2021年8月 3日 (火)

「ドリーム・ハラスメント」の恐怖 教師と親の偽善

「無理ゲー社会」(橘玲)を読んでいます。

橘玲の本は、出典がしっかりしているので日本の多くの新書にありがちな「〜と聞いている」「〜と思う」という曖昧さがない、しっかりとした証拠(調査結果)に基づいています。だから、彼の新刊が出版されるたびに必ず目を通しています。

この本ではさまざまな神話を事実で打ち砕いているのですが、非常に納得できる文章がありました。それが「ドリーム・ハラスメント」です。

もともとこの「ドリーム・ハラスメント」と名付けたのは、大学で学生のキャリア支援を行っていた高部大問(たかべだいもん)氏。その意味するところは「若者たちが夢に押し潰(つぶ)されていく実態」です。

大学生は就職活動で「あなたの夢を教えて下さい」などと必ず訊かれるので、高部のところには「夢なんてないのにどう答えればいいんですか」という相談が次々とやってくるそうです。高校でキャリア教育の講演をしたときには、ある生徒から「夢をもつことを強制されている」と訴えられたこともあったそうです。

「小学生のときに夢を具体的に決めるよう強制されて以来、将来の夢という言葉が嫌い」「夢がないことがそんなにだめなのか」「夢にとらわれずに生きたい」というのが若者の本音。つまり、現代の若者たちは、大人や社会が「夢をもたせよう」とすることをハラスメント(虐待)と感じているというのです。

なぜ日本社会に「夢」があふれるのか。高部はそれを「大人の都合」といいます。かつての日本には「学校で真面目に勉強すればいい大学に入って、いい会社に就職できる」という暗黙の合意があり、生徒たちはそれを自然に受け入れていた。しかし今では、こうした「きれいごと」が通用しない。そこで教師や親が子どもたちが勉強するためのモチベーションを上げるためにつくりだした「夢を実現するためにはいま頑張らないといけない」という夢至上主義が蔓延(まんえん)したというのです。

私の子どもたちが小学生のとき、半成人式という意味不明の行事がありました。小学校の参観日に、10歳になった子どもたちが自分の夢をクラスで発表するのです。私の娘は「キャビンアテンダント」と発表しました。他の子どもも発表していましたが覚えているのは「メイド」だけ。いうまでもなく秋葉原のメイド喫茶をマスコミが興味本位でもり立てていた頃のことです。「この子はマスコミが捏造(ねつぞう)した世界に迷い込んでいるなあ」と可愛そうな気持ちになったので私の記憶に強く残りました。

こんな夢を語ることが何になるのか? 夢をみんなもっているものなんでしょうか? 私が小学生のときにはそんな夢なんてもっていたかは覚えていません。あったかもしれませんが、テレビの影響をまともに受けたか、親の言っていることの受け売りかのどちらかだったでしょう。だって子どもですよ。社会経験もろくにないのに、自分が将来何になりたいかなんてわからないでしょう。そんなことより外で友達と遊びたい、が子どもたちの本音でしょう。百歩譲っても「将来はかわいいお嫁さんになりたい」ぐらいが関の山だと思います。

当時、こうやって夢をもたせようという、親や教師のやり方には偽善を感じました。夢をもつのも、もたないのも本人の自由です。夢を語る子どもたちを見ながら、「それが本心なのだろうか」「これが何になるのだろうか」と釈然としない気持ちになりました。

私は人から強制されるのが嫌いです。私自身は過去に「目標」をもつことはありましたが、「夢」をもつことはありませんでした。ましてや「夢をもて」を強要されたとしたら、私は反発していたことでしょう。私はいい時代に生まれたなあと感謝しています。

校正を入れずに刷った時刻表通りに乱れ始める世界(岡野大嗣)

2021年8月 2日 (月)

羊頭狗肉とは言わないけれど こんな看板ありですか?

