2019年9月 9日 (月)

鹿児島の焼酎生産はピークの半分に 束になってもかなわない黒霧島

先週,朝日新聞の経済欄に「鹿児島県の焼酎生産量が2004年のピーク時の52%に」という記事が出ていました。

2003年,「発掘! あるある大事典」が芋焼酎を大々的に取り上げました。「焼酎は悪酔いしにくい」(焼酎は日本酒などに比べてアルコールの分解が早い),「焼酎は太らない」(蒸留酒ですからカロリーゼロ。いくら飲んでも太りません),「焼酎は香りを嗅ぐだけで血栓を溶かし,血液をさらさらにする効果がある」(どういう仕組みなんでしょう?)。それから芋焼酎の一大ブームが巻き起こりました。

私はこのブームはずっと続いていると思い込んでいましたが,実はこの頃がピーク。生産量はそれ以降右肩下がりだったんですね。知りませんでした。鹿児島県全体の焼酎生産量が霧島酒造(黒霧島)に負けたというショッキングなニュースに接したのが数年前。まさかここまで低迷しているとは。

たまたま市立図書館で「黒霧島物語」(馬場燃)を見つけて読みました。宮崎県都城市の霧島酒造が,この焼酎ブームに乗って生産量を7倍に拡大した経緯が多角的に分析されていました。この本で特に興味深かったのは,「とろっときりっと」のコピーライター。朝,出勤途中のサラリーマンに黒霧島の無料サンプル提供。「ハローレディー」(女性の販売促進)創設。どれもこれも斬新な切り口です。

焼酎の品質が大事なのはいうまでもありませんが,杜氏制度を廃止したことや,芋の冷凍保存技術の開発,年間売上高を上回る設備投資など,思い切った方針を打ち出した歴代社長の経営感覚に舌を巻きました。

私は鹿児島県人。ふだん焼酎を飲むときは鹿児島県産の焼酎ばかりです。でも,県外にいったときには地元のお酒(焼酎,日本酒)を飲むように心がけています。いろんな味を楽しむのもいいと思うのです。

しかし,東京で鹿児島県人ばかりで飲んだとき,そんなことをすると顰蹙(ひんしゅく)を買うか,ひどいときはお説教を受けます。周囲には鹿児島県への愛情が深い人々が多いみたいです。

それがいいという人もいるかもしれませんが,わたしは嫌ですね。かつて種子島で仕事をしたとき,上司が種子島の焼酎メーカーと親戚でした。だから飲むときはいつも同じメーカーばかり。一度他の焼酎会社(それでも種子島ですよ)の焼酎を注文したら,さんざんその焼酎の悪口をいって途中で帰ってしまいました。

私からすればこの上司は「わがまま」。逆にそのときの上司から見れば私は「上司への気遣いがない奴」ということなんでしょう。そう考えて特に腹も立ちませんでしたが,島国根性もここまでくれば身内びいきを他人に押しつけることの裏返し。よくも悪くも鹿児島の保守性がでています。

霧島酒造の躍進を読み進むにつれて,宮崎県は進取の気性,外に打って出る気持ちが,鹿児島より勝っているんだと感じました。鹿児島はこの種子島の上司に代表されるように,地元で愛される焼酎ならそれで満足。一方,霧島酒造は志を高くして,より多くの人に愛されるように芋臭さを抑え,女性にも楽しめる焼酎をめざす。

どちらがいいかは見解が分かれるでしょう。ただひとつ言えるのは,地元志向を求める鹿児島の焼酎に,霧島酒造に生産量で負けて悔しいという人は,自己矛盾に気づかないバカってことです。

芋の香を今しばらくはとどめおき喉をぐらりと揺らせる「魔王」(俵万智)

2019年9月 8日 (日)

鬼のように連発するナウい若者言葉が,おじさんにはチョベリバッ

大阪に進学した娘が帰省しています。娘と話をしていると意味不明の言葉が突如現れます。「うわっ,やばたにえん!」「それ,めっかわ」「あげみざわ」などなど。

娘はそんな私を心得ていて,そういう若者言葉を使ったときは,その言葉の解説があります。いやあ,我が子ながら配慮が行き届いています。娘はそういう親切をすること自体がめったにないことなので,面白がって笑っています。

