2020年9月 3日 (木)

子どもの頃の夜は怖かった 夜は闇が深かった 

私が子どもの頃,昭和50年代のことです。当時は台風が上陸する度に停電になりました。私の家は商店街にあったのですが,それでも年に数回は停電を経験しました。

停電になると真っ暗闇。家の外は台風がゴーッと激しく風をたたきつけてきます。怖くなって父親のところにいくと,父は平然とタバコに火をともしてふかしていました。闇の中にタバコの真っ赤な日が見えるのも奇妙な感じでした。

鹿児島市に引っ越してきて10年ほどになります。まったく停電がありません。きっと九電工の皆さんががんばっていることなんでしょう。最近の夜が明るいのは九電工の努力だけではありません。コンビニエンスストアや外灯があちこちにできました。昔はコンビニなんてなかった。田舎で24時間営業なんてバカがやることだと思っていた時代でした。

しかし,40年後の今,その田舎でもコンビニがあちこちに出店し,夜中にも誘蛾灯(ゆうがとう)のように人を引きつける。灯りは人の心を落ち着かせるんでしょうね。

闇を経験することが本当に少なくなりました。私が経験したのも種子島にいた頃ぐらい。ちょうど今の鹿児島の家に引っ越す直前のことです。あのころは夜に仕事から戻るときに天の川をみることができるぐらい夜空が見えました。

そんな種子島の夜は,私が子どもの頃に感じていた闇の深さと似ていましたが,闇の怖さというのがありませんでした。種子島と言えば怪談話や幽霊話がたくさんありました。私が不動産業の仕事をした場所も首なし武者が現れるという怪談話が残っているところでしたが,幽霊を感じさせるような経験は一度もありませんでした。

ただ,夜の交渉で不思議な体験をしたことがあります。

午後8時ぐらいに地主のところに交渉に行ったときは本当に真っ暗でした。あまりにも闇が深くて歩けないぐらいでした。周囲には外灯も家もまばら。家はあっても電気がついていない。交渉相手の地主は農家だったのですが,本当に日が暮れて暗くなるまで働いていて,畑から家に戻ってくるころは真っ暗でした。そんなところに車でいっていたのだから,あのころは私も勇気があったんでしょう。

その真っ暗闇での交渉の後,車を運転して闇夜の道路にヘッドライトをともして走行していたところ,車の前を猫が右から飛び出し,道路を横断するのに気づきました。あまりにも突然だったのでブレーキを踏む間もありません。「やばい!」と思ってフェンダーミラーをのぞくと,その小さなミラーの中に,後ろ足を2本引き摺(ず)って,前足の2本だけで前に進む猫の姿がありました。

私の車で後ろ足を2本とも轢(ひ)かれたのでしょう。どちらもまっすぐに伸びていました。

あんな闇夜にどうして猫に気づいたのか。どうしてフェンダーミラーの猫が見えたのか謎です。だって,周囲に外灯はなく,車のライトは前方しか照らしていないのに。こういうときに人間の感覚は鋭く研ぎ澄まされるのかも知れませんね。

蝋燭(ろうそく)は消えない でも,ほんとうは 決して目をそらしてはいけない(間武)

2020年9月 2日 (水)

マイナポイントをエサにする愚 5000円じゃ安すぎる

帰宅して夜のNHKニュースを見ました。マイナポイントに関するニュースが流れていました。マイナンバーカードで申請すると5000円分のポイントが付くとか。電子マネーなどで利用できるのでお得という算段です。

ところば町行く人たちのインタビューでは「面倒くさい」「できるかどうかは別問題」「5000円は安すぎる」などと政府の思惑を断ち切るようなことばかり。いいですね。みんな正直で。

私も5000円もらえるとなれば興味が沸きます。しかし,申請する気持ちはまったくありません。なぜならインターネットで申請するときにカードリーダーが必要になるからです。我が家にはカードリーダーがありません。価格ドットコムによれば1000円から3000円程度です。カードリーダを買って交通費を入れてもおつりが来ます。でも面倒くさい。