先週、とある看板に惹(ひ)かれて鹿児島中央駅近くの居酒屋に立ち寄りました。

その看板には「大感謝99円SALE4日間開催」という大きな見出しに「23日、24日、25日、26日」その下に「ドリンク99円 or 料理全品半額」とあります。

「やりーっ、ビールが1杯99円で好きなだけ飲めるなんてすごいじゃん」と欣喜雀躍(きんきじゃくやく)した私は店に入るなり、メニューも見ずに店員に生ビールをお願いし、先にトイレをすませました。

案内された個室にはすでにお通しのきんぴらごぼうと生ビールが置いてあります。生ビールで乾いた喉を潤しながらタッチパネルのメニューを眺めました。

しかし、「ない」。「ドリンク99円のメニューがない!」 これは一体どういうこと? 看板には早い時間限定とか、人数4人以上とか、1000円以上料理をご注文の方だけ、なんて条件はなかったけどなあと思いつつ、もやもやした気分になったのでこれ以上飲むのをやめました。

お会計はビール1杯とお通しだけで980円。高すぎる! レジの女性店員に看板のことを訊くと「そのセールは先週終わりました」 はあ? 

店の外に出て看板をもう一度見直すと、期間はこのようになっていました。

「8月23日(月)、24日(火)、25日(水)、26日(木)」 なんと看板の大感謝セールとは「来月」のことだったのです。そして月日の数字は張り紙になってました。おそらくそこには前回のセール期間が記載されていたんでしょう。なんて紛(まぎ)らわしい。

しっかり確認しなかった私が悪いのは百も承知ですが、まさか来月のことを「大感謝99円SALE開催」と書くなんて思いますか? 看板を見た人は「開催(中)」と早合点するでしょう。羊頭狗肉(ようとうくにく)とは言わないけれど、看板にひっかかる(私のような)浅はかなおじさんで小銭を稼ごうという意図を感じてしまいました。ああ、ご用心、ご用心。

炎天を突き破りたき拳(こぶし)あり(堀本裕樹)

2021年8月 1日 (日)

エヴァンゲリオン展 VISUAL WORKS に行ってみました

今日は黎明館の「エヴァンゲリオン展 VISUAL WORKS」を鑑賞しました。

広告では「平日にお越しください」と混雑を感じさせていたので、日曜日ながら午前9時の開館時間にあわせました。

しかし、入り口には「長蛇の列」はなく、机にたくさん置かれた消毒液や仕切りのロープが、ちょっとピント外れに見えました。これらはきっと午後から活躍するんでしょうね。

エヴァンゲリオン展は映画4作の原画展でした。鉛筆書きのラフなスケッチですがとても迫力があります。なかでも綾波レイがとても美しい出来栄えでした。それに比べるとアスカやマリは魅力かけていてちょっと残念。世間ではアスカファンが多いとか(アスカ萌えといっているそうですが)。私は断然マリですけどね。彼女のおっぱりがプルンプルンと揺れるところが、なにより魅力的だと思いますが、エヴァンゲリオンのファンにとっては異色のキャラクターのようです。

アスカのお転婆、というか活動的でシンジを叱ったりするところがオタッキーにはたまらないみたいですね。過去にオタクたちに人気があった作品でも、性的な魅力ムンムンよりも、男勝りの活動的な女性キャラクターの方が人気がありました。

古いところではウルトラセブンのアンヌ隊員とか、マジンガーZの弓さやか、といったところでしょうか。ちなみに押井守作品でも男は根性なし(理性的または冷静)で描かれることが多く、女が好戦的です。

ちょっと意外だったのが客層。家族連れや20歳前後の女性グループが多く、男性一人で会場に来ているのは私ぐらい。エヴァンゲリオンがテレビ放送されたのは30年ぐらい昔のことですが、お客さんのほとんどは当時のエヴァンゲリオンを知らないことになります。映画(序、破、Q、シン)で現代の若者たちの心もつかんでいるということでしょうか。

いまどきの若者たちは私達世代のオタッキーとは似ても似つかない健全さをもっていると思っていました。しかし、映画4部作が彼らの心に響いていると思うと、オタッキーの特異性はいまや日本の若者の多くが潜在的に身につけている(思想的にオタク文化を土台としている)ことの証左だと思うと考えすぎでしょうか。

宝くじを買って二人の逃避行もしもの世界地図を広げる(俵万智)

2021年7月31日 (土)

指宿枕崎線の旅 ストリートピアノはどこにある?

