(しらたま)や子のなき夫をひとり占め (岡本眸:おかもとひとみ)

野生動物の鹿児島市内住宅地への進出 報道しないのは常態化の証拠

昨夜も帰宅は午後10時前。いつものようにタクシーに乗ると運転手が話しかけてきました。

「お客さんは貂(てん)をご存じですか?」

「いやあ,話は聞いたことはありますが,実際に見たことはありません。私も田舎の出身なのでイノシシやシカなら目にする機会もありましたけどね」

「最近は自治会館の前でお客さんを待つことが多いんですけどね,自治会館の前を貂が走っていったんですよ。タクシー仲間もよく見かけているみたいですよ。それと日ノ出町から紫原に上がる坂があるでしょう。あそこでイノシシを見かけたとか,宇宿でもイノシシの親子連れを見かけたとか,結構目撃してるんですよ」

「そういえば私の庭を最近ほじくられることがあったんですよ。最初は近所の野良猫が悪さをしているのかと思っていたんですが,この間庭を見たときにタヌキがいたんですよ。どうやらタヌキが土をほじくってエサを探していたらしいです」

「そうでしょう。最近は家庭菜園とかあるでしょう。山は危険がいっぱいだけど,市街地や住宅地だと天敵がいない上にエサも豊富。これじゃあ動物も増えますよ」

「それにしてもそれだけ多く見かけているというのにまったく報道されませんね。つい最近までは市街地でイノシシを見かけたとかサルを見かけたとかいってニュースになっていたのに」

私の庭には小鳥が訪れます。他の家も同じようなものでしょう。しかし,まったくニュースになりません。私の庭には数種類の蝶が訪れます。他の家も同じようなものでしょう。しかし,まったくニュースになりません。私の庭には野良猫がたびたびやってきます。他の家も同じようなものでしょう。しかし,まったくニュースになりません。珍しくないからです。

テレビニュースで野生動物が住宅地に現れたとあれば関心を示す人も,私の庭に何が来ようがどうでもいいことでしょう。それでも私には人生の出来事のひとつひとつ。それぞれに驚きや喜びがあり,逆に嫌な思いをすることもあり,そして自然に対する畏敬の念が起きることもあります。

人によっては「そんな当たり前のことがなんだ」と思うでしょう。テレビで報じられている「大阪モデル」や「東京アラート」,「夏の甲子園大会中止」,「検事の定年延長問題と賭けマージャン辞職」が重大だといっている鹿児島県人が相当います。

私にはそれが理解できません。あなた自身と直接関係ないこと,見たことも会ったこともない人に対して一怒一憂しているなんて。私からすればよほど馬鹿げています。

ある日ふと靴屋の前からなくなりしポストについて誰か語ろう(俵万智)

2020年5月20日 (水)

棒銀,いちご囲い,塚田スペシャル,そして今はW戦法で勝負! 

私は暇なときは,インターネットのSDINの囲碁,将棋をしています。

子どもの頃は将棋が大好きでした。小学3年生,4年生の頃は学校の教室でよく友人と将棋を指していました。当時は中原名人,谷川名人が活躍。羽生がプロデビューをする頃です。

将棋を始めて覚えた頃は棒銀戦法が大好きでした。その後は中原名人が愛用していた「いちご囲い」に夢中になりました。先手だと居飛車で飛車先の歩を交換し,角道を開けた後,3八銀,7八金と2手だけで簡単に守り,1五歩と端歩を伸ばしてから,3七桂,2五桂から1三の地点を集中攻撃する方法です。

中学生のときは塚田スペシャルにはまりました。やはり飛車先の歩を交換してから腰掛け銀に組むときの後手6四歩を狙う戦法です。こういう激しい戦法が大好きでした。

出水市の針原温泉に行ったとき,たまたま待合室に将棋盤があり,見知らぬおじさんと将棋を指したことがありました。小学生の私は棒銀戦法で挑戦し,このおじさんをこてんぱにやっつけました。こういう体験があるから将棋にのめり込んだのかもしれません。

それにしても相手に恵まれないとどうも成長が頭打ちになるようです。小中学生のときは私に見合うだけの相手がいないため,もっぱら本で勉強しました。

大学生のときにようやく自分と強い相手がみつかりましたが,その頃になると強い相手は本当に強い。大学の将棋部となると全国大会に出場するレベルですから逆に歯が立ちません。そうなると逆に興味を失っていきました。