さらにインターネットで申請しなければいけない。これまた面倒くさい。

思えば特別給付金の10万円もマイナンバーカードで申請手続きができました。このときはマイナンバーカードをもっていない人々が鹿児島市役所に押しかけました。3蜜を避けるように呼びかけているにもかかわらずおしくらまんじゅうができそうな大混雑。10万円となるとこれだけ熱心になるのかと驚きました。世帯人数によっては数十万円ですからね。少しでも早くもらいたいという人々の欲望につけいった素晴らしい(?)施策でした。

それにしても市役所などの公務員にとっては最悪だったようです。何しろ役所内での手続きも煩雑で苦情の電話も殺到。その電話対応でさらに対応に追われてまさに地獄。電子申請で省力化するはずなのに真逆のことが起こりました。

結局のところ,エサとなる給付金(ポイント)や安全性よりも,いかに使い勝手をよくするか,如何に公務員の業務効率化につながるか,という視点が欠落していることがこの政策の最大の失敗ではないでしょうか。

同じことは新型コロナウイルスのハーシスにも言えます。なにしろデータ入力に労力がかかりすぐるので追いつかない。入力しても集計作業ができない。これじゃあ,何のための省力化なのかという根本的な問題が生まれているようです。手段(電子化)が目的だとしたら笑ってしまいます。

行政サービスの99%がオンラインで完結するといわれるエストニア。人口はわずか数百万に過ぎません。この国ではお得なポイントや現金で国民を誘導するようなことはしていません。結局のところ,目先のにんじんにごまかされるような国民には電子政府は無理なのかも。

金木犀(きんもくせい)の気分よければこのままでいいような気もしている九月(俵万智)

2020年9月 1日 (火)

ビデオテープをDVDにしてみました。 幼稚園時代の娘の晴れ姿

整理収納に目覚めた妻が昔のビデオテープを引っ張り出しました。娘たちが保育園・幼稚園に通っていたとき,おゆうぎかいの様子をビデオに収めたのです。とはいっても私が撮影したものではありません。専門の業者が撮影し,販売していたのを購入していたのです。

娘たちが小さいときは,本人たちが何度もビデオで再生していましたが,10年前に引っ越したときにビデオデッキを廃棄したので見ることはできなくなっていました。

妻が「ヤマダ電機にテナントで入っている業者がビデオをDVDにするサービスをしているらしいよ。うちは3本あるから7000円ぐらいみたい。どうする?」

ビデオのままだとみることもできませんが,DVDなら家のテレビでもパソコンでも見ることができます。思い出の物って捨てにくいですが,DVDなら場所もとらないし7000円ぐらいなら安いかな,と思い了承しました。

そして今夜,妻と二人でDVDを再生し,娘たちが踊る様子や劇の様子を見ました。なかなか娘の出番がないのでずっと早送り。そして出番はごくわずか。まあ,しょうがないですね。

5歳の頃の娘の姿は緊張していて無表情でしたが,かわいいもんですね。やっぱり我が子ととなると贔屓(ひいき)に見ている自分がわかります。

今や大学に進学した娘にこんなにちっちゃい頃があったのは13年前のこと。真剣に演じたり歌ったりしている様子を見ているうちに,時間の経過の早さと,当時のことをほとんど覚えていない自分に気づきます。記憶が当てにならないのか,それともこの13年間のうちに多くの出来事がありすぎて埋もれてしまったのか。

娘たちが帰省したときには,また家族みんなで鑑賞したいな。

自分の時間ほしくないかと問われれば自分の時間をこの子と過ごす(俵万智)

2020年8月31日 (月)

PCR検査の全員実施要求 目的は感染防止ではなく不安解消ですよね

日本共産党の要望に「PCR検査を幅広く実施させよ」というのがありました。さすがというか,共産党は弱者・低所得者の味方ですからね。党の方針なんでしょう。

確かに日本共産党の言うことは誰でも賛同できます。いや,だからこそ疑ってしまいます。じゃあ,なぜ政府はそうしないんだろうか? と。

PCR検査は新型コロナウイルス感染症の症状がある場合か,濃厚接触者の場合などに限られています。もちろん検査能力に限界があるからというのが本音でしょうが,誰でもやみくもに検査をさせない姿勢は評価してもいいと思います。