青春18きっぷを購入し、指宿枕崎線を利用してみました。鹿児島中央駅から枕崎駅までの35駅(!)を片道約3時間(!)という小旅行です。

今回の少旅行の目的はストリートピアノです。ネットで「ストリートピアノ設置場所情報専門サイト だれでもピアノ」に調べつき、南薩方面では指宿市の足湯温泉前と、枕崎市のお魚センターの2箇所がピックアップされていました。この2箇所で演奏することが本日のミッションです。

最初に到着したのは指宿駅。駅前の足湯温泉のところをぐるりとひとまわりしましたが、ピアノらしきものは見当たりません。観光客らしき30代の女性2人が足湯を楽しんでいるだけで周囲に人はなし。指宿駅に戻り、観光協会の窓口にピアノの場所を教えてもらうことにしました。

「駅前にストリートピアノがあると聞いたんですが、どこにあるんでしょうか?」「ピアノは昨年に閉まっていて弾けないんですよ。駅前にアーケードがあります。すぐのところに指宿情報プラザという建物の中にあるんですけど、そこにありますね」

案内されたアーケードに行ってみました。「中央名店街」という錆びついた看板が寂(さび)れた商店街の象徴として私を出迎えてくれました。アーケードの支柱は緑色のペンキが塗られていますが、あちこち剥(は)げて、茶色の下塗りが見えています。アーケード沿いを歩くと店のほとんどは不動産会社の案内先がはられていて、営業しているのは飲食店が数店だけ。およそ100メートルのアーケード街は瀕死寸前の状態でした。

ピアノはウインドウ越しに確認できましたが、施錠されていて建物の中に入ることはできません。「あわれだなあ」と兼好法師のような気持ちになってきます。

1時間後、指宿駅から枕崎駅に向かいました。枕崎駅からお魚センターまでは歩いて20分程度かかるということ。しかも真夏の太陽が照りつけて気温も35度。枕崎駅から歩いて1分のところにある観光協会で電動自転車を借りることにしました。2時間500円。便利ですね。

お魚センターに到着し、1階の小売店を見て回りましたがここでもピアノが見当たりません。2階に登る階段には「本日はレストラン定休日」。どうなってるの?

2階にある事務所を訪ねてみました。「こちらにストリートピアノがあると聞いたのですが、どこにあるのでしょうか?」「レストランの奥にありますよ。でも定休日なんです」「演奏したいんですがいいでしょうか?」

事務所のおばちゃんも珍客に戸惑っていましたが、電話をかけて何やら話をしています。「定休日なのでクーラーがついていないんですけど、それでもよければ案内します」 交渉成立でした。

無人のレストランの中に入ると、最奥にアップライトピアノがありました。黒光りしています。事務所のおばちゃんは私を案内すると帰っていきました。100席はあろうかというこのレストランに私一人。館内の有線放送が流れているだけで物音ひとつありません。私はピアノの蓋をあけて、「戦場のメリークリスマス」を弾きました。

たまたま定休日だから逆によかったかもしれません。「ストリート」ピアノといいながら、これではレストランのピアノです。ここで演奏するのはちょっと抵抗があるでしょう。特に食事中のお客さんにとってはピアノを弾く姿を見てなんて思うか。しかも有線放送のJ-POPと被(かぶ)っていますからね。

鹿児島中央駅発着でおよそ9時間の小旅行でした。話をしたのは観光協会のおばちゃんとだけ。これだけ人と会わない、語らない旅もめずらしい。列車内も見知らぬ人と話をするような雰囲気ではありませんでした。ピアノ演奏も何度もミスしちゃったし。でもたまにはこういう旅もいいかもと思い直しました。

