2020年5月 6日 (水)

4月からほとんど空白となっている手帳を見て考えたこと

私の手帳は見開きが1週間。バーチカルタイプです。バーチカルとは,時間軸が垂直。すなわち朝8時から夜10時までが上から下に並んでいるのです。それが月曜日から金曜日まで1時間単位で区切られています。ちなみに土日は午前・午後の欄だけです。

4月始まりの1年。毎年更新していて,もう11冊目になります。10年ぐらい前,日経ウーマンで紹介されていた「キャレルA6バーチカル1」です。

今の私の手帳を開くと,ほとんどの日が空白です。新型コロナウイルスの対応に追われて,記入する暇もないぐらい忙しいというのもありますが,国などの行政の指示などが時々刻々と変化し,さらに社長の思いつきで次々と会議や新たな方針が打ち出され,手帳に予定が書き込む暇(いとま)がないのがその理由です。

空白の手帳は,本来であれば部下の業務の進行管理をすべきなのに,自分自身の業務を優先してきたことの裏返しです。スケジュール管理がまったくできていないなんて上司失格ですね。

それと同時に手帳の空白が私のこころの空白のように思えてきます。忙しい毎日なのに真っ白。むなしさを覚えます。

このゴールデンウィーク中,家の中の掃除をしているときに,A5サイズのシステム手帳を見つけました。黒い革張りが懐かしい。私が加世田で観光の営業をしていたとき。そして,鹿児島市で訴訟関係の業務をしていたとき。さらには種子島で不動産の営業をしていたとき。あわせて10年ぐらいはシステム手帳を使っていました。6穴タイプ,使っている紙もダヴィンチの品質のいい手帳でした。

A5サイズと大きいので,バーチカルには時間単位で営業先の氏名や打ち合わせ先などで埋まり,TODOリストや年間計画,プライベートの目標なども所定の様式にブレイクダウンして書いていました。当時は司法試験合格を目指していましたから,そのための学習計画。家を買うための資金繰り表。子どもの将来(といっても,家族全員の年齢を子どもたちが成人になるまでを年表にしただけですが)。などなど。

あの頃は大変だったけど,手帳と同様,仕事も私生活もとても充実していました。

しかし,営業の仕事を辞めてからはシステム手帳の出番はなくなりました。新たな会社では顧客名簿もなければ計画もない。ただ上司の指示をこなすばかり。バス通勤になり,システム手帳が重く感じるようになりました。そしてA6サイズの小さな手帳をスケジュール管理に,A6サイズのキャンパスノートを備忘録として,2つをバインドすることに切り替えたのです。

あれから10年,こんなに手帳が白いのは初めてのことです。4月から空白の手帳に,まずは普段使うバスの時刻表を貼り付けました。そして予定は書けなくても,その日の夜には1日の出来事を手帳に書こうと心に決めました。指示されたことをやるのではなく,私が本来やるべきことを手帳に書いて実践していこうと決めました。どんなに忙しくても,手帳を見ることで自分を客観的に見る。それが大事なんじゃないかな。

一村に空の広さの立夏かな (村越化石)

2020年5月 5日 (火)

夏休みとコロナ休みでは何が違うのか パスタソースが売り切れる理由

今夜は焼き肉。肉と野菜の比率が3:7ぐらい。私も妻もそれで満足です。食後,洗い物をしている妻が,今日,マックス・バリューで買い物をしたときのことを話し始めました。

「もう数週間も前からパスタソースが売り切れなのよ。おかしいでしょう」怒りが収まらないようです。「だいたい、仕事が在宅だからとか,子どもが家に居るからってパスタばっかり食べる? ありえないでしょ。テレビが煽っているからよ」

「パスタソースは売り切れなのに,冷凍パスタはいつも在庫がたくさん。パスタを茹でるよりもレンジでチンした方がずっと楽なのに。だいたい子どもは夏休みがあるのよ。夏休みだからって品不足になることある? ホントにバカがいっぱいいるわ」

確かに私と一緒にマックスバリューに行ったときも,パスタコーナーの商品棚はほとんど空の状態。店員に理由を訊ねたときは,新型コロナウイルスの影響で人手不足ということでした。私はこれを聞いて,製造工場か運送会社が新型コロナウイルスに集団感染したのだろうと勝手に思い込んでいました。しかし,それではこんなに長く欠品が続く理由になりません。妻は消費者側に問題があると考えているようです。

