2020年1月 5日 (日)

帰省のおみやげは売れ残りのパン,パン,パン でもうれしい。

関西に住んでいる娘が昨日今日と戻ってきました。昨夜は高校時代の友人と会う約束をしていたということが帰省の理由。

娘が帰ってきたときに大きな紙袋を下げていました。袋から取りだしたのがパン。それもフランスパンが3本,明太フランスが3本,アップルパイが2本,アーモンドパイが1個,その他菓子パンが10個近くと大量です。

娘はパン屋でバイトをしていて,普段から売れ残った商品を持ち帰っています。今回のお土産もその残り。娘は正月三が日はバイトにでていたのです。ご苦労様。

それにしても菓子パンの甘いこと。砂糖がたくさん入っていることがわかるほどずっしり重い。虎屋の羊羹(ようかん)がずっしりと重いのと似ています。私も1個食べただけでおなかいっぱい。そういうわけでほとんどが冷凍庫に直行。アップルパイは小口に切り分けて冷凍しました。

娘の話では,晩ご飯が売れ残ったサンドイッチということもしばしばあるとか。食費が浮いていいと喜んでいますが,こんな食生活で大丈夫なのかと心配になります。

娘が帰ってきた昨日のお昼はみそ汁のみ。夜は友人達と居酒屋。朝は自宅で野菜スープとヨーグルト。お昼は豚肉と切り干し大根のXOジャン炒めと里芋のにっころがしにご飯と豆腐のみそ汁。いたって質素です。

娘はお昼のおかずが美味しかったのか,それぞれジップロックに少しずつ入れて持ち帰りました。これが今夜の晩ご飯になるようです。ちゃっかりしています。夕方の新幹線に乗り,鹿児島中央駅から新大阪駅に向けてUターンしていきました。

それにしても家族が増えると笑いが増えます。たわいもないことが笑いになります。今日の午前中,娘を私の自然公園に連れて行き,クローバーが一面生えている畑を案内したときに周りの畑の野菜を教えていたら,それが娘にとっては笑いの種になったらしく,妹にそのことを話しながら2人で笑いこけていました。

特に何かイベントがあるわけでもないのに,家族がそろうって本当にうれしいですね。

枯れ野踏み帰り来たれる子を抱き何かわからぬものも抱きよす(今井恵子)

2020年1月 4日 (土)

歴史「を」学ばされ,歴史「に」学ぶ機会を奪われるのは人生の損失

「最強の教訓!世界史」(神野正史)を読みました。

著者は予備校で世界史を教えている講師。まえがきでこう記しています。「偉人達が口をそろえて言う言葉,それが歴史に学べです。嘆かわしいことに,現在の学校教育の現場では,歴史(用語)を丸暗記させることに終始しています。丸暗記は偏差値を上げるためだけに特化された訓練に過ぎないので,そうして得た知識は受験が終われば何の役にも立たない。そのため,多くの人は,学生時代に歴史(用語)を学んだことはあっても,歴史に学ぶ機会を奪われ,その悲劇に気付かない」

このことは,まさに私も同感するところです。歴史のエピソードの一つ一つに人生の指針となるべき知恵,経験を学ぶことができます。しかし,学校の歴史の授業では歴史的事件の概要や年代を教えるだけ。こんな授業はつまらないったらありゃしない。

著者は「逆境は飛躍の糧(かて)」としてナポレオンと劉備を,「天は自ら助くる者を助く」としてユスティニアヌス大帝と東郷平八郎を,「百戦百勝は善の善なる者にあらず」として韓信とハンニバルを,「戦術と戦略を見極めよ」としてビスマルクと上杉謙信を,「最大の危機こそ好機」としてミルティアデスとフリードリッヒ大王を,「方針貫徹か,転換か」で昭襄王とペタンを,・・・と,歴史上の人物が人生の岐路において,どのように振る舞い,どのようにしてチャンスをものにしたのか,あるいは失敗したのかを,エピソードを紹介し,教訓を導いています。

私が歴史の授業で学びたかったことは,まさにこの本で言い尽くしています。ところが中学校,高校の歴史ではこのようなエピソードを取り上げることはありません。なぜか? 答えは簡単。入試では出題されないからです。

私は歴史が好きですが,歴史の教科書の影響ではありません。小さい頃に親に買ってもらった伝記や司馬遼太郎などの歴史小説,塩野七生などの歴史エッセイを読んでいるうちに,興味をもつようになっていったのです。そこに描かれているのは歴史上の人物の一代記。一部は作者の想像も含まれているでしょうが,それでも物語として十分に楽しめました。

学校の歴史の授業が面白くないのは,教科書は知識の羅列に過ぎないから。そこに物語が存在しないからです。史記列伝のように,人物に焦点をあてて,その魅力的な生き方を授業で取り上げる方がよほど勉強になると思います。