ちなみに昼食をとった南薩地場センターはひどかった。港町にある食堂なのに、メニューはとんかつなどの揚げ物ばかり。魚料理はお刺身定食と腹皮三昧定食の2つだけ。おすすめの腹皮三昧定食を選びましたが味はいまいちで880円。接客は無愛想というか気遣いなし。先客の茶碗などはテーブルに放置したまま。お魚センターで昼食をとるつもりだったので詳しく調べてなかったのが大失敗。食事は旅行の最大の楽しみですから、もっと調べとくんでしたね。

物語始まっている途中下車前途無効の切符を持って(俵万智)

2021年7月25日 (日)

夏休みの宿題 漢字の書き取り、自由研究なんてくそくらえ 

私が小学生のときは夏休みの宿題といえば、「夏休みの友」「漢字ドリル1日100字」「日記」、そして「自由研究」でした。(ほかにあったかもしれませんが覚えていません。理由は後文を読めばわかります)

夏休みはとにかく暇を持て余しました。よくある一日は午前中は教育テレビの番組をだらだら。宿題なんてほとんどやらない。高校野球(甲子園)が始まると朝から夕方まで試合を見ていました。

7月の下旬は夏祭りがありました。祇園祭でこども太鼓が御神幸につづき、私は中学生まではその太鼓をたたいていました。夜は相撲の練習。8月上旬に小学校の部落対抗の相撲大会があるため、毎晩、部落の公園の一角に土俵をつくり、稽古をしたものです。

お盆をすぎるとそういうイベントがなくなってきます。高校野球もベスト8が出揃い、いよいよ終盤となるころ、夏休みの宿題のことが重荷になってきます。

とにかく苦労したのが漢字練習帳。1日1ページ(100字)ならまだいいのですが、何しろ30日分はたまっているわけで、それをやろうとすると途方もない絶望感が押し寄せてくるのです。書き取りをしたからといって漢字を覚える? 苦痛でしかありません。(中国の宮廷ドラマでは罰として写経を命じるシーンがよくあります。まったく同感です。漢字の書き取りは「罰」に近い)

そして日記。毎日同じような1日が繰り返されるのに何を書けというのか。テレビの内容や食事のメニューのことを書けば担任の先生から怒られたものです。なぜ怒られるのか? 日記のために毎日違う体験をしろというのか?

夏休みの友は内容が簡略でとても楽ちんでした。夏休みの宿題はこれだけで十分なのに、なぜ漢字や日記などの宿題を大量に課したのか?

学生は勉強するものですが、本当にそうなんでしょうか? 夏休みなのになぜ休んではいけないのか(勉強しなければならないのか)? 日本人の年休取得が海外諸国に比べて少ない理由もこの強制的な「勤勉性」を小学生の時に教育されたからではないかと勘ぐってしまいます。

宿題の最大の難関が「自由研究」でした。毎年、何をテーマにしようかと考えて、そのまま9月1日を迎えることがほとんどでした。つまり、まったく「研究」をしませんでした。

学校の先生に問いたい。夏休みの宿題によって学力が向上したという証拠はあるのでしょうか? 中高生は受験という目標があるから夏休みに学力をつけようという目的があることは理解できます。しかし、小学生に宿題(勉強)を強制するなんて、教師の自己満足としか思えませんでした。

親がうるさいからって? 子どもに勉強させたいなら「自分の」子どもだけに勉強させればいいのです。宿題が少ないと学校に文句を言って、結果的に他人の子どもに勉強させるなんてことになるなら迷惑千万。そんな親を世間知らずというのです。

「勉強」=「いいこと」=「夏休みにさぼったらだめ」=「夏休みの大量宿題」という構図が、長年放置されているといっていいでしょう。こういう構図はそろそろ終わりにしませんか?