ちなみに「やばたにえん」は「やばい」と「永谷園」をもじったもの。おじさんにとって「やばい」とは「まずい」とか「危ない」と同義語。それが最近では「うまい」とか「最高!」に近い意味になっているとか。

ほかにも「めっかわ」は「めっちゃかわいい」の短縮形。「あげみざわ」は盛り上げている,盛り上がっているの「上げ上げ」の意味。

私が小学生の頃は「ナウい」が流行ことばでした。「かっこいい」とか「流行最先端の」というポジティブな言葉でした。しかし,こういう言葉は廃れるのも早い。私が大学生のときに「プロ野球ニュース」のあるコーナーで,パンチョ伊東が「今一番ナウい話題をお伝えします」と話していたのを聞いて思わず吹き出したことがあります。おいおい,それっていつの言葉だよと一人テレビに突っ込みを入れました。

その大学生の頃にはやっていたのが「鬼のように」「アウトオブ眼中」。「鬼のように」は「すごい」「(程度が)甚だしい」の意味。「アウトオブ眼中」は文字どおり「眼中にない」。ひるがって「問題にもならない(ほど弱い,対象にならない)」。まあ,これぐらいは普通に使っていました。

しかし,「チョベリバ(超ベリーバッド,最悪の意味)」「チョベリグ(超ベリーグッド。最高の意味)」となると話は別。私はこの言葉を,当時週刊少年マガジンに連載されていた「コータローまかりとおる(柔道編)」で知りました。東京の女子高生の間ではやっているということでした。が,こんな言葉は生で一度も聞いたことはありません。今でもそうです。

流行の言葉って誰がどうやってはやらせているのか,どうして広まるのか非常に不思議です。

数週間前に放送された,ミューエフエムのラジオドラマ「あっ,安部礼司」で,最近の若者言葉で構成した会話が1分程度ありました。私にはさっぱり意味不明。おそらく県外の人が初めて純粋な鹿児島弁の会話を聞くとこんな感じなんでしょうね。

「おやっ!?」という言葉はやりて教室の会話大方オヤッオヤッで済む(俵万智)

2019年9月 7日 (土)

午前「十三人の刺客」 午後は市民農園 夜はユナイテッド そして

午前は今週録画していた映画「十三人の刺客」(モノクロ)を見ました。5年以上前に三池監督の同じ映画(カラー)を見て,その迫力(残酷ぶり)に圧倒されました。しかし,朝日新聞の映画評論では,三池監督は暴力描写ばかりで原作(モノクロ)を貶(おとし)めたとの厳しい評価が掲載されていたので,ぜひ原作(モノクロ)を見たいと思っていました。

カラー版の主役,役所広司がモノクロ版では片岡千恵蔵。同じくカラー版の山田孝之と伊勢谷の役を里見浩太朗が演じています。ストーリーはどちらもほとんど同じ。カメラのアングルも非常に似ていました。ただ,カラー版はセックスや暴力の場面がリアル過ぎる。なるほど厳しい評価をしたくなりたくなるのも分かります。

役所広司が首を狙う将軍の弟役はカラーでは稲垣吾郎が演じていましたが,モノクロ版は名前が分かりませんでした。でも,昔の時代劇によく出ていたような(もちろん,好色な悪役で)気がするのですが・・・。

勧善懲悪のような爽快感はなく,むなしさで胸が塞がれるような感想をもちました。

午後は市民農園へ。ブロッコリー,スティックブロッコリー,キャベツ,芽キャベツの苗を2つずつ畑に植えました。植えた場所はクローバーが枯れて茶色になっている箇所。半径30センチは枯れ草ばかりとなっているので,植えたばかりの苗がポツンポツンと寂しい限り。

枯れ草をよけると小さな虫が一斉にぴょんぴょん跳びはねます。蜘蛛なのか,コオロギの幼虫なのか小さすぎてよく見えませんでした。体長は1ミリもないのでは?10センチぐらいのバッタは数匹見かけたので,その子ども達かもしれません。

