親の死に目に会えないことがなぜ親不孝なのか 娘の祖父母孝行
大阪に進学していた娘が帰ってきました。夏休み中もアルバイトに精を出していたので,9月になってからの帰省。滞在は10日ほどの短い帰省です。
高校時代の友人と約束していたらしく,連日のように天文館やアミュに出かけていましたが,今日はそういうこともない。ということで私の両親(娘から見ればじいちゃん・ばあちゃん)の家に行かせました。今日はおばあちゃんの誕生日。同席した弟の家族とバースデイケーキを食べてそれなりに楽しんだようです。
私も大学生の頃,しばしば実家に戻りました。家でごろごろしていると両親から,私の祖母の家に行くようにとしばしば促されました。祖母の家に行っても話をすることもないよと言い訳すると,顔を見せるだけでいいのよ,と急かされたものです。
私が顔を見せないと,祖母は「なぜ顔を見せないのか」と両親に不平を漏らしていたようですね。それでいて私が遊びに行っても特に話をするわけでもない。どうして会う必要があるんだろうと常々疑問に思っていました。
それから数年後。祖母は亡くなりました。ちょうど私の両親と兄弟全員がそろって見守っているなかでした。
「親の死に目に会えない」という言葉があります。親が死ぬ様子を見れないことがどうして親不孝なのか,長く私には理解できませんでした。でも,とある新聞のコラムを読んで初めてその意味を理解しました。「見る」主体は子(残された家族)ではなく,死んでゆく「親」だと。「自分が死ぬときに,この世の最後の風景は自分の家族の顔であってほしい。愛する家族の顔を見ながらあの世にいきたい」
おそらく私の祖母も同じ気持ちだったのでしょう。元気にしているようでも高齢で衰えていました。いつ死んでもおかしくない。まして孫たちが遠くに離れて会う機会も滅多にない。であればなおさら,孫が帰省したときにはその顔を見ておきたいと。
今日は私は仕事があったので,娘とは一緒に実家に帰れませんでした。私も休日には時間を見つけて両親に顔を見せにいこうかなあ。
遺産なき母が唯一のものとして残しゆく「死」を子らは受け取れ(中城ふみ子)
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