じゃあ、夏休みに子どもがゲームばかりしてもいいのかという人もいるでしょう。そんなこと言う人は、その時点で親失格です。自分の子どもですら、しっかりしつけることができないのですから。他人の子どものことを言うならほっといてください。あなたは育てる責任なんてないのだから。

出席簿、紺のブレザー空に投げ週末はかわいい女になろう(俵万智)

2021年7月24日 (土)

ラップは難しい ピアノ演奏の壁にぶち当たる

今のピアノ演奏の練習はケツメイシの「さくら」。私の大好きな曲なので「戦場のメリークリスマス」の次に挑戦したのですが、四苦八苦しています。

最初の難関がイントロの音が飛ぶところ。右手が一瞬で26の鍵盤を移動する。その間に二本指で4回押さえる。スピードアップしようにもたどたどしくてできないまま。

そして一番難しいのはラップ調のところ。

普通の歌であればメロディーを覚えていてそれにあわせてピアノ弾けばいいのでしょうが、ラップの場合はとてもメロディーといえないでしょ。しかも同じ音の連続が続くので、10回以上同じ鍵盤を押し続けることに。歌詞のどこの部分にこの音を当てているのかがわからなくて弾いているうちに混乱してきます。

20年ぐらい前、私はカラオケでこの「さくら」を歌ったことがあるのですが、ラップ調のところは全然テンポがわからなくて沈黙状態。大恥をかいてしまいました。そのころから成長していないことが明らかなので愕然としています。

7月に入ってから「さくら」の練習を始めたので、もう3週間は1日に1時間以上、長いときは3〜4時間も弾いているのですが、未だにラップ調の部分を覚えることができない状態です。演奏時間は全部で5分15秒ほど。しかし、このラップの箇所でとまっているため、まだ2分にも達していません。

私はユーチューブの画面を見ながら楽譜(正確には楽譜はないので鍵盤を押さえる指の動き)を覚えるのですが、画面を見ながら速度0.75にしてならようやく弾くことができます。しかし、画面を見ずに弾こうとすると指が止まってしまい、「あれ、次はどういうメロディーだったっけ?」となるのです。

「これはいけない」と思い、アマゾン・ミュージックの「さくら」を聴いて、カラオケよろしくケツメイシの歌に合わせてラップをマスターしようと、この4連休中にオリンピック中継を無視して頑張る毎日です。

この調子だと、完成するのは来年の春になりそう。ぎょえー。別の曲にしようかなあ。

新しき恋はあらぬか求めてもおらぬ夕べにつぶやいてみる(俵万智)

2021年7月19日 (月)

銭湯はいつから歯磨きをするところになっちゃったの?

最近妻が「肉体労働で体がきつい」というので、鹿児島市小野の「お乃湯」に行ってきました。

久しぶりに鹿児島市内の銭湯(鹿児島市内は基本的に温泉です。お乃湯も源泉かけ流しの温泉ですが、ここでは銭湯を記載します)を利用します。かつては鹿児島市内の銭湯をいくつ制覇できるだろうかと記録にとって順番に入っていましたが、コロナ騒ぎで完全にストップしていました。

さて、この日男湯に入ると脱衣場はガラガラ。空いててよかったと思って浴場に入り、無人の洗い場の列にいくとタオルとお湯が入った洗面器が並んでいます。「マナーを知らないやつがいるなあ」と呆(あき)れて、違う列に向かうと、こちらでは8つぐらいの洗い場に2人しかいないのに、その2人の間にはシャンプーなどの洗面用具満載のかごが堂々と置いてあります。

「洗い場を使わないのに道具を放置しているってどういうこと(怒)」と思ったものの、口には出さず、あえて洗面用具の隣に座り、髪を洗い始めました。

洗っている途中にどこからか洗面用具の主が現れ、おもむろに歯磨きを始めました。

私は嫌がらせのように髪を洗い続け、さらに体を何度もボディーソープを塗りたくってシャワーを浴び、自分が使った洗い場に残った石鹸の泡などをシャワーで洗い流し、用具を浴場の入口の道具置き場に置き、洗面器と椅子はもとのところに返しました。

