2020年8月15日 (土)

鹿児島ユナイテッドは終了間際に痛恨の失点でドロー。今日が終戦記念日か?

白波スタジアムで鹿児島ユナイテッド対富山の試合を観戦しました。キックオフが午後7時からということで妻に30分前に到着するようお願いして車で送ってもらいました。

今日の観客は2000人余り。少ないですね。それを見込んだのかスタジアムマルシェも6店舗という寂しさ。しかもアルコールの販売なし。当然ながら島美人の振る舞い酒もなし。私の楽しみ指数がこの時点で随分減らされました。

ホットドッグを食べたのですが,ソーセージ3本入りのフランスパン。デカすぎて口に入らないわ,パンがマスタードを吸ってベチョベチョになっているわで手が汚れる上に美味しくない。さらに楽しみ指数が減りました。

体温をチェックして入場。メインスタンド自由席のチケットを持っていたのですが,警備員から案内されたのは1番ゲート。スタジアムの北側の端です。いつもは自由席でも中央付近で観戦しているのですが,今シーズンは中央付近はすべて指定席になっているようですね。いまさら文句をいっても仕方がありませんが,これでさらに楽しみ指数が減らされました。

だって年間パスポートをもっているのに座れないんですからね。もう寄付みたいなもんだと諦めていますから怒る気がしませんけど。

ゲームはユナイテッドが前半に先制。前節の長野戦と同様,中央から酒井-米澤とパスがつながりました。ユナイテッドはこういうスピードにのった中央突破が最も得点につながりやすい。

富山はキックミスが多く,ボールポゼッションは高くてもユナイテッドはしっかりディフェンスをしていました。これは楽勝だな,と思っていたら終了間際,コーナーキックからまさかの同点ゴールを浴びました。このまま試合は終了して痛恨のドロー。楽しみ指数がどん底近くまで減りました。

職場の女性職員にユナイテッド通がいます。昨日は彼女からあれこれ情報を仕入れたんですが,嘆き節がほとんど。最近の試合はひどいと。彼女はすでにユナイテッドのJ3優勝は諦めて若手の育成につながる試合をしてほしいということを言っていましたが,今日の試合結果に思わず納得してしまいました。

なにしろユナイテッドはFWに酒本,馬場と30代半ばのおじさんコンビ。センターバックは元日本代表のベテラン青山,ボランチの中原秀人も30代とセンターラインがベテラン揃いですからねえ。一方,これまで戦ったチームはほとんどが20代の若手が中心選手。それで結果がでないってどういうことなんでしょう?

ところで,スタジアムではその彼女の姿も見えませんでした。おそらく指定席に陣取っていたんでしょう。私からはずいぶん遠い位置なので探す気持ちも起きませんでしたが。楽しみ指数はマイナスですね。ああ。

注文はいつも二つのアメリカン 相思相殺かもしれないね(俵万智)

2020年8月10日 (月)

80年代の歌謡曲がイマドキのJ-POPよりもずっと心地よい

私は1971年(昭和46年)生まれです。そういうこともあって,多感な10代を過ごした1980年度はいろんなことが私の記憶に刻まれています。

特に私はラジオが大好きで,小学校4年生から中学校を卒業するまでの6年間は家では専(もっぱ)らラジオを聞いていました。最初は当時好きだったプロ野球(ナイター)の実況中継を聞くことが目的だったのですが,やがて音質のいいFMの魅力にはまりました。そしてFMの民放もちょうど中学生の頃に始まったことも幸いだったかも。日曜はFM中九州のプログラムをずっと聞いていました。

ところが最近のラジオはFMでもトークが中心で本当につまらない。トークが面白ければまだ聞きたいと思いますが,最近の名前を知らない若手芸人や若手アーチストのトークが楽屋話ばかりで聞く気になれない。特にミューFMはひどいですね。

そういうわけで,今年FIRE-TVを購入したこともあり,休日はアマゾンミュージックを聞いています。くだらないトークはないし,純粋に音楽を楽しめます。プログラムが用意されていて全く知らない分野も聞くことができるし,自分の好きな分野もリクエスト(検索)できるのがいい。

