2021年1月31日 (日)

やっぱり負けたかレブナイズ 2021シーズン地元開幕戦

1月30日の夜,鹿児島レブナイズの試合を観戦しました。相手は岐阜スゥープス。場所は県立体育館です。

午後7時試合開始。いつもお客さんが少ないので,直前に会場に到着しても大丈夫だろうと高をくくっていたのですが,なんと入り口には10人ぐらいの列が。しばらく様子をみていたら,なにやら手続きを聞いています。係員に訊ねると「当日券の売り場は別です」とのこと。窓口を移動して当日券を購入し,次の窓口で氏名・住所等を記入する用紙をもらい,最後に入場口で自分でもぎった半券とさっきの用紙を渡しました。いやいやこれは面倒だ。

中に入ると観客はやっぱり少ない。300人ちょっと。人数制限をしていますとは聞いていたけど,する必要はないでしょう。こんなに少ないのに。というか,いつも少ないんだから。

試合展開は第三クオーターまでは白熱しました。ようやく追いついてこれからというときに,4本続けてフリースローを外す! おいおいこの勝負どころでしでかすかよ。

事実上この後は一方的に差を広げられ,15点差がついてゲームセット。地元開幕戦は黒星。開幕から5連敗です。

コロナ対策として声援禁止。そのかわりにハリセンをたたきましょう,ってことです。チアのレイブスのダンスがあるものの,なぜか3人だけ。残りの2人はどうしたんだ。マスクをしているし,照明が暗いからか誰だかわからない。自信はないのですが,MadokaちゃんとShihoちゃんがいないのでは。ああ,私は彼女たちが好きなのに。

でも,チアの衣装がなかなかセクシーでした。銀色のキラキラ光るスポーツブラのような形。彼女たちが躍動するたびにおっぱいが揺れているように見えます。でも,ダンスはいまいちでした。振り付けがマンネリだから? 自分でもどうしてダンスにときめかないのか釈然としないまま時間が過ぎていきます。

明日もこの会場で同じカードの対戦がありますが,私は人間ドッグの関係でいけません。ちょっと残念という気持ちと,どうせ勝負は見えてるよなという諦めと,マスク姿でいまひとつ興奮しないチアダンスに対する期待感の薄れがあって,複雑な気持ちです。

そうそう,今回は飲食店の屋台もありませんでした。これも感染対策なんでしょうか?

頑張れと言いたくて言えなくて雪(神野沙希)

2021年1月29日 (金)

歌コラム的要約千夜一夜物語0002 シャーリヤル王とその弟の物語

狩猟から帰ってきた兄王,シャーリアル王をシャー・ザマンは出迎えました。兄王はシャー・ザマンの体調が回復していることに驚き,「どうして元気になったのか」と訊ねました。シャー・ザマンは「実は,このたびの出立の日に妻が黒人の料理人に抱かれているのを見て切り捨てました。そのことでいろいろ思い悩んで病み衰えていたのです。しかし,元気になった理由は聞かないでください」と答えました。兄王は元気になった理由をしつこく聞くため,シャー・ザマンは「あなたの災難を目撃し,あなたがすぐれた王であることを思えば,私自身の悲しみはずっと軽いと思ったからです」と答え,さらに詳しく聞く兄王にひっそりと王宮に戻ることを提案し,兄王は承諾しました。

兄弟が夜中に王宮に身を隠していると,朝になってから王宮の庭に男十人と女十人が現れて服を脱ぎ,妃はあのときと同じように黒人のサウードを呼び,それから2時間もの間,男女はみな欲情を満たしました。

その様子を目の当たりにした兄王は,王位を捨てて旅に出ることを決意しました。弟を引き連れて数日旅を続けるうちに,とある美しい水をたたえた泉に到着しました。そこで休憩をとっているとき,遠くからひとりの巨大な魔神が姿を現しました。魔神は7つの鍵がついた小箱を開けると,中から若く美しい女性が現れました。「おれはお前の処女を誰にも奪われないようにした。誰もお前を愛したり楽しんだりできないのだ」と言ってしばらく眺め,女の腿(もも)に頭を乗せて眠り始めました。

