2022年2月 8日 (火)

コンビニでバイトした 30年前はおでんはなかった!?

私が大学4年のとき、京都市北山通りにあるローソンでアルバイトをしていました。

当時、先輩から借りた車で交通事故(物損)を起こしてしまい、保険が適用されないために相手方に自費で15万円支払わなくてはならず、それ以外にも国民年金の未納金として20万円の請求がきたり、ゼミ旅行の経費として15万円(インドネシアのバリ島でした)必要だったりと、この時期は多額の現金が必要でした。学生とは思えないでしょう。

ほとんどの学生と同様、貯金のまったくない私はバイトで稼ぐしかなく、バイトのシフトは時給がもっとも高い時間帯にしてもらいました。午前3時から午前9時までの6時間です。

今の人にはわからないかもしれませんが、30年前の北山通の両側はほとんど田畑でした。道は広くても交通量は少なく、深夜はほとんど車の通行がありません。

寒い時期、夜中の2時過ぎに起きて、自転車を20分ほどこいでバイト先に向かったものでした。すれ違う人もなく、私を見ているのは夜空の星ぐらい。それほど静かな環境でした。

ローソンでの仕事は、お客がほとんどいないのでレジ打ちというよりも仕入れの検品や掃除が中心。調理だと「からあげくん」を揚げたりや「あんまん・肉まん」をスチームに入れたり。今ではコンビニといえば「おでん」ですが、私はまったく記憶にありません。この店で取り扱っていなかったのか、まさかね。

数少ないお客でしたが、印象に残っているお客さんがいます。それは早朝に来店する女子高生でした。

来店したときはいつも「あのー、にくまんください」と低い声で注文してきます。赤と黒の模様のマフラーを首に巻き、太いまゆげ、赤いほっぺ、輝く瞳、そして長い髪。一度も話をすることはありませんでしたが、なぜか彼女が肉まんを注文するときの声と表情だけは覚えています。

人間が覚えていることってどうやって選別しているんでしょう。不思議ですね。

コンビニのおでんが好きで星きれい(神野紗希)

2022年2月 5日 (土)

雪道で寝ていた私は無事に生きている コロナで大変? 笑ってしまうよ

昨日は快晴で気持ちがよかったものの、今日は早朝に小雨が降りいまも曇天。桜島には雪が積もっています。鹿児島はこの程度で済んでいますが、日本海側は連日の大雪。大変ですね。

鹿児島で生まれ育った私は、子どもころは雪で遊ぶ経験がありませんでした。せいぜい、泥混じりの雪だるまをつくる程度。小学校は半ズボンで、教室に暖房なんてない時代なので、寒くてもじっと耐えるしかない。鼻水をたらしていながら健康を損ねるまでなかったわけですから、子どもって元気ですよね。

私は大学時代を京都で過ごしました。京都の冬は寒かった。台所の蛇口からでる水にさわると、骨まで寒さが染み入るような冷たさ。当時こたつだけで冬を越していたかと思うと、50歳の私はおもわずぞっとしてしまいます。

そんな京都の冬の夜。私は友人らと酒を飲み、自転車で家に帰りました。おりからの大雪で自転車を漕ぐのも大変。酔っ払っている私は運転を誤って転倒。そのまま寝込んでしまいました。

私に声をかける人がいるので目を覚ますと中年のおまわりさんでした。何を話したのかは記憶にありませんが、起き上がった私は再び自転車に乗って家に向かいました。私の記憶はそこで途切れていますが、いまここでブログを書いているぐらいですから、無事に家に帰れたのでしょう。

それにしても車道で寝ていた私には雪が降り積もっていました。酔っていたせいか寒いはずなのにそういう感覚はなく、おまわりさんとの話を覚えていないのもきっと寝ぼけていたせいでしょう。

今から30年も昔のことですが、おおらかな時代でしたね。おまわりさんも、私を起こしただけで後はほったらかしだったんですから。

あのとき、雪道で転倒した拍子に頭を打っていたらただでは済まなかったでしょう。また、寝ているときに車がきたら、雪に埋もれた私を気づかずに轢(ひ)き殺してもおかしくない。運良くおまわりさんが通らなければ、私はそのまま凍死していたかもしてない。自分の強運に感謝しています。