サウナルームがあったので10分ほど中で汗をかき、そばの水風呂でいっきに体を冷やし、それから大きな浴槽につかってリラックスしていると・・・

さっき、わたしの隣で歯磨きをしていた中年男性はまだ歯磨きを続けていました。「こいつは潔癖症かよ? こえーっ」と思いつつ、しばらく観察していたのですが、私がのぼせそうになるまでお湯につかっていても歯を磨き続けます。

見ているのもバカバカしくなり、浴槽からでて体についた余分な水気を手のひらで切り、脱衣場に向かいました。

私は高校生の頃、寮生活をしていましたが、このときは入浴のマナーをさんざん教えられました。「1年生は入り口近くの洗い場を使うこと。浴槽近くの洗い場は上級生が使う」「シャワーを使うときは周囲に水しぶきがかからないように気を使うこと」「体を洗ってから浴槽に入ること」「体についた水気を切ってから脱衣場にいくこと」・・・

最近の銭湯では、こういうマナーを教えてくれるおせっかいな(やかましい)おじさん、おばさんは皆無です。せいぜい脱衣場のポスターで教える程度。その影響なのか、脱衣場に寝そべったり、本人はいないのとに洗い場に道具を放置したりと、他人の迷惑を考えない人が多いこと。

今日も仕事帰りのバスや電車では、混んでいるのに座席に荷物をおいて席を占領する人が4,5人はいました。年齢は40〜60代の男女。逆に若い人の方が他人の迷惑にならないように気をつかっています。権力者が腐敗するように、人間は歳をとると横着になっていくようです。悲しい現実ですね。私も気をつけないと。

それにしても、20分以上歯磨きをしていた中年男性は何者だ? あれだけ歯磨きをしたら歯はすり減るし、歯茎を傷つけるだろうに。「過ぎたるは及ばざるが如し」ってこのことだな。

イッセイのシャツ着こなせる若者がふるさと自慢に言う笹だんご(俵万智)

2021年7月18日 (日)

タロット占いは「剣の7」 イッツ・ア・シン! ってこと?

妻が仕事に出かけたので、週末のお昼は私一人。なんだか料理をしようという気持ちになれないので、先日行った武岡にあるカフェ「IKTOMI」でランチをすることにしました。

お店のドアを開けると、妖怪ウォッチの曲が「ヨーデル ヨーデル・・」と大音量で流れています。ソファのある部屋でアメリカ人の奥さんとハーフの少女(3歳くらい?)が楽しそうに聞いていました。

先日はタコライスを食べてとても美味しかったのですが、今日はちょっと違う料理をリクエストしようと思い、フィッシュアンドチップス(500円)をテイクアウトで注文しました。フィッシュアンドチップスとはイギリス発祥の料理で、白身魚のフライとフライドポテトの組み合わせです。

料理を受け取ったところで、例によってアメリカ人の奥さんが「タロット占いをしませんか?」と話しかけてきました。前回ピタリと当たったので今回もお願いしました。

「占ってほしいことを思いながら、カードをきってください」と前回同様言われたので、今回は会社の同じ年の女性との関係のことを思い浮かべました。彼女とは知り合って間もないのですが、二人で一緒にお酒を飲んだり、休日は二人でショッピングなどで街を散策したりした仲。私も彼女もそれぞれ結婚して子どももいるのですが、私はもちろん、彼女もそういうことを気にしない性格のようです。彼女はお酒を飲むのが大好きだといっていたので、また誘おうかなあと考えていたのです。

「カードを一枚引いて見せてください」言われたとおりにカードを表にすると「剣の7」のカード。

アメリカ人はちょっと驚いた表情を見せてから解説してくれました。「あなたは騙されることになります。猫が寝ているときにネズミたちがチーズを囓(かじ)っているでしょう。そのことを暗示しています。でも、あなたは悪くはありません」