妻の話を聞きながら,30年近く前の長雨の影響による米不足を思い出しました。

当時東北では作況指数が一桁のところがあるほどの超不作。日本米がないからと政府はタイ米を輸入。貧乏学生の私はこの2つの米のブレンド商品を買わざるを得ませんでした。が,その味のまずいのなんの。

日本米は短粒米,タイ米は長粒米。同じ米でも品質が全然違います。大豆と小豆ぐらいの差があります。これをブレンドするんだから普通にご飯を炊いたらまずいのは当たり前。ひどい味でした。タイ米だけで食べた方がよほどまし。

当時は食べ慣れないタイ米の調理法をよくテレビで放送していました。まねした人もいたでしょうけど,安いブレンド米ではなく,値段の高い日本米との抱き合わせで強制的にタイ米を買わされた人のほとんどはタイ米を捨てていました。数ある農政の愚策のなかでも最大の愚策のひとつです。

マスコミの米不足報道に踊らされた国民と,その対応に追われた政治家と政府によって,誰も食べないタイ米を輸入する(そして食べたくない国民に無理やり買わせる)という,とんでもない政策が実現したのです。いかに愚策だったかは,この政策が二度と日の目を見ることがないことからもわかります。マスコミも絶対にこの騒動を取り上げません。

今回のコロナウイルス騒ぎも,トイレットペーパーから始まって,マスク不足,食品不足と広がっています。私はそういう狂乱(流行?)には絶対に乗りません。ないなら我慢すればいいのです。

トイレットペーパー不足は自宅の在庫だけで十分耐えられました。マスク不足も私には関係ありません。そもそもマスクに効果なんてありゃしないと確信している私は,周囲から非難されないためだけに着用すればいいので毎日同じ布マスクを会社で着用。パスタがないならご飯で十分。

最後に妻が「マツモトキヨシにマスクが20枚入りで売ってたわ。もちろん買わなかったけど」と教えてくれました。私も妻も同じ考えでよかった。だから夫婦になれたのかもよ。

陽の当たる壁にもたれて座りおり平行線の吾(あ)と君の足 (俵万智)

2020年5月 4日 (月)

うつ病の原因は長時間労働ではなく,自分の能力を超えた仕事にある

「働き方2.0vs4.0」(橘玲)を再び読みました。1年ぐらい前に読んでいたのですが,もう一度読みたくなりました。最近,社長のやり方に対する不満が募(つの)るばかり。「もう会社を辞めたい」と思う日が続きます。そんなときだから,私のビジネスの師である橘玲の著作が読みたくなったのです。

いうまでもなく,心の病は長時間働くからではありません。嫌なことを延々とやらされるから苦しくなるのです。好きなことであれば長時間やっても苦にならないでしょ。私も本を読み出したら面白くて途中でやめられず,徹夜で読んだことが何度もありました。例えば「モンテクリスト伯」。例えば「赤い雪(連合赤軍事件のルポタージュ)」。話がそれました。

橘玲が言うには,「いやなこと」は大きく3つに分類されます。

1つ目は何の意味があるのかわからない仕事。いわゆる「ブルシットジョブ」です。

2つ目は人間関係。パワハラ上司や,仲の悪い同僚,言うことを聞かない部下がいたら,職場にいたくないでしょ。

3つ目が自分の能力を超える仕事の責任を負わされること。あらゆる仕事で高い専門性が求められるなかで,「ゼネラリスト」としての経験しかないサラリーマンが,必要な知識やスキルを獲得できないまま年功序列で役職に就く。誰にも不安を言い出せないまま,ひらすら無事に過ごすことを祈るだけ。これはつらいよ。

橘玲はこの解決策として「フリーエージェント化」を提示しています。現在,アメリカ社会に広がりつつある新しい仕事のやり方です。雇用者としてではなく,事業者として会社と契約して業務を請け負うというスタイル。イメージとしては「SOHO」に近い。

そして「フリーエージェント化」して成功する鍵は,「個人としてよい評判をもっていること」。よい評判を得る方法は,ズバリ,「自分の人脈や知識を惜しげもなくギブ(提供)すること」。

会社に属しているときも常に「フリーエージェント」として仕事をしていると考え,会社のブランドに依存するのではなく,自分自身のよい評判を増やしていく人こそ未来社会を生き延びる,と締めくくっていました。