いま,インターネットで将棋を指すときは,先手のときは浮飛車になって後手の角頭の歩を狙います。そうして相手が振り飛車,美濃囲いにしたときに,今度は相手玉の方の端歩をついて角,桂,香のコンビネーションで端を破るという戦法ばかり指しています。このとき私の陣形は3八銀,4九金,5八王,6九金,7八銀というWの形になるので,私は「W」戦法と名付けています。

めったに見ない戦法なので相手は戸惑うことが多く,私が勝つときは完勝がほとんど。逆に相手に的確に受けられて,攻め筋が切れて負けることも多々あります。攻め筋が切れるというのは本当につらい。肉を切らせて骨を断つ式の激戦が好きな私にはもっとも嫌な負け方です。

それにしても同じ戦法ばかりを採用するのは強くなるための前提条件のような気がします。一つの道(戦法)を極めることでより理解が深まる。ホームで戦うような有利さがあります。これは将棋ばかりではなく,仕事などにも共通することかもしれません。

こんなにも嬉しいことであったのだ,そう,学校に行くということは (俵万智)

2020年5月17日 (日)

「抗体はたっぷりあります」これで何が悪いのか? 風しんとコロナの差

先週,鹿児島市から送られてきた無料クーポン券を持参して「風しんの抗体検査」を受けました。昨日はその結果を聞きに,近所のかかりつけ医のところへ行きました。渡された「臨床検査報告書」を見ると,数値は180(単位はIU/ml)を超えていました。基準範囲は「20未満」と記載されています。

医師の話では「過去に知らないうちに風しんに感染したんでしょうね。抗体はたっぷりありますから,風しんの予防接種をする必要はありませんよ。新型コロナウイルスに感染してもほとんどは無症状だと言われています。それと一緒ですね」

新型コロナウイルス感染症については,日本はPCR検査件数が少ないと批判されています。調べてみるとPCR検査とは遺伝子検査。現在,ウイルスを保有しているかどうかを検査します。一方,抗体検査はウイルスではなく抗体があるかどうかを調べます。

ウイルスは病原のこと。治癒すれば体から排出されたということになります。逆に抗体はウイルスに感染したときに,ウイルスを排出するためにできる体の防御反応。ウイルスを排出した後も残るので,さらにウイルスに感染したとしてもその抗体がウイルスを容易に排出(治癒)できます。

つまり,「PCR検査」は今感染しているかどうかが分かるし,「抗体検査」は過去に感染した(あるいは現在感染しているけど,感染から抗体ができるほどの時間を経過した)ことが分かります。「PCR検査」の検体は「喀痰(かくたん。「たん」のこと)」や「鼻咽頭拭い液(鼻の奥の皮膚上の粘液のこと)」であるのに対し,「抗体検査」の検体は血液です。

こう考えると不思議ですよね。「PCR検査ができないなら抗体検査を」という報道があります。大相撲でも希望者全員に抗体検査を受けさせるとか。でも,抗体があるとわかってもそれだけのこと。現在感染していることの証明にはならないのです。私の風しんの抗体検査をみても分かるでしょう。風しんの抗体があるからといって,感染したことが分かるのは過去のこと。現在感染している可能性なんてほとんどゼロですよ。

そういうことを知らない,ワイドショーばかり見ている人がいかに多いことか。私のいる会社ではワイドショーが終わる時間になると苦情電話が増えます。内容はワイドショーの受け売りがほとんど。先日は「なぜPCR検査の検体に喀痰を加えないのか」という苦情電話がありました。北海道大学が研究で実証したことをやらないのはおかしいとさんざんわめいていました。この苦情主はPCR検査を断られたようです。

PCR検査の検体に「喀痰」を加えても,一人から採る検体が二種類から三種類になるだけです。検査を受けられる人が増える訳ではありません。PCR検査機をなぜ増やさないのか,という苦情ならまだ理解できます。当社には関係ありませんが。

そういう背景を知っているだけに,苦情主に対して「この電話って結局あなたのうっぷん晴らしでしょ」と言いたくなります(実際はそんなこと言いませんが)。検査を受けられなかった不満をぶつけられても「検査を断られてから2ヶ月たってもあなた元気にしているでしょ。検査は必要ないという医師の判断が正しいじゃないですか?」と反論したいところです(実際はそんなこと言いませんが)。

