「不要不急」の必要性 馬場あき子講演記録より
新型コロナウイルス感染拡大防止のため,不要不急の活動自粛要請がでています。それにしても「不要不急」っていったいなんなんでしょう。
たまたま,学士会会報(946号)を読んでいたときに,「短歌の魅力」と題した馬場あき子の講演記録が掲載されていて,まくらの部分に感じるものがありました。
「2020年3月末,新型コロナウイルスの感染拡大防止のため,『不要不急の外出や活動は自粛せよ』という要請が出ました。それを聞いたとき,昭和19年,私(馬場あき子)が16歳だった頃を思い出しました」
「私は子どもの頃から芸能が好きで,映画館,寄席(よせ),歌舞伎などに通っていました。ところが昭和19年,歌舞伎座も劇場も寄席も閉鎖されてしまいました。心の拠り所(よりどころ)が全て消え,『私の生きがいはすべて不要不急だったのだ』と気づきました。今回も同じ思いです。私は常に不要不急のもので生きていて,それがないと生きられないのでした」
そうですよね。スポーツにせよ,芸能にせよ,いわゆる三密をさけるとなると,こういうイベントが真っ先に目の敵にされます。でも,これらのことが私たちの人生に潤いを与えてくれます。「必要急用」だけの生活が毎日続けばどんなに苦しいことでしょう。
さらに,「不要不急」の必要性を訴えている記述をそのまま引用したので一読ください。
「クレモナは,イタリアで真っ先に感染が拡大して深刻な被害を出した北部の街で,有名なストラディバリウスを生んだバイオリンの聖地でもあります。街がロックダウンで静まりかえる中,現地在住の横山玲奈さんは,コロナの治療で疲労がピークに達した病院からバイオリン演奏を依頼されました。彼女が病院の屋上でビバルディの『四季』等を演奏すると,その音色は町中に響き渡り,一曲終わる度に,閉ざされていた扉が開き,拍手が起きたそうです。「死か生か」という極限に立たされた人々の心に,音楽が響いたのです」
すばらしいですね,クレモナの人々。外から聞こえてきたバイオリンの音色に拍手をするなんて。でも,日本だったらどうでしょう。「騒音だ」といって市役所などに苦情の電話がくるのがオチでは。「絆(きずな)」と口ばかりのことを言っている国民とは随分違いますね。
拍手のことで思い出しましたが,鹿児島県庁でやっている「くらっぷ・ふぉ・けあらーず(?)」。金曜日の午後5時半に職員が庁内放送に合わせて拍手をしていました。日本らしい,強制的な,集団同調圧力以外の何ものでもないですね。偽善の極みです。誰が始めたんでしょ。
最後に,馬場あき子が引用した,クレモナの出来事を詠んだ短歌を。
弾(ひ)く音の祈りの響き夕暮れのクレモナの街この星の芯(山梨日日新聞 龍田茂)
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