魔神の姿を怖がって隠れていた兄弟に気づいた女は,兄弟にこちらにくるように誘いました。来ないと魔神を起こして殺すと脅すのです。死にたくないふたりの兄弟は女のところに近寄ると,女はこの兄弟に自分とセックスをするように命じました。魔神が恐ろしいふたりは言われたとおりにしました。ことが終わると女は言いました。「わたしはこの魔神の枕元で570人の男とセックスをしました。それなのにこの魔神は知りません」

この言葉を聞いた兄弟はあきれかえり,われわれに振りかかった不幸よりももっと大きな不幸が魔神にあることを,そして今後は決して女とは結婚しないことを決意し,都に戻りました。

都に戻った兄王は,妃を死罪に処し,王宮の妻妾と白人奴隷をことごとく切り捨てました。兄王はさらに,どんな女と結婚しても夜に処女を奪って,あくる朝は斬り殺し,自分の名誉が傷つかないようにすることを誓いました。

シャーリアル王はその日からこの誓いを実行し,夜ごとにひとりの処女を犯してはあくる朝に殺すことを繰り返しました。それが三年も続いた頃には,人民に怨嗟の声があふれてきました。

ある日シャーリアル王は,処刑を担当する大臣に処女を連れてくるよう命じました。しかし,大臣がいくら探してもみつからず,悲しみにくれて家に帰りました。大臣にはシャーラザッドとドゥニャザッドと呼ぶふたりの娘がいました。姉のほうは書物や年代記,伝説に精通し,さまざまな物語などを読んでいました。しかも快活でやさしく,聡明で機知に富み,博覧強記なうえに,しつけもよい。

この娘は父の大臣からシャーリアル王の命じた話を聞くと,自分が処女たちの身代わりとなることを父にお願いしました。大臣は激しく怒り,牝牛(めうし)とロバの話を始めました。

2021年1月26日 (火)

歌コラム的要約千夜一夜物語0001 シャーリヤル王とその弟の物語

今は昔,ササン王朝という国がありました。この国では,兄のシャーリヤルが王となり,弟のシャー・ザマンは夷狄の地サマルカンドの王に封じられました。このふたりは公明正大な政治を行ったため,民はこのうえなく安堵して生活を楽しみました。このような状態が20年のあいだつづいたのです。

ある日,兄のシャーリヤル王は弟に会いたくなりました。もう20年も会っていないからです。王は弟を訪問することを大臣に相談したところ,大臣は弟に招待状と贈り物を贈ることを提案しました。この提案を聞いた王は,白人奴隷や美しい侍女,胸のふくよかな処女などを贈り物とするように命じ,心からの愛情をこめて招待状をしたためました。

招待状を渡すよう命じられた大臣は旅を続け,サマルカンドのシャー・ザマンの宮廷に到着しました。招待状を読んだシャー・ザマンは兄王の都へ出発することを決意しました。

出発の準備をして野営している夜のこと,シャー・ザマンは贈り物をひとつ忘れていることに気づきました。こっそりと王宮に引き返し,自分の部屋に入ったところ,そこには妻の王妃が,台所の脂(あぶら)と煤(すす)によごれた,みにくい黒人の料理人を両腕に抱きかかえて,王自身のじゅうたんの寝床で眠っているではありませんか。王は「まだ都がみえないうちにこんなことが起きるとは。自分が兄の宮廷に長く滞在したら,この売女(ばいた)は何をしでかすかわかったものではない」と言い,太刀を引き抜いて,一刀のもとにふたりを4つにしました。

シャー・ザマンは兄の宮廷に到着したものの,妻の不貞を気に病んで顔色がすぐれません。兄は歓待しますが,ますます具合が悪くなります。みかねた兄王は弟を狩猟に誘います。しかし,シャー・ザマンはとてもそんな気持ちにならないと断ります。翌日,弟を残して兄王は狩猟にでかけました。

宮廷に残ったシャー・ザマンが窓のところに腰を下ろしていると,王宮の裏門がぱっと開いて,二十人の女奴隷が,兄王の記載をとりかこんで現れました。王妃はたぐいまれな美人で,美貌と優艶と均斉と申し分ない愛らしさの典型でした。一同は大きな池の噴水のところにたどりつくと,着物を脱ぎ捨てました。なんと,そのうちの十人は兄王の妻妾(さいしょう)で,ほかの十人は白人の男奴隷でした。それからみんなはふたりずつ組になって離れていきました。一人残った妃は大声を張り上げて叫びました。「ここへおいで,サイードさま」するとよだれを流した大きな黒人が現れ,腕を妃の首に巻き付けました。そのまま男は荒々しく接吻(せっぷん)し,まるでボタン孔(あな)がボタンをしめるように,自分の足を妃の足にからみつけ,地上に押し倒して女を楽しんだのです。ほかの奴隷たちも女どもを相手に同じまねをし,だれもが淫欲を満たしました。