苦情対応では相手方の主張を真っ向から否定しません。できるだけ相手が自分の誤りに気付くように対応していますが,それでも限度があります。彼らは理屈で行動しているわけではないのです。マスコミに踊らされているだけです。それを自覚せず,平気で他者を攻撃する人々に恐怖と諦(あきら)めを感じます。

冬蜂の死にどころなく歩きけり (村上鬼城)

2020年5月16日 (土)

1ヶ月も誰とも話をしないとなると気がおかしくなっちゃうのよね

「1ヶ月も誰とも話をしないとなると気がおかしくなっちゃうのよね」 なじみの小料理屋のおばちゃんがそう切り出しました。

新型コロナウイルス騒ぎでこのお店は1ヶ月近く店を閉めていました。14日の木曜日に鹿児島県は緊急事態宣言が解除。15日の金曜日が営業再開初日となりました。

私も忙しい日が続きましたが,この日はぽっかりと仕事が空きました。まわりの連中は残業をしていますが,私は今日は急ぎの仕事がないからと割り切って定刻どおりに退社したのです。

あらかじめ電話しておいたこともあり,すでに前菜の野菜サラダが準備してありました。平らげると鯛の白子のオリーブオイル焼きにすりおろした生姜添え,同じく鯛の筋子のさっと煮,インゲンのゴマ和え,鯖の照り焼きが一切れが長皿に盛られて出てきました。

「私はね,どうしても今夜は鯛が食べたくて魚市場に行ったのよ。後でお刺身もだすからね。そうそう,アラもあるんだけど持って帰らない。塩焼きもいいし,大根と煮込んでも美味しいし,出汁(だし)にとるのもいいわよ。帰るときに持たせるから忘れないでね」

私がしゃべる暇もなく,一方的に話すおばちゃん。一人暮らしの上に,ショッピングに行きたくてもいつも行く山形屋や東急ハンズは長期休業。息抜きで野菜作りをしていてもやっぱり一人。コロナウイルスが怖いからといいながらも,誰とも会わない,誰とも話をしない生活はストレスがたまったようです。

キープの焼酎がちょうど切れたので「伊佐小町」を一本入れました。ここの常連さんがすすめていたとか。飲兵衛の彼の選択なら間違いないでしょう,と二つ返事でこの銘柄にしました。夕方は土砂降り。肌寒くなってきたのでお湯割りでいただきました。

おばちゃんの話題は7月の知事選になりました。「伊藤さんはなんで出るのかね。もう過去の人よ。三反園が許せないんだろうけどダメだよ。そして三反園。事務所開きに東京の国会議員を呼ぶなんて呆(あき)れたよ。県民には都道府県をまたぐなと言いながら自分のことは例外だって言うのかね。この二人には絶対に投票しないわ。で,残る二人のうちどっちがいいのけ。私,どっちも名前も考えも知らないの」

お約束の鯛の刺身も新鮮。最後はオムレツ。セロリと牛肉の細切れが具という珍しいオムレツでした。卵で包むことで味をやわらかくしているんだとか。これで料理は2500円。焼酎一本が2000円なので,全部で4500円でした。私はこれでお腹いっぱい。おばちゃんも久しぶりに誰かと話ができたということで満足そうでした。

おみやげに鯛の筋子の残りと冷凍したアラ,自宅で採れたレタス,そして親戚の遺品で扱いに困っていたロープタイを6本ほど持たされました。ロープタイなんておじさんがするものと思い,断ろうと思いましたが,考えてみれば私もおじさん。まあ,いいか。

お店をでると,まだ雨が強く降っていました。いよいよ梅雨入りかな。

おろかゆえおのれを愛す桐の花 (佐藤鬼房)

仕事の悩みのほとんどは上司との関係 悩みを受け止めるには?

