2022年2月17日 (木)

夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか ふっふっふーっ

NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を毎週見ています。源頼朝が伊豆に流されていたとき,頼朝は幽閉されている後白河法皇が助けを求める夢を見ます。これと平家追討の院宣とあいまって,ついに頼朝は挙兵します。

これは,日本では昔から「夢のお告げ」が広く信じられていたことの例にほかなりません。今でも「正夢」あるいは「逆夢(さかゆめ)」などの言葉が残っていますからね。

日本に限らず,旧約聖書でも夢解く話がありますので,古代では夢は何らかの未来を暗示するものであったのでしょう。

それが近代になって精神分析家フロイトの出現によって,ロマンチックで神聖な「夢」が破壊されます。フロイトにかかると夢にでてくるものはすべてセックスの象徴として解釈されます。彼の主張は,性の衝動が夢となったですからあまりに乱暴。しかもフロイトは「無意識」を前提としていますから,誰も反論できません。(もちろん,フロイト自身も立証できないわけですが)

私もしばしば夢を見ます。残念ながら,古来から吉夢とされる「蛇を踏む」(お金持ちになる),「空を飛ぶ」(成功する),という夢には私は縁がありません。夢に登場するのは友人がほとんど。小学生の頃の友だちだったり,学生時代の友人だったり。彼らと話をするわけでもなく,ただ一緒にいるだけの夢なのです。

そして,夢で会う友人たちと現実世界で会うことはまずありません。夢に登場する友人たちはほとんどどこに住んでいるのか知らないままか,知っていてもぞっと遠くで暮らしているので。

ひょっとしたら,それだからこそ,夢で会うのかもしれません。

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを(小野小町)

2022年2月16日 (水)

「藤本博史はエッチじゃない」の藤本博史がホークスの監督になるなんて

今シーズン、福岡ソフトバンクホークスの監督が工藤公康から藤本博史になりました。

藤本といえば口ひげがトレードマーク。南海ホークスが福岡ダイエーホークスとなったとき、藤本は三塁手で打順は下位。成績は目立ちませんでしたが、カズ山本や湯上谷などの悪人顔がそろっていたホークスの中でもベストスリーに入るぐらいの強烈な顔をしていました。

さて、私が大学生の頃、コンビニでよく立ち読みをしていた雑誌に「月間パロ野球ニュース」がありました。この漫画雑誌は大人向け。プロ野球を題材にしたマンガが10本ほど掲載されている異色の雑誌でした。

やくみつるの4コマ漫画、デビルマンのまゆげをした「イノマティ」(阪神のピッチャー、猪俣を主人公にしたギャグ漫画)など、プロ野球ファンならおもわず吹き出してしまうようなネタが満載。

この連載のなかで、「藤本博史はエッチじゃない」という読み切りマンガが掲載されていた号がありました。

藤本博史のスケベそうな顔を強調し、藤本博史がソープランドにいっても歯磨きをしたらはだかの女性に興味を示さずに帰ってしまう。それぐらい藤本博史はエッチじゃないというギャップを笑いにしたマンガでした。それ以来、私にとって藤本博史はとても高潔な人柄だと印象付けられています。

藤本博史は現役引退後、野球解説者を経て居酒屋を経営していました。ところが、その後はホークスのコーチや三軍、二軍の監督などの経験を重ね、今シーズンはなんと一軍の監督となったのです。

ホークスといえば、杉浦、田淵、(根本)、王、秋山、工藤と現役時代に「超」優秀だった名選手が名を連ねています。根本監督は現役時代は無名でしたが、知る人ぞ知る「超」一流の裏方人です。

そんなホークスの監督に、現役時代にとても名選手と言えなかった藤本が監督になるのだから、驚きました。もはやホークスは監督の名前に頼るのではなく、選手たちの力を発揮できる環境をつくれる人が監督になるべきだ、という方針が強く打ち出されているのだと感じました。

藤本監督は、華々しいビッグ・ボスことファイターズ監督の新庄剛志とは正反対。両者の対決が楽しみです。

なんとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月(ゆうづく)夜(よ)かな(与謝野晶子)

2022年2月15日 (火)

一度も話をしたことのない片想いの女性の名前を30年後も覚えている

学生時代のこと。講義にでていた私はいつもおなじ席に座っていました。そして、私の近くにはいつも同じ女子学生が座っていました。

小柄でちょっとぽっちゃりしていましたが、肌が白くて欧米とのハーフのように堀が深く、私はとても彼女が美しいとおもっていました。そういうわけで、私は講義の合間には彼女の横顔を眺めていました。