私が子どもの頃,高齢者は医療費が無料という時代がありました。1973年に老人医療費支給制度が導入され,10年間にわたって医療費が無料だったのです(現在は年齢と所得に応じて1~3割を負担しています。)。

その頃に問題となっていたのが,老人による「病院のサロン化」でした。医療費が無料と言うことで老人が病院に何度も通うようになり,病院の待合室は老人たちのサロンと化したのです。当時,ビートたけしが皮肉っていました。「病院の待合室でお年寄りたちが語り合ってんだけど,常連のメンバーが一人来てなかったんだって。それを『今日はあの人来てないけど,どうしちゃったんだろうね』と聞いたら,その知り合いが『今日は体調が悪いんだって』と答えるとみんな『そりゃあしょうがないね』だって。普通逆だろう!!!!」

こんなギャグが笑いをとるぐらい,ひどい状況でした。老人たちはお金を払わなくてすみますが,その負担をするのは税金ですからね。労働者の所得税だったわけですから。体調が悪くて病院にいっても老人ばかりで長時間待たされる。医療費の増大が日本国の財政を急激に悪化させているのは周知の事実ですが,そんなひどいことが普通だったんですよ。

さて,PCR検査に戻ります。だれでもいい,ということになると検査を受ける人が増えます。何しろ行政検査は検査代が無料ですから。1度ぐらいならいいですよ。でも,PCR検査でわかるのは検査を受けたときに感染しているかどうか。数日後はまた検査をしないと分からない。こうなると毎週検査を受けることになります。こんな時間があるかって? ありますよ,年寄りたちは。

日本共産党の皆さんは低所得者のお年寄りが大事な支持者なんでしょうけど,その結果,税金が無駄に使われる,検査が必要とされる人の検査が後回しになる,検査機関が疲弊する,無症状の陽性者の対応に貴重な医療人員を割り当てることで本当に必要な人の看護ができなくなる,などの害悪の方が大きいと断言できます。

だって,東京を見てください。毎日200人以上の陽性を確認しているのに,重症で入院しているのは30人程度ですよ。単純に退院できる日数を10日間とすると入院対象者は2000人。そのうち重症者は1.5%です。症状がほとんどない,あるいは軽い1970人が病院を占拠したら,この死にそうな30人はどこで治療を受けさせるんですか?

検査を受けたい人はそれ相応のお金を払えばよろしい。日本共産党には許せないかもしれませんが,行動をすこしでも理知的にするためには市場原理の作用の方が,人間の恣意的な善意よりもましだと思います。

「天国へ行くのに最も有効な方法は,地獄へ行く道を熟知することである」(ニコロ・マキャベッリ「手紙」)

2020年8月30日 (日)

夫婦2人暮らしの節約術 ご飯は電子レンジでチンします

江戸時代は,当然ですが電子炊飯器はないので,羽釜(はがま)でご飯を炊いていました。キャンプ場で体験したことがあるでしょうけど羽釜の大きさってすごいでしょ。あれでご飯を炊くとなると1合だけなんて無理。一升飯(10合のこと)という言葉があるくらいですから,それだけたくさんのご飯を炊くことになります。

当時の日本人はご飯をたくさん(私の記憶ではご飯茶碗で5~6杯)食べていたとは言え,1升は食べられません。しかも羽釜で一日に3回もご飯を炊くなんて大変な重労働になります。

だから,当時の日本人は1日に1度しかご飯を炊かなかったそうです。冷蔵庫のない時代,残りご飯をどうしていたのか気になるでしょう。

当時,炊き上がったご飯はすぐに「おひつ」に入れるのが一般的でした。今は家庭におひつなんて見たことないでしょう。私も利用したのは宿泊学習や寮生活のときにグループのご飯をおひつでもらったときぐらい。社会人になってからはホテル・旅館の朝食で数回経験した程度です。

「おひつ」に入れて冷えたご飯の方が美味しいそうです。不思議でしょう。今は電気炊飯器の保温したご飯しか食べたことがない人が多いからわからないでしょうけど,これは間違いないと思います。

一説によると,江戸の人は朝にご飯を炊き,大阪の人は夕方にご飯を炊いていたとか。だから東京の人はあったかい朝ご飯に納豆をかけて食べる。大阪のひとは朝ご飯冷えているのでお茶漬けにして食べるから納豆は食べない。だから大阪の人は納豆を食べる文化が育たなかった(すなわち,納豆嫌いが多い)という。本当かね?