苗と苗のすき間にはカボチャの蔓が伸びていますが,収穫できるようなカボチャなし。ひとつは腐って白いカビがつき,もう一つは私の握りこぶし程度しかないので収穫を諦めました。キュウリもまったく実が付いていない。最初の頃は大きな実が付いていたのに。結局収穫したのはそれぞれ2~3個程度。この3週間はまったく食べられるような実がついていません。

どうしちゃんたんだろうなあ。

夜はDAZNで鹿児島ユナイテッド対琉球FCの試合を観戦。ユナイテッドが調子がよかったのは最初の10分だけ。今日は動きが非常に悪い。パスがとにかくつながらない。得点は前半終了間際,砂森のクロスがオウンゴールになった1点のみ。シュートをうてないんだからどうしようもない。琉球はゴール前を5バック以上で守り,ユナイテッドを自由にさせないように完全にスペースを消していました。鹿児島のパスは止まっている味方へのパスだけ。これではボールを奪われて当然です。

前半は1-1でしたが,後半は琉球のFW上門(「うえじょう」と読みます。難しい名字ですね)が鹿児島のDFをきれいにかわしてゴールを決めて2-1。その後も琉球はシュートをどんどん放ちます。結果は2-1でしたが,それ以上点差が離れてもおかしくないくらい,ユナイテッドの完敗でした。

どうしちゃったんだろうなあ。

ため息をどうするわけでもないけれど少し厚めにハム切ってみる(俵万智)

2019年9月 6日 (金)

「エンザーキー・イーナーホー」の謎が気になって眠れない男 

私が大学生活を過ごした京都の町には,「餃子の王将」がたくさんあります。百万遍にも王将があり,少林寺拳法部の稽古で汗を流したあとは,部の仲間達と一緒に王将で晩ご飯を食べるのが定番コースでした。

ある日,仲間の一人が「餃子の王将にいくと,必ず一度は店員が『エンザーキー・イーナーホー』と言ってるんだ。これがどういう意味なのか,最近気になって夜も眠れないんだ」と切り出しました。

そんなことを意識していなかった私は,そんなことを言っているかなと半信半疑。ご飯を食べながら店員の声に注意していると,確かに似たような声を出しています。たまたまお冷やのおかわりに来た女性店員が若くてかわいかったので「エンザーキー・イーナーホーってどういう意味ですか? 私の友人が気になって夜も眠れないんです」と訊ねてみました。

驚いたような表情をみせながら,おどおどと「鶏の,からあげ,ひとつ,お持ち帰り,です」と知られてはいけない秘密をこっそりと打ち明けるように教えてくれました。

詳しく聞くと,王将ではメニューなどに隠語があるとのこと。エンザーキーは鶏の唐揚げ,イーガルコーテーは餃子,ソーハンはチャーハン,ソーメンは焼きそば。

ナーホーはお持ち帰りの意味。イーナーホーはひとつお持ち帰り。リャンナーホーは2つお持ち帰りという具合です。お客さんのオーダーを厨房に伝えるときに使います。このときに「ナーホー」がないと店内で食べる,という意味になります。例えば「ソーハン・イー」(チャーハンひとつ)とか。

王将に毎日のように通って2年は経っていたでしょうか。それまで全然気にならなかった私は注意力が散漫ということなのかも。だからと言って,気になって眠れない友人も相当な変人だとは思いますが。

ところで,エンザーキー・イーナーホーが気になっていた友人は,今では年賀状のやりとりぐらい。10年ぐらい前に東京出張にいったときに一緒にご飯を食べたことがありましたが,なんだか話があわず,それっきり会っていません。人はどんどん変わっていきます。

また,餃子の王将での食事はそれ以上にご無沙汰です。今でも「エンザーキー・イーナーホー」が店内にこだましているんでしょうか?