この3連休は80年代の日本の歌謡曲50を聞いていました。「ふたりの夏物語」(杉山清貴とオメガとライブ),「恋人よ」(五輪真弓),「リターン・トゥ・マイセルフ」(浜田麻里)など,思い出のヒット曲に聞き入ってしまいました。

特によかったのが薬師丸ひろ子の「あなたを・もっと・知りたくて」。女優とは思えない伸びのある声が本当に素敵です。心が洗われるようです。当時のNHK-FMで放送されていたサウンドストリート,水曜日のパーソナリティである甲斐よしひろが彼女を絶賛していたことを思い出します。

そういうわけで今,アマゾンミュージックで薬師丸ひろ子を検索し,彼女のベストアルバム「歌物語」を聞きながらこのブログを書いています。

数年前,20代の男性の部下3人を連れてカラオケに行ったことがありました。みんな内気でなかなか歌わないので年代別のメドレーでマイクを回して歌ったことがあります。80年代から90年代にかけてはみんなノリノリで歌います。

ところが,2000年代になってくると怪しくなってきます。誰も歌えない無言の時間がだんだん増えてくるのです。部下が中高生だった頃の流行歌であるはずなのに。どうして歌えないのか訊ねても「だってしらないんですよ」の答え。彼らの青春時代を知ることはできませんが,ひょっとしたら2000年代以降のヒット曲ってコアなファンしか受け入れられない曲に特化しているのかも。なんだか部下たちが気の毒になりました。

どうしてって? 私のころは例えばアニメとかは全国何処でも同じ物を見ていました。だから地方出身者が集まった大学でも子どもの頃の話になると盛り上がりました。これも共通の話題があるからこそ。ところが部下たちの世代になると,興味が細分化されて誰もが知っているという共通の話題がない。

私の娘たちの世代になると2010年代のヒット曲が思い出の曲になるはず。娘たちがどんな曲を話題にするのかちょっと気になります。ちなみに娘たちはテーラー・スイフトなど洋曲ばかり聴いていました。これはこれでオリジナリティーが高いようです。

この曲と決めて海岸沿いの道とばす君なり「ホテルカリフォルニア」 (俵万智)

2020年8月 9日 (日)

コロナウイルスの影響でよかったことって何だろう?

新型コロナウイルスの影響で,損失は数えきれません。スポーツ観戦はもちろんのことイベントはことごとく中止。飲み会はすべて中止。県外への移動自粛で観光もダメ。テレビニュースもコロナばかりでうんざり。仕事も苦情の電話対応に,休みがとれないこともしばしば。

では逆に,私にとってどんなメリットがあったのかを考えてみました。

まずは現金収入ですね。異常な残業が続いたこともあって残業代の収入が増えました。もちろん,残業に伴ってタクシー代の支出が毎月5~6万円,残業時間に食べる職場でのおやつ代が月2万円程度。税金もたくさん引かれることになることを考えても左うちわというわけではないけれど,収入が増えたのは確かです。さらに特別給付金までもらえましたからね。

そして無駄な支出も減りました。普段だったら飲み会などの支出があるのですが,すべておじゃんになっています。仕事帰りの寄り道や休日に遊びにいくことがないってことは,それだけ支出の機会もないってことですからね。お金が貯まったのは間違いありません。

次は飲食店ですね。感染を心配する人々が多いおかげで人気のお店にも予約なしで入ることができます。先日は中央郵便局前の「ハイパーチキン野郎」でしたが,昨日は阿久根市の「ぶえんかん」に寄ることができました。「ぶえんかん」は地元の魚を素材にした人気店。これまで2回,昼前に立ち寄ったのですがいずれも10人以上が外に並んでいて断念。ところが今回はちょうど正午だったにもかかわらず,店内は半分程度は空席。お薦めの首折れ鯖の刺身を注文しましたが「うまい」の一言。妻のお刺身定食も美味しそうでした。飲食店のみなさんは経営的に大変でしょうけど,私にとっては非常にありがたい。