とにかく,1度にまとめてご飯を炊くのは美味しいし,現代では冷凍してレンジでチンすればすぐに食べられます。電気代のことを考えると,一日一回まとめて炊飯する方が良さそうです。娘が二人とも巣立っていき,夫婦二人暮らしとなった今では炊飯も一日一度で良さそうです。何しろ私の帰りが遅いので一緒に食事というわけにもいかず,ご飯を炊くのも時間がかかりますからね。

妻とはそんな話をしながら,今日は買い物にでかけました。夫婦共働きの我が家では週末に1回,まとめ買いをするのです。

しかし,今日の買い物,食材がほとんどだったにもかかわらず合計1万3千円。これじゃあ娘二人が同居していたときとほぼ同じ金額。1日1度の炊飯よりも,まずは買い物の量を減らすことを考えなきゃね。娘たちがいたころと同じ量を買ってたら食材を腐らせちゃうよ。

なめらかな豆腐の白が揺れている出会った頃の二人のように(俵万智)

2020年8月23日 (日)

パリ・サンジェルマンの戦い方 プロ選手としてのショーマンシップ

今夜は夜7時からヨーロッパチャンピオンリーグ準決勝を見ていました。

対戦はライプツィヒとパリ・サンジェルマンです。パリは金にものを言わせた豪華スターが勢揃い。そこにドイツのチームがどう戦うのか興味津々でした。

それにしても選手たちのパスのスピードが早いのなんの。日本人選手のボールの動きがスローモーションのように思えます。なおかつ個々の選手の動きが半端ない。これだけ見事なボディコントロールを見せられると,本当に虜(とりこ)になってしまいそうです。

ゲームは後半にパリが3点目を入れて3-0の大量リード。何しろパリのディフェンスが固くてライプツィヒはチャンスらしいチャンスがほとんどない。特にゴール前はDFが壁になっていてライプツィヒのシュートを悉(ことごと)く跳ね返してしまうのです。

ゲームは85分を過ぎ,勝敗は明らかになりましたが,それでもパリは攻撃の手を緩めず,中盤から右サイドにスルーパスを出してもう1点を取りに行きます。最後までボールを奪う,ボールを保持したらゴールを狙う,点差や残り時間に関係なく,そういうプレーができています。

今日は鹿島アントラーズの内田選手の引退試合がチャンピオンリーグ準決勝と同じ時間帯で放送されていました。3-0でパリが勝利したのを見届けて,こちらの試合にチャンネルを変えました。ゲームは1-0でガンバ大阪がリード。アディショナルタイムは5分。リードしているガンバは鹿島アントラーズ陣内のコーナー付近で時間稼ぎをやり始めました。これは日本独特のやり方(勝ち方)なんでしょうか。よく見る風景です。

残り1分となったところでようやくボールを奪った鹿島は右サイドの内田から,左サイドに大きくサイドチェンジ。混戦から抜け出してあげたクロスにヘディングであわせてゴール。土壇場で同点に追いつきゲームセット。追いつかれたガンバ大阪の情けないこと。何やってんだか。

あまりにプレースタイルの違う試合を連続して見たことで,日本がワールドカップで予選を突破できるなんて本当に幸運なんだなってあらためて思いました。ワールドカップ4強が目標なんて,井の中の蛙(かわず)の戯言(たわごと)です。

勝利のための時間稼ぎを全否定する気はないけれど,そこで満足したら成長はないと思います。その結果として日本が強くなることもないでしょう。ヨーロッパで通用する選手になるためには,中盤でもキープできる,相手に囲まれてもボディコントロールで巧みにショートパスをつなぐことができる,そういう選手になってほしいですね。

2つの試合を見て,昨日の鹿児島ユナイテッドの試合のことを思い出しました。残り5分を切ったあたりから,3-2でリードしている鹿児島は相手陣内のコーナー付近でボールキープを繰り返していました。観客席からはゴールを後押しする手拍子が鳴り響いているのに,鹿児島はショートコーナーからキープの繰り返し。見ていて情けなくなります。あんたたちはパリの選手になれないことは分かっているけど,手拍子している観客の気持ちぐらい分かってくれよ。

それにしてもパリ・サンジェルマンの戦い方はすごい! レベルが違うってこういうことを言うんですね。

考える書く稼がない竹煮草(たけにぐさ) (黒田杏子)

スポーツ観戦はスタジアムか? それともテレビ(ダゾーン)か?

