2018年12月17日 (月)

15分で筋肉痛とは情けない

土曜日の草刈りで,昨日からはおしりや太ももの裏側が筋肉痛。日頃運動や力仕事をしていないこの体。体力の衰えを実感しますが,それでも体を鍛える気は起きません。

私は中学時代はサッカー部でしたが,筋トレメニューがたくさんありました。なぜ,サッカーをするのに腕立て伏せなどをするのか分からないままやっていました。ひどい時代でしたね。運動中に水を飲ませない不条理がまかり通る時代でした。今の価値観では虐待です。

ただ筋トレをする人を否定する気はありません。体を鍛えた人間にはそれだけの自信・凄みがあります。やり投げ日本代表の溝口和洋はその筆頭でしょう。彼は大学生のトレーニングを見て「おまえの4年間はオレの2時間や」と豪語するほどウエイトトレーニング漬けの選手時代を過ごしました。なおかつ酒飲みでヘビースモーカー。豪傑という言葉が似合います。それ以外にもプロ野球の清原和博や長嶋一茂はプロレスラー並の体。その体になってからの成績は今ひとつでしたが、それでもその迫力は多くのファンの記憶に残っています。

しかし、その一方で、体操金メダルの内村選手は筋トレはせず「体操」だけであの体になったとか。「柔道部物語」(小林まこと)に出てくる三五十五の監督も柔道は大好きだけど筋トレが大嫌いというキャラでした。楽して勝てるのが最上とまでは言いませんが、スポーツを楽しむ程度なら意味のわからない筋トレはしないほうがいいと思っています。

少林寺拳法に励んでいた学生時代に、普段(競技)に使う筋肉は普段(競技)の体の動きの中で自然につくのではないか,と思いが生まれ,以来,型や基本を離れた筋トレなどの特別のトレーニングはしなくなりました。今や私が体を動かすのは通勤時の歩行と家事ぐらい。それでも体型は維持しています。まあ、15分の草刈りで筋肉痛はかっこ悪いけど。

生きるとは手をのばすこと幼子(おさなご)の指がプーさんの鼻をつかめり(俵万智)

2018年12月16日 (日)

試合で戦うのは選手 しかし監督の手腕があってこそ

昨夜は鹿島アントラーズ対グアダラハラの試合を最後まで見続けていたために布団に入るのが深夜。今朝目覚めたきは7時を過ぎていました。外を見ると冷たい雨が静かに降っています。天気予報どおりとはいえこんな日は外出する気もおきず、のんびり自宅で過ごすことにしました。

朝食の後、ワイシャツにアイロンをかけ、録画していた「リーサル・ウェポン」を見終えてからは昼食の準備。ベーコンとタマネギ、そして昨日収穫した芽キャベツを炒めてスパゲッティを食べ、後はNHKの囲碁トーナメントで芝野虎丸の対局を観戦。海外文通のハガキを6枚書き、絵はがきの整理をしたところで、泊まりがけで宮崎に行っていた妻が帰宅しました。

ずいぶんのんびりした日曜日です。昨日とは大違い。

土曜日は午前中に農作業。午後はラグビー日本選手権の決勝をテレビ観戦。これは神戸製鋼の圧勝。ボールに集まるスピードが攻撃、守備ともに圧倒して後半早々に勝負が見えました。勝負の行方よりも神戸製鋼の鮮やかな攻撃・守備に感嘆するゲームでした。昨年までとは全然違うチームです。平尾誠二がいた頃の神戸製鋼を思い出しました。

そして深夜のサッカー、アントラーズ対グアダラハラはハラハラドキドキ。試合開始早々グアダラハラが先制。メキシコのチームだけに攻撃ではドリブルでピッチを駆け抜け、守備では常にプレスをかけて人的優位を保ってボールを奪う。日本では見られないプレーが随所に。何本も危ないシュートを打たれ、鹿島は大丈夫か?という前半でした。

それが後半早々鹿島が1点を返すと形勢逆転。左サイドから面白いようにシュートまで持って行きます。安部の起用が見事に当たった采配でしたね。これによってグアダラハラはプレスがうまくいかなくなり、ドリブルも見られなくなりました。右サイドバックの内田の攻撃参加は完全に読んでましたが、逆サイドからの攻撃に対して完全に手遅れ。これが鹿島の勝因でしょう。