今はコロナで大騒ぎしてます。でも、なぜ大騒ぎするんでしょうか? コロナにかかったら死ぬから? 本当にそう思っている人はどれだけいるでしょう。この1ヶ月で鹿児島県の感染者は1万人近くいますが、重症者はゼロ。死者はいますが、重症者ゼロということは、おそらく基礎疾患でもともと長くは生きることができなかった人たちが亡くなっているからではないのでしょうか。

世間の人が大変だというのは、会社に出勤できないから? 感染した子どもの面倒を見ないといけないから? 会社の収入が激減しているから? 病院がコロナ対応で患者を受け入れないから?

これらの「大変」はコロナウイルス本来の脅威ではありません。すべて人為的なものです。もう目を覚ましていい頃ではありませんか。

雪はくらぎ空よりひたすらおりてきてつひに言へざりし唇に触る(藤井常世)

2022年2月 4日 (金)

選挙ってなんだろう? 教えるものではないよね、結局のところ。

講演録「衆院選総括と政局展望」(大石格)を読みました。

講師の大石氏は日本経済新聞社の上級論説委員兼編集員です。ベテラン政治記者として、2021年の衆院選を振り返ったものです。

講師は、「政局を左右するのは、政治家同士の好き嫌い」という人間の本質に強く関心をもっていて、政治はこうあるべきだという話題にはほとんど関心がありません。政治や選挙は「面白いのがいちばん」と考えている、代表的日本人です。

今はAIやビッグデータ分析などによる選挙予測が流行しているようですが、講師は「実際に現場に足を運び、徴収の熱量や反応を肌で感じることこそ重要」と主張します。たしかに、小泉純一郎が総裁選に打って出たときの国民の熱狂(本当に狂っていました)はすさまじかった。ワイドショーが政治の話題を取り上げるようになったのもこのときからでしょう。「政治=スキャンダル」としかみていなかったワイドショーが変わりましたね。理由は当然、視聴率がとれたからです。

マスコミが世論調査をよく発表していますが、実際の選挙結果とは乖離があります。なぜなら、衆院選は小選挙区制だからです。比例代表であれば、支持政党に投票するし、いわゆる無党派層は世論調査を反映することもあるでしょう。しかし、議席の多数を占める小選挙区制は違います。

小選挙区制では、得票率が51対49でも、議席は100対0になるかもしれない制度です。ところがマスコミ報道はしばしば、二大政党制とは「議席数」が51対49になる制度と勘違いしています。本当にアホですね。

衆院選前、マスコミは「立憲民主党が伸びて大接戦となる。自民は過半数割れし、岸田首相の退陣もありうる」と喧伝しました。しかし、結果はご承知の通り自民圧勝。するとマスコミは手のひらを返したように「立民大敗」「共産党との共闘は失敗」と騒ぎました。講師によればこの馬鹿騒ぎは「マスコミが自分たちの予想が外れたバツの悪さをごまかすために、必要以上に野党共闘のせいにしている感がある」と断じています。

たしかに、選挙特番の前に「今回の選挙では与野党の議席数は大きく変動することはないでしょう」なんていったら、視聴率がとれなくなるでしょう。真実を隠したいわけです。さすが「真実の追求」を看板にするマスコミですね。「看板」だけだということがよくわかります。

マスコミの議席予想は出口調査をもとにしているのですが、最近は期日前投票が増加してきました。本来なら、正確な選挙結果を予測するために、期日前投票の出口調査をするはずですが、マスコミはそれをやりません。きっとそこまでするカネがないんでしょうね。

それにしても講師はざっくばらんに、選挙をめぐる人間の本性を述べています。有権者だって、政策を十分吟味してから投票する人は稀(まれ)で、大多数は「顔つきがよい」程度で決めているわけですからね。選挙は本当に人間臭いものです。これを「政策判断」なんてきれいごとをいっているから、世の中のことがわからなくなるのではないでしょうか。

結局のところ、この国を動かしているのは、理想・理論より下世話な人情なんですね。選挙や政治をきれいごとで教えるなんて、教えるほうがむなしくなるんじゃないですか?