昨夜は鹿児島ユナイテッドは沼津と対戦しました。結果は3-2の逆転勝利。沼津に退場者が出たことで後半は余裕で見ていられました。あのレッドカードが勝敗の分岐点でしたね。米澤,酒本の活躍が光りました。

さて,昨夜は鴨池スタジアムのホームゲームだったのですが,自宅でダゾーン観戦でした。この日の午後は激しい雷。午後6時頃には指宿方面に雷雲が南に移動していったのですが,妻が「あんたは雷に撃たれるよ!」と嫌みを言われたのが直接の理由です。

午後7時のキックオフ前には晩ご飯を済ませておいて,試合中はビールを飲み,ミックスナッツをつまんでリラックスタイム。鹿児島が先制して押し気味にゲームをすすめているときは余裕で見ていましたが,同点に追いつかれた当たりから室内のエアロバイクを漕ぎ出し,沼津の技ありミドルシュートで逆転されてからはテレビの前に正座状態。

一喜一憂しながらの観戦でしたが,声を出したり手を叩いたりと気兼ねなく応援できました。でも,1人でこんなことをしているって寂しいなあ。

私はテレビ観戦よりもスタジアム観戦が好きです。やっぱり生で見たい。スタジアムの観客と選手の一体感は何ものにも換えることはできないと思います。

でも,残念ながら今のJリーグは厳戒態勢。マスク着用,大声禁止,手拍子禁止,アルコール禁止,ソーシャルディスタンスで入場者数も制限,席は間隔を空けて着席です。これじゃあ盛り上げようがありません。

早くいつものスタジアムにもどってほしいよ。本当に。

ところで沼津戦のとき,牛ノ浜選手が復帰していたのですが三宅選手がベンチにも入っていませんでした。あんなに活躍していたのにどうなっているの? 枝元,薗田,馬場の3人が好調ってことなのかもしれませんが,私は残念です。それにしても藤澤選手はどうしたんでしょう。DF田中と交代したのはMFの野嶽。うーん,彼も不調なんでしょうか。私が応援している三宅,藤澤がベンチにもいないなんてちょっと残念です。

2020年8月22日 (土)

35度を超える鹿児島市の夏に久しぶりの雨 火曜サスペンス劇場

昨夜は夕方6時頃から激しい夕立と雷が降り注ぎました。

8月に入ってからは連日の猛暑。関東・東海地方では気温が40度と異常な暑さとなっているこの夏。鹿児島でも35度前後の猛暑日が続いています。私が仕事を終えてタクシーに乗るのはいつも午後9時以降ですが,毎晩蒸し暑い思いをしてタクシーを待っていました。どうしてこれだけ気温と湿度が高いのに雨が降らないの? と,その度に恨めしく思っていましたが,どうやら今日の天気は私の怒りを感じ取ったんでしょう。

冗談はともかく,昨夜は頭がのぼせた状態で仕事が手につかず,上司も先に退社。やるべき仕事はまだまだ残っていましたが午後7時には退社することにしました。

早い時間だったのでなじみの小料理屋へ。実は先週もこの小料理屋に行ったのですが,そのときのことが少々不満だったのです。

というのも,先週木曜日にはここのおばちゃんからお誘いの電話があって出かけていったのですが,戸を開けると予約客が2人に初顔のおばあさん1人が先にカウンター席についていてびっくり。小料理屋のおばちゃんへの挨拶もそこそこに,私は予約客とおばあさんの間の席に座りました。そこしか席がなかったのです。