日差しが陰り始めるころになってようやく黒人は妃の胸から体を起こし,みんな王宮に入り,もとどおりに裏門を閉ざしました。シャー・ザマンは嫂(あによめ)のふるまいを見てつぶやきました。「おれの不幸はこれよりも軽いぞ! 兄上は王者の中の王者。それでもこのあさましいことが兄上の王宮で行われ,嫂はけがらわしい奴隷の中でもいちばんけがらわしいやつと濃いにおちている」そうしてシャー・ザマンは自分の右例も失意も悔恨も不平もはらいのけて「この世の男で女の仇心(あだしごころ)に苦しめられない者はひとりもいないのだ!」と繰り返しました。

その日の夕食をシャー・ザマンはむさぼるようにたいらげ,今までにない安らかな夜をすごしました。翌朝も腹いっぱい朝食をしたためたこともあり,弟は元気と体力が回復してきました。そして10日後,兄王が狩猟から帰ってきました。

2021年1月23日 (土)

私の頭の中の整理 ブログ更新と読みかけの本の再開を1度に解決

仕事は忙しいものの,最近は夜9時頃には帰宅し,土日も午後は自分の時間がとれるようになってきました。しばらくの間は無為に過ごしてきましたが,そろそろ何かやらなきゃなって気持ちがむくむくと起きてきました。前向きになってきたようです。

とりあえず,本を廃棄することに決めた塩野七生の本を読んでみました。「ルネッサンスとは何であったのか」 西洋史に疎い私ですが,彼女の著作は私にキリスト教を初めとするヨーロッパ人の歴史観,世界観を教えてくれました。でも,1時間も読むとあきあきしてきます。

彼女の著作を机の上に置き,今まで読むのを諦めた本を数えてみました。

「千夜一夜物語」いわゆるアラビアンナイトです。そして「春秋左氏伝」。どちらも途中まではおもしろくて就寝前に読んでいたのですが,いつのまにか手に取らなくなった本です。

そしてこのブログ。当初は1日1話と決めて,毎日更新していたのですが,仕事が忙しくなってきた昨年初めから1年,書くのは週末だけになっています。このブログと読みかけの本をなんとかできないかな,と考えてみました。

ひとつ浮かんだのが「千夜一夜物語」の1夜分を要約し,ブログでアップする方法。シェーラザードの語りを要約するとなると,本も読みこなすし,ブログも更新できるとなれば一石二鳥。それに「千夜一夜物語」をより深く,より読みやすくなるかも。

「千夜一夜物語」は複数の物語が重層的に構成されています。シェーラザードが話す物語の登場人物が,さらに物語を語り,さらにその物語の登場人物が思い出話として語る,そんな構成なのです。そうなると,いったい何層まで降りているのか分からなくなってくる感覚です。物語の迷宮に迷い込んだ気がするのです。

そういう迷いを解決するためにも,要約作業に取りかかりたいと思います。

そしてもうひとつ「春秋左氏伝」。こちらは漢文なのですが国名なのか,地名なのか,人名なのか,登場人物の関係性,身分が非常にわかりにくい。しかも,漢字が日本の常用漢字ではないのでパソコンで変換できないという大問題があります。

かつて,こういうときに外字変換できるようなソフトはないかと探してみたのですが,今に至るまで見当たりません。漢字で表記することが不可能となると,これは外国語だからと割り切るしかないか。つまり,西洋の本と同様,固有名詞はカタカナ表記にするのです。そして要約した文章には,登場人物の身分や関係性がわかるようにすれば,初心者でもとっつきやすくなるのではないでしょうか。例えば,単に「Cは」とせず,「A国の宰相でありBの父であるCは」と表示するように。

そんなことを考えていると,なんだかわくわくしてきました。

人間は生きよと銀河流れおり(上野泰)

2021年1月17日 (日)