今日風呂が休みだったというようなことを話していたい毎日(俵万智)

2019年9月 5日 (木)

親の死に目に会えないことがなぜ親不孝なのか 娘の祖父母孝行

大阪に進学していた娘が帰ってきました。夏休み中もアルバイトに精を出していたので,9月になってからの帰省。滞在は10日ほどの短い帰省です。

高校時代の友人と約束していたらしく,連日のように天文館やアミュに出かけていましたが,今日はそういうこともない。ということで私の両親(娘から見ればじいちゃん・ばあちゃん)の家に行かせました。今日はおばあちゃんの誕生日。同席した弟の家族とバースデイケーキを食べてそれなりに楽しんだようです。

私も大学生の頃,しばしば実家に戻りました。家でごろごろしていると両親から,私の祖母の家に行くようにとしばしば促されました。祖母の家に行っても話をすることもないよと言い訳すると,顔を見せるだけでいいのよ,と急かされたものです。

私が顔を見せないと,祖母は「なぜ顔を見せないのか」と両親に不平を漏らしていたようですね。それでいて私が遊びに行っても特に話をするわけでもない。どうして会う必要があるんだろうと常々疑問に思っていました。

それから数年後。祖母は亡くなりました。ちょうど私の両親と兄弟全員がそろって見守っているなかでした。

「親の死に目に会えない」という言葉があります。親が死ぬ様子を見れないことがどうして親不孝なのか,長く私には理解できませんでした。でも,とある新聞のコラムを読んで初めてその意味を理解しました。「見る」主体は子(残された家族)ではなく,死んでゆく「親」だと。「自分が死ぬときに,この世の最後の風景は自分の家族の顔であってほしい。愛する家族の顔を見ながらあの世にいきたい」

おそらく私の祖母も同じ気持ちだったのでしょう。元気にしているようでも高齢で衰えていました。いつ死んでもおかしくない。まして孫たちが遠くに離れて会う機会も滅多にない。であればなおさら,孫が帰省したときにはその顔を見ておきたいと。

今日は私は仕事があったので,娘とは一緒に実家に帰れませんでした。私も休日には時間を見つけて両親に顔を見せにいこうかなあ。

遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受け取れ(中城ふみ子)

2019年9月 4日 (水)

ラグビーW杯まであと2週間 なのにテレビの話題はパラリンピック

ラグビーワールドカップの開催は9月20日。日本対ロシアが開幕試合です。先日は31人の日本代表が発表されました。4年前のワールドカップでは南アフリカを最後に逆転する大金星。生中継で見ていたのですが,非常に興奮しました。

あれから4年。直前のテストマッチでは日本は3連勝。期待十分です。そのうちの2試合をテレビで観戦しましたが,日本も随分パワフルになりました。かつてのようなタックル負けは少なくなりました。日本の地の利があることを差し引いても実力が上がったなと実感します。

ところが,スポーツニュースで取り上げるのは結果だけ。試合のない日はニュースに出てきません。私はテレビはNHKしか見ていないのがいけないかもしれませんが,スポーツの結果以外のニュースとなると,ほとんどは東京オリンピック,パラリンピックの話題ばかり。放送時間の合計だとパラリンピックはラグビーの10倍以上はあるでしょう。

最近はパラリンピックの選手が毎日1人ずつクローズアップされています。力を入れていますね。でも,来年のことですよ。あと1年あるのになぜ今? です。何か下心があるのではないかと勘ぐりたくなります。

私はフィールドで選手らが躍動する姿を見るのが好きですが,日本のスポーツニュースはプレーの素晴らしさよりも,人間ドラマとして番組をつくっていると思えてなりません。親子の物語だったり,師弟関係だったり,好きな食べ物だったりと,フィールド以外のエピソードで盛り上げようとします。私がパラリンピックを好きになれないのは,そういうドラマが露骨だからです。

私は人間ドラマなんて見たくはありません。「スポーツ」を見たいのです。ワールドカップが始まれば,ラグビーの迫力あるプレー,華麗なステップ,トリッキーなサインプレなどが,私に幸せなひとときをもたらしてくれるでしょう。

明後日はラグビー日本代表は南アフリカとのテストマッチ。これで今日から数日のスポーツニュースはラグビーを取り上げそうです。そしてテレビの報道番組でも,「スポーツ」のニュースを放送してくれることを期待します。