そして,よかったことと言えるかはまだわかりませんが,最大の出来事は私の仕事です。今回のコロナ問題対応は空前絶後,前例のないことの連続です。私はこの問題を真正面から受け止めることになりました。

すべてがうまく対処できたわけではありませんが,自分の直感を信じて上司に諮らずに即断即決で指示をだすこともしばしば。こんな仕事をやる機会なんてなかなかありません。1日1日がとても長く感じられます。

でも,こんな壮絶な日々を送ることができるのは,人生で2度と経験できないことでしょう。そう思うと,私はこのときのためにいろいろな仕事を積み重ねてきたのかもしれない,と人生の不思議な巡り合わせに感じ入るのです。

夢のなか風吹き抜けて籠枕(かごまくら) (檜紀代)

2020年8月 8日 (土)

新型コロナウイルス感染症報道に踊らされる人たちに事実を伝えましょう

私の会社に「コロナ対策をもっとちゃんとやれ!」と電話をかけてくる高齢の男性がいます。勤務中や休憩時間に20~30分も電話をしてくるので本当に迷惑です。

この男性は政府の方針を「バカなことばっかりやっている」と批判する一方で,大阪府の吉村知事をいつも賞賛しています。「維新の党だから思い切った対策をやって感染を防いでいる」「大阪は徹底してPCR検査をやっている」などなど。

この男性が言いたいことは決まっていて「若者は感染しても無症状。だからウイルスをあちこちにまき散らしている。これで高齢者に感染が広がったらどうするのか。高齢者は死亡率が高いんだ。若者たちにマスクをさせろ。若い連中は全員PCR検査を受けさせろ」というものです。

わたしは「そうですね」と言いながら聞き流しています。

私は大阪府がどのような取り組みをしているのかまったく知りませんし,高齢の男性が電話で語ることが事実なのか調べたこともありません。でも,新聞には都道府県別の感染者数が掲載されているので発生状況は簡単に分かります。

今朝の朝日新聞を見ると大阪府の感染者は5427人,死者は95人です。ちなみに鹿児島の感染者は275人なので鹿児島の約20倍,鹿児島の死者は3人なので約30倍です。どちらも鹿児島の方が圧倒的に少ないのに大阪府の取り組みが素晴らしいってどういうことなんでしょう。おそらく高齢の男性は新聞を読むことができないのでしょう。

おそらく彼は字が読めないのでテレビ,おそらくワイドショーばかり見ているのでしょう。そして吉村知事の言動に対して「素晴らしい」とのコメントを鵜呑みにしているのでしょう。浅学の私にはそれ以外の理由が思いつきません。

やはりテレビでコロナウイルスの恐怖心を煽るコメンテイターに岡田晴恵がいます。数ヶ月前のことですが「アッコにおまかせ」に出演していた岡田晴恵は「若者は感染しても死亡率は1%にも満たない。でも死ぬ人はいるんです。数百人に一人は死んでるんですよ。私も大学の講師をしていますが,キャンパスの若い人が数人はコロナウイルスで死ぬことになるんです。これは大変なことですよ」と叫んでいました。

私は人が死んで当然だと言えるほど冷酷ではありませんが,岡田氏の言い方は非常に不愉快でした。岡田氏は命を大切にすべきだから死亡率は低くても若い人たちは感染防止に取り組めと言いたかったのでしょうが度が過ぎてはいませんか?

例えば結核。平成30年度,日本では1万5千人を超える人が新規に感染しています。そして毎年約2000人が結核で亡くなっています。新規感染者に占める死亡率はなんと13%です。コロナの死亡率が全国で2.3%,鹿児島だと1.1%だから結核の死亡率はとんでもなく高い。しかも結核は空気感染です。コロナウイルスの飛沫感染や接触感染よりも感染防護が難しいのです。これが事実です。中学生でもわかります。

岡田氏は一人の死者も出してはならないから感染防止に取り組むべきだと熱弁を振るうのであれば,結核に対してはもっと熱く語るべきではないでしょうか。「コロナよりも結核の方が重要なんです,結核にかかると10人に1人以上は死ぬんです,結核にはBCGや特効薬もあるにもかかわらずそんなに死ぬんです。これは大変なことですよ」と。