ところで鹿児島ユナイテッドFCは新監督が発表されました。私は藤澤のプレーがユナイテッドの生命線だと思っているので、彼をよく知る金監督がどのように彼を起用するのか、非常に注目しています。

注)藤澤選手も金監督も前に所属していたのは、今回ユナイテッドと一緒にJ2昇格を決めた琉球FCです。

ラグビーの頬傷ほてる海見ては(寺山修司)

2018年12月15日 (土)

チャレンジ自然農法(8)

今朝早く妻は仕事へ。週末休みの私は、明日は天気が崩れそうなので一人で市民農園に行くことにしました。が、車は妻が使っているのでバス通いです。

最寄りのバス停まで15分程度歩きます。結構風があるのでマフラーが必需品。10分ほど乗車して農園近くのバス停で降ります。そこからしばらく歩くのですが今朝は霜が強い。道沿いの畑は霜が降りて真っ白です。土の部分には霜柱も。30分ほど歩いて到着。

今日は何より草刈り。ナズナの白い花が畑一面に咲いている状態は相変わらず。まさか1ヶ月も咲き続けるとはね。そんなナズナの茎を地面から20センチぐらいのところで鎌で刈り取ります。30平方メートルほどの小さな畑なので15分もあれば十分。これで少しは周囲の人から後ろ指を指されることは減るかしら。

刈り取った草はそのまま自分の畑に投げ込み、麦踏みをかねて畑全体を踏みつけました。小さな羽虫が飛び交い、ハエトリグモが慌てて私の畑からぴょんぴょん逃げていきます。クローバーが地表を覆っているのでかなり湿り気があります。霜は完全に露になったみたいです。

その後は収穫。カブを7つ。チンゲンサイを1つ。スティックブロッコリーを3本、そして芽キャベツを10個ほど。芽キャベツは下の葉を根元からポキポキ折って捨て、食用のコブの部分をむしり取りました。ところどころ虫に食われて不格好。まあこんなもんでしょう。でも、地面から10センチぐらいはずいぶん傷んでいたので収穫はあきらめ、残しておきました。

畑に残っているチンゲンサイは、ほとんどが密植状態。これらは根腐れのように葉が傷んでいてとても食べられそうにありません。カブも密植状態のところがまだ残っているのですが、どれも小さく収穫する必要はなさそう。ニンニクは掘り起こしてみましたが、何もなし。土に戻しましたがこれは枯れちゃうかもなあ。セロリもさっぱり大きくならない。やはり一度移植したのがだめだったかも。一方麦は分蘖(ぶんけつ)し、葉が地面をどんどん覆うように広がってきました。これだけ雑草に覆われているのに元気なものです。

結局自宅を出てから帰宅まで2時間半のうち、農作業が30分、歩く時間が1時間半。人によっては驚く(無駄だとあきれる)でしょうね。でも、私にはこれが当たり前なんですよ。

冬蜂の死にどころなく歩きけり(村上鬼城)

2018年12月14日 (金)

教育現場の国際化って何だろう?

私が高校生の時。修学旅行の代わりに霧島で2泊3日のキャンプがありました。覚えているのは高千穂登山,キャンプファイヤー,焼き肉を食べたことぐらい。いい思い出かといえば「?」がつきます。これらの記憶には感情が伴っていないのでつまらなかったのかも。それにしても昔の進学校は修学旅行がないのが当たり前でした。

先日,娘が修学旅行先の台湾から帰ってきました。お土産にパイナップルケーキをお願いしていたところ,娘は台湾の形をしたパイナップルケーキ(8個詰め)を買ってきました。1箱千円とか,ちょっと高いけどおいしいんですよね。

私もかつて仕事で台湾に行ったことがあります。食事もおいしく,物価も安く,パイナップルケーキもいろいろ種類があって,これらのおいしい記憶がよみがえりました。妻も昨年,一人で台湾を旅行しているので,これらの思い出話を家族で語り合いました。

考えれば不思議ですよね。親子3人がそれぞれ別々に台湾に行ってるなんて。一昔前からすれば想像もつかない時代です。しかし,修学旅行先に海外を選ぶ高校は,鹿児島県内ではごくわずか。公立高校は1,2校だけみたいです。旅行代金は国内と大差ないので,学校側や保護者の意識の問題なんでしょうね。今や進学校も修学旅行に行くみたい。ただし、行く先は長野のスキーと東京ディズニーランドが鉄板メニューだとか。なんだかなあ。

私が子どもの頃,「これからは国際化の時代だ」とよく学校の先生方から言われていました。しかし,修学旅行の国際化は相当遅れているようです。帰国子女やハーフの児童・生徒は40年前に比べてはるかに増えているはず。先生方にとっては,国際化は身の回りのことで十分だという認識なんでしょうか? それとも修学旅行は国際化とは無関係なんでしょうか?