ハイパントあげ走りゆく吾の前青きジャージーの敵いるばかり(佐佐木幸綱)

2019年9月 3日 (火)

責任という哲学 飛行機が墜落する理由は誰にでも分かることです

中島義道の本に「哲学の教科書」があります。偏屈な親父が書いたような暴論があちこちに出ていますが,なかなか面白い本です。この本を読んだのはもう15年ぐらい昔のことですが,今でも印象に残っているのが「責任論」です。

航空機が墜落したとき,パイロットの判断や操縦は問題がなかったのか,機体の製造では問題がなかったのか,日頃の整備では問題がなかったのか,などなどを調査し,パイロットか,会社の経営者が,現場の担当者かの責任が追及されます。

結局,「誰かのせい」にするまで人々は納得しません。

ここで中島義道は断言します。「飛行機が墜落するのは地球に重力があるからだ」

当然と言えば当然です。でも,一般的な人々はこんな理由じゃ納得しませんよね。なにか人為的なミスがあったから事故が起こったのだ,と決めつけています。誰の責任なのかを追及することが正義なのです。

中島義道は哲学者らしく,理屈をこねてこの「責任」を解き明かしていきますが,どういう展開だったかもう忘れてしまいました(ごめんなさい)。でも,彼の開き直ったへ理屈は,私に強い印象を残しました。

出水市の女の子が死亡した事件について,行政の責任が問われています。情報の引き継ぎがうまくできていなかった,一時保護の判断がきちんとできていなかった,などなど。

報道では女児の死因は不明です。容疑者の暴力は「げんこつ」だけです。報道機関は報道できない情報で犯人と決めつけるだけの確信があるのかもしれませんが,それならなおさら素人の私にはわかりません。

私に分かるのは,1 現在報道されている証拠だけでは殺人事件の立証は不可能。2 行政機関は育児放棄の母親の情報を得ていた。 3 それ以外に女児の死因に関係のありそうな情報はない(報道していない)。です。

このシナプスのトップページには,MBCのニュースが掲載されています。たまたま開いて読むと,容疑者の知人のコメントが掲載されていました。

「悪いのは容疑者だが、児童虐待をなくすための仕組みづくりなど改善策が必要」「死因に関わっていようがいまいが、暴力をしてしまったのが残念だし、テレビをつければ子供が亡くなったりけがをしたというのが続いている。そういうのなくなって欲しいし、行政機関にはその時の改善策だけでなく常に改善策を」

今,この事件の責任を問えるのは行政だけ。だからこういうコメントになる(報じる)のでしょうね。でも,なんか変です。違和感ありありです。気持ち悪いです。コメントしているのは容疑者の知人なのに,言っていることは人ごとです。

中島義道であれば,私が変だと感じる違和感をどう解きほぐしてくれるかしら。

全学連に加盟していぬ自治会を責めて一日の弁解とする(岸上大作)

2019年9月 2日 (月)

「二畳で豊かに住む」なんてありえない なぜこのタイトルなのか?

「二畳で豊かに住む」(西和夫)を読みました。「方丈記」(鴨長明)にあるように,日本人は簡素な住まい,清貧の暮らしを好みます。私も狭小住宅で楽しく暮らす,田舎の小さな家で静かに暮らすことに憧れます。

最初に取り上げていたのが随筆家の内田百閒(うちだひゃっけん)。東京に家があったのですが,アメリカ軍の空襲に遭って焼け出され,近所の小屋で暮らし始めます。広さは3畳。写真では足下に本などが積まれていて足の踏み場もないほど。便所は小屋の隣の土をほってバケツを置いただけ。雨がふったら大変だったようです。内田流の諧謔(かいぎゃく)に満ちた文章で楽しそうに暮らしているように表現していますが,どう考えてもやせ我慢。2年後には新居に引っ越しますが,もうこんな暮らしはごめんだと思ったことでしょう。