休日の過ごし方 捨てることが8割

この週末は久しぶりにお休みです。とはいえ日曜日の午前中に仕事を片付けるために出勤したのですけどね。管理職はつらいよ。

さて,この休みを利用して,私も断捨離を断行しました。

真っ先に手をつけたのが司法試験用の参考書と問題集。そしてドイツ語の教科書と単語帳です。私は10年前に司法試験の勉強をしていました。仕事が忙しくなって勉強をしなくなってからもこれらの本を捨てることができず,ずっと本棚を占拠し続けていました。何度も読み込み,重要なところはマーカーを引いていると思い入れが強くなる。しかも高価。捨てるまでに10年かかりました。

そしてドイツ語。私は大学時代にドイツ語を選択していたのですが本当に苦手で,いつかはきちんと勉強しようと思いつつ,とうとう30年経っていました。たった2冊ということもあって場所もとらないし,などど理由をつけてずっと持っていたんですよね。でも,30年経っても勉強しないってことは,もう無理と同然。だって今年で50歳ですからね。

そして手帳も断捨離。私はA6サイズのキャンパスノートに何でもメモしているのですが,これが過去4年分もたまっていました。こちらも廃棄。全部で幅が50センチぐらいでしょう。本棚が空きました。

現在,私の机の上にある本棚には,高坂正堯全集とポストクロッシングで収集した切手と絵はがきが7割を占めています。残りは俳句や短歌の本が15冊。数学の本が3冊(「日本の幾何」「京大の文系数学25年」「数学超絶難問」),英語の本が3冊(「てっとりばやく英語が話せる」「コーパス活用 英語基本語を使いこなす」「The Little Prince」),チェスの本が1冊(「渡辺曉のチェス講義 戦略と考え方を学ぶ24のレッスン」),ビリヤードの本が4冊(ロバート・バーンシリーズ)と仕事の本が数冊(カウンセリング,管理職用のビジネス書)に。

それ以外にも塩野七生の本が別の場所にあります。「ルネッサンス著作集」,「ローマ人の物語」,「ギリシャ人の物語」などです。これらはもう一度読み通して廃棄することに決めました。これが私の今年の目標です。

枯萩(かれはぎ)を刈らむとしつつ経し日かな (安住敦)

2021年1月16日 (土)

「医療崩壊」の正体 日本全体の病床の2パーセントしか受け入れない現実

令和3年1月16日(土)の朝日新聞に,「病床確保 民間に迫る」の見出しで,「新型コロナウイルス感染症の患者が入院できる医療機関を増やそうと,政府は医療機関により強く協力要請ができるよう感染症法を見直す方針を示した」として,解説記事が掲載されていました。

私が望んでいた内容の記事がようやく掲載されました。

日本よりもヨーロッパの方が感染者数が圧倒的に(1日の感染者数は10倍以上)多いのに,なぜ海外の医療機関ではなく,日本の医療崩壊が叫ばれるのか,私にとっては非常に謎でした。解説記事を読むと「新型コロナの感染者は,米国で2300万人,英国320万人,フランス,イタリア,スペインは200万人を超える。それに比べて日本は30万人」

そして,病床数は「日本はベッド天国」と言われるほど多い。日本は人口1000人当たりのベッド数が13.0,フランスが5.9,イタリアが3.1,米国2.9,英国2.5。それなのに「入院が必要な患者が入院できない」と病床の逼迫が叫ばれるのはなぜなのか,と解説が続きます。

その原因としてあげられていることが,「民間医療機関が国内の医療機関の7割を占めていること」です。その民間医療機関をコロナ患者の入院を受け入れないのです。

民間医療機関がコロナ患者の受入に消極的な理由が,「感染防御のために人手が必要」「感染への恐怖や差別を理由にスタッフが離職」「ほかの診療ができなくなり減収」「規模が小さくて受入が難しい」です。

それを裏付けるように,厚生労働省が把握している急性期病院4255のうち,新型コロナ患者の受入実績があるのは1444(約33%)。受入実績のある民間病院は474だけ。

また,驚くことに新型コロナ用に確保した27,650病床(全国)。さきほどの解説のように日本には千人当たり13病床あるということは,日本の人口が1億1千万人とすると143万病床あることになります。つまり,新型コロナ用に提供される病床は日本全体の1.9パーセントしかありません。なんじゃこりゃ!