それにしてもこんなにお客さんが多いのは二十数年ぶりです。

予約客はカップルで二人の話が盛り上がっていました。二人の話に口を挟みたくなりましたが,話に水を差してしまいそうで遠慮しました。一方,ひとりできていたおばあさんは見知らぬ人。極端に痩せていて,服装が赤やピンクと派手。その上食事中にもかかわらずタバコをすぱすぱ吸って煙たいのなんの。私が嫌いなタイプの人でした。

そういうわけでこの日はテレビを見ながら食事に専念することに。テレビは「3割しか知らない」くりいむしちゅうが司会のバラエティ番組。大勢の芸能人がならんで,「おおっ」と知って驚くいまどきの番組です。

予約客がいるのでお通しは豪華でした。一口,二口で食べられるような小鉢が全部で8皿。その後は甘エビと鯛のおさしみ,サニーレタスのごま油がけ,牛肉の炒め物など手間をかけた食材が次々とでてきました。

最後に伝票をみると5500円。思わず「えっ!?」と声を上げてしまいました。いつもはお腹いっぱい食べても3000円程度。5000円を超えるのは焼酎のボトルを入れた日ぐらいだったからです。

「今日はいいお肉を使ったからね。おいしかったでしょ?」そりゃあおいしかったけど私はここまで求めていませんよ(と言いたくなりましたけど黙っていました)。

さて,昨夜はやっぱり私1人でした。料理もお腹いっぱい食べて3300円。テレビは火曜サスペンス劇場の再放送。水谷豊が浅見光彦役の「後鳥羽上皇殺人事件」。脇役に河原崎長一郎。もう40年以上前の作品ですがおもしろかった。エンディングテーマが竹内まりや。いい曲だなあ。

わたしはこういう雰囲気の方が合っているようです。

夕立は貧しき町を洗い去る (松瀬青々)

2020年8月17日 (月)

「国家はなぜ衰退するのか」を読んでいます 

今日は会社をサボりました。朝,妻の弁当を作った後,9時まで布団でごろ寝。起きてから銀行と郵便局で送金などの手続きを済ませ,その後はクーラーを効かせた自宅でゆっくりと過ごしました。このままずっとサボっていたいよ,本当に。

アマゾンミュージックの松田聖子を聞いたステーション(?)を選び,80年代から90年代の懐かしい日本の歌謡曲を聴きながら,sdinの将棋と囲碁を交互にして時間をつぶしました。その合間に「国家はなぜ衰退するのか」(ダロン・アセモグル&ジェイムス・A・ロビンソン)を読みました。最近のハヤカワはSFだけではなくこういった硬派の翻訳もしているんですね。

さてこの著書,知的興奮をかき立てる内容になっています。収奪的社会と包括的社会に分けて,国が発展したのは包括的社会であること,衰退するのは収奪的社会であることを,ローマ帝国やメソポタミア地域の石器時代の村の考古学のデータを参照しつつ論じていきます。

収奪的社会とは,一部のエリート層が国民の大部分から富を奪うことで成立する社会。ラテンアメリカの植民地がいい例です。一方,包括的社会とはおのおのの財産権が保障され,シュンペーターのいう創造的破壊を許容する社会です。アメリカが代表的ですね。

創造的破壊とはちょっと難しい経済用語かも知れませんが,簡単にいうと技術革新が起きれば旧態の産業は破滅的打撃を受けます。しかし,そういう技術革新を成し遂げていく社会こそ経済は発展していきます。最近ではGAFAが創造的破壊の中心的なメンバーですね。

この技術革新は科学技術の分野にとどまりません。株式会社や民主主義などの社会システムもそれに含まれます。

面白いなと思ったのはベネチア共和国のくだりです。ベネチアは地中海貿易で発展しました。この本によると伝統的家系が既得権益を保護するために,政治的なシステムから新参者を排除し始めたときから衰退が始まるとしています。政治的な収奪的社会がやがては経済的な収奪社会へと進み,経済は衰退し,国家は衰退していくというものです。

ベネチアと言えば塩野七生の「海の都の物語 ベネティア共和国の1千年史」を思い出します。ベネチアでは三十人委員会という国家の最高意思決定機関(くじ引きと投票を組み合わせて選出する複雑な政治システム)を導入していたことを,私はこの本で知りました。