電話で苦情をいう高齢の男性は「若い奴らはちゃんとマスクしろ」と言ってきますが,そんなに感染が怖いのであれば,コロナより結核を恐れてください。結核の感染防止のために,まずあなたがN95マスクをしてはどうですか? N95マスクとは結核などの空気感染を防ぐためのウイルスを通過させない特殊なマスクです。

えっ? 知らなかった? でも私は事実を告げましたよ。さあ,明日からN95マスクをつけて外出してください。そうして自分の身を守ってください。岡田氏も同じようにN95マスクを着用してスタジオに出演してください。

ちなみにN95マスクを10分以上すると呼吸するのが苦しくなります。暑いさなかにこのマスクをすると体内の熱がうまく外に出ないので苦しくてたまりません。きちんとこのマスクをつけていると熱中症になって倒れるかもしれません。

バカなことをいうな!ですって。バカなことを言っているのはあなたがたですよ。確率的に極めて低いことを当然に起きるかのように受け止める。それだけならまだしも他人に攻撃的態度をとって私たちを傷つけ,それが当然だという態度をとり続ける。

あなたはマスコミに踊らされて,すべての人にオープンになっている事実を無視し続けてきました。さて,この事実を知ったあなたは明日からどうしますか?

蜥蜴(とかげ)の切れた尾がはねている太陽(尾崎放哉)

仕事がたくさん降りかかってきたらどうする? 私の仕事術

新型コロナウイルスの影響で多忙な私ですが,コロナ以外にも当然ながら担当業務があります。コロナ業務を優先した結果,本来の担当業務が完全に滞ってしまいました。

なかでも納期が7月10日だった仕事が新型コロナウイルスの影響で延び延びになり,顧客からの督促の電話が毎日きています。通常の勤務時間には問い合わせの電話や上司の指示などの対応に追われるので,この仕事に腰を据えて取り組めるのは午後6時を過ぎてから。

昨夜も夕方一段落してから取り組もうとしたら,他の部署の課長から「午後8時まで資料を仕上げてくれ」との緊急の依頼が来ました。しかも量が半端ない。大急ぎでその依頼に応えるための資料作りをしましたが,私の上司は会議で不在で協議もできず。結局,資料を仕上げて上司のゴーサインがでたのは午後8時半を過ぎていました。

その後,部下の作成した資料のチェックをして午後9時をまわりました。このときに部下から対応に困って二進(にっち)も三進(さっち)もいかない問題の処理を引き受けました。結局,今朝と比較すると取り組むべき業務が減るどころかさらに増えています。嫌になって退社しました。

この3連休。とりあえず今日は休むことにして,明日,明後日は出社して積み残した仕事を仕上げなければならないようです。やれやれ。

仕事がたくさんあるとき,ビジネス書の世界では,仕事を効率的に進めるためのパソコン術とか,ノート術,スケジュール術の解説であふれています。しかし,現実はほとんど役に立ちません。

私に言わせれば,仕事を減らす上で最も効果があるのは,担当する仕事を他人に割り振るか,そもそも仕事を断ることです。私にも部下がいるので彼らに仕事を割り振りますが,部下に任せると私がするよりも1.5倍から2倍の時間がかかります。仕事のできる人は「これじゃあ自分がやった方が早い」と思うかも知れませんが,時間がかかっても他人ができるのであればそれは任せた方がいいのです。何しろ,部下がどうやっていいのか分からない仕事っていうのがあります。そういう仕事こそ私が引き受けなければなりません。私はそういう仕事を選定して取り組むことにしています。

そして仕事を断ること。これは難しいですね。でも引き受けたばかりに業務多忙で納期が遅れ,信用をなくしてはなんにもなりません。それよりは最初から断った方が自分にとっても相手方にとってもいい結果になることが多いようです。

仕事をする上での大敵は,「ああ嫌だな」と思って机の上に積み残しの仕事を見てはあれこれ考えて結局先延ばしすること。これは時間の無駄であり,精神的にも疲労が蓄積するだけです。こういうときこそ無心に機械的に淡々と処理していくことが最良です。夏休みの宿題を片付けるのと同じですね。