そんなある日のこと、彼女が耳にピアスをしていないことに気づきました。彼女は普段仁丹のような白く丸いピアスを両耳につけていたのですが、この日はなし。「珍しいな」と思いつつ、いつものように彼女を見つめていました。

10分の休憩時間を挟んで、講義が始まりました。彼女が席に戻ったとき、彼女はいつもの白いピアスを両耳につけていました。私と彼女はまったく面識がないのに、私は「彼女がピアスをつけてきたのはきっと私を意識しているからだ」とひとりよがりのことを想像していました。今思うとストーカーみたいですね。

それからしばらくして、私が彼女に気があることを同じ大学の男友だちに話しました。その友人は興味津々。私は彼にお願いして私が彼女に気があることを伝えてくれと頼みました。友人はおもしろがって引受け、数日後、私の約束を果たしたことを教えてくれました。「彼女はなかなか美人じゃないか」といってくれたのを覚えています。

しかし、それから彼女と会話どころか会った記憶すらありません。講義が終わったからなのか、私が講義をさぼるようになったからなのか。彼女はまじめだったので彼女が講義を休むことはなかったはず。いまととなっては確認のしようがありません。

友人は彼女の名前を聞いてくれていました。「まほみ」。それが彼女の名前でした。私にもうちょっと勇気があれば、もっとたくさんの思い出ができたでしょうに。

対岸をつまずきながらゆく君の遠い片手に触りたかった(永田紅)

2022年2月14日 (月)

ふるさと納税の横行を防ぐ手段は「礼」。では誰が礼を正しくするのか

ふるさと納税という制度がすっかり定着しています。本来であれば住民税として住んでいる県や市町村に納める税金を、自分が選んだ自治体に寄付するという制度です。寄付の額に応じて返礼品があり、それを期待している人がほとんどでしょう。

この制度ができたことで、本来であれば確保できた予算が足りなくなっている自治体も相当数あることが推測できますが、マスコミはふるさと納税を多く集めた自治体を称賛こそすれ、税収が減少となった自治体は取り上げられません。まあ、取り上げるとしても税収をあげる努力が足りないという批判をするためでしょうけど。

しかし、この制度は大きな欠陥を抱えています。自治体の税収は地元住民へサービスするための元手となります。この元手に必要なお金が減少するわけですから、住んでいる人は自分への行政サービスが低下するのも当然です。ほとんどの人はそういう意識がないでしょうけど。

逆に税収の流出を防ぐために、返礼品に力を入れるとなるとこの自治体はどうなるでしょう。本来であれば自由に使えた財源の何割かが物品購入費となってしまいます。つまり、住民へのサービスが個人の財産となってしまうのです。

以上の2つのことから、ふるさと納税が増えれば増えるほど日本全体で自治体が自由に使える財源が減少することになるのです。ただでさえ借金まみれの国と自治体。これでいいとは思っていないはずです。

「春秋左氏伝」に似たような話があります(以下、概略)。

昭公26年、家臣の陳氏が税金を安くする一方で、民への施(ほどこ)しを増やしたので民に人気がありました。それを知った景公がやはり家臣の晏子にそのことを嘆きます。晏子は「このまま続けば、この国は陳氏のものになるでしょう」と答えると、「ではどうすればいいのか」と景公が問いました。

晏子「礼のみがこれを阻止できます。礼にあっていれば、家臣の振る舞いが国中に広まることはありません」

ところが今や、国が率先して地域振興券、10万円の給付金、最近では子ども一人あたり10万円支給などのバラマキをやっています(公明党の主張を自民党が受け入れたものです)。上が乱れれば下もそれにならう。そして政府はいうまでもなく国民が選挙で選んだもの。日本は国民主権ですから、私たちがそういう政治を選んでいるのです。

では国民自身が「礼」をただすことができるか。いや、そんなことはできっこありません。となると、このままじんわりと堕落していくことでしょう。堕落が終わるときは堕落する余裕がなくなるほど社会制度が破滅したときです。

若者たちが将来に期待を持てないというのも、おかしな話ではないのです。

汝(なんじ)に施す徳なくとも、いざ歌いかつ舞わん(中国古詩)