次は詩人の高村光太郎。彼は岩手県の山中に山小屋を建てて暮らし始めます。こちらは6畳ほどの部屋と土間があったので,内田ほどの苦労はなかったと思われますが,「自然の厳しさに耐えられなかった」高村は7年でこの家を出て行きます。その後は保存するためにこの家を木造の家で覆い,現在はさらにコンクリートで覆っているそうですが,そこまでする価値があるんでしょうか? 防護しようとすればするほど,この家に「豊かに住」んでいたように思えません。

次が夏目漱石。予備校に通う彼は友人と二畳敷きの部屋を間借りしていたようです。すごいですね。夏目漱石はそこで勉強に励んでいたようですが,「豊かに住」んでいた様子はさらさら感じられません。この章では「二畳」と「三畳」のどちらが正しいのか,とか,夏目漱石が相撲が好きだったとか,豊かな住まいとは関係のない話が延々と続きます。きっと夏目漱石が「豊かに住」んでいた記録がなかったんでしょうね。

そのあともお遍路用の接待小屋や渡し船の番小屋が紹介されていますが,あくまでも仮屋。住まいではありません。もちろん「豊か」に住んでいる人なんていません。

最後に日本の建築史として,狭小住宅の間取りの変遷が紹介されています。ところがこの間取りが小さくて詳細な説明が読めない。渡辺謙がこの本を放り投げて「小さすぎて読めない!」叫び出しそうです。

結局,この本のどこを読んでも,二畳の家に豊かに暮らしていた人は出てきません。あえて言えば長崎市の永井博士や正岡子規でしょうか。でも彼らの家はもっと大きくて6畳以上あります。では,なぜこんなタイトルにしたんでしょうか? 羊頭狗肉(ようとうくにく)もいいところ。図書館で借りたからよかったものの,買っていたら損失感で自己嫌悪に陥りそうです。「豊かに住む」どころではありません。

灯(ひ)を消せば涼しき星や窓に入る(夏目漱石)

2019年9月 1日 (日)

「龍のキセキ」最終日 盛況でびっくり 若い人が多くて二度びっくり

今朝はまず市民農園で草刈り。先週は1週間雨が続いただけあって,雑草がかなり生い茂っていました。その一方でクローバーの勢力が随分弱くなって,枯れて茶色になった面積が私の畑の3割程度にまで広がっています。かぼちゃは新たに伸びた部分は大きく葉を広げていますが,それ以外のところは葉が枯れてしまってほとんど見えません。キュウリも同様。

かぼちゃの実は三個ほどはカラスにでも食べられたのか,大きな穴が開いて中がほじくられています。残るカボチャは5個程度。どれも野球ボールぐらいの大きさしかなく収穫はまだまだ。一方,キュウリは実がまったく見当たりません。どうなってるの?

一方で茶色の保護色に転じた全長15センチほどの巨大なショウヨウバッタや,丸々と太ったコオロギが見られました。こいつらに全部喰われてのかしら? そろそろ次の野菜を植えないといけないなと反省しました。

午後は妻と「龍のキセキ展」を見に県民交流センターに行きました。娘から招待券を2枚もらったもののずっと放置。今日が最終日だったので出かけてみました。

会場に着いてびっくり。大変な盛況です。しかも客層は子どもから大人までいて,よく美術展でみかけるような年寄りの割合が非常に少ない。それだけ画家の四元氏は若い人に受け入れられているということなんでしょうね。特に20歳前後のきれいな女性が多いなあと感じました。

展示作品のモチーフは龍だけではなく,武者,運動選手,女性などもあり,それぞれ躍動感あふれる筆遣いでダイナミックに描かれていました。パネルを何枚にも分けて展示するのは作者の独創なのか。龍の画が分断されていると,その切れ目の空間がちょうど雲に隠れているかのような独特の雰囲気を醸し出しています。

映像と一体化した展示もありましたが,こちらもこの躍動感を重視した作品でした。鹿児島県にこのような画家がいるって素晴らしいですね。

ところで無料招待券の有効期限は8月3日まで。「げげっ」と思いましたがこの券で入場料1000円を800円に割引するサービスが受けられるとのこと。予期せぬ出費ではありましたがいい時間を過ごすことができました。