これらのことは,若い頃に呼んだビジネス書などを参考に,自分の経験を加味したものです。今まで読んだビジネス書でももっとも参考になったのは「頭がいい人,悪い人の仕事術」(ブライアン・トレーシー)。もう20年以上も私の家にあり,今でも本を開きます。

愁(うれ)いつつ岡にのぼれば花いばら(蕪村)

2020年8月 3日 (月)

特別給付金の使い方 家の近くでホテル暮らしか顔のほくろの摘出手術か

今日の夕方のNHKニュースでは「特別給付金があったから」の見出しで児童虐待(育児放棄)の後追い報道が流されていました。

1歳と3歳の娘二人を11日間自宅に放置していた20代の夫婦が,保護責任者遺棄の罪で逮捕されましたが,この11日間はホテル住まい。このホテル代は特別給付金を充(あ)てていたというもの。

子どもの夜泣きがひどいので眠りたかったというのがホテル暮らしの理由らしいのですが,1世帯40万円支給されたのに,それを鹿児島市内のホテル住まいで使ってしまうなんてなんて無駄なんでしょ。これだったら安いアパートでも間借りした方がずっとましだろうに,なんて思うのは貧乏人の性(さが)なのか。

もう10年以上昔のことですが,生活が大変だという若い女性のことが朝日新聞の1面に掲載されていたことがあります。いわゆる貧困層の若者特集です。その記事の内容が驚きです。何しろ電話料金が毎月2万円支払わざるをえず食費に困っているというもの。「バカをいうのもたいがいにしろ!」と紙面を読みながら怒りがこみ上げてきました。

私が子どもの頃は貧しい家庭の子がクラスに1,2人いました。そういう家庭は電話すらありません。固定電話でも月々3千円程度だったでしょうか。それでも食費を削って電話をするなんて人は聞いたことがありません。

こういうのは貧困ではありません。携帯電話依存症です。アルコール依存症,タバコ依存症と同じで病気です。それを貧困で苦しんでいるなんて主張する新聞に呆れました。

今回事件を起こした若夫婦のことは,私は何も知りませんが,子どもの夜泣きに悩まされたというのは理解できなくはありません。しかし,その解決策として子どもを置き去りにしてホテル暮らしを選択するというのは飛躍した発想ですね。少なくとも私にはない考え方です。

さて,特別給付金のこと。数日前に大学生の娘から連絡がありました。どうやら娘は顔のほくろを切除するのに使うとのこと。1つ1万円らしく,全部で3つのほくろを切除したそうです。手術後の娘の顔写真がスマホで送られてきました。

私が見てもビフォー,アフターで何も感じないのですが,本人からすれば大きな出来事なんでしょうね。美容整形と言えば,一重まぶたを二重にしたりなんてよく聞きましたが,ほくろを切除することもごく普通なことに少々戸惑いを覚えました。

生活費ならともかく,特別給付金のような「棚からぼた餅」の使い道には人間性がよく表れます。普段なら思いつかないことに使う人,食事などに贅沢をする人,堅実に貯金したり生活費に使う人,慈善団体に寄付する人などなど。それにケチ(善悪)をつける気持ちはさらさらありませんが,宝くじに当たった人が浪費してすぐに貧乏になるという話は本当なんだろうな,なんて妙なことを考えてしまいました。

ところで私は夫婦で外食することにしています。仕事が忙しくてなかなか出られませんが。ようやく休めた先日の土曜日は近くのラーメン屋で辛味噌ラーメン880円を食べました。外でラーメンを食べたのは1年ぶりぐらいかしら。そんな生活を送る私には,これぐらいの贅沢がちょうどいいようです。

夢のようなバナナの当たり年と聞く (上田信二)

2020年8月 2日 (日)

映画「HEAT」を見て思うこと 東京都の感染者数を速報する価値がある?