フランスパンほほばりながら愛猫と憲法第九条論じあふ(荻原裕幸)

2022年2月 3日 (木)

男女ふたりで食事をするとき、ラーメンを食べるのってありですか?

今日は冷え込みました。朝、通勤のバスの窓から、冠雪した桜島が美しく見えていました。

とても寒かったこともあり、職場の同僚に「いっしょにラーメンを食べる?」とメールで誘ったところ、「ぜひご一緒させてください」との返事。仕事帰りに会社近くのラーメン屋に立ち寄りました。

「わたし、ここのお店に初めて入りました。女ひとりでラーメンってちょっと行きにくいですからね」「そうなんだね、私は土日に会社にでてきたときにはここでラーメンを食べることがしばしばあるよ。でも仕事帰りに食べに来たのは今日が初めてでね」

そんな話をしながら、この店の普通のラーメンを2つ注文しました。

「美味しんぼ」(雁屋哲)でも、ラーメンがテーマになったことがありますが、ラーメンを食べる人って男性の一人客が多いってことを指摘したシーンがありました。ラーメンは時間が経つとのびてしまって不味くなります。だから、人とおしゃべりをしながら食べるには不向きってこともありますね。

そうはいいながら、わたしと彼女とふたり、職場のことなど近況をあれこれ話し続けました。彼女とは昨年11月に一緒に飲んだことがありました。ふたりだけで食事をするのはそれ以来になります。

彼女は私より15歳ぐらい年下で独身(正確な年齢はこわくて訊けません)。中途採用だったので、会社内にもほとんど友達がいない。性格はやさしくてまじめなのですが、内気なタイプでどちらかというと人見知りをするようです。

ラーメンを食べ終えてからも、コロナ感染拡大の影響などの世間話を15分ほど続けてからお店を出ました。

冷たい風が静かに吹いている中、私が近くの電停に向かって歩いていくと、彼女も電停まで私と一緒に歩いてきます。彼女の家は逆の方向なのに、と思いながらも、私はそんなことはおくびにも出さず、彼女が話し続ける「スラムダンク」のエピソードなどを聞きました。

「次会えるのはレブナイズの応援のときですかね。その前にコロナが収まって、また飲めるといいんですけどね」とひとり納得するようにつぶやく彼女が印象的でした。

私と彼女の距離は、ラーメンを食べるくらいがちょうどいいのかも。

私たちはもうすぐ終わるのに、のんきにラーメン食べて抱き合ってる(ましゅまろすみれ)

2022年2月 2日 (水)

「女のいない男たち」というよりも「女に逃げられた男たち」

私の中学校の1年上の先輩で、私と同じく大学に合格した人がいました。

入学当初はお会いしてあいさつをしたりしていたのですが、その後、キャンパスで見かけることはありませんでした。そして私の大学在学中、田舎の親から先輩のご両親は離婚したという話を聞きました。

先輩のご両親は夫婦で毎晩のように麻雀をしていたそうです。いわゆる賭け麻雀で日銭を稼いでいたというのです。夫婦で示し合わせてイカサマをしていたらしく、悪い噂をよく聞いていました。

私とはあまりつきあいがなかったこともあり、離婚の詳細な経緯や理由はわかりません。金の切れ目が縁の切れ目といいます。先輩が就職して仕送りの必要がなくなったので別れた、という噂もあながち冗談ではなさそうです。

私が子どもの頃は、離婚するなんて大事件でしたが、今ではごく当たり前の社会になってしまいました。昔は親や地域のしがらみで離婚することがとてものできなかったけれど、いまでは完全に個人主義の社会になり、嫌なことは嫌だと言えるようになったからとも言えます。

私の父方の親族には離婚した人はいません。一方で母方の方のおじ3人は離婚しています。というか離婚していないおじは一人だけ。おばは離婚していないのがせめてもの救いですが。

私が昔、相続調査をしていたときの話ですが、離婚する家系というのが確かにありました。親、兄弟で離婚の発生割合が非常に高いのです。逆にまったく離婚がない家系というのも存在しました。