私は多種多様な業界を転々として,まさしく「ゼネラリスト」的な生き方をしてきました。そのときそのときで,一生懸命仕事に取り組んできましたが専門的な蓄積はありません。「つぶしが効く」ことが重宝された時代はすでに過去のことになっています。私も当然ながら過去の価値観に染まっています。現代の情報化社会は一般の人の知識量が大幅に増大していて,クレーマーの知識の方が私より数倍あることも,数倍早く入手していることも珍しくありません。

私はこういう情報化社会からドロップアウトして,自給自足に近い生き方をしたいと思っているのですが,橘玲はそれとはまったく正反対のことを主張していました。

人付き合いの悪い私の人脈なんてたかがしれてます。雑駁(ざっぱく)な知識は人並み以上と自信がありますが「ネット検索」には負けます。私の「ギブ」は,仕事を除けばこのブログぐらいですが,この「ギブ」を意識して,とにかく積み上げていきますか。

明日に残すけふの仕事を数へしのちとほき逆光の富士を見てゐる (藤井常世)

庭の花壇に穴を掘って荒らす犯人は,意外なほどすぐ近くにいた!

我が家の庭には樫(かし)の木が数本植えてあります。今の時期は新芽が吹いて一斉に真上へと伸びていきます。あまりにも伸びるスピードが速いので,いろいろと不都合が生じます。

4月になってから,BS放送を録画予約をしていたのにできていない,という日が数日ありました。これは数年前にも経験しています。BS用の受信アンテナの周りに,樫の木が伸びて電波の受信状態が悪くなるのです。

常々庭木を剪定したいとこぼしていた妻は,ゴールデンウィークのこの時期に腰ぐらいの高さからのこぎりで切り倒しました。5月2日,3日は,妻が庭の木の3分の1ぐらいを片付けました。

今朝は7時から切り倒した木を50センチ間隔で切断し,ゴミとして出すことにしました。何しろ高さは3メートルぐらいあります。幹の太さも10センチ前後。切断するのもひと苦労ですが,これを何回もするのだから本当に疲れます。

妻がのこぎりで切断し,私は枝や幹を紐でくくってゴミ収集所まで運びます。小さな枝葉は透明なポリ袋に入れて持って行きます。昨日の雨で湿っていることもあり,重くて肩が抜けそうです。

ゴミ収集所から家に向かっているとき,我が家の庭に灰色の動物がいるのが見えました。ネコかと思いきや口がとんがって前にでています。我が家を囲っている金網フェンスに近づいてよく見ると,ネコではなくタヌキでした。数十秒ほど庭の土を口でほじくっていましたが,私に気付いたのか,玄関のウッドデッキの下に潜り込んでいきました。

妻にこのことを話すと,妻は勇躍,ホースを伸ばして玄関のウッドデッキの隙間から水をかけ始めました。軒下のため普段は雨が降り込まない場所。それだけに突然大量の水が入ってきて驚いたのでしょう。タヌキがウッドデッキの下から慌てて飛び出してきました。

家の周りをぐるりと一周して私のところへ駈けてきましたが,私に気付くと慌ててUターン。そのまま私はタヌキを追いかけました。10秒もしないうちにタヌキがまたこちらに向かってきました。我が家は家の周りを金網フェンスで囲んでいるので玄関へのアプローチしか逃げ道がないのです。ネコならジャンプしてフェンスを跳び越えて逃げるのですが,動きが鈍重なタヌキはとても無理。

金網フェンスの下はコンクリートとの間に10センチ程の隙間があります。タヌキは覚悟を決めたようでここに頭を突っ込むと,お尻をこちらに向けたまま,ものすごい勢いで足をばたつかせます。太い胴回りが抜けたかと思うとそのまま道路に「ドサッ」と米俵を落としたような音をさせて転落。そのまま坂道を走って逃げてきました。

最近,庭の土がよくほじくり返されていたのはタヌキの仕業だったんですね。それにしても我が家がタヌキのねぐらとなっているとは驚きでした。確かに我が家の庭には,樫の実やミミズ,昆虫がいっぱいいます。エサが豊富なので棲みついたんでしょうね。