もう20年以上昔の頃,私も新入社員の時代がありました。自分の仕事に自信がもてず,私自身,何が問題なのかをはっきり認識できていないので他者にもうまく相談できない,そんな日々が続きました。

しばらくして非常に仕事に厳しい上司の下につくことになりました。文書を書くにしても一言一句チェックされては間違いを指摘され,なぜこれをするのか,という目的や根拠が曖昧(あいまい)な企画書にはダメ出し。毎日が憂鬱でした。

当時は毎朝この上司と顔を合わせるのが気が重くてなりませんでした。だからこそ,「今日はあの上司と喧嘩してやる」と気分を無理やり戦闘モードにして,当時通勤で利用していたJRの列車に乗り込んだものです。

さて,昨日の夕方,退社しようとロッカーで上着に袖を通そうとすると,30代半ばの女性社員が私に「帰ってしまってすみませんでした」話しかけてきました。

おとといは午後10時を過ぎてから,急遽仕事を誰かにお願いしないといけないことになり,退社しようとしていた彼女にお願いしたのでした。彼女はそれを断ったことを気にしていたようです。

「とんでもない。こちらこそ,帰ろうとしていたところを引き留めてごめん。あなたが謝ることじゃないよ。こんなときは「もう帰る時間です。失礼します」と言い返すぐらいの気持ちがいいんじゃない」と冗談めかして返事をしたのですが,彼女の目が潤んでいたことに気づき,「ちょっと外にでようか」と慌てて彼女と二人で廊下に出ました。

様子がおかしいので訳をたずねると「私の上司が細かい指導をするので,ちょっとした企画書を見てもらうのでもすごいプレッシャーなんです。今取り組んでいる契約についても,どうしていいか分からないので相談したら,『担当はあなたなんだから,あなたがちゃんと調べてから持ってきてよ』と言われて。相談すらできないのかと・・・ どうしたらいんでしょう・・」

そう説明しながら,彼女の体が小刻みに震えているのが分かりました。私は彼女の右腕を強くつかみ,周りに聞こえないように静かな声で語り始めました。「あなたがそんなに苦しんでいるなんて気付かなかった。あなたの上司は優秀でプライドが高い。だからこそ,要求するレベルが高いんだね」

続けて,20年前の厳しい上司との関係を話しました。毎日喧嘩するぐらいの気持ちで出勤していたと。そしてあなたには,あなたと同じ仕事をしてきた先輩たちがこの会社にはいっぱいいることを教えました。私はあなたの悩みに直接応えることはできないかもしれないけれど,あなたと同じ悩みを乗り越えてきた人たちはいる。そんな先輩たちならきっと相談にのってもらえると。

わたしは彼女を目をみつめながら,そしてゆっくりと落ち着いた声で彼女に含み聞かせました。しばらくすると彼女の震えがとまり,二の腕の強(こわ)ばりがとれて筋肉がやわらかくなったのが私の左手に伝わりました。私は左手を緩め,彼女の腕からゆっくりと離しました。

ここが会社でなければ,私は彼女を抱きしめていただしょう。それぐらい,彼女の切実な声をしっかりと受け止めたい気持ちでした。ただ彼女には「私とあなたは男と女。あまり近しいことになってはだめだよ」と勘違いしないように言っておきました。当然ながら,私は彼女に対して恋愛感情はありません。

唇をよせて言葉を放てどもわたしとあなたはわたしとあなた(阿木津英)

2020年5月10日 (日)

ウメ伐る馬鹿サクラ伐る馬鹿 風しん検査受けない馬鹿コロナ検査要求する馬鹿

出水市に愛宕神社があります。愛宕山の山頂にある神社で,石積みの階段を上っていくと眺めがよくて気持ちがいい。

ここの参道沿いに桜の木が植えてあります。サクラの木の周りに「ウメ伐る馬鹿サクラ伐る馬鹿」という立て看がありました。子どもの頃にこの立て看をみて,サクラの枝を切って持ち帰る不謹慎な人がいるんだなとぼんやり考えたことがあります。自分の欲望だけ考えて木のことは考えない。そういうわがままな人がこの世には多いってことを学びました。

さて,昨日の土曜日は,近くのかかりつけ医のところに行きました。目的は風しんの抗体検査。先月,鹿児島市から風しん抗体検査のクーポン券が送られてきたからです。

行ってみると採血だけ。3日後には結果が分かりますとのこと。もし,風しんの抗体がなければ改めて予防接種をするそうです。時間にして5分もかかりませんでした。しかも無料です。

私たちの年代の男性は風しんの予防接種をしていないので,風しんに感染する可能性があります。妊婦に感染させると赤ちゃんに障害が残ります。そのため,無料で抗体検査を受けさせ,抗体がない(陰性)場合には無料で予防接種を受けることができる仕組みです。