私も若い頃はふとした時間に写実主義の絵や棟方志功の作品を見に行ったものでした。最近はずいぶんごぶさたでしたが,若い女性に人気がある作家の作品展があればまた足を運びたいですね。動機が不純ですが,少なくとも数年は若返りそうな気がします。

吾をさらいエンジンかけた八月の朝をあなたは覚えているか(俵万智)

2019年8月31日 (土)

アウェーの連戦が続くユナイテッド DAZNの誘惑でお試し視聴

鹿児島ユナイテッドは先週からアウェーの三連戦。先週は横浜FCに1ー5と大敗。そもそも今シーズンはアウェーでは勝利が1回しかないユナイテッド。あまりのふがいなさに,私もしびれをきらしてDAZNのお試し1ヶ月無料に登録しました。DAZNで応援です。

今日はツェーゲン金沢との対戦。今年4月に白波スタジアムで対戦したときは0-3の完敗。寒くて防寒服を着込んで観戦したのですが,ユナイテッドはまったくいいところなし。この日は水曜日。今シーズン唯一の平日開催で過密日程だったというのも理由かもしれませんが,後日,金沢は控え選手が中心だったことを知ってさらにがっくり。こんなに差があるの? というぐらいのショックでした。

金沢はとにかく走るチーム。なのに得点はほとんどがフリーキックなどのセットプレー。フリーキックやカウンターからの失点が多いユナイテッドが苦手とするタイプです。

前半,金沢は左サイドのスローインから流れてきたボールをFWクルーニーがワンタッチで先制ゴール。ユナイテッドはよく先制されますが,攻撃力があるので最近は先制されてもほとんど心配しません。逆転の予感がするんですよね。不思議なくらい。

今日のユナイテッドは両サイドからダイレクトでアーリークロスを上げたり,ゴール前でボールを受けてもノートラップでパスを出すなど,非常にスピーディーな攻撃を見せます。五領が粘って送ったマイナスのボールをFWルカオがインサイドで丁寧に決めて同点。その数分後にはゴール前に金沢のDFがうじゃうじゃいる中を,五領のヒールパスから枝本がGKの足下を抜いて逆転ゴール。痛快です。2-1で折り返します。

ところが後半は目に見えて運動量が落ちてきます。おおきく間延びして選手間の距離が長くなります。ユナイテッドがショートパスでつないで行けばビッグチャンスが生まれそうな状況なのですが,ユナイテッドは完全に足が止まっていました。結果的にDFとボランチの6人がほとんど自陣ゴール前に張り付いて意地でもゴールを守ろうとする意外な展開に。

金沢はロングボールをガンガン放り込んできますが,途中出場のセンターバック堤がヘディングで跳ね返し,相手に自由にシュートを打たせません。結局,ユナイテッドはそのまま逃げ切ってアウェーの2勝目を飾りました。

今日はルカオの積極的なボールタッチがよかった。チームに合流して約1か月。チームメイトとの連携がスムーズにできてきました。特にトップの位置でボールを受けたとき,そこを起点にしたポストプレーが光りました。

そして意外だったのが,右サイドバックにいつもの藤澤ではなく,酒本を起用したこと。得点には絡みませんでしたが,右サイドからのオーバーラップで攻撃の幅をつくりました。アタッカーの酒本をDFに起用するところが攻撃重視の金監督らしい。

一方,金沢は運動量がすごい。GKアンジュンスの足技が甘いとみるや積極的に詰めてきます。ユナイテッドはバテバテだったのと対照的です。ルカオ,酒本,ヨンは完全に足にきていての選手交代。試合後はユナイテッドの選手のほとんどは足を伸ばす仕草をしてましたが,金沢の選手達は平然としていました。

残念なのは韓。つまらない時間稼ぎでレッドカード。ユナイテッドはしばしばこういうプレーが見られます。リードしているときに試合運びのまずさが指摘されますが,こういう勘違いはやめてほしい。見ていて興ざめです。

紫の泡を野に立て松虫草(長谷川かな女)