実際に行ったらイメージと違っていた「ナマ・イキVOICE」のおすすめ

土曜日の夕方は、妻とふたりで晩ごはんを食べながら、KTSの「ナマ・イキVOICE」をよく見ています。この番組は働く世代の女性をターゲットにしているのですが、グルメ特集などが私にも参考になるので、いい刺激になります。

2月5日は「トレンドグルメ2022」をテーマとして、韓国グルメ、イタリアスイーツ、コロナ禍で変わるアルコールの楽しみ方など、世代・トレンド評論家の牛窪恵さんをゲストに、トップテンをランキング形式で紹介していました。

私がもっとも注目したのが4位の「スイッチング飲み」。「スイッチング飲み」とは気分転換にサクッと短時間で飲んで帰るスタイルのことです。

ワードとしては初めて耳にしましたが、これは普段から私がやっていること。仕事帰りの途中でひとり居酒屋やバーに立ち寄り、ドリンク(ビール、ワイン、焼酎など)とお通し(ときたま、プラス一品)だけ、1000円以内で滞在時間も30分以内。私が10年もやっていることが今年流行するなんて、ちょっと驚きです。

そしてこの番組で紹介されたお店が「STONE BANKS」。聞いたことのないお店です。しかも鹿児島中央駅近くというではありませんか。私は中央駅界隈はいつもぶらついて気になるお店ではたいてい一杯飲んでいます。それなのにまったく心当たりがありませんでした。

ネットで調べてみると、その場所は高見橋電停近く、ホテルタイセイアネックスの裏でした。先週、仕事帰りに立ち寄ってみることにしました。

ホテルタイセイアネックス脇にある、幅が3m程度の小道を中に入っていくとそのお店はありました。前もって調べていたから気づきましたが、この店の看板はとても小さい。このときはまだ夕方で明るかったからよかったものの日没後であればおそらく見過ごしていたでしょう。しかも2階へ上がる階段の勾配が急。酔っ払ったらちょっと危ないかも。

さらにこの階段は、パチンコ屋の喫煙所の道路向かい。タバコの臭いが漂ってきてとてもくさい。ちょうどここには5、6人ぐらいの中年男性たちが暇をもてあましたような顔をして煙草をふかしていました。タバコ嫌いの私はこれだけでギブアップ。お店には入らずに素通りしました。

ナマ・イキVOICEのターゲットと、パチンコ休憩中の喫煙者たち。このギャップって大きすぎる。

わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる(永井祐)

2022年2月12日 (土)

娘が彼氏を連れて帰ってくる 世代間格差ってこういうことだな

大阪に住んでいる娘から電話がありました。友だちが鹿児島に旅行に行きたいと言っているので、家に一泊止めてほしいというお願いでした。

私の家に家族以外の人を泊めたことはなく、今回が初めてのケースです。どんな女子大生がやってくるのかと想像していると、娘が「実は彼氏」と照れくさそうに告げました。

妻は以前、娘には彼氏がいると聞いていたようですが、私は初耳でした。だからといって、特に驚くこともなく、「私が大学生のときには恋人を実家に泊まらせるなんて、思いもしなかっただろうな」と、そっちのことを考えていました。

私が大学生のときには恋愛なんてしたことはなく、当然ながら彼女を連れて実家に帰ろうにも、その相手がいない。妻が初めて私の実家に泊まったのも結婚して最初のお正月だったと思います。逆に私が妻の実家に泊まったのは、子どもが生まれて、産婦人科病院を退院して1ヶ月ほど実家で生活したときでした。

それが学生の恋人と実家で一緒に泊まるんだからねえ。もう大人ですからそういうときがいずれは来るのでしょうけど。

ホテルに一緒に泊まればいいのに、わざわざ実家に連れてきて泊まるということは、私たち両親にぜひ紹介したいということなのかもしれません。それにしても彼氏が実家に泊めてとお願いするとは思えません。一体どういう気持なのか、娘に押し切られてしぶしぶ承諾だったりして。なんて、あれこれ考えてしまいます。

それにしても、泊まるのが女子大生だったらよかったのに。とても残念です。

「いい感じの彼女ね」と言い「そう言ってくれると僕も嬉しい」と言い(俵万智)

ひとの心ってほんとうはだれもわからない 関係が破綻した男女社員

私が勤務している会社に仲良く仕事をしている男女がいました。ひとりは40代の男性。もうひとりは20代の女性。仕事をしているときにはお互いにほめあったりしていて、まわりの同僚がそこに割り込んで話をするのを遠慮してしまうほどでした。