全国的にこの取り組みを始めてもう1年以上なりますが,鹿児島市は検査を受ける人が非常に少ないそうです。鹿児島県人は公共心がありませんね。自分(男性)は妊娠しないからと,きっと人ごとなんでしょうね。子育て世代にとっては迷惑な人がいっぱいです。

新型コロナウイルスの騒ぎとのギャップに驚きます。マスクをしていないからと攻撃的になり,PCR検査を受けさせないと行政に苦情をいう。そういう人は,周りで風しんの予防接種を受けない人に同じようなことを言っていますか?

例えば保育園。子どもを保育園に預けるときに,いちいち周囲の父母に風しん抗体検査を受けたか,とか,予防接種をしたかとか訊ねる人がいますか? 検査や予防接種を受けない人がいることを理由に「保育園に来ないでください」なんて言う人がいますか? 小さい子どもを預ける母親なら妊娠する可能性が高い。でも,そんなことを誰も言わないでしょ。どうしてそれが新型コロナウイルスだと登園拒否・拒絶の理由になるんでしょうか? 同じことをするなら,保育園も保護者全員に風しんの抗体検査の結果を示さない限り,来園を拒否するのが当然ではないでしょうか?

最近の新型コロナウイルス騒ぎは常軌を逸しているとしか思えません。県外ナンバーの車に石を投げたり,医療従事者やその家族に対して近づくなと差別する人がいます。

どうして県外ナンバーの車の運転手が感染者だと言えるのですか? 県外から物資を運ぶ長距離トラックがすべて止まったら,鹿児島は大変な品不足になりますよ。そうなったらあなたは責任をとってくれるんですか?

どうして医療従事者と言うだけで排除するんですか? そんなことを言うなら,あなたが病気になったときは,必ず医療従事者を遠ざてくださいよ。あなたがどんなに苦しもうが自業自得だと覚悟してやっていることでしょうからね。

私は,日本人のこういう表面的な感情だけで動く浅はかさに失望しています。「日本人はすばらしい」という番組が一時期流行りましたが,最近はまだやっているんでしょうか。是非,こういう差別意識を取り上げて欲しいですね。きっと世界ランキングでは相当上位になることでしょう。

自殺者の三万人を言いしときそのかぎりなき未遂は見えず (吉川宏志)

2020年5月 9日 (土)

娘からのプレゼントは松阪牛 立派になったもんだ シャレも効いてる

明日は母の日。先週,私の母にはさつま町の東花園で買ったアジサイを3鉢プレゼントしましたが,今日は,関西に住む娘からのプレゼントが我が家に届きました。

箱を開けると松阪牛の商品カタログ。すき焼き用,焼き肉用,サイコロステーキ(それぞれ200グラム),ホルモン(500グラム),冷凍コロッケ,カレー,時雨煮(しぐれに)の中から1つ選ぶことができます。

妻と相談してサイコロステーキにしました。それにしても松阪牛というのが渋すぎる。娘がアルバイトをして稼いだお金で買ったというのも立派です。娘の話によると三重県に行ったときに自分もそれを食べたとか。うーん,30年前に貧乏学生だった私からは考えられないほどの凄い格差です。

数年前,会社の忘年会のビンゴゲームで松阪牛(すき焼き用)が当たったことがありました。年末,家族ですき焼きにして食べたところ,本当に口の中でとろけそうなおいしさ。鹿児島牛かタスマニアンビーフしか食べたことのない我が家では衝撃的な出来事でした。娘はそのときのことがよほど印象に残っていたのでしょうね。

そもそも我が家では牛肉は週に1食分買うことがあるかどうか。普段食べるのは豚肉ばかりで,たまにミンチや鶏肉,魚,牛肉のどれかが入るぐらいです。

過去を振り返ると牛肉を何度も食べた時期が一度だけありました。20年ぐらい前に狂牛病騒ぎがあったとき,安全性をいくらPRしても牛肉がまったく売れなかった時期です。牛肉の価格が豚肉並みに下がり,また,ちょうど冬場だったこともあり,我が家では毎月牛肉を買ってはすき焼きをして食べてました。