子どもは親の背中を見て育つと言いますが、夫婦仲が悪い家庭で育った子どもは愛し合う夫婦像を想像できない、逆に夫婦仲の良い家庭で育った子どもは円満な家庭を身近に知っているのでうまくいく「こつ」を無意識のうちに身に着けているのかもしれないと思うほどでした。

いま、私のいる会社には離婚した男性が何人もいます。身勝手だったり、妻や家族を束縛したり、だらしがなくて妻に捨てられた、離婚の原因はほとんど男性にありました。私はどうしても彼らと仲良くすることができません。話をしていて気持ち悪いのです。生理的といっては失礼ですが、「嫌なものは嫌」なんですよね。すてられた男性たちは哀れだと思いますが、とても共感や同情ができないままです。

冬の苺(いちご)匙(さじ)に圧(お)しをり別離よりつづきて永きわが孤(ひと)りの喪(も)(松田さえこ)

2022年2月 1日 (火)

「唐棣の花、偏としてそれ反せり」はいにしえの遠距離恋愛の詩

論語の子罕(しかん)第九の最後に「唐棣の花」の一節があります。

「唐棣の花、偏としてそれ反せり。あに爾(なんじ)を思わざらんや、室これ遠ければなり。子の曰く、未だこれを思わざるなり。それ何の遠きことかこれあらん」

現代語訳(岩波文庫 金谷治訳)では「『にわざくらの花、ひらひらかえる。お前恋しと思わぬではないが家がそれ遠すぎて』先生はこの歌についていわれた、『思いつめていないのだ。本当に思いつめれば何の遠いことがあるものか』」

「現代人の論語」(呉智英)には確か、これは理想の政治に対する孔子の思いを示したもの、という趣旨の解説をしていたと思います。

でも、その後にこういう趣旨の話が続きます。「恋人のことを思って家が遠いなんて思っているうちは、本当に相手のことを想っていないのだ。私がこう解釈してみせると若い塾生たちは目を輝かせて聴いていた」

「遠距離恋愛」とは最近は死語に近いようです。似たようなフレーズも聞かないので、スマホや交通機関の発達などで関係なくなったからかもしれません。

私と妻が知り合ったのは25年も昔のこと。当時、私は鹿児島市に、妻は指宿市に一人暮らしをしていました。付き合っていた頃は、鹿児島から彼女の家へ車で会いに行っていました。時間にして1時間半。ドライブがきつかったなんて記憶はまったくありません。

特に何かをするわけでもなく、ただ彼女と一緒に過ごし、日曜日の夜には大河ドラマ「毛利元就」を見終えて鹿児島に帰るということが何度もありました。翌日は仕事なのに、家に帰ってくるは夜11時。それでも全然に苦にならなかった。

彼女と会えることが幸せならば、その移動にいくら時間がかかろうと、どんなに体力を消耗しようと、このときの私にはほんの些細(ささい)なことだったのでしょう。想いがあれば気にならないのですよね。

君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも 狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ) 

2022年1月31日 (月)

現金を見たことのない子供が増えている? キャッシュレス社会の到来

病院の待合室で、NHKの「あさいち」を見ていました。今日の特集はキャッシュレス決済。その問題点として特に強調していたのが次の2つでした。 

1 浪費、無駄遣い  キャッシュレスだと残高がわからない。特にクレジットカードだと支払いが2ヶ月後だったりするので実際にいくら使ったのか把握できない。

2 子どもの金銭感覚が育たない  子どもネットゲームで勝手にクレジットカード払いをして150万円が支払われた(しかも、請求額のメールを子どもが削除していたので、親は引き落とされるまで知らなかった)事例や、学校の授業で「おつり」の概念がわからない子どもがいたという事例が紹介されていました。

1については、私も同感ですね。私は普段は現金払い。たまにWAONカードを使っていますが、残高は把握していないのが実情。クレジットカードはネットショッピングと財布にお金がないときや多額の出費が急に必要になったときだけに限定しています。

WAONは、以前お付き合いでJALカードをつくったときについていたもの。マイルがたまったときにWAONポイントに換算したり、マイナンバーカードの給付金受け取りといったところで役に立ちました。ただ、自分自身で積立をすることはほとんどありません。あったら儲けもの、ぐらいの感覚です。