それが最近になって、女性が会社に辞表を提出しました。理由は、この40代男性の仕事のやり方がいい加減なのが許せないとのこと。

この理由を聞いたとき「まさか」と驚きましたが後の祭り。話を聞くと、ずいぶん前から彼女はこの男性を不愉快に思っていたようで、それがこれからも続くのかと思うと嫌になったというのです。

早めに相談があれば配置換えなど、できる対応はいくらでもあったのですが、彼女はまったくそういう素振りを見せずに突然の決意表明。私も上司もあ然となりました。

男性の方は彼女の理由を聞いて激昂。この男性はもともと彼女の虚言や雑な仕事のやり方を不愉快に思っていたとのこと。それから彼女が退職するまでの間は、お互いが口も聞かない仲になっていました。

仕事をするときは「おべんちゃら」を言ったり「阿諛追従(あゆついしょう)」するのも、仕事が円滑に進める上で必要なこともあります。しかし、今回の両者の「演技」に、私を含めて周囲の社員は誰も気づかなったわけです。

振り返ると、このふたりにはひっかかるところがありました。男性の方は自分本位で立場の弱い人に平気で嫌味をいう性格。女性の方は自分の甘ったれなところは棚に上げて他人のアラが目につくとずけずけともの言う性格。ほんとうの意味のやさしさに欠けているところがありました。このふたりの心ない言葉に傷ついた社員が複数いたのです。

それぞれの攻撃的な性格が同一方向に向いている間は仲良くできたのでしょう。しかし、それがお互いに向き合うと、あっという間に関係は破綻しました。

ひとの心って、わたしにはよくわかりません。

家族の誰かが「自首 減刑」で検索をしていたパソコンまだ温かい(小坂井大輔)

2022年2月11日 (金)

結婚っていいもなんだけどなあ つりあう独身男性はどこにいる?

私がまだ20代のとき、本屋で働いていたときがありました。

たまたまレジにいるとお年寄りの男性が料理の本を買いに来ました。こちらから尋ねたわけでもないのに「妻が先日亡くなって、これから料理をしないといけないから」といいわけ(?)めいたことを言っていました。30年前は男性が料理をするってまだ珍しかったのかもしれません。

「男やもめに蛆(うじ)がわき女やもめに花が咲く」と言います。独身男性は家事がおろそかで不潔になりますが、ひとり暮らしの女性は小綺麗で男性にちやほやされることをうまく表現しています。妻に家事をまかせっきりだった男性の多くは、家事に手を焼くことになるのでしょう。

たしかに私が子どもの頃は、妻が亡くなってから男性ひとり暮らしというのは非常に珍しく、男性は高齢でも再婚するケースがしばしばありました。もちろん、一般に女性の方が長生きするということもありますけど。

女性の再婚は珍しいですが、男性の再婚はよくあります。この結果、50歳までに一度も結婚しない「生涯未婚率」は男性が20パーセントなのに、女性は10パーセント。つまり、もてる男性は複数回結婚するけど、女性は結婚回数が少ない。

私の祖母は、私が3歳の頃に亡くなりました。それから数年後に祖父は結婚しました。私の叔父も早くに離婚しましたが、晩年に再婚。どちらもなくなるときは後妻に看取られました。それに比べると女性で2回結婚した人となると身近には見当たりません。たまたまかもしれませんが。

残念なことに、今、私が勤めている会社でも独身は女性ばかり。独身男性もいますがごく少数です。独身男性は「とぼれん」ところがあって「まあ、しょうがないかなあ」と同情しますが、独身女性たちは魅力がそれぞれあって、どちらかというと拘束されない独身生活を謳歌(おうか)している感があります。

私は、女性は一番キレイなときに結婚することが幸せなこと、という考えをもっています(いまどきのフェミニストからは絶好の攻撃の的ですね)。独身の女性が結婚できるよう、いろいろと世話をやくこともあるのですが、彼女たちと釣り合いがとれる「いい男」がなかな見つからないというのが正直なところ。

働いている女性は男性に依存していない、自立した女性。だから魅力的なのでしょう。

箸立てにまだ立ててある妻の箸かたりと動く箸取るたびに(岩間啓二)

2022年2月10日 (木)