アメリカ人が見ている解説書の「剣の7」の絵は非常に陰鬱でした。不吉なカードだったようです。

「では、私はどうすればいいんでしょうか?」と尋ねると、ちょっと考えた後で「萎縮する必要はありません。堂々としていてください。あなたは何も悪くないのだから」

その帰り道、なんだか不安になってネットでタロットカードの「剣の7」を調べてみました。するとこのカードについての解説には基本的な意味として「ソードの7は、人間のやましい心をあらわすカードです。ズル、ごまかし、何かを盗むことなど、道徳的に悪い行いとされていることが起ころうとしているところ」とありました。

ドヒャーっ これを私と会社の同僚との関係を占った結果だとすると、二人は浮気とか不倫とかの関係になるって意味ですか? オーッ イッツ・ア・シン! だからアメリカ人占い師が言葉を濁したのかも。やばい、やばすぎる。でも最後の「堂々としていてください」という解釈が気になります。

素直にこの占い師の解釈に従うと、私と彼女の関係が不倫や浮気ではないかと周囲(会社)から疑われる。その結果、私は非難されたり陥れられたり(左遷や降格、減給など)するだろうが、私は何も悪くないのだから堂々と受け止めればいい。そういうことになります。

まあ、周囲の声に耳を貸さずに、自分の思うとおりにやってきた私です。傷つくのにはなれていますのでが、今回の占いには驚かされました。

一枚の膜を隔てて愛し合う君の理性をときに寂(さび)しむ(俵万智)

2021年7月17日 (土)

「混乱なし」がニュースになる「表現の不自由展」の不思議

今朝(7月17日)の朝日新聞の社会面に「大阪の不自由展初日は混乱なし」の見出しで、大阪市内で始まった企画展についての記事が掲載されていました。

記事をそのまま引用すると

国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」で一時中止となった企画展「表現の不自由展・その後」の出品作品を集めた展覧会が(中略)始まった。(中略)展覧会には2019年の不自由展で講義が殺到した慰安婦を表現した少女像や、昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品などが出品された。(以下略)

「あいちトリエンナーレ」で物議を醸(かも)した企画展をまだやってるんですね。そして朝日新聞は今回も「混乱がない」ことをニュースにして新聞に掲載するところに、この問題のバカバカしさを感じます。

私はこの企画展を見ていませんが、慰安婦の少女像は韓国の日本大使館前から移設されたことや、海外でも各地に設置されていることは報道で知っていました。日本と韓国の関係悪化に一役買っているわけです。

しかし、一体のこの像の何が不自由なんでしょうか? 韓国人たちは海外に日本に虐げられたことの象徴として、この像の設置に精力的に活動しています。すべて撤去されて設置したくてもできないというならこの企画展のタイトルと一致するでしょうけど。

もうひとつ昭和天皇の方は見たことがないので不明です。そこに芸術的な価値があるのか、展示ができない状態なのをこの企画展で特別に鑑賞できるようになったのか、まあ、それはこの企画展を見て判断してくださいということなのかもしれませんが。

それにしても表現の不自由とは何でしょう?

テレビでは、めくら、ちんば、びっこ、などの差別用語は禁じられていてます。しかも自主規制です。いわゆる放送禁止用語です。これは表現の不自由ではないんでしょうか?

美輪明宏の「ヨイトマケの唄」という名曲があります。10年前の紅白歌合戦で絶賛されました。しかしこの歌は放送禁止されてきた過去があります。放送局の自主規制によってです。

私が大学生のとき(30年ぐらい前)には、手塚治虫の作品が出版禁止となる事態が発生しました。とある団体が「手塚作品は黒人差別だ」と訴えたからです。このころはカルピスのデザインが変更になったり、童話「ちびくろサンボ」が出版禁止となるなど、私にとっては驚くような展開となりました。

そういえば「ハレンチ学園」(永井豪)というエッチな漫画は「良識のある」PTAらによって連載打ち切りになりました。この仕打ちに激怒した作者は、このマンガの中で徹底的な反抗姿勢を表現し、「ハレンチ学園」は前半のエッチなコメディから、終盤は凄惨でグロテスクな殺戮(さつりく)シーンの連続になってエンディングとなっています。まだ幼かった私は大変な衝撃を受けました。