ベネチアはナポレオンに降伏してその歴史を閉じるのですが,塩野七生はその衰退の原因を大陸進出だと分析していました。海洋国家であるにもかかわらず,大陸の土地を所有することで国家が変質していき,海洋国家としての進取の気性が失われたという主張だったと思います。

私は塩野七生よりもこちら本の説をとりたいですね。ソ連が衰退していったように,共産党という一党支配の国が発展し続けるというのはありえないと思います。今の中国はめざましい経済発展を遂げていますが,やがて社会の歪(ひず)みが顕著(けんちょ)になって,中国共産党の中国は内部崩壊を起こすだろう,と私は考えています。周囲の人々からは笑われるかも知れませんが,財産権が不安定な国が発展するのは限界があるというのは私の信念に近いのでこれだけは曲げません。

日本も既得権の保護ばかりが罷(まか)り通る社会になると必ず衰退してきますよ。あれっ,もう衰退の道を進み始めていましたかね。ゾンビ企業はさっさと倒産して新規産業分野に転換していくべきです。取り残された人をどうするかって? その人を救いたいのなら救ってもいいですけど,それは国家衰退の道と同じ道ですよ。早く気づきましょう。

二人してビデオを見るということのむなしさをついに言いだせざりき(俵万智)

2020年8月16日 (日)

病院にマスコミが張り込む必要があるのか? 臓器移植とコロナ報道

指宿市の病院でクラスターが発生したとして鹿児島県内のテレビ局が一斉に報じています(私は南日本新聞が嫌いなので読みません)。病院の周囲にはマスコミが張り付いていますが,なんでこんなことをしているんでしょうか?

私が大学生のとき,国内初の臓器移植が行われました。私の記憶では高知県の女性だったと思います。当時読んでいた新聞には,臓器を提供した女性の性格や行動などが詳細に紹介され,彼女のことをよく知る近所の人のコメントまで掲載されていました。

ここまでプライバシーを公表する必要があるのかと思いましたが,当時マスコミ(記者)は「臓器移植が公正に行われているかを確認するためには取材が必要なんだ」とほざいていました。

もう40年以上昔のことですが,日本で心臓移植手術が行われました。手術当時は「国内初」と賞賛されたものの患者が死亡すると手のひらを返したようにマスコミは主治医を猛バッシング。この結果,日本の臓器移植は遅れに遅れました。

おそらく,当時の記者たちはそのことが頭にあったのでしょう。しかし,ドナー(臓器提供者)の人格や近所の評判とどういう関係があるのでしょう? このときのドナーへの取材はスケベ根性(野次馬根性)そのものでしょう。「臓器移植の公正な実施」なんて一見正義感ぶっていますが,全くの詭弁であることは明らかです。

今回の指宿クラスターにおけるマスコミの記者たちの行動を見て,そのことを思い出しました。病院関係者の姿や車を撮影し,テレビで垂れ流すつもりなんでしょうか。病院側が不審な行為をしているんでしょうか? 関係者のプライバシーはどうやって守るんでしょうか? 

マスコミにはそんな気持ちがないことはわかっているけどあえて書いています。

コロナウイルス感染者に対する差別は恐ろしいほどです。感染の有無にかかわらず,県外に行っていたからとか,感染者が発生した施設にいたから(職場にいたから)といって,その家族まで接触拒否,投石,落書きなどが平気に行われます。被害者は泣き寝入りです。

差別を受けた人たちの姿をマスコミは報道してますか? 残念ながら私は一度も見たことがありません。だって,そういう姿を見せちゃうとマスコミがやっていることがそのまま差別の助長に加担していることが明白だからですよね。自分は正義の味方だからそんな事実は存在してはいけないからね。

行政の批判やシステムに対する問題提起は行き過ぎがあったとしてもまだ理解できます。権力の濫用とシステムの硬直化(既得権益者の保護)は現代日本にとって害悪であるのは間違いないから。

しかし,個人のプライバシーを暴く行為はどうしても許せません。あなたたちがどう正当化しようとも。

人おのおの生きて苦しむさもあらばあれ絢爛(けんらん)として生きんとぞ思う(尾崎左永子)