そういうわけでキャッシュレス決済には遅れている私ですが、会社の同僚からPayPayなどを薦められているし、キャッシュレス決済の仕組みを取り入れた商品開発に取り組む必要にも迫られています。やっぱり実際にやってみないと、と思っていながらもなかなか踏み出せないところです。

2については、さもありなんというところでしょうか。子どもにとっては労働対価としてのお金という感覚が欠けています。お金をもつためにどれだけ苦労しているかというのがわからない以上、金銭感覚が育たないのは当然でしょう。

この番組の中で、子供のお小遣いをどういうルールで渡していますか、というアンケート調査結果も紹介していました。「定額制」が6割、「報酬型」が2割、「必要なときに必要なだけ」が2割という結果でした。

ここで視聴者の声として「子どもがお手伝いをした分だけお小遣いを渡していたが、周囲から『家事は労働対価ではない』など批判された」というのがありました。

お小遣いのルールは家庭内のことなので、他人のことを批判するのはおかしいと思います。いろんな人がいるんですから、そこまで口を出さなくてもいいんじゃない。ちなみに、私は「報酬型」が好ましいと思います。子どもたちはそれでお金をもつことの大変さを知るからです。もちろん「お小遣いがないならお手伝いはしない」という子どもがいたら、それはそれで厄介だとは思います。実際、私の娘たちは家事の手伝いはほとんどしませんでしたから。

しかし、そのしつけの成果かわかりませんが、私の娘たちは2人とも大学に進学して、アルバイトに精を出しています。住宅費や食費(3万円)は仕送りですが、遊興費などは自分で稼ぐようにさせています。正確には「させています」という前に、それぞれ自主的にアルバイトを始めてます。精神的にも金銭的にも自立が早いのではないでしょうか。

ちり紙にくるんだお金てのひらにぬくめて帰るふゆのゆふやみ(東直子)

2022年1月30日 (日)

ゴミ問題を考える 私たちの体の中に入り込むプラスチック

小論「『捨てられたもの』目線の人文学」(藤原辰史)を読みました。

この小論を読んで興味をもったのは「私たちのはらわたにもまた1週間にクレジットカード1枚分のプラスチックが通過していることを知り、衝撃を受けた」という一節です。

NHKのごみ問題啓発のCMでは、ウミガメが海に漂うビニールなどをクラゲと間違えて食べてしまし、その結果、死に至るとその恐ろしさを伝えていますが、この一節はそれを上回る衝撃だったのでしょう。

ヒトは梅干しのたねをそのまま飲み込んでも胃や腸を通過する間に消化してしまうほど、強力な消化能力をもっています。しかし、ビニールには効力はないので、そのまま排泄されます。

思えば魚釣りでも、防波堤でアジをサビキで釣り、そのままフライにして食べると、アジの消化器官のなかにパン粉が入っていることがあります。知らずにそれを食べている人もいることを考えると、プラスチックを知らずしらずのうちに、飲み込んでいると考えてもおかしくはありません。

私は魚のはらわたが好きで、特にサンマの塩焼きなどは、添えてある大根おろしと醤油とサンマの内臓とを混ぜ込んで食べるのが私なりの作法なんですが、確かにこういうことを知るとこれまでどおり食べるかどうか気が引けます。

話は変わって、私は明日は大腸内視鏡検査を受けるため、昨日から下剤薬を飲んでいます。センノシドは錠剤なのでそのまま飲めます。しかし、マグコールは水に溶かして飲むのですが、濃いポカリスエットのような味。とても苦手です。

検査をするためにこういう薬剤を飲まないといけないというのも現代ならではですね。思えば胃透視もバリウムを飲むわけで、とても体にいいとは思えないことを年に1回は健康診断としてやっているわけですから。

それにしても、プラスチックは体に入ったら大騒ぎするのに、バリウムはやむを得ないと思う人が多いって不思議ですね。どちらかというとバリウムのほうが健康に悪影響を与えるというのに。

中将湯はのみしことなしバスクリンは少しなめしことあり あはは (高瀬一誌)

2022年1月29日 (土)

燃え上がる恋愛と、円満な結婚生活とは別モノ?