今日の午後はテレビを見てゆっくり過ごしました。鹿児島の新型コロナウイルス感染者は今日は確認されていないこともあって,仕事の緊急出動がありません。たまたまBSテレビ東京でアル・パチーノ,ロバート・デ・ニーロという夢の共演,「ヒート」を放送していたので楽しみにしていました。

中年の二人のおっさんのスリル満点のアクション,人生の悲哀を感じさせるシナリオ。大ヒットこそしませんでしたが,なかなかの秀作でした。

それにしてもアル・パチーノの奥さんの連れ子がナタリー・ポートマンという設定が贅沢。まだ少女役ということは彼女にとっては初期の作品なのでしょうが,出演時間は合計2分も満たないのに薄幸の存在感を出していました。

日本語吹き替えだったので,安心して見ていられました。人によっては「字幕じゃないと伝わらない」というらしいですが,私は吹き替えで何が悪い? と思っています。なにしろ字幕だとそちらに気をとられてしまいます。それよりはずっとましだと思うのですけどね。

本人の声を聞くことができない,あるいは歌となると吹き替えでは太刀打ちできないのですが,そこまで細かく言う必要はないと思いますけどね。ただし,ミュージカルだけは字幕がいいですね。そもそもストーリーよりも歌やダンスを楽しむのだから。

さて,映画を見ている途中,字幕はないはずなのにニュース速報が画面の上部に何度も現れました。一つは東北地方の大雨のニュース。これは理解できます。災害を招きかねない自然現象は速報する価値がありますからね。

しかし,さっぱり理解できないのはニュース速報に,本日の東京都の感染者数が流れたこと。最近はこれまで最多の400人越えが出たばかり。しかし,今日は300人を下回っていました。なぜ,こんなニュースを速報で出す必要があるのか。

全国で新型コロナウイルス感染者が発生しています。人口10万人あたりの感染者数や病床数の逼迫度からすれば沖縄県の方がはるかに深刻な状況です。東京の感染者数にどれだけの緊急性があるんでしょうか。やっぱり「東京」だから価値があるんでしょうか。

今朝の朝日新聞を読むと,国内の感染例は累計でおよそ3万8千人。死者は1013人(死亡率2.7%)です。入院中・療養中はおよそ9300人。ということは,2万6千人以上の感染者は既に退院して元気に日常生活を送っていることになります。実に7割近くは過去のことです。であれば9300人と死亡者数を報道すれば十分ではないでしょうか。

前にもこの歌コラムで書きましたが,インフルエンザによる死亡率は0.05%程度です。1万人感染すれば5人が死亡しているということになります。それからすれば死亡率2.7%は確かに割合が高い。でも感染例と報道されているのはPCR検査で陽性だった人の数。感染者のほとんどが無症状であることを考えるとPCR検査を受けなかった感染者もすくなからずいることでしょう。そうなると死亡率はかなり低率であることが推測されます。

新型コロナウイルスに関するマスコミの過剰な報道にはいつもながらあきれてしまいます。速報で伝えるなんて,そんなに日本人を不安に陥(おとしい)れたいのでしょうか?

世の中の重荷おろして昼寝かな(正岡子規)

夏本番到来だから蚊取りマット,遮光カーテン,冷やソーメン

7月の4連休で梅雨は明け,鹿児島でもいよいよ(やっと)夏本番を迎えました。この1週間はカンカン照り。気温は連日35度近くまで上がっています。7月は1個も発生しなかった台風もようやく沖縄近海で発生しました。地球温暖化によって台風が次々と湧き上がっても良さそうですがそうならないようです。NHkなどの地球温暖化に警鐘を鳴らすマスコミの納得できる解説を待ちたいものです。

さて,夕べ風呂に入ると蚊のモスキート音がうるさいのなんの。ちょうど窓際のところ蚊が集まっていたようです。家の中にも蚊が飛んでいるので今シーズン初めて蚊取りマットのスイッチを入れました。寝室の入り口と奥と2つ置けば完璧でしょう。これまでのような蚊の羽音で寝苦しさを覚えることなく朝を迎えることができました。

そして遮光カーテンを取り出しました。遮光カーテンと言っても一般のカーテンではありません。農業用のシートを2枚つなげたものです。縦2m,横4mで透過率60%ぐらいのビニール製です。これを2階のベランダにつるします。雨樋受けの金具にビニール紐でくくりつけておくとできあがり。これだけで夏の日差しをほぼ遮断できます。