徹夜明けの虚しさ 二日酔いの自己嫌悪

最近の私は、夜11時までに就寝、朝5時半に起床という生活習慣が定着しています。

娘たちが高校生のときは最も早いバスに間に合うように、妻は仕事で6時半には出勤するのでそれに間に合うように、と我が家はいつも朝が早いのです。

昨日まで大学生の娘が帰省していました。3日ほど滞在したものの、ほとんどの時間は外出して友だちと過ごしていたらしく、1日は外泊していました。お正月明けに帰省したときも帰りが朝5時だったぐらいなので、友だちと遊ぶのがよほど楽しいんでしょうね。

私も大学生のときは、しばしば夜ふかしをしました。夜ふかしで一番多かったのが友だちとのマージャン、次が下宿先でのひとりゲームでファミスタ、ランペルール、マージャンなどをやっていたことを覚えています。

社会人になると、そんなメチャクチャな夜ふかしはありませんでしたが、東京に出張したときには大学生の友人と朝5時まで飲んでいたことがありました。ホテルに戻ったときにはもう朝日が昇っていて、9時から仕事だった。そんなこともありました。

こういう夜ふかしや徹夜は思い出として残っていますが、体調は崩すし、なにより時間を無駄に過ごしてしまったという虚しさや自己嫌悪がとても嫌になります。

大学生のときは、友だちと駄弁(だべ)っていると「だりい」という言葉が頻繁にでていました。当時、体育会での厳しい練習があったこともありますが、一番大きな原因は不規則な生活習慣で疲労が抜けないことにあったのではないかと思います。

したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ (岡崎裕美子)

2022年2月 8日 (火)

「先生、日本銀行は国債を買ってるみたいですけど戦争にならないの?」

日本の国家予算は100兆円を越えています。そのうちの約半分は国債、すなわち借金です。一方、歳出も国債の償還(借金の返済)が約半分を占めています。日本は高齢化にともない社会保障費(年金、介護、保険)が急増。消費税増税で対応しているものの、借金漬けであることは周知の事実です。国民のほとんどはそれをなんとも思っていませんが。

この国債を引き受けているのはひと昔前はほとんどが銀行や証券会社などの金融機関でした。私たちの預金を元手に国債を買い、利回りを収益としているわけです。

ところが、いまでは日本銀行が国債を購入するようになりました。2020年末の日銀のバランスシートを見ると、国債保有額は過去最高の532兆円です。国債の発行残高は1000兆円。なんと半分以上は日銀が引き受けているのです。

私が中学生の時、社会の勉強(公民?だったかな)で「日本銀行は国債の購入は禁じられている。日銀は貨幣をいくらでも発行できるので国債もいくらでも買えるから。戦前、日銀がこのように国債を大量に引き受け、実体経済以上に軍事費を支出した。その反省に基づいて現在の日銀は国債を購入しないのです」と教えられましたけど。社会の先生の勘違い?

「中央銀行:金融安定を護る『最後の防衛線』」(中曽宏 前日本銀行副総裁)を読みました。

日本銀行は、これまでのさまざまな経済危機において、金融機関等に資金を投入し、日本経済が破滅するのを防いできました。

小泉内閣時代の金融危機では、山一證券などの金融機関が多数倒産しましたが、日銀は預金者を全額保護するために公的資金でその損失をカバーしてきました。この当時、倒産するような経営がいい加減な銀行等に公的資金を使うことは金融機関のモラルハザードを招くとマスコミは批判してきました。

しかし、金融機関を潰してしまうと損失は二度と戻りません。一方、銀行を存続させるために資金を投入した場合、経営が回復すると投入された公的資金を上回る金額を回収できます。結果的にはこのことによって国民の負担は生じなかったことになります。

実際、リーマンショックなど対応でも、結果的に破綻処理よりも救済処理のほうが国民負担が小さくてすみました。

振り返ってみると、私たちは「放漫経営をしていた銀行には破綻処理がふさわしい」と思っていませんでしたか? もう忘れた? こわいことをよく「忘れた」ですませられますね。

中曽の小論は最後に「1990年代の金融危機のとき、多くの金融機関が破綻寸前に追い込まれながら、職員は統率を失わず、業務を続けました。現金紛失のような事故はほぼ皆無でした。現場の職員を駆り立てたのは、金融人としての意地と誇りでしょう。こうした高い技量と職業倫理感をもつ人材こそ、日本の金融機関の最大の経営資源です」と結んでいます。

どうやら中学校の社会の先生は、戦争の歴史にとらわれすぎて、金融機関の現場を知らなかったようです。

奥村は源泉徴収でボーナスの四分の一を国に取られた(奥村晃作)