私の中学校の同級生に、勉強もできて、運動能力が非常に優れている、まさに文武両道の優等生がいました。私よりもテストの成績はよくて常にトップを争い、スポーツも万能というからもてないはずがありません。高校生の時にはつきあっている女性がいると聞いていました。

高校2年のとき、その同級生が高校中退をするという話がありました。心配になり、夏休みの帰省のとき会いに行きました。話を聞いてみると学校の方針と自分の勉強の向き合い方に大きな隔たりがあったようです。

一流大学の合格者をたくさん出したい高校側は受験対策のテクニック指導に偏り、同級生は純粋に勉強が好きだったのに、肝心の基礎はおざなりにされたり、「なぜ」という本質的に疑問に先生たちは答えてくれない。そういう不満がたまっていたようです。

こういうのは話を聞いたからといってどうなるものではありませんが、この同級生との会話のなかで印象に残ったことがありました。

この同級生は高校のクラスメートとラブラブの関係だったようです。毎晩、お互いが自宅で勉強しているときに、同じ時間にお互いのことを考えようと約束し、実行していたというのです。私は「ロマンチックなことだな」と素直に受け止めたのですが、本人は逆でした。

「なんて、ばかげたことをしていたんだろう。あのメスに振り回された」と自嘲気味に、そして怒りを抑えたように口にしたのです。

ストレスが高まって、好きな人が憎しみの対象になるなんて、非常に不幸なことだと同情しましたが、そういう私の気持ちなんて聞き入れるすき間はなく、その後まもなく彼女と別れたようです。

この同級生は母子家庭でした。そして、本人もひとりっ子。

もう数十年も彼とは会っていませんが、私は彼が恋人を憎んだのは、母子の情が強すぎて、男女の恋愛が素直にできないのではなかったのではないか、と思います。

ちなみにこの同級生は、高校を中退したあと大検に合格して早稲田大学に進学しました。鹿児島県内でも有名な企業に就職したと聞きました。退職していなければ、今ではきっと役員あたりまで出世していることでしょう。

ただ結婚しているかしら。たぶん、いまでも独身なのではないか、と思ってしまうのです。熱烈な恋愛をしていても結ばれないこともあるんですね。

残念ながら私は大恋愛の経験はありません。この人だと思った人とすぐに結婚しました。きっと私は恋愛ベタ。これでいいのでしょうね。

物思へば沢のほたるもわが身よりあくがれいづる魂(たま)かとぞみる(和泉式部)

2022年1月28日 (金)

夫婦で楽しむスイーツ どれが正解か?

先日、山形に出張したとき、妻へのおみやげとしてラ・フランスのヨーグルトソースを1瓶買いました。我が家では毎朝ヨーグルトを食べます。普段は砂糖を入れるだけなので、甘いもの好きの妻なら喜んでくれるかな、と思ったのです。

10年ぐらい前は東京出張の機会が多く、羽田空港で目新しいお菓子やスイーツを見つけては、子どもたちへのおみやげとして買って帰ったものです。

2人の娘はもちろん、妻も争うように甘いおみやげに手を伸ばし、喜んで食べてくれました。

その後、私が東京どころか主張自体がほとんどない会社で勤務することになり、家族におみやげを買うことはなくなりました。

一方妻は、最近は仕事帰りにコンビニスイーツをあれこれ買ってくるようになりました。最近のコンビニスイーツは多様でおいしさもずいぶんアップしましたね。

私の学生時代(30年も昔ですが)、コンビニスイーツといえば「ナタデココ」か「ティラミス」でした。なつかしいなあ。いまでも売ってるんでしょうか。当時の私は辛党だったこともあって、陳列棚のスイーツを眺めるだけで買ったことは一度もありませんでした。当然ながら、ナタデココやティラミスは食べたことがありません。

それが今や、妻と一緒に食べるようになったのですから、結婚すると嗜好も変わるもんですね。

ところでラ・フランスのヨーグルトソース。妻の反応はそっけなく、一度も口にしませんでした。結局、私が全部食べてしまうことに。

夫婦生活25年。妻の好みはいまだによくわかっていないようです。

明治屋に初めて二人で行きし日の苺のジャムの一瓶終わる (俵万智)