さて,本書のことに戻ります。第一次世界大戦のヴェルダン要塞攻防戦でフランスの英雄となったペタン将軍が紹介されています。ペタンが勝利したのは縦深陣地戦術によってドイツ軍を包囲壊滅したから,となっているのですが,私は同意できません。西部戦線を消耗戦に持ち込んだのはドイツ軍。それが逆にフランス軍が包囲殲滅を企図したなんて初耳です。

惜しむらくはこの本には,これらのエピソードの出典が記載されていないこと。ペタンの戦術を確かめる術(すべ)がありませんでした。百田尚樹の「日本国紀」ではありませんが,きちんと掲載してほしかったなあ。そうですよね,呉座さん。この本にも出典がないから非難すべきですよ。ぜひ,朝日新聞のコラムに取り上げてください。 

シーザーを刺す星空の野外劇(辻田克己)

2020年1月 3日 (金)

ライスボウルは富士通が完勝 学生対社会人で日本一を争う意義は?

NHK-BS1でアメリカンフットボールの日本選手権(ライスボウル),富士通フロンティアーズ対関西学院大ファイターズを見ました。

前半から富士通が圧倒。前半終了間際,そして後半第4クオーターでも関西学院大は意地を見せましたが,3タッチダウン以上の差がついて予想どおり富士通が四連覇を達成しました。

私がアメリカンフットボールを見るようになったのは大学生のとき。当時は京都大学ギャングスターズが強く,関西学院大と関西リーグで優勝を争っていました。ルールはそのときに覚えました。

この時代はライスボウルが始まって間もない時期。学生日本一と社会人日本一が争うのはプロ野球の日本シリーズのように勝敗の行方が関心事でした。

しかし,今では社会人がここ10年勝ち続けています。今日の結果もそれに同じ。第3クオーターで勝負は決まってしまい,後は関西学院大がタッチダウンを奪えるか,スペシャルプレイで何を見せるのかに焦点が移りました。でも,これでいいのか?

ラグビーも,昭和の時代は学生日本一と社会人日本一が日本選手権を争っていました。松尾が率いる新日鉄釜石に大学日本一が挑戦。こちらも熱戦が続いていましたが,神戸製鋼が優勝するようになってからは社会人が学生を圧倒。今でも勝負の場は残っていますが,学生にとっては学生日本一のご褒美としてプレーさせてもらっている,みたいな印象を受けます。

ラグビーは,昨年日本で開催されたワールドカップの出場選手が,ぞくぞくと日本の社会人チームに移籍してプレーを見せます。こんなハイレベルな社会人チームと学生が争うなんて,もはや甲子園優勝チームがプロ野球チームと真剣勝負をするようなもの。それほどの差があります。

アメリカンフットボールも,ラグビーほどではありませんがプロチームに近くなっています。体格差もさることながら,個人技に優れる外国人選手があれだけいると学生はお手上げでしょう。社会人と学生が対決する場は,もう存在意義を失っているといっても過言ではないかもしれません。

テレビ放送もそろそろコンテンツの見直しを考え直してはどうでしょう? ラグビーにせよ,アメリカンフットボールにせよ,日本一決定戦よりも社会人リーグの試合の方が放送するにふさわしいレベルではないでしょうか? 

NHKは人気のないスポーツであっても日本選手権だけは必ず放送する貴重な放送局でした。それゆえに存在意義を失った日本選手権を放送するのは,形骸化したアマチュアリズムを見せつけられているようで,むなしさが胸に残ります。

太陽(ひ)の真下 平和の平は平凡の平と思いき 何を捨てたか(俵万智)

2020年1月 2日 (木)

「パックス・アメリカーナ」を読む

令和2年の2日目。娘を学校に送り出した後,元日の朝日新聞と南日本新聞を読みました。特にカルロス・ゴーンの海外脱出の記事をじっくり読みました。すごいですね。日本の司法制度を批判するのは結構ですが,まさか海外に脱出して裁判自体を止めてしまうとは。桁外れの金持ちだからこその芸当でしょうね。

その後,高坂正堯全集を再び読み始めました。今日は「パックス・アメリカーナ」。

「パックス・アメリカーナ」とはアメリカが覇権国の平和という意味です。これはもちろんアメリカの軍事力が突出していることを示します。しかし,アメリカの軍隊が規律や士気,作戦の点で,専門的な軍人の中では余り高く評価されていません。なぜなら,アメリカは見事な一撃によって相手を崩すのではなく,膨大な力を集めることによって相手を圧倒するところに,その最大の特徴を持っているからです。

ここで高坂先生は,「アメリカにおいて「名将」や「英雄的な戦士」を探しがたいことこそアメリカの強さが求められるように思われる」と分析しています。そして,アメリカ人の多くはこのアメリカ的な戦争方法をほとんど無意識のうちに身につけている,とまで述べています。

アメリカ人にとって「物量」は人間が作りだすもので天から与えられるものではない。アメリカは「物量」を作り出すことができる文明である。アメリカは大きな戦争においてこの能力を十分に活用して大きな戦争に勝利してきたと。

