2021年8月14日 (土)

ラジオが今や「radiko」と「らじるらじる」になっちゃった

私は小学生の頃からテレビよりもラジオを聞いてきました。今でもテレビを見るのは朝のNHKニュースをみるときぐらい。それ以外は妻の見ている中国時代劇を横から眺めるか、ダゾーンで鹿児島ユナイテッドの試合を観戦する、その程度です。

最近は、このパソコン、クロームブックを購入してからは「らじるらじる」を聞くようになりました。もともとCMのないNHK放送が好きだったのですが、「らじるらじる」は聞き逃した放送をクリアな音で聞くことができるので重宝しています。

私がよく聞くのがリトルグリーモンスターの「ミューズノート」。20代の今どきの女の子たちがわいわい言いながら曲をしっかり放送してくれるのが気に入っています。それ以外でも音楽をしっかり聞かせてくれる「歌謡スクランブル」は、知っている歌手の特集があるときには選んでいます。

今は「radiko」で「さたスポ」を聞いています。これも音楽番組(スポーツニュース、スポーツバラエティが半分入っていますが)で、80年代の懐かしい曲が流れるので毎週ラジオで聞いているのですが、生方法をクロームブックで聞いています。今のパソコンはスピーカーも品質が向上しましたね。

私の実家はラジオ電波の入りが悪く、MBCラジオはほとんど聞き取れませんでした。そのかわりRKK熊本放送やFM中九州などを聞いていました。やはり音楽番組が中心でした。その頃からするとラジオを聞くことができる環境は大幅に改善しましたね。

でも、ひとつ疑問があるのですが、なぜフレンズFMは「radiko」で聞くことができないのでしょうか。業界だけの大人の事情でもあるんでしょうか? それともコミュニティFMがもともと対象外で、フレンズFMもコミュニティ扱いなのでしょうか? それなら県内の他のFM局も聞くことができないので納得できますが。

「デジタルには過去も未来もないような」ポツリと言いてはや寝入りけり(武下奈々子)

2021年8月12日 (木)

体育会系社員が日本企業を滅ぼす・・・ 本当?

週刊プレイボーイに連載されている橘玲のコラムをまとめた「事実VS本能 目をそむけたいファクトにも理由がある」を読んています。

この中で、ヘッドタンターの証言が出ていました。それによると、日本企業と外資系企業ではヘッドハンティングの対象者について、採用基準が違うというのです。

外資系企業の評価項目は、学歴、資格、職歴、経験、そして何より重要視しているのが実績です。当然だと思うでしょう。ところが日本企業が重視しているのは「体育会系出身者」であるというのです。しかも、男性、日本人でなければそもそも対象になっていない!

「体育会系」というのは大学の運動部出身のこと。権力に対して従順で、先輩後輩の序列を重んじる、日本企業はそういう人材を求めているのです。

当たり前の話ですが、根性と気合と浪花節(なにわぶし)で、冷徹で合理的な経営をするグローバル企業に勝てるはずがありません。なんだか大東亜戦争のときの日本軍とアメリカ軍みたいですね。

でも、自分のことを省(かえり)みるとどうですか? 日本人であること、男性であることを採用の前提にしていませんか? そして、自分に従順な人材を優遇していませんか? 

橘玲は「無能な人材を喜んで採用するんでから日本企業が国際競争から脱落するのは当然」というヘッドハンターのコメントでこのコラムを結んでいます。

私はまさに国立大学の体育会出身者なので、この趣旨に対して素直に頷(うなづ)けないところがあります。それは自己正当化するためではなく、私の個人的体験からです。

大学のとき、もっとも苦労したのは先輩のしごきではなりません。部員(後輩)の確保です。橘玲の言う「根性と気合と浪花節」なんて、30年前から若い人には嫌われているのです。そういう現実を前にすれば、体育会の人間であっても変わらなければなりません。体育会の人間は先輩に従順かもしれませんが、もっとも大切にしているのは「部の存続」です。自分たちの代でこの部を終わらせてはいけないという危機意識が、そこらの人たちよりも100倍は強いのです。

橘玲の予言通り、日本企業のほとんどは瀕死の状況に陥ることでしょう。しかし、それですべてがおわると即断するのは、勇み足ではないでしょうか。

水あそびして毎日が主人公(中田尚子)

2021年8月11日 (水)

バスの車内での親切 あれこれ

先週、職場にバスに乗って会社に向かっていると、バスの前方に座っていた20代の女性が運転手に質問しています。どうやらバスを間違えて、目的地の病院へどう行けばいいかを尋ねているようでした。

運転手も他社の路線のことはわからないため、返答に困っていたので、私が彼女のところまで行き「私が降りるバス停で一緒に降りましょう。そこでバスを乗り換えれば一本で目的地に行くことができますよ」と教えると、ようやく彼女も安心したようでした。

そのバス停に到着し、いざ降りようとすると、初老の男性がもたもたしてなかなか前に進みません。数分立って私がバスから降りたとき、彼女は別の女性に連れられてバスを案内されていました。どうやら私と彼女のやりとりを見ていた乗客が親切心を出したのでしょう。

おいてけぼりをくらった私はしばらく二人の様子を見ていましたが、どうやら出番はなさそうなのでそのまま二人を残して会社に向かいました。なんだか裏切られたような気持ちです。

別の日、帰りのバスに乗ったとき、バスは非常に混在していました。私は空いた座席をみつけるとそこに腰掛けてようやく人心地つきました。前方をみると通路に長靴が落ちています。

長靴は乗客が落としたものではなく、当然ながらバス会社のものでしょう。しまっておいたところから転がり落ちたに違いありません。通路の真ん中にあるのにその長靴のところに立っている男子中学生は見て見ぬ振りをしていました。

「バスから降りるときに長靴を元の位置に戻してやろう」と思っていた矢先、途中から乗り込んできたおばちゃんが長靴に気づくとそのままひょいと近くのバケツに投げ込んで、空いている座席に腰掛けました。

いつもは高齢者の無礼を批判する私ですが、このときはさすがだなと感心しました。鹿児島市内の中高生は座席は空いていても座らずに通路に立って邪魔です。リュックや学生カバンが通路を塞(ふさ)ぐことよりも、座ることのほうが嫌なんでしょう。私には理解できない感覚です。

このとき、おばちゃんはそういう周囲への気遣いのない中学生を、無視して長靴をしまったわけです。

中学生は、長靴や空席や通路を通る際にリュックを邪魔だと思う乗客を無視している。おばちゃんはそういう中高生を無視している。いやあ、長生きするとこういうことができるんですね。私も見習わないと。

ハムレタスサンドは床に落ちパンとレタスとハムとパンに分かれた(岡野大嗣)

夏休みの帰省では絶対に宿題をやらないと決めていた高校時代

当時の鹿児島県の進学校では補習をいう悪習がありました(今もあるのかもしれませんが)。夏休みになってからも8月1日まで、そして8月21日から9月1日の始業式までは、平日は毎日補習という名の授業があるのです。

補習では、教科書ではなく補習のために別途用意した問題集を使用します。教科は英数国の3科目だけでしたが、前日に予習をして授業を受けるという繰り返し。何が夏休みなのか不思議な気分でした。

8月2日から8月20日までは補習がないため、本当の意味の夏休みになります。

この夏休みだけではなく、冬休みや春休みもあるため、通算すると年に1ヶ月程度は休みになります。

高校生でももちろん夏休みの宿題があり、学期はじめにはその課題から出題された実力テストが実施されるのですが、私は帰省中は一切勉強しない、宿題をしないと決めていました。

理系の私はもともと選択していた日本史のほかに、社会をもう1教科勉強する必要がありました。そこで高校3年生のとき、夏休みの高校の補習がある期間は、寮に帰ってからひたすら倫理・政経の参考書を読み、共通一次の過去問を解くことを繰り返していました。通算で1ヶ月程度で2年間に勉強する内容をマスターしようというのですから無茶苦茶ではありますが、それでも帰省中は決してこの勉強をしませんでした。

勉強が好きな人はいくらでも勉強ができるでしょう。倫理・政経は私の好きな分野だったので苦になりませんでした。しかし、補習の勉強は苦痛でした。「こんなことをしている暇がないんだけどな」「問題の解法がさっぱりわかんないのに学校に行くなんて退屈だ」と思いながら勉強しても身につくはずがありません。

結局、私はセンター試験(このときが第1回目でした)で倫理・政経を選択。100点満点で88点をとり、ボーダーラインを突破しました(といっても、足切りはなかったのですが)。

帰省中は勉強しなくても、現役で大学に合格できたのはなんだろうか、と振り返ると自分にあった勉強をしてきたかどうかではないか、と思うのです。先生は生徒全体をみて課題を与えるのですが、生徒一人ひとりに適したものかどうかは、やはりその生徒一人ひとりが判断していくしかないのではないでしょうか。

「先生に言われているから」「宿題をしないといけないから」と、自分の人生を親や教師などの押しつけたことで浪費しているのであれば、はやく改めたほうがいいと思いますよ。

洗い場に筆をすすぎて不規則にながれるものに心ひかれぬ(俵万智)

2021年8月10日 (火)

鹿児島県内のストリートピアノ演奏旅行(鹿児島本線、肥薩おれんじ鉄道)

今日は鹿児島中央駅から鹿児島本線に乗り、川内駅で肥薩おれんじ鉄道に乗り換え、阿久根駅までいきました。目的はもちろんストリートピアノです。

阿久根駅の待合室の奥に、黒いアップライトピアノが上品に置かれています。

その前に構内にある食堂「阿久根屋」でおすすめの「さば飯」をいただきました。ごはんの上に角切りのサバと細切りきざみ海苔がたっぷりかかっている丼飯(どんぶりめし)です。半分ほど食べたところで出汁(だし)をかけてお茶漬けのようにさらさらといただき、さらに残り半分となったところで「お好みで」とついていた練からしを溶かしていただきます。3度楽しめるおいしい昼食でした。

さて、腹を満たしたところで演奏開始。はじめに鍵盤を数カ所押したところどれも音が大きくてびっくり。やさしく押しても駅全体に音が響き渡るのでちょっとびびりました。

いつものように「戦場のメリークリスマス」を弾くのですが何度もミスってしまう情けなさ。しばらくしてから再チャレンジしましたが、またしてもボロボロの状態。演奏を終えると胃にキリキリと痛みが。どうやらピアノの素晴らしさに緊張しすぎたようです。

1時間弱阿久根駅に滞在し、再び川内駅へ。ここにもストリートピアノがあるのです。見つけたのは新幹線改札口の中。しかし、ピアノの前には「コロナ対策のため演奏不可」の注意書きがありました。ここでもダメかJR。

次は隣の隈之城駅で下車し、歩いて10分程の距離にあるプラッセだいわ川内店へ。ここのストリートピアノは建物の中央にある2階まで吹抜の空間にありました。しかし、肝心のピアノは壁際に押しやられ、鍵盤は壁側に。貼り付けられた紙には「コロナ対策のため演奏不可」。ここもダメか。

駅やスーパーのベンチやジュースの自動販売機は多くの人に触れられるので感染の可能性がよっぽど高そうですが、こちらは従来どおり使用できます。それに比べ、演奏する人は数えるほどのピアノだけが接触禁止だなんて。

どうやら目的は感染防止ではないですね。利用者の少ないピアノが「生贄」に選ばれたのでしょう。管理者が感染防止に取り組んでいる姿勢を見せるためには、最もコスト(悪い評判)が小さいから。国も国なら、一般人の考えているのもこの程度。ばかばかしい。

熊を使い人を殺してゆくゲーム三分で我は八人殺す(俵万智)

2021年8月 8日 (日)

鹿児島県内のストリートピアノ演奏旅行(姶良市、霧島市)

ストリートピアノを演奏するため、今日は妻とドライブにでかけました。目的地は「フォンタナの丘かもう」と「国分パークプラザ」です。

昼下がりの午後、まずは「フォンタナの丘かもう」に到着。ここはレストラン、特産品市場、ホテルの施設がひとまとまりになっています。その3つの建物を結びつけるロビーに、黒いアップライトピアノが置いてありました。2020年9月に廃校となった新留小学校で使用されていた1956年製のピアノ。年代物とは思えないほど美しい。

周囲には数人のお客さんが椅子に腰掛けてくつろいでいました。が、そんなことは気にせず、フロントの女性にことわってから「戦場のメリークリスマス」を弾きました。音がとても大きくてロビーに響き渡ります。手入れを相当入れたのでしょうね。音色が美しい。

少々ミスをしてしまいましたが最後まで弾き終えると、近くの席にいた2人連れの女性が拍手をしてくれました。年齢は40代といったところでしょうか。恥ずかしいようなうれしいような顔をしたので私も照れくさくなり「ありがとうございます」とちいさくお礼を述べて外にでました。

次に訪れたのは「国分パークプラザ」。こちらはちょうど1年前に悪意のある男性に破壊されたのですが、無事に修復され、そして24時間演奏が可能です。驚きましたね。破壊されたら大事に保管しようと考えるのが当たり前かと思っていたら、いつだれも誰でもOKという基本方針を継続するなんて。何よりもこのピアノの管理者に脱帽です。

1階のピロティにピアノは置いてありました。カラフルなアップライトピアノです。さきに小学生3人が「エリーゼのために」などのクラシックな音楽を交互に演奏して楽しんでいました。「これはちょっと時間がかかるかもね」と思い、妻と近くのカフェで休憩することにしました。

1時間後に来てみると、今度は別の人がピアノを弾いています。太った女性がピアノを弾き、同じく太った男性がそれをスマホで撮影しています。恋人なのか、夫婦なのかはわかりませんが、ぽろんぽろんと静かにメロディーを奏でていました。

2人がピアノから離れると、すかさずピアノの前に腰掛けました。まずは準備運動ということで現在練習中の「さくら」(ケツメイシ)の前半分を弾きました。同じ鍵盤を短く何度も叩くので腕が固くなってきます。気持ちよくなってきたところで「戦場のメリークリスマス」をはじめました。

前半はノーミスだったのですが、もっとも盛り上がるアレンジのところでミスってしまいました。でも、演奏はいっときも停止せずに右手と左手のずれをそのままアレンジして引き続け、次のパートのところから通常の演奏に戻して演奏を終えました。

演奏中に母親と小学生の子どもが近くにいたことは気づいていましたが、演奏終了後には10人以上の親子がぞろぞろとやってきたので、慌ててピアノから離れました。

妻に感想を聞くと「お客さんがきたところでミスするからね。でも、他の人の演奏はピアノの音が小さいのにあなたのは演奏はとても迫力があったわ。山形屋からの連絡通路を通る人たちもあなたの演奏を見ていたわよ」と教えてくれました。

国分パークプラザのピアノは音は確かに小さくて、音色は「フォンタナの丘かもう」のピアノには到底及びません。しかし、つぎつぎと演奏するために親子連れがやってくるなんてすばらしい。ストリートピアノ冥利に尽きる! どれだけ霧島市民に親しまれているのかと思うと、このピアノがとても幸せに思えました。

一生の楽しきころのソーダ水(富安風生)

ベーシック・インカムを考える 本当に格差社会の救世主になるのか?

先日、会社の同僚と飲んでいるときに「ベーシック・インカム」の話題になりました。ベーシックインカムとは、収入や資産に関わらず全員一律に毎月定額を支給する最低所得保障制度のことです。

同僚は「ベーシック・インカム」の賛同者。資本主義社会の競争に敗れた人々を救うためには「べーシンク・インカム」で救うべきだ、というのが彼の主張です。貧富の格差が拡大する社会を放置することは悪いことだというのが前提としてあります。

一方、私は基本的な考えとして共産主義が嫌いです。個人の生活に国家が積極的に関与することは国家権力の肥大化を招きます。それはきっと社会を破壊することになると信じているからです。税金や年金(社会保障費)はきちんと納めていますが、それはルールだからというだけのこと。私に言わせれば国家は寄生虫であり必要悪です。寄生虫が限度を超えて成長すると宿主(社会)は死に絶えると考えています。

同僚はそういう私に「では、格差社会を放置していいのか?」とくってかかりましたが、私は「格差は広がったとしても階層間の移動があるなら、それでいいではないか」と反論しました。もし、封建制の社会や世襲のように上級国民、下級国民が固定されているのであれば、そういう社会は活力を失うでしょう。しかし、それが階層間が自由に移動できるのなら人々は「やる気」を出していくでしょう。

先日読んだ「無理ゲー社会」(橘玲)は、これとは全く違った視点から、「ベーシック・インカム」を批判していました。それは「誰に支給するのか」という制度的な欠陥です。

ひとつは「移民に支給するのか」という問題です。移民がより恵まれた給付制度のある国に集まってくる「福祉磁石(ウェルフェア・マグネット)」を避けられるのか、その答えを誰も知りません。かつて鹿児島県三島村で移住者に対して牛を支給するという支援制度をとっていたことで、海外の貧しい移住希望者から問い合わせが殺到したことがありました。日本人には魅力はなくとも、日本人の最低レベルの賃金ですら稼げない途上国の人々にとっては垂涎の的なのです。

もうひとつは「日本人の家族をいくらでも増やせる」という問題です。欧米でベーシック・インカムを実施している国では「1人毎月1000ドル(およそ10万円)」を支給しています。これを日本に当てはめると、夫婦2人に子どもが2人いたら、月40万円が支給されます。

世界には貧困のために将来になんの希望もない若い女性がたくさんいます。そこで日本人男性が18歳以上の貧しい女性と結婚し、妻が40歳になるまでに8人子どもを生んだとしましょう。そうなると月額100万円、年に1200万円が働かずに自分のものになるのです。

話はこれで終わりません。妻が出産適齢期をすぎれば(貧しい国の人には十分の慰謝料を支払って)離婚し、他の貧しい女性と結婚し、また子どもを増やすことも可能です。男の場合は60歳ぐらいまで生殖能力がありますから、さらに子どもを10人以上増やすことも可能です。

こんなことをする男性が現れたら、日本政府はどうするんでしょうか? これはけっして荒唐無稽な話ではありません。大金持ちになれるためにやることはセックスだけなのですから。

あっ、でもベーシック・インカムは人口減少対策にもなりますね。(その頃の日本は、働けない多人種と共生する社会となっているでしょうが、それを許せますか? ヨーロッパの排外主義を見る限り、日本で実現できるとは思えませんが)

この朝のクロワッサンちぎりつつ今はどうなる一生の中のどこなる(高瀬一誌)

2021年8月 7日 (土)

鹿児島県内のストリートピアノ演奏旅行(肥薩線)

「戦場のメリークリスマス」を演奏できるようになった私は、県内のあちこちのストリートピアノでこの曲を演奏するための小旅行を繰り返しています。

肥薩線では大隅横川駅、栗野駅、吉松駅にストリートピアノが設置されていることを知り、肥薩線に乗ってすべてのピアノを弾こうと思い立ちました。

まず大隅横川駅。こちらは県内最古の木造駅として文化財としても指定されています。大東亜戦争のときのアメリカ軍による機銃掃射の跡がホームの柱に残っていて往時を偲ばせています。

横川の集落の中にこの小さな駅はあります。この日は隼人行の普通電車を待つ高齢の女性が5,6人、構内外のベンチに腰掛け、井戸端会議を開いていました。改札口のすぐ近くに黒光りしたアップライトを見つけました。しかしピアノの上には「コロナ感染防止のため演奏はご遠慮ください」の注意書きが載っていました。ここは無人駅なのでピアノの管理はこの注意書きを書いた観光協会がやっているようです。残念。

次に栗野駅。こちらは待合室の中にありました。大隅横川駅と同じく黒光りのアップライトピアノ。こちらも観光協会が管理しており、駅構内の観光案内所の女性に断わってからピアノを演奏しました。クーラーのない待合室。お客はまったくいません。しかも周囲からは人の声も車の音も聞こえない静けさ。いざ演奏を始めるとピアノの音響がすさまじく、駅どころか1キロ四方までピアノの音が広がるように感じました。

しかし、少々ミスをして、何度も弾き直すカッコ悪さ。「ああ、周りに人がいなくてよかった」と思って振り返ると女子高校生が真後ろのベンチに腰掛けていたのでびっくり。ピアノの音が大きすぎてかわいいお客さんの来場にまったく気づきませんでした。「ああ、ノーミスで演奏できたら、この娘が喜んでくれただろうに」と悔しがっても後の祭り。残念。

最後に吉松駅へ。こちらも待合室の中にありました。ペイントされたアップライトピアノ。こちらは駅員がいることもあってクーラーが効いています。しかし「コロナ感染対策のためしばらくの間、演奏はご遠慮ください」の注意書きがここにも。残念。

でも、コロナがピアノから感染するって本当? 消毒するとピアノの鍵盤が傷むとも書いてありましたが、なんだかしっくりきませんでした。

それにしても肥薩線は連続する3つの駅にピアノがおいてあるなんて素晴らしいですね。ネットで調べると吉都線(吉松駅から都城駅まで)の途中にある京町温泉駅にもストリートピアノがあるとか。次は吉都線に乗って、宮崎県でのストリートピアノ演奏に挑戦です。そして弾くことができなかった2つの駅もコロナ騒ぎ後に再チャレンジといきましょう。

人佇(た)てばそこが正面大夏野(倉田紘文)

爆発的感染拡大警報が発令 でも全国のコロナ死亡者は激減!の不思議

令和3年8月6日に発表された鹿児島県の新型コロナウイルス新規感染者は、87人と過去最高を更新しました。鹿児島県知事は「爆発的感染拡大警報」を発令し、県民に外出自粛をお願いしていました。

「爆発的」という表現が桜島のある鹿児島県らしいですね。「ウィズコロナ」「ロックダウン」「オーバーシュート」「クラスター」「ステイホーム」と英語らしきのカタカナ語を大量増産した小池百合子と対照的です。

全国ネットのマスコミには「爆発的」は取り上げられていないようですね。ちょっと残念。やっぱりマスコミ本社が東京に集中しているだけあって、意味のよくわからない造語でも全国ニュースで報じられる東京都知事とは扱いが格段に違うようです。いまでは小池型カタカナ語が定着しましたからね。すごい功績です。私とはなんの関係もありませんし、東京都民の生活が向上したわけでもありませんが。

さて、今朝(8月7日)の朝日新聞にも「国内感染累計100万人 重症197人増え1020人に」との見出しが出ていました。とうとう日本でも国民の100人に1人が感染したことになったようです。逆を言えば99人はまだコロナとは無関係です。

「感染者数は増えているけど死亡者はどうなっているんだろうか?」と素朴な疑問が生じたため、紙面を詳しく読んでみると、2面のベタ記事の中に「ただ、最近の死者の数は比較的少ない。5月は月間で最多の2816人を記録したが、7月は408人だった。4月から高齢者を対象としたワクチン接種が進んだ結果とみられている」とありました。

この記事の真偽を確かめようと思い、月ごとの新規感染者数と死亡者数を計算してみました。なるほど2020年12月から毎月死亡者は1000人を超えて推移していて、2000人を超えた月もあります(2021年1月、2月、5月)。

では月ごとの死亡率はどうだろうかと計算してみました。毎月の死亡者数を新規感染者数で割るのです。もちろん、感染してから死亡するまで時間がかかりますので、あくまで目安です。

すると最も死亡率が高かったのが2020年5月。第1波のときです。このときが死亡率17.8%(新規感染者2477人。死亡者441人)。これは前月の感染者数が12187人なのでその影響が大きいのでしょう。

しかし、死亡率が10%を超えたのはこの月だけ。その次に死亡率が高いのは2021年2月(5.1%)です。現在100万人が感染し、死亡者数が累計1万5千人ですから、単純に計算すると日本の死亡率は1.5%。2020年5月の死亡率は異常値です。何があったんでしょうか? マスコミの分析を待ちたいですね。

話をもとに戻すと、朝日新聞の見立てでは死亡率が低いのは「高齢者のワクチン接種が進んだ結果とみられている」と分析していました。2021年7月の死亡率は0.3%。なるほど、この月だけを切り取ってみるとたしかに少ない。

しかし死亡率が1%を下回っている月はほかにもありました(2020年7月:0.2%、8月:0.9%、11月:0.8%、2021年4月0.9%)。本当に朝日新聞の分析のとおり高齢者のワクチン接種が死亡率を引き下げているのか疑問が残ります。

高齢者はいいですね。先にワクチンが打てて。仕事をしている人がどれくらいいるのかわかりませんが、年金生活者は仕事に行かなくても収入があるわけです。しかし若い人たちは仕事にいかざるを得ないから、「ステイホーム」なんて実現不可能。テレワークも職種によって限度があります。感染爆発は当然でしょう。社会に出回る人へのワクチン接種を後回しにしているのだから。

問題は死亡率です。働き手が死亡すると大変です。生産活動の停止や、収入を失った家族が路頭に迷うことになりかねません。それに比べて高齢者の死亡は、かかる医療費が抑制され、年金の支出が抑えられるので、社会的な損失は圧倒的に少ない。でも高齢者を厚遇する奇妙な状況に黙っていていいんですかね。

そういえば特別給付金10万円も当初は所得の少ない人に30万円配分するよていだったのを「公明党」が政権を離脱すると騒ぎ出し、コロナと関係なく年金収入を確保している高齢者にまで10万円を配布することになりました。おかげで低所得者はもらえたはずの20万円を失い、高齢者たちは10万円を貯蓄にまわして経済活動は停滞する方向へ進みました。

若い人たちは政府やマスコミに虐げられて、本当にかわいそうです。

片隅に旅はひとりのかき氷(森澄雄)

2021年8月 5日 (木)

「教育」こそが現代の「格差社会」の原因となっている皮肉

「メリトクラシー」を知っていますか? 「能力主義」と訳されているそうですが、ジャパニーズイングリッシュで噛み砕くと「メリット」「クラシー」、「長所による支配」が直訳。意訳すると「知能と努力の成果によって人を採用、評価する社会」となりそうです。

昇進や昇給にあたっては差をつけないと組織は機能しなくなります。そこで「学歴・資格・経験」で評価することになります。これらは本人の努力によって向上できるからです。

つまり、成績が悪いのは本人の努力が足りない、というわけです。逆にいうと、本人が努力すれば成績=知能はいくらでも向上していくということになります。これが「教育神話」です。知能と努力をセットにした「メリット」による評価こそが公正な社会をつくる。このことに異論を唱える人はほとんどいないでしょう。

しかし、このことは「できない人」にとっては残酷な社会です。身分差別のある階級社会であれば、自分が成功できないのは社会制度だと責任転嫁できるのに、メリトクラシーではすべての人に公平に機会が開かれているので、自分が本当に劣っているから地位が低いのだと認めなくてはいけないからです。

橘玲は著書「無理ゲー社会」で、このような残酷な社会を生み出しているのが「メリトクラシー」であるとして、この言葉を生みの親であるマイケル・ヤング(イギリスの社会学者)の著作を紹介しています。

ほとんどの人は気づいているとおり、高学歴の男女の結婚によって高い知能が子どもに遺伝します。知能の遺伝率は年齢ともに上がり、思春期を終える頃には70パーセントを超えます。そしてこの知能の生得的な違いを教育が拡大させているというのです。

先進国は「教育神話」に基づいて教育に莫大な予算を投じ、国民全体の知能指数も上がっていますが、その反面、授業や学校に適応できない子どもにとって高等教育は苦痛でしかありません。実際、アメリカの調査では高校生の66パーセントが毎日の授業に退屈しているとの調査結果があります。

また「大学無償化」はリベラルに人気のある政策ですが、それは非大卒の納税者から取り立てた税金を、大卒の子どもの学費に当てるという、格差の拡大を手助けするかのような仕組みです。

能力主義のアメリカでは、大卒と非大卒の収入格差は1.7〜2.0倍に広がっています。日本は1.3倍程度ですが、10年後の日本はアメリカのように格差が一層拡大していることでしょう。トランプのような政治家が日本に登場するのも時間の問題かもしれません。

メリーゴーランドを止めるスイッチはどこですがそれともありませんか(中澤系)