ところでタヌキと言えば「クサい」というイメージ。それがまったく匂いもなく,フンも落ちていませんでした。タヌキは意外ときれい好きなのかもしれませんよ。

麦秋や今日のしっぽはよいしっぽ (水野真由美)

2020年5月 3日 (日)

娘たちが巣立って1ヶ月 少しずつシンプル生活に戻る毎日

娘が3月末に巣立って,はや1か月が経過しました。昨日,娘のリクエストでFITケースを2つ宅配便で送り,一連の引っ越し作業は一段落となりました。

4月は大型家具をずいぶん整理しました。スライド式の本棚,ハンガーラック,FITケース4個をリサイクルショップで売却(全部で1000円程度)。リサイクルショップが買い取り不可と判断した,楕円形の座卓(縦2m,横1m),2人掛けのソファ,学習用椅子2個,ハンガーラック,本棚として利用していたカラーボックス2個を北部清掃工場に持ち込んで廃棄処分。車に積み込めなかった学習机は350円の処分代を支払って,粗大ゴミとして鹿児島市に引き取ってもらいました。

これで子ども部屋として使用していた3階には私の書斎机と椅子,電子ピアノ,碁盤,そしてミニコンポ置き場として残していた本棚だけになりました。今まで隠れていて壁板の面積が広くなり,空間の広がりを実感します。

ダイニング・リビングの2階には,捨てた本棚に収容していた本を,吊り戸棚の上や階段横のスペースに並べたので,ちょっと賑やかな感じにはなりましたが,ソファがなくなり,パソコン作業用の小さな学習机を1階に異動したので部屋の真ん中が広々としています。

寝室のある1階では巨大なスライド式本棚がなくなり,代わりに小さな学習机がひとつ。シンプルな机なのでこの部屋に馴染んでいます。

FITケースを処分したので,ウォークインクローゼットも足下が広々。そして押し入れの中も空間が生まれました。ここにストーブをしまいました。

残るは4階(?)です。我が家は3階に天井があります。もともとは,梁だけで板を敷く設計ではなかったのですが,台風などのときに屋根が壊れるおそれがあるとの設計者の意向で,急遽,厚い板を梁の上に渡し,面で補強することになりました。この部分は高さは1mもない三角形の空間なのですが,ホコリがたまるのでその掃除のためにはしごを設置して,4階に登れるようにしています。

この4階には,娘たちが帰省したときのために,布団が置いてあります。そして家族のアルバムと賞状・卒業証書など,普段使わない思い出の品が置いてあります。

昨日は,これらの品々を3階に下ろしました。積み重ねると1メートルぐらいあるので片付けるもの大変。これからぼちぼち整理していくことにしています。

これだけ片付けてから最後に,寝室に神社の御札を飾りました。天照大神,照國神社,霧島神宮,宮崎神宮,諏訪神社,出雲大社,天岩戸神社,祐徳稲荷神社,建部神社,太宰府天満宮,北野天満宮,横川天神,祇園神社。

以前はこれらの御札を何年も大事に飾っているのですが,娘は大学受験に失敗し続けました。御利益がないと思い,今年の正月にこれらを飾りから下ろし,神社で焼却するためにしまっていたのです。ところが今年は忙しくて参詣する機会がないまま今日に至りました。そして今回のコロナウイルス。これはもう神頼みしかないと思い,十数枚の御札を再び並べて飾ることにしました。

御利益がありますように。御利益がなければ,今度こそ焼却します。

青嵐神社があったので拝む(池田澄子)

2020年5月 2日 (土)

東花園の直売アジサイは30種類 1鉢1000円で楽しめます

宮之城ちくりん館近くの東花園に行ってきました。

巨大なハウスの中に,赤紫,青紫,純白などさまざま色,さらにはガクアジサイや花弁の小さいもの,変わったところでは柏葉アジサイなど多種多様で目移りします。妻の話ではここには30種類ものアジサイが販売されているとか。すごいよなあ。

ところが,朝9時半頃だったこともあるのか,お客は私たちだけ。いいお天気なのに。

経営者の方にお話を伺うと,やはりコロナウイルスの影響だとか。直売はともかく,市場においては花は1つ10円などの捨て値だとか。特に切り花は需要がまったくないとか。

考えてみれば卒業式,入学式,結婚式,はてはお葬式まで,花束や花飾りがお約束のイベントはことごとく中止または簡素化。これでは花は売れませんよね。ただでさえ景気が冷え込む昨今,大変さが伝わってきます。

一日中家で過ごすのも一苦労。テレビをみてもコロナウイルスの脅威を伝えるワイドショーばかり。これで毎日が楽しいなんて人がどれほどいるのか?