たった1.9パーセントの病床で新型コロナ患者を受入ができなくなるから「医療崩壊」? 「医療崩壊」の意味するところが,確保した病床だけでは新型コロナの患者があふれてしまうということであれば,「医療崩壊」は誇大表現ではありませんか? なにしろ98パーセントは通常どおり営業しているわけですから。この「医療崩壊」を防げと,コロナ患者の入院受入に消極的な民間の医療機関で構成される日本医師会が叫んでいることに強烈な違和感を覚えます。

眼をつむればまっくらやみが来るそんなことにも気づかざりけり(高瀬一誌)

2021年1月11日 (月)

「不要不急」の必要性 馬場あき子講演記録より

新型コロナウイルス感染拡大防止のため,不要不急の活動自粛要請がでています。それにしても「不要不急」っていったいなんなんでしょう。

たまたま,学士会会報(946号)を読んでいたときに,「短歌の魅力」と題した馬場あき子の講演記録が掲載されていて,まくらの部分に感じるものがありました。

「2020年3月末,新型コロナウイルスの感染拡大防止のため,『不要不急の外出や活動は自粛せよ』という要請が出ました。それを聞いたとき,昭和19年,私(馬場あき子)が16歳だった頃を思い出しました」

「私は子どもの頃から芸能が好きで,映画館,寄席(よせ),歌舞伎などに通っていました。ところが昭和19年,歌舞伎座も劇場も寄席も閉鎖されてしまいました。心の拠り所(よりどころ)が全て消え,『私の生きがいはすべて不要不急だったのだ』と気づきました。今回も同じ思いです。私は常に不要不急のもので生きていて,それがないと生きられないのでした」

そうですよね。スポーツにせよ,芸能にせよ,いわゆる三密をさけるとなると,こういうイベントが真っ先に目の敵にされます。でも,これらのことが私たちの人生に潤いを与えてくれます。「必要急用」だけの生活が毎日続けばどんなに苦しいことでしょう。

さらに,「不要不急」の必要性を訴えている記述をそのまま引用したので一読ください。

「クレモナは,イタリアで真っ先に感染が拡大して深刻な被害を出した北部の街で,有名なストラディバリウスを生んだバイオリンの聖地でもあります。街がロックダウンで静まりかえる中,現地在住の横山玲奈さんは,コロナの治療で疲労がピークに達した病院からバイオリン演奏を依頼されました。彼女が病院の屋上でビバルディの『四季』等を演奏すると,その音色は町中に響き渡り,一曲終わる度に,閉ざされていた扉が開き,拍手が起きたそうです。「死か生か」という極限に立たされた人々の心に,音楽が響いたのです」

すばらしいですね,クレモナの人々。外から聞こえてきたバイオリンの音色に拍手をするなんて。でも,日本だったらどうでしょう。「騒音だ」といって市役所などに苦情の電話がくるのがオチでは。「絆(きずな)」と口ばかりのことを言っている国民とは随分違いますね。

拍手のことで思い出しましたが,鹿児島県庁でやっている「くらっぷ・ふぉ・けあらーず(?)」。金曜日の午後5時半に職員が庁内放送に合わせて拍手をしていました。日本らしい,強制的な,集団同調圧力以外の何ものでもないですね。偽善の極みです。誰が始めたんでしょ。

最後に,馬場あき子が引用した,クレモナの出来事を詠んだ短歌を。

弾(ひ)く音の祈りの響き夕暮れのクレモナの街この星の芯(山梨日日新聞 龍田茂)

2021年1月10日 (日)

鹿児島でのコロナ感染拡大 理由はズバリ「危機感がない」だけ

東京など1都3県に緊急事態宣言が発出され,外出の自粛や飲食店の営業時間の短縮などが呼びかけられています。入院などの勧告に従わない人や営業を強行する飲食店に対しては刑事罰を科そうというから穏やかではありません。

私の基本的な考え方は,コロナはインフルエンザ。ただし,高齢者や基礎疾患がある方に感染すると,重症化するおそれがある,ということです。

過去に何度もインフルエンザが猛威を振るい,毎年の死者は数千人。今回のコロナの死者がどの程度まで伸びるかは不明ですが,どうみてもバタバタ人が死んでいるようには思えません。医療機関は逼迫しているというニュースは聞きますが,火葬場が逼迫しているってニュースはいまだかつて見たことがありません。

それにしても,あんなに感染が広がっているアメリカやブラジル,ヨーロッパでは医療崩壊というニュースがないのに,それよりも感染者数が非常に少ない東京で医療崩壊が起きているってどういうことなんでしょう。テレビは諦めていますが,朝日新聞はじっくりとした解説記事を掲載してほしいものです。