最近の世の中は矛盾や混乱で満ちあふれています。教育現場も時代の進化に対応できず、混乱しているとしか思えません。そう思うのは多分私だけではないでしょう。

パスポートをぶらさげている俵万智いてもいなくても華北平原(俵万智)

2018年12月13日 (木)

神の声は意外な人の口から出てくる

ここ数日,ふと空いた時間があると,先週のバーの女性とのやりとりを思い出してしまいます。「(私の話に対して)何の話ですか?(「つまらねよ。いい加減にしろよ」と言いたげに)」「あんた私が気に入らないのかい」「(けんか腰で)すみません」「だったらもう店には来ないよ」「(こっちがお断りだといわんばかりの態度で)すみません」

嫌なことがあると,私は何度も何度も反芻(はんすう)するタイプ。気分転換が下手と言えばそれまでですが,どうやら嫌なことを徹底的に反芻して,考えることが飽きるまで続くみたいです。

女性に嫌われるときはどんな例でも共通して突然です。そして過去の経験からすると,本人に対してではなく,私が彼女の友達に対してしたことが原因になるようです。最初は原因不明で戸惑うことが多かったのですが,40歳を過ぎてなんとなくわかってきました。女性に限らず,私は相手から険悪に扱われたり,毛嫌いされることが多いのですが,その原因は私自身にあると思っています。もちろん,わざと悪さをしている訳ではありません。考えなしにした行為が意図しない結果を招いているという意味で,です。

通常はそんなときでも「どちらが悪い」ではなく,「相性が悪い」と考えるようにしています。その方が気が楽ですからね。

しかし今回の場合、「相性」とはちょっと違うかもしれないという気がします。この7〜8年,仕事帰りの一人飲みを続けてきましたが,どうやらもう終わりにする時期が来たようです。おそらく彼女の態度は天の啓示でしょう。神の声は意外な者の口から発せられますから。ニコラス・ケイジ主演「天使のくれた時間」の強盗犯がキーパーソンであるように。

ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう(俵万智)

2018年12月12日 (水)

反知性主義を読む

「反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体」(森本あんり)を読みました。読んだとは言っても斜め読み。280ページを10分ほどで読み終えたぐらいですから。

トランプ旋風に代表されるようにインテリジェンスへの反発が強いアメリカ。その理由がわかるかもと思って手に取ったのですが事前の予想と全然違う。内容の9割以上はアメリカのキリスト教の歴史です。でもこれこそがアメリカのアメリカたる所以(ゆえん)だとすぐに理解できました。

アナパブテスト教徒、クエーカー教徒など何度か耳にしたこともようやくその違いがわかりました。そして彼らは徹底した平等主義。神の前にはすべての人は平等。だから彼らは金持ちだとろうと教養人だろうと一切容赦しない(尊敬しない)。私はそう理解しました。

トクヴィルやソローなどが登場するなど親しみやすい、そしてアメリカのキリスト教史を非常に理解しやすい良書です。

それにしてもデイビッド・ソロー。「森の生活」の著書があります。懐古主義、老荘思想が好きな私は好んで手にとり読もうとします。しかしどうもとっつきにくい。何がと問われると困るのですが、文明社会に背を向け、自然に近い生活を営んでいる、と私好みなのにどうしてもなじめない。そんなエッセイです。なぜなじめないのか、その理由がこの本を読んで理解できました。

この本では彼をこう紹介しています。「彼(ソロー)は気高い精神の自由を強調したが、実生活では結婚も就職もせず、自立することもないまま長くエマソン(アメリカの哲学者)の庇護と援助に依存した。彼がしばらく過ごしたウォールデンの森は、そもそもエマソンの所有地を彼の好意で借りたものである。エマソンによるとソローは説教者だが説教壇をもたない。学者でありながら学問を糾弾する。厳粛な良心をもって呑気なアナーキーを推奨する。・・・」