せめて花でそんな生活を楽しくできませんか。切り花を週に1回飾るだけでも雰囲気が明るくなりますよ。

えっ,そんなお金がないって?

そもそも東花園のアジサイは1鉢1000円。タバコ3箱分もあれば十分でしょ。それががまんできないの? だったらコロナウイルスを恐れるあなたって本当にわがままですね。タバコを吸えば肺に悪影響があるのは明らか。コロナウイルスで肺炎を発症したら,タバコを吸っている人ほど重症化するリスクは高まります。

愛煙家に言わせれば,だから感染が恐いんだってなるのでしょう。だからコロナウイルス関係でテレビが報じる他人事について一喜一憂し,感染者がいると分かれば異常に攻撃するのでしょう。でも,私にすれば,それって責任転嫁です。あなたがタバコをやめるのが先でしょ。

東花園のアジサイは,今日もその価値を認めてくれる人を待っています。ここの経営者の方も,他者を攻撃することなく,ただ,価値ある花々を育てることに集中し,良心的な価格で販売しています。困難があっても自分のやるべきことを貫く姿は素晴らしいと思います。

毎年,春は4月15日から始まるアジサイの直売,秋は11月23日に始まるシクラメンの直売。私はアジサイとシクラメンの年2回ここを訪れ,気に入った鉢をお小遣いの範囲で買います。これが私なりの応援です。

粽(ちまき)結(ゆ)ふかた手にはさむ額髪(ひたいがみ) (芭蕉)

不要不急の外出を控えるように言われている私は・・・

いよいよ今日から5連休です。しかし,社長の命令で連休の真ん中の3,4,5の3日間は出勤することとなりました。当社の社長は「不要不急の外出は控えろ」と日頃から周囲に言いまわっています。皮肉屋の私は,社員を休日出勤させることで不要不急の外出をさせないということなのか,と言いたくなるところです。

そんな私にとって貴重な休みの今日は朝から快晴。不要不急の外出を控えている私は,3ヶ月ぶりに実家に帰ることにしました。この3ヶ月は休日返上で新型コロナウイルス感染症問題に対応してきました。もう70歳を過ぎた両親に会うのも今年1月以来。顔を見せることが親孝行と決めている私にはあまりにも長い親不孝でした。

車の運転を妻にまかせて,実家に行き,両親と最近のコロナウイルスや会社のこと,7月の知事選挙のことなどを1時間ほど駄弁(だべ)りました。その後は父と囲碁を一局。甥っ子とチェスを1局。これで1時間半ほどの滞在です。途中,この日できあがったばかりの柏餅をいただきました。やわらかくておいしい。なつかしい味です。

不要不急の外出を控えている私は,自宅への帰り道,墓参りに寄りました。昨日,だれかお参りに来たようで,花は新しく,湯飲みや手水鉢(ちょうずばち)の水もきれいにしていました。線香に火をつけて手を合わせました。こちらも3ヶ月ぶりです。ご先祖様,長い間ご挨拶にこれなくてたいへん失礼しました。

墓参りの後,不要不急の外出を控えている私はコンビニに立ち寄り,ブルーベリーとクリームチーズのサンドイッチと無糖コーヒーを買い,入来峠の八重のキャンプ場で食べることにしました。

不要不急の外出を控えるよう鹿児島県から要請されていることもあり,キャンプ場には20台程度の車が駐車していて,コテージ周辺の木陰には5,6組の家族連れやカップルがレジャーシートを広げてお弁当などを楽しんでいました。妻と一緒に林の中の四阿(あずまや)で,さっき買ったばかりのサンドイッチを食べました。

空には薄雲が広がり始めました。陽光がやや弱くなりました。風は乾いているもののやわらかく頬をなでていきます。周囲に目を向けるとキャンプ場の木々の新緑がまぶしく見えます。まるで生命の輝きをみるようです。「風光る」という言葉ぴったりとあてはまるような,そんなひとときを過ごすことができました。