芸術として素晴らしい歌や文学が、差別用語を用いているからといって良識のある、社会的な責任のある人たちによって人権の名のもとに次々に禁止されていった時代を知る私には、今回の『不自由展」の目的が右翼を刺激するための企画としか思えません。右翼が嫌いな朝日新聞も、そういう理由で積極的に記事にしているのでしょう。

性差別、職業差別、人種差別はあってはならない。私はそのことに何ら異議を挟むものではありません。しかし、「ヨイトマケの唄」、「手塚治虫の漫画」、「ちびくろサンボ」が差別を助長しているのでしょうか。実際、今ではこれらは放送、出版されてきており(ただ私は書店で「ちびくろサンボ」を見たことがないので全てとは言えませんが)、表現に対して寛容になってきたことは確かです。

「不自由展」が国家や政治思想の対立を煽り、世間を騒がせてきたことと対照的ですね。

まだ何もしていないのに時代という牙が優しくわれ噛み殺す(萩原裕之)

お酒を飲む量が親密さのバロメーター 

昔の会社の部下を誘って二人で飲みました。相手は30代の女性。私が引き合わせた男性と毎週会っていて,結婚を考えているとのこと。男性の方は結婚したいと積極的みたいなのですが,彼女の父親が気難しい性格らしく,彼女が迷っているようでいまだに挨拶ができていないとのこと。私からすればもどかしいのですが,彼女の父親を知らないだけに無謀なことは言えないし。困ったもんだ。

ところでこの日は鹿児島中央駅近くの「武三」で飲みました。彼女が5年ほど前に利用したことがあるとのことで,彼女の希望でした

注文は,大根サラダ,がらんつ焼,メヒカリの唐揚げ。すべて彼女の希望のとおり。野菜を家ではとっていないとか、彼女が今まで食べたことがないとかのの理由。鹿児島県人で「がらんつ(いわしの丸干し)」を知らないとはちょっと驚きましたが、たしかに私のようなおじさんしか食べないかもなあ。メヒカリは「キビナゴみたいな小魚」と説明すると納得していました。

ひととおり食べた後、もうちょっとおなかに入りそうだったので,「豚足」をお願いしました。彼女は初めて食べるとのこと。コラーゲンたっぷりの豚足を両手でもってかぶりつく様はなかなかのもの。普段は恥ずかしがって内気な彼女ですが,こういうところは非常に大胆で感心します。こういうところが可愛いんでしょうね。

そしてアルコールをほとんど口にしない彼女が珍しく生ビールを飲み干しました(ジョッキ1杯だけですが)。私は生ビールのほかに黒じょかを炭火で温めた焼酎,ライムサワー。いつものとおりなのですが、彼女も私にあわせてくれたんでしょう。知り合って3年ほどですが、彼女がこれだけお酒を飲むのを見るのは初めて。よほどリラックスしていたんでしょうね。

料理はともかく,彼女との話は盛り上がりました。わたしの他愛ない話でも表情を崩してくすくす笑う彼女の顔を見るだけで楽しい気持ちになるものです。彼女の話もとくに笑いをとるほどのものではないのですが,あれこれ思いつくままに話す彼女の気持ちが私を笑わせてくれました。

「今の上司はどうなの? とてもいい奴だけど」と近況を聞くと、「おもしろい人ですよね。この間も飲みに行きたいって周囲の人を誘ってましたよ。断られてましたけど」「あなたが『一緒に行きます』って応じてあげたら?」「いやー、そんなに親密じゃないし」 そんな話を聞くと私と彼女の関係って何なんだろう?ってちょっと考えてしまいました。

2時間飲んだところで私から「じゃあ、帰ろっか」と切り出してお開きにし、店先で彼女と別れました。とても気持ちのいい夜でした。こんな彼女と結婚できる男性は幸せだな。

江ノ島に遊ぶ一日それぞれの未来があれば写真は撮らず(俵万智)