これが私の感じていた違和感の正体だったのですね。私の愛読書「ヘンリ・ライフロフトの私記」(ギッシング)も、自然を楽しむ中年の独身男性の日々を綴っていますが、ときには彼が貧乏だった青春時代の回顧があり、現在は遺産相続によって金の心配がなくなった喜びを率直に表現しています。しかし、ソローの著書にはそれがありません。一種の偽善、うさんくささといってもいいかもしれません。それを感じ取ってしまって彼に感情移入ができないんでしょうね。

排卵日に合わせて愛しあうことの正しいような正しくないような(俵万智)

2018年12月11日 (火)

騎士団長殺しを読む

今日は仕事は休み。朝9時に近くの郵便局で関係書類の発送を済ませ、自宅に戻ってから「騎士団長殺し(第2部)」(村上春樹)を読みました。

第1部を読んだのはもう半年ほど前。鹿児島市立図書館で借りたのですが、騎士団長が現れるときの鈴の音の描写は背筋がぞくりと寒くなるほど。第2部を早く読みたかったのですが、図書館の書棚にない日が続いていました。昨日、仕事帰りによるとようやく見つけました。ラッキー!

今日は午後から雨が音を立てずにテラスを濡らす寒い一日。ストーブを焚いて窓辺の灯で本を読み始めたのですが、午後3時ぐらいには暗くなり、読書灯を点灯して読み続けました。1時間ごとにCDを入れ替えて音楽を聴き、1時間ごとにコーヒーや紅茶などの暖かい飲み物のおかわりをし、1時間ごとにトイレで用を足し、午後6時にようやく読み終えました。間に昼食を挟んだとは言え、8時間ほどかかりました。

穴、夢、メタファー、邪悪な存在、美少女、簡単にできちゃうセックスなど、村上春樹ワールド全開ってことかしら。「ねじまき鳥クロニクル」を連想させる構成でしたが、パラレルワールドの展開が多い村上作品からすると一本調子のような感じを受けました。謎に満ちあふれた作品が多い中、作者自身がここまで丁寧に解説するというのも珍しいかも。

もっとも顔のない渡し守の男が誰なのか、という謎が残ります。「いつかおまえにわたしの肖像を描いてもらうことになるかもしれない」と語る以上、免色ではないですよね。彼の肖像画をすでに描いていますから。主人公が会わない(顔を知らない)男性で残っているのは、まりえの父か妻の不倫相手ですが、主人公を助ける理由がわからない。となると誰?

私の直感はもうひとりの免色。彼は完璧な存在と邪悪な存在が併存している、そして彼の肖像画は描かれているが抽象画。彼の心の中の邪悪な存在が消えたときこそ、肖像画が本来の肖像画として描かれる。そんなことを考えてしまいました。

驚くだらう 自分が自身の肉体を離れているのに気づくその時(浜田蝶二郎)

2018年12月10日 (月)

暗闇の世界をのぞいて見れば

人の背中が横一列に並び、その後ろには少女が立っています。その少女が私に向かって振り返ると円(つぶ)らな瞳をしたかわいらしい、そして全く見覚えのない顔でした。彼女が私と、背を向けた人々の間に割り込むようにしているのは、私に好意をもっているから。大学時代の友人二人がそばにいます。彼女は私とビリヤードのエイトボールをしたいとのこと。

実家の暗い店内、トイレに向かうとその奥がお風呂になっていました。浴槽にはお湯が張ってあり、お湯に浸かった私の弟がいびきをかいて寝ています。

ススキのような丈の高い、茶色の草が生い茂っています。少年達が野球を始めました。これが野球の交流戦の始まりだと。「もののしょうけい」という、事物の始まりを記した本に記載されているそうです。

その草原に、イノシシ、タヌキ、ウサギの血まみれになった死骸が地面のくぼみに横たわっています。ウサギに触ってみるとまだ息があるようでした。

夢というのは不思議ですね。一つ一つの場面は鮮明ですが、次々と脈絡のない展開が続きます。そして、夢を見ている間はそれを全く当然のように受け止めます。フロイトに代表されるように、夢は無意識が表面に現れた状態と言われてきました。今では記憶を整理・定着する過程であるとの説が有力なようです。確かに何でもセックスに結びつけるフロイトの説は違和感があります。しかし、記憶定着説が正しいとしても、見ず知らずの少女がなぜ夢に現れるのでしょうか。

学生時代の私は夢占いを信じていました。他の占いなんて全く信じないのに。神のお告げではないけれど、私は夢を何らかの啓示だと受け止めてきました。今回の夢はどう解釈したらいいのでしょう。とりあえず、明日はビリヤード場に足を運んでみましょうか。少女がいるかはわかりませんが、何かが始まるのかもしれません。