不要不急の外出を控えている私は,そこからちょっと足を伸ばして甲突川の源流である甲突池に寄りました。あわせて八重の棚田も今日初めて見ることができました。こんな高台でも田んぼがあること,そして現在でも人の手で棚田を維持していることに,微(かす)かながら感動しました。

午後2時前,自宅に戻りました。久しぶりに森の中の空気を吸い,両親や親戚と近況を語ったりしてリフレッシュできました。肉体的にも精神的にも疲労が重なっている今の私にとっては,必要で充実した貴重な外出でした。誰がなんと言おうとも。

山遊び我に随(したが)う春の雲 (石井露月)

2020年4月30日 (木)

どうして日本人は長時間労働をしたがるのか プロ野球の試合時間

日本のプロ野球は試合時間が長くて有名です。何しろ午後6時プレーボールでも試合が終わるのはいつも午後10時前後。ピッチャーが投げるまでに時間がかかるということもありますが,サインの交換や,バッターもいちいち打席から離れるので,その小さな積み重ねが試合の長さにつながっていくのでしょう。

一球一球に集中力を高め,その合間はリラックス。そういうリズムが野球です。だから試合時間が4時間もあるのに選手はさほど疲れません。(ピッチャーは別でしょうけど)

逆に,ラグビーやサッカーは試合時間が決まっています。選手たちはその時間走り続けるので,当然ながら2時間でヘトヘトになります。

日本人の長時間労働は,どうもプロ野球のだらだら過ごすタイプに近いようです。私が勤めている会社でも社員の多くが残業しています。もちろん,忙しいというのは否定しませんが,いつも全員が午後11時以降の決まった時間に退社することに,私は違和感を覚えるのです。

私が見ている限り,彼らがひとつの仕事を手分けている光景はなく,仕事をお願いしたり,引き受けたりする姿もありません。ただ黙々と自分の仕事をしているだけなのです。

会社員であれば,仕事は効率が最も重要です。ところが彼らはみんなが一斉に帰る時間まで,やるべき仕事を引き延ばしてやっているように思えるのです。早く退社することが悪いことであるかのように。

精神的には「ひとりじゃない,みんな一緒だ」という安心感はあるでしょう。でも,それによって家族と過ごす時間は失われます。会社にとっては人件費がかさみ,利益が減ります。厳しい言い方をすれば,社員の残業は彼らの自己満足です。

日本人はあうんの呼吸,空気感を重視します。忙しくて手が回らない仕事があるなら,周囲の人にお願いすればいいのに,周囲への配慮(?)でそれをせず,周囲の人たちも付き合いで不要不急の仕事らしきことをして居残り続ける。私はこういう日本人の同調圧力が大っ嫌いです。

ついでに嫌な体験をもう一つ。

最近は社内でマスクをしていないことを告げ口して圧力をかけてくる人が増えました。いちいち相手をするのが面倒くさいのでマスクを着用していますが,これってなんなんでしょう。

お前がマスクをしてなくて俺に感染したらどうしてくれるんだ,ならまだ理解できますが,こういうケースはたいてい,おれはマスクしているのにお前がしてないのは許せないってことなんですよね。あなたもうすうす感じているでしょう。やっていることがだんだん本来の目的からずれているってことに。

目的がずれてくるから,方向が間違ってくる。そんなことを考えると連合赤軍のリンチ事件が頭に浮かんで,なんだか毎日イライラしています。

全学連に加盟していぬ自治会を責めて一日の弁解とする(岸上大作)

2020年4月29日 (水)

「群盲象をなでる」とはこのこと カール・マルクスの日常

カール・マルクスは私以上の高齢者であれば誰もが知る共産主義の教祖。特に団塊の世代にとっては「資本論」は読んだことはなくても書名ぐらいは知っているはずです。このカール・マルクスの日常についての私のイメージは次のとおりでした。

「資本論を出版するなど著名だったが,普段は静かに執筆活動をして無名の時代を過ごした」「仕事中,息抜きとして趣味の幾何の問題を解いていた」

ところが,現在読んでいる「天才たちの日課」(メイソン・カリー)によれば,こうなります。

「マルクスの生活は毎日の大英博物館通い(博物館の図書閲覧室に朝9時から閉館時間の夜7時まで)と,夜の長時間の執筆で占められていた。また,仕事中は鎮静剤代わりにひっきりなしにタバコを吸っていて,これが彼の健康に悪影響を及ぼしていた」「赤貧の暮らしで周囲から金を借り続けていた」