鹿児島では昨年12月から感染者が急増し,感染拡大がとまりません。連日,数十人の感染が発表されています。忘年会や新年会,年末年始の親戚の会食が原因なのは推測がつきます。私も昨夜,仕事帰りに居酒屋にいくと「ご予約の方ですか?」「いいえ,一人です」

案内された席の隣では,十人程度の若者が大声で笑い声を交えて大騒ぎ。そのほかにも予約があるらしく,店員がその対応に追われていました。こういう人たちってコロナに感染することについて危機感どころか,まったく関心がないんでしょう。

感染対策を求める声は高まっているんでしょうけど,そういう意識の高い皆さんは,この状況をどう思いますか? けしからんといって若者たちに怒りをぶつけますか? お客さんがいなくて稼ぎが激減して経済的に苦しい居酒屋の経営者に苦情をいって困窮させますか? ただでさえ感染者対応に追われて疲弊している保健所等に長時間電話で苦情をいってさらに苦しめますか?

エゴがぶつかりあう社会では,その利害関係を調整する必要があります。中国では中国共産党が圧倒的な権力行使によって押さえつけていますが,民主主義国家ではそういうわけにもいきません。お上意識の高い日本でも,感染(重症化)リスクよりも経済的リスクが遙かに高いと判断すれば,営業を継続するでしょう。

鹿児島県のコロナ感染による死者は14人(1月8日時点)です。交通事故の死者の方がずっと多いですね(令和元年度の鹿児島県内の交通事故死亡者数は61人)。交通事故対策として車の運転自粛,歩行者の外出自粛を呼びかけていないのに,コロナ対策として外出自粛や飲食店の営業自粛を刑事罰をもって臨むのはやりすぎではないでしょうか。

医療崩壊しないためには,強制的に入院させている根拠法令を改正して,医師が判断した人だけを入院させることです。保健所の負担を減らすためには疫学調査や濃厚接触者のPCR検査をやめることです。つまり,インフルエンザと同じ扱いにするだけで,医療機関や保健所の負担は大幅に軽減し,マスコミが煽る医療崩壊もおきません。

その一方で,PCR検査を誰でも受けられるようにして自己負担(保険適用)にすればいいのです。コロナウイルス恐怖症の不安な人びとにはこれで十分ではないでしょうか。

誰しもが「空気を読んだ」だけだろう沖縄戦の集団自決(松木秀)

2021年1月 2日 (土)

「村上春樹の世界」を読む

年末から本日にかけて,「村上春樹の世界」(加藤典洋)を読みました。

これは村上春樹の批評をコンパクトにまとめた文庫本です。表題作から始まって,「自閉と鎖国」(「羊をめぐる冒険」の批評。以下同じ),『「世界の終わり」にて』(「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」),「不思議な,森を過ぎる」(「ノルウェイの森」),「夏の十九日間」(「風の歌を聴け」,「行く者と行かれる者の連帯」(「スプートニクの恋人」),「村上春樹の短編から何が見えるか」(初期短編ほか),「小説が時代に追い抜かれるとき」(「色彩を持たない多崎つくると,彼の巡礼の歳」),「心を震えさせる何かの喪失」(「国境の南,太陽の西」),消滅した異界の感覚(「ねじまき鳥クロニクル」),縦の力の更新(「ねじまき鳥クロニクル第三部」),囲碁濃いのよい場所からの放逐(「女のいない男たち」),再生へ破綻と展開の予兆(「騎士団長殺し」),そして,遺稿となった「第二部の深淵,村上春樹における『建て増し』の問題」が結びとなります。

私は以前,この著者の「村上春樹はむずかしい」という批評を読んで感服したことがあります。特に彼の初期の作品が,学生運動という悲劇(内ゲバ殺人,連合赤軍事件)などをテーマにしていたという視点での批評に少なからぬショックを受けました。

村上春樹といえば,あのバブリーな時代,ポップで軽薄,というのがイメージでしたからね。

今回の著書を読んで大いに驚いたのが,「風の歌を聴け」という作品の批評です。夏の19日間を描いた作品となっているのですが,丁寧に読んでいくと,19日間では収まらない出来事が描かれています。著者は「ここにこの作品を読み解く鍵がある」として分析していきます。