当時このことを会社で自慢げに話すと周囲の社員から白い目で見られました。人と違うことをすると排除しようとする性質は日本人特有ですね。今の人には何のことかわからないかも知れませんが,今,新型コロナウイルスの感染者を差別,隔離,排撃する人がたくさんいるように,このときも牛肉というだけで毛嫌いし,それを食べようとするとバカ呼ばわりする人がたくさんいたんですよ。

いうまでもなく,当時,牛肉をたくさん食べた選択は正解でした。私の家族はクロイツフェルトヤコブ病にかかることなく,みんな健康です。

それにしても娘のプレゼントに,シャレの効いたプレゼントがもうひとつありました。

宅配便の包装紙を開けると熨斗(のし)が貼ってありました。そこに書かれていた言葉が「いつまでもお元気で」。これには思わず苦笑い。「母の日」というよりも「敬老の日」みたい。一気に10歳ぐらい歳をとった気持ちです。そして,子どもの成長の早さを感じます。

一生の疲れのどつと籐椅子(とういす)に (富安風生)

タヌキに続いてキジバトも我が家にやってくるのは喜ばしいこと?

今朝着替えているときに窓の外を見ると,2メートルほど先のフェンスの上にキジバト(羽に茶色の鱗模様があるハト)が止まっています。トキワマンサクのつぼみ(?)を食べているようです。この家の庭には多くの木が植えてあり,季節はちょうど花盛り。鳥たちが寄ってくるのも当然です。この間のタヌキといい,本当によく動物たちがやってきます。

しばらく眺めていると,妻が私の隣をすり抜けて窓を開け,キジバトに石を投げつけました。慌てたキジバトは羽を周りの枝にぶつけながら,葉っぱで埋もれた空間を必死に這い出すようにして飛んで逃げていきました。

「きっと巣を作ろうとしてるんだわ。巣ができると大変よ」と妻は私に告げると,意気揚々と引き上げていきました。

私が高校生の頃だったでしょうか。当時私は高校の寮生活。久しぶりに実家に帰ったときに,父がドバト(灰色と青黒のハト)のことを話してくれました。実家の近くにはお寺があり,ドバトがたくさん群れています。そのドバトが実家にもやってきてはフンを落とすので,いつも嫌な思いをしていました。

「この間,ドバトを退治しようと鳥かごをつくったんだよ。金網ネットで中にハトが入ったら外に出られないような仕組みでね。ところがまったくハトが罠にかからない。そこでハトを一匹手づかみで捕まえて罠の中に入れておいたんだ。そしたら,次の日には数十羽のハトが入っていてね。殺すのも抵抗があったから,遠く入来峠までにもって行って放そうとしたんだよ」

ドバトは群れる性質ですが,この話を聞いて驚いたものです。罠にかかった仲間を助けるつもりだったのか。それとも単純にバカなのか。シートン動物記の「おおかみ王ロボ」に出てくるブランカを思い出しました。

「入来峠にもっていくときにビニール袋に入れておいたんだよ。そしていざ現地に到着して放鳥しようとしたら,どのハトもぐったりとしていてね。窒息してたんだろうね。おそろしくて山に捨てて慌てて帰ってきたよ」

ハトを入来峠に放しても,伝書鳩で知られているように,ハトには帰巣(きそう)本能があるのでおそらく「元の木阿弥」になったことでしょう。望まない方法だったとはいえ,ハト退治としては効果があったのかも。それから30年後,ハトの姿はほとんど見かけなくなりました。お寺はいまでもちゃんと続いているのに。

動物たちの異常発生や激減は原因不明のことが多いようです。新型コロナウイルスの影響で繁華街から人の姿がなくなったことで,ネズミが堂々と徘徊したり,ピューマやトドが現れたりと世界のあちこちの都市で,動物たちが大手を振って歩いているとの報道がありましたが,こういうのは異常発生とは言わないようです。

さて,我が家の話。キジバト以外にもスズメ,シジュウカラ,メジロなどがよくやってきます。小鳥たちの鳴き声もかわいらしくて,私はその声を聞く度に「我が家って本当にいいなあ」と悦に浸ります。

残念なことに,妻はこれらの鳴き声が聞こえると「うるさいっ!」と大声をあげて追い払うので,鳴き声を楽しむのは私が一人でいるときだけです。

鳥の巣に鳥が入ってゆくところ (波多野爽波)