私の持っていたイメージががらがらと崩れました。どちらが本当なの? と首をかしげてしまいます。

「群盲象をなでる」のことわざがあります。対象の一部しか見えない者がいくら集まっても,本質(全体像)がわからないことの例えです。

カール・マルクスという巨人に対しては,その観察者の眼を通すことによって,異なる一面ばかりがクローズアップされ,ディテールを積み重ねるほど,全体像がぼやけてきます。

新型コロナウイルスも,陰性と陽性を行き来する人,陰性でも体調が急変してなくなる人,そういう極端な例が次々と報道され,国立感染症研究所が示した標準例の信頼性を揺るがしています。でも,それが本当にこの感染症の真の姿を明らかにしているのでしょうか?

かつて「人食いバクテリア(正しくは,劇症型溶血性レンサ球菌感染症)」と呼ばれた恐ろしい感染症がありました。発症すると数日のうちに体中が壊死して死亡します。「かつて」と書きましたが,今でもその有効なワクチンはありません。でもまったく報道されません。なぜなんでしょう? そういう極端な例がごく希(まれ)にしか発生しないからです。今回も同じことだと私は考えています。

私には,このような極端な事例の報道は,政府の緊急事態宣言と知事たちの休業要請によって,日々の糧を得る手段を失っている人々に対して,さらなる出血(営業自粛)を強いるための「善意」をまとったナイフのように思えてなりません。

<世界より私が大事>簡潔にただ率直に本音を言えば(道浦母都子)

感染への不安を経済不安が上回るとき

自粛という名の周囲からの圧力が「自粛」を「強制」に変えています。

昨日は久しぶりにバスで帰りました。3ヶ月ぶりでしょうか。仕事はまだ残っていたのですが,どうせ29日の祝日も仕事。そう考えるとやる気が起こらず,さっさと帰宅することにしました。

途中,鹿児島中央駅のあたりを散策しました。鹿児島県からの要請で,居酒屋などは午後8時までの営業短縮となっています。どんな状態なのか。気になって西駅一番街とベル通りを歩いてみました。

このとき午後8時30分を少々過ぎていました。ほとんどの居酒屋は閉店しています。「県からの要請で5月6日まで閉店します」という張り紙が入り口に。お客さんのいるお店もありましたが,3店舗ぐらい。これはすべて同じ系列会社なので,中央駅界隈の圧倒的多数の居酒屋は営業短縮・自粛要請を受け入れているようです。

私が昔通っていたバーも閉まっていました。通常は午後7時からの営業なのに,今では正午から午後8時までの営業となっていて,しかもテイクアウト商品オンリー。ここのオーナーも高齢なので新型コロナウイルスに感染するのが怖いんでしょうね。当然と言えば当然でしょう。

そう考えると,営業してた3店舗はどこも若い人ばかり。今回のウイルスは若者には影響がほとんどないことが知られています。経営者が若いと強気でいられるんでしょうね。一方,経営者が年寄りだと身の安全を第一に考えてしまう。閉店しているお店が多いのは,県の要請に従う従順な経営者が多いと言うよりも,高齢の経営者が多いことの証左なのかもしれません。

それにしても,水商売でお酒を売らないなんて経営上は厳しいことが予想されます。ビールなら1杯500円でも原価はその10分の1程度。居酒屋などはこれで稼いでいるのです。

しかし,居酒屋が弁当やテイクアウトに切り替えると原価率はぐっとアップします。しかも,同業者だけでなく,弁当やテイクアウトの専門店も競争相手になるわけで,経営的には採算が取れるとは思えません。ただ,存続していることをアピールするためにやっている,ってことしか意味がないのではないでしょうか。

私は会社勤めでお給料がもらえます。しかし,日銭を稼ぐ人たちは収入の道を閉ざされています。彼らは非常に苦しい思いをしていることでしょう。5月6日までならば辛抱できますが,これ以上続くとなると彼らは破産するしかありません。

現在の緊急事態宣言は感染症問題に端を発していますが,これが長引くと経済不安や治安問題のための非常事態につながりかねない,私はそう考えています。ここまでやる必要性があるんでしょうか? 私には疑問です。

一坪に足らぬ店にて指輪売る東麻布の坂の下にて(大橋栄一)