村上春樹と言えば,2つの世界を同時に,交互に進行させていく作風で知られています。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」しかり,「1Q89」しかり。村上春樹のデビュー作である「風の歌を聴け」も,実は,2つの世界を描いているというのです。

主要な登場人物である「鼠」。著者は「鼠」は死んだ人物,すなわち「あの世」の存在だと仮定して,この作品を読み解いていくのです。そうすれば,「19日間」で物語が収まると。

私は「風の歌を聴け」を読んだとき,この批評にあるような「あの世」と「この世」を行き来しているなんて感覚は一切ありませんでしたが,違和感はとても残りました。なんだかよくわからないけど腑に落ちない。ストーリーが断続的というか,あちこちが抜け落ちている,そういう感覚なのです。

その謎ともいうべき違和感の正体に初めて気づいたのです。もちろん著者の批評が正解かどうかはわかりません。それでもこの著者の視点は,私に新たな感動を与えてくれました。批評でそんな感覚をもつなんて希有(けう)なことです。

ところでこの文庫本。値段がなんと2000円です。こちらも驚きました。

世界よりいつも遅れてあるわれを死は花束を抱えて待てり(西田政史)

2021年1月 1日 (金)

天下の愚策「地域振興券」を越えるバラマキ施策 今年こそ脱却を

依然としてコロナのニュースばかりの大晦日と元日となりました。

とうとう東京では1日の感染者数が1000人を越えたとか。鹿児島でも「累計」で1000人を越えました。医療崩壊はもうすぐそこまで迫っているとマスコミが煽っています。

医療崩壊の話は感染が始まった当初から定番の「脅迫」になっていますが,一体いつ起きるのでしょうか。日本の10倍以上の感染者が発生しているアメリカやイギリスでは医療が崩壊しているという話を聞きませんけど。これはマスコミが無視しているからでしょうか? それとも海外は医療体制が日本の10倍以上整っているからなんでしょうか? そういう疑問に答えるメディアはどこにあるんでしょうか?

こうなってくるとそもそも「医療崩壊」の根拠とは何か気になります。病床数で比べるならば,単純に欧米の病床数で示せばいいのに,そういう報道は目にしません。どういうこと?

昨年はコロナ関係で奇妙な政策が目白押しでした。「アベノマスク」(約400億円)から始まり,「特別給付金」(国民1人10万円なので,総額10兆円超),「休業要請(とその補償)」,「Gotoトラベル(イート,イベント)」など,バラマキ施策がこれでもかと行われました。

日本共産党や公明党は,このようなバラマキ(お恵み)施策に賛成し,自民党は経済活動重視の「Goto」施策をやるもんだから,何がなんだかわからない状況になっています。

医療関係者が「Goto」を使いますか?(ほとんどいないでしょ) 「アベノマスク」を着用している人っていますか?(ほとんどいないでしょ) 特別給付金で食いつないだ人ってどのていどいますか?(ほとんどが貯蓄になっているでしょ) 休業補償の成果はありましたか?(経済界は大ダメージを受けました。補償金目当ての詐欺が横行し,勤労意欲が減退し,生活保護をあてに暮らすような精神的な荒廃を招きつつあります) 

かつて「地域振興券」という政策がありました。ウィキペディアから抜粋すると

「地域振興券(ちいきしんこうけん)とは、1999年4月1日から9月30日まで日本国内で流通した商品券の一種である。 当時の内閣官房長官の野中広務が「(以前から公明党が主張していた地域振興券は)天下の愚策かも知れないが、7000億円の国会対策費だと思って我慢して欲しい」と、後に話した。」

当時はまだ,政治家がバラマキ施策を「愚策」と思っていました。それが現在は,これらのバラマキ施策が「当然」となっている。本当に恐ろしいことです。

感染拡大防止を目的とするならGotoを中止。経済活動を持続させるために休業要請は行わない。あえて政府がやる政策というならば減税です。例えば,家賃のことをどうこういうなら「固定資産税を減免」すべきです。「国を治むるは小鮮を煮るが如し」(老子)。施策はできるだけ手を入れないことが肝要だと思います。このコロナ禍によって,日本の企業は大きく生まれ変わるはずです。下手に企業を補助するとゾンビ企業ばかりが幅をきかせて,日本経済はいっそう衰退していくことでしょう。

欲深き人の心と降る雪は積もるに連れて道を失う(高橋泥舟)