先生の議論は,アメリカの歴史的背景や国土の広さ,選挙制度などの複層的なアメリカ社会をひとつずつ切り出して,現在のアメリカの強さを説明していきます。

私はこれを読んで,日本はどうだろうと考えました。日本は職人気質という「この道を究める」生き方が賞賛され,「他人に迷惑をかけてはいけない」という躾(しつけ)があります。太平洋戦争ではこれらが特化され,陸軍では白兵戦至上主義,海軍では一点豪華主義(戦艦大和,攻撃能力を高めたゼロ戦など)になっていきます。

第二次世界大戦において,日本はアメリカに物量戦で負けたことは誰もが知っている事実ですが,過去にこのような戦いがなかったのもまた事実です。日露戦争のように圧倒的に生産力で劣る小国日本が大国ロシアに勝つ例もあったように。

日本はアメリカとの戦争に負けますが,これはどちらの国の気質がより素晴らしいということではなく,戦争ではそういう文明論の対立がより顕著に表れるということなのかと理解しました。

さて,話はカルロス・ゴーンに戻ります。彼がレバノン人なのか,ブラジル人なのか,フランス人なのかを論じません。ただ,彼なりの戦い方が,圧倒的な金銭にものを言わせて日本の司法制度の枠外に飛び出すという方法だったのでしょう。この選択は彼自身の文明的背景があると思えてなりません。

逆に日本の検察は日本の司法制度の中では圧倒的な権力をもっていますが,その制度の外では無力に近い。これもまた,道を究めているけど,道を外れるとただの人になってしまう日本人職人らしさを象徴しています。今後両者の間でどういう戦いが展開されるのか,とても注目しています。

なほいまだナチスの民にまさらむと語り合ひにき幾年前か(柴生田稔)

2020年1月 1日 (水)

今年の自然農法は,市民農園ではないところを選んでみました

令和2年を迎えました。刑事訴訟で被告人となっているカルロス・ゴーンが保釈中に海外で逃亡したことが大きく報じられることでスタート。激動の年になりそうです。

実家に帰り,両親に新年の挨拶をしました。近くの諏訪神社に初詣。その後はご先祖様の墓参りといつものコースを回りました。

実家で両親と話をしたとき,祖母の家のことが話題となりました。祖母が亡くなってから20年以上が経過しました。屋根の梁にシロアリが入っているために外からこの家を見ると屋根が波打っています。雨漏りがひどいので畳はすでに廃棄していて,床板も外しているような状態。当然,住めるわけがありません。

両親が元気なうちに,この空き家の片付けをしたいと話をしていたのですが,父は「解体費用にお金がかかる。いまは放置しておくの一番いい」といってまともに取り合ってくれません。お金がかかるから,少しずつ今のうちに片付けようというのに。

どうにも埒(らち)があかないので別の提案をしてみました。祖母の家には躑躅(つつじ)を植えた100平方メートルぐらいの畑があるのですが,いまでは家と同様荒れ放題。この土地で野菜をつくりたいと提案しました。

気難しくて頑固な父もこれにはすぐに同意。畑だとハードルが低いんでしょうね。

今年の3月で市民農園の賃貸契約は終了します。麦と米の二毛作をやりたい私にとっては,市民農園は相性が最悪でした。麦をつくっているのに「畑をきちんと管理してください」と市役所から苦情がくるぐらいですからね。市の担当者は麦を見たことがないみたいです。米麦はつくりたいけど市民農園ではこりごり。

そういうわけで今年からは祖母の畑で米麦をつくることにしました。しかし荒れ放題のこの畑。まずは開墾作業をしなければなりません。畑一面に植えてあった躑躅はかずらに締め付けられてすべて枯れています。サクランボの木が残っているということですが,実をつけたのかもよく知らないほど放置状態。

今年は3月までに「やまんが」で躑躅の根を掘り起こし,サクランボの木を剪定する作業が必要のようです。これから月に1,2回はこの畑に行って「やまんが」を土に入れ,整地することが私の目標になりました。

「一年の計は元旦にあり」。私の今年の目標は,1 このブログを毎日継続して閲覧数1万を突破すること。2 月に1,2回は実家の畑で米麦づくりをして自然農法を体得すること。3 毎日ピアノを30分練習して西駅一番街のピアノで演奏すること。の3つです。

ブログは自分の考え方を整理して文章力を高める,そして実家を離れる娘達に近況を伝えるため。米麦づくりは妻への食材提供,両親の様子を見ることと自分の体力作りのため。ピアノ演奏は女性にもてたい(?)ためです。単純です。

こころざし貫きゆかん去年今年(こぞことし)(稲畑汀子)

2019年12月31日 (火)

大晦日らしくない大晦日 正月らしくないお正月 どうしてこんな世の中に

今日は大晦日。天文館献血ルームにいったらお休み。近くのミスドでブレンドコーヒーