ベーシック・インカムを考える 本当に格差社会の救世主になるのか?
先日、会社の同僚と飲んでいるときに「ベーシック・インカム」の話題になりました。ベーシックインカムとは、収入や資産に関わらず全員一律に毎月定額を支給する最低所得保障制度のことです。
同僚は「ベーシック・インカム」の賛同者。資本主義社会の競争に敗れた人々を救うためには「べーシンク・インカム」で救うべきだ、というのが彼の主張です。貧富の格差が拡大する社会を放置することは悪いことだというのが前提としてあります。
一方、私は基本的な考えとして共産主義が嫌いです。個人の生活に国家が積極的に関与することは国家権力の肥大化を招きます。それはきっと社会を破壊することになると信じているからです。税金や年金(社会保障費)はきちんと納めていますが、それはルールだからというだけのこと。私に言わせれば国家は寄生虫であり必要悪です。寄生虫が限度を超えて成長すると宿主(社会)は死に絶えると考えています。
同僚はそういう私に「では、格差社会を放置していいのか?」とくってかかりましたが、私は「格差は広がったとしても階層間の移動があるなら、それでいいではないか」と反論しました。もし、封建制の社会や世襲のように上級国民、下級国民が固定されているのであれば、そういう社会は活力を失うでしょう。しかし、それが階層間が自由に移動できるのなら人々は「やる気」を出していくでしょう。
先日読んだ「無理ゲー社会」(橘玲)は、これとは全く違った視点から、「ベーシック・インカム」を批判していました。それは「誰に支給するのか」という制度的な欠陥です。
ひとつは「移民に支給するのか」という問題です。移民がより恵まれた給付制度のある国に集まってくる「福祉磁石(ウェルフェア・マグネット)」を避けられるのか、その答えを誰も知りません。かつて鹿児島県三島村で移住者に対して牛を支給するという支援制度をとっていたことで、海外の貧しい移住希望者から問い合わせが殺到したことがありました。日本人には魅力はなくとも、日本人の最低レベルの賃金ですら稼げない途上国の人々にとっては垂涎の的なのです。
もうひとつは「日本人の家族をいくらでも増やせる」という問題です。欧米でベーシック・インカムを実施している国では「1人毎月1000ドル(およそ10万円)」を支給しています。これを日本に当てはめると、夫婦2人に子どもが2人いたら、月40万円が支給されます。
世界には貧困のために将来になんの希望もない若い女性がたくさんいます。そこで日本人男性が18歳以上の貧しい女性と結婚し、妻が40歳になるまでに8人子どもを生んだとしましょう。そうなると月額100万円、年に1200万円が働かずに自分のものになるのです。
話はこれで終わりません。妻が出産適齢期をすぎれば(貧しい国の人には十分の慰謝料を支払って)離婚し、他の貧しい女性と結婚し、また子どもを増やすことも可能です。男の場合は60歳ぐらいまで生殖能力がありますから、さらに子どもを10人以上増やすことも可能です。
こんなことをする男性が現れたら、日本政府はどうするんでしょうか? これはけっして荒唐無稽な話ではありません。大金持ちになれるためにやることはセックスだけなのですから。
あっ、でもベーシック・インカムは人口減少対策にもなりますね。(その頃の日本は、働けない多人種と共生する社会となっているでしょうが、それを許せますか? ヨーロッパの排外主義を見る限り、日本で実現できるとは思えませんが)
この朝のクロワッサンちぎりつつ今はどうなる一生の中のどこなる(高瀬一誌)
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