目に見えぬ一点がそこにあるように天につりあげられる飛行機(俵万智)

2018年12月 9日 (日)

「かぞくいろ」を見た

肥薩おれんじ鉄道が舞台の映画「かぞくいろ」を見ました。私の出身地の駅も舞台になっているらしく、やはり地元がでるなら見なきゃと思ってしまします。

日曜日の午後ということもあってアミュプラザは大賑わい。映画館ミッテテンも飲食コーナーには10人ぐらいの列が5つぐらいできるほどの盛況。なかに入ると席の9割方は埋まっていました。この急激な寒さもなんのそのってことでしょうか。

内容はネタバレになるので伏せますが、國村隼と有村架純がいい感じ。そして子役が心を閉ざして寂しさを隠そうとするいい演技で、作文を読むところなどは思わず泣いちゃいそうでした。有村架純もかわいい顔していますがなかなかいい。夫の訃報を告げる電話に父親の國村隼がでなくて、留守電に怒鳴り散らかす声が録音されていましたが、このシーンもぐっと来ました。

それにしてもこの映画、名の知れた俳優は他には有村架純の夫役の青木崇高、有村架純の指導者役の板尾創路ぐらい。舞台も阿久根市大川の小学校、自宅、その近辺とおれんじ鉄道の主要駅。舞台劇でも通用しそうな脚本でしたね。

そして意外なキャスティングが「木下ほうか」。おれんじ鉄道の管理職役で登場。運転士希望の有村架純に「おれんじ鉄道は第三セクターで、地方自治体が出資・・」と説明する場面などを見ると、「いやみ課長」と某鹿児島県知事を連想させるまさにはまり役。

ただ、台詞に「どんどん」がなかったのが唯一残念でした。まあ、しょうがないか。

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(俵万智)

2018年12月 8日 (土)

チャレンジ自然農法(7)

これまで秋とは思えない暖かい日が続いてきましたが、昨日から急激に冷え込んできました。週に一度の農園ライフ。今日の午後、畑に行ってみました。

この寒さでも相変わらず私の畑だけぺんぺん草が咲き乱れています。カブはあと10株ほど残っていますが、これらは小さいものばかり。チンゲンサイは20株ほど残っていますが、こちらも小さいまま徒長したり、時期を逃して葉が開いたり。結局、カブを4つほど葉をつけたまま収穫。チンゲンサイは放置することに。ホウレンソウはついに見る影なし。もう種まき野菜は終わりです。

こういうことを考えると、やっぱり間引きの作業は必要ですね。密植状態の野菜はできがどれも悪く、結局食べませんでした。この反省を次に生かそう。

一方、苗で植えた野菜類をみると、スティックブロッコリーは虫食いの葉が繁り、2本もぎ取りました。芽キャベツも虫食いの葉が大きく伸び、葉々の隙間にびっしりと結球が。もぎ取ろうとしましたがなかなかうまく剥がれない。1個だけ収穫しました。ニンニク、セロリは小さいまま。草に負けそうです。

畑に行く前に、近くの園芸店で野菜の種として小松菜(4ml)、スナップエンドウ(9ml)、サラダ京水菜(10ml)の3つを購入。これらの種はさっそく、野菜エリア(10平方メートル)にばらまきました。水菜はうっかり一握りの種(50粒以上)をまとめて落としてしまう大失敗。スナップエンドウの種はダンゴムシぐらいの大きさなので播きやすいのですが、小松菜や水菜は仁丹よりも小さい丸型なので、均等に少しずつ播くのが結構面倒だったんですよね。あ~あ。

種まきの後は妻の指摘どおり、畑の周囲30センチ幅にあるナズナを鎌で刈りました。高さ30センチぐらいをまとめてばっさばっさと刈り、残りは麦踏みに併せて踏みつけました。

刈り取ったナズナの茎を少々家に持ち帰り、湯通しして食べてみました。はっきり言って草そのもの。繊維ばかりで食べられたもんじゃない。ネットで検索すると柔らかい葉を収穫する画像がありました。やっぱりな。

今日は気温が低く、風も強いので作業は10分程度で切り上げました。来週はもっと丁寧に作業をしないといけないですね。特にナズナの茎の部分はすべて鎌で切り落とさなきゃね。

草の花ひたすら咲いてみせにけり(久保田万太郎)