太陽から直接日光は部屋には入り込まないのですが,ベランダの床の照り返しがものすごい。木の床なのですがおかまいなし。我が家では遮光カーテンをサッシの外につるし,サッシを閉めて,その内側の障子戸を閉めておきます。家の中に明るさはもたらしますが,熱はこれで大きくシャットアウトできます。

夏は朝9時頃まで窓を開け放ち,空気を入れ換えますが,その後は窓を閉めてクーラー運転。こうでないと鹿児島の夏は乗り切れません。

今日の午前中の買い物で,「揖保乃糸」も買っておきました。今日のお昼ご飯は冷やしソーメン。そしてお惣菜のクリームコロッケと鶏肉の甘辛煮です。どちらも「メガ盛り」で特売。2個ずつ取り分けてもまだ20個ずつ残っています。これらは冷凍しておきました。今週のお弁当のおかずになりそうです。

こうして遅れた夏支度ができるのも仕事を休んだから。生活のメンテナンス,自分の健康管理をしっかりしないと仕事のパフォーマンスを維持することはできませんからね。

炎天や生き物に目が二つづつ(林徹)

2020年8月 1日 (土)

李登輝元台湾総統の死去にまつわる報道 天声人語の不可解さ

台湾の李登輝元総統が7月30日に亡くなりました。97歳。台湾の民主化を成し遂げた偉人です。中国と台湾の関係を今の人は知らないでしょうから,私の記憶の範囲で記しておきます。

第二次世界大戦において,日本陸軍は中国大陸において,国民党軍と共産党軍と戦っていました。国民党を率いるのは蒋介石。共産党軍を率いるのは毛沢東です。今でこそ中国共産党は抗日を大々的にPRしていますが,日本陸軍が戦ったのは国民党軍です。共産党は日本軍相手ではかなわないと判断してゲリラ戦ばかり。共産党は日本軍との本格的な衝突を避け,日本敗戦後に国民党軍と戦うときにようやく大規模な戦闘を行いました。

国共内戦の結果,国民党軍は共産党軍に敗れ,台湾に逃(のが)れます。国民党率いる蒋介石は中国の正統な政権は国民党だと主張していましたが,結局は中国大陸を支配している共産党をアメリカなども支持することとなり,現在に至ります。蒋介石の死後,息子の蒋経国が台湾を支配します。

蒋経国の後継者が李登輝です。それまで台湾は国民党の支配下にありました。今の中国が共産党の支配下にあるのと同じような感じです。そこに李登輝は民主主義を導入し,台湾国民は選挙によって総統を選べるようになりました。私が中学生か高校生の頃の話です。

李登輝が生まれてから京都大学を卒業するまでは日本の植民地支配の時代でもありました。台湾国民の親日ぶりは有名ですが,李登輝の影響も少なからずあると思います。

さて,今朝の朝日新聞の天声人語は,李登輝を取り上げていました。「総統在任中も退任後も,李氏は日本支配に対する嘆きや恨みを公言しようとはしなかった」「好むと好まざるとにかかわらず,日本語を刷り込まれた歳月の長さを思わせて,やはり寂しい」

これを素直に読むと,李登輝は日本の植民地支配に恨みをもっていたが,台湾は中国共産党と対抗するために日本との同盟関係を良好に保つ必要があり,やむなく親日家の振りをしていた,と読者に思わせたいのでしょう。すごい偏向,というか,こじつけですね。

植民地支配は「悪」であるという朝日新聞の主義主張がその背後にあるのは間違いないでしょう。しかし,歴史はそんなに単純ではありません。だったら香港はどうなんでしょう。イギリスから中国共産党に返還されて,香港人は中国共産党に支配されて喜ぶべきだと朝日新聞は主張すべきではないかと思うのですが,こちらは香港の自主独立を前面に出しています。これって卑怯ですよね。力のない正義は無力です。それを無視している。

私からすれば,香港はイギリス植民地時代の方がずっとよかったと思っています。何より言論の自由がありました。

人権は侵してはならないものです。植民地支配はその人権を侵す典型的な例だと朝日新聞は考えているんでしょう。一方,中国共産党の香港における取り締まりのように,言論の自由を侵すことも甚だしい人権侵害です。では,言論の自由と植民地支配が衝突するとき,朝日新聞はどう考えるのか。いうまでもなく,支離滅裂な議論を展開します。見たくないものはなかったことにします。正義論を振りかざす朝日新聞のグロテスクな一面が露わになります。

正義を否定する気はありませんが,このような天声人語を読んで,「我が意を得たり」と喜ぶ人がいるのでしょう。それをいちいち現実化したら世界中は争いばかりになることでしょう。それが朝日新聞の理想郷なのでしょうね。

日輪を隠す日光日々草 (池田澄子)

久しぶりの休日の過ごし方 休むことも戦いとなることの悲しさ

7月は新型コロナウイルス感染者が県内で多数発生しました。そして最初の死亡者が出たと南日本新聞がここぞとばかりに(?)報じていました。日本全体でも死者が1000人を超えました。緊急事態宣言が発出された4月よりも感染が広がっています。

アメリカでは死者が15万人を超えたというから大変でしょうね。4月から6月のアメリカの国内総生産は年率換算で32%のマイナスというから,世界恐慌レベルといってもいいでしょう。

これだけの事実がマスコミから垂れ流されているのに,私の家の周りにはそのような悲劇的な様子はまったく見られません。どうしてなんでしょう? 私の住んでいるところは地球上ではないのでしょうか?(もちろん冗談です)

仕事は大変でした。おだまりクラスターが発生してから1ヶ月間休みなし。朝から夜までの1日12時間~15時間の勤務が31日連続。1月末のクルーズ船の騒ぎから通算すると6ヶ月もこんな臨戦態勢が続いています。自分で言うのも何ですが,これで体を壊していないのが不思議です。

会社全体の健康管理を担当する私は,休日出勤のシフトを組むに当たって,個々の体調や体力を勘案して割り振っているのですが,それでも不平等だと不満の声が上がります。

休日出勤の割り当てに個人差があるのが主な理由ですが,社員によっては家庭が大変だったり,持病を持っていたり,メンタルで不安定だったりと様々な事情があります。すべての社員がそのような情報を共有できていれば,休日出勤の個人差に対して「平等」ではないけれども,それが「公正」であることがわかると思うのですが,プライバシーの問題もあるのでそういった情報を共有できない難しさもあります。

そうなると,シフトを組んだ私が責められることになります。それを引き受けることができるかが私の度量となるのでしょう。

この2週間は,想定していないことが次々と発生しました。調整作業が突発的に発生し,不測の支出や契約を求められました。上司に相談しても「どうなんでしょうねえ」とはぐらかされるので,私の即断即決で突き進みました。こういうのって精神的にハイテンションだからできるんですよね。

でも,ハイテンションが続くとどこかに歪(ひず)みが生まれます。やっぱり,クールダウンが必要です。今日はそういう日に設定し,意地でも会社を休むことにしました。もちろん,人命にかかわることが発生すれば別ですが。

周囲から「仕事が停滞している」とか,「お前が休んでいいのか」などの批判は,甘んじて受け止めて無視することにしています。こういう批判は自分勝手ですからね。誰も私の体調を気遣ってくれるわけではない。周囲におもんばかったばかりに私が体調を崩しても,周囲の人はすぐにそんなことを忘れてしまう。「いじめ」と同じ構造です。

私は新型コロナウイルスに対して戦うと同時に,周囲の「もっとがんばれ」圧力に対しても戦います。その先に何があるのか分かりませんが,ひとつ言えることは,こういうときこそ,人の信条,信仰が分かるということです。また,同時に同調圧力を強める周囲の人たちがどういう考えを持っているのかが分かります。彼らは私を非難することで自分を無意識のうちに評価者だ認識しているでしょうが,逆に彼らはそういう行為をすることで私に評価されているのです。

月見草はなればなれに夜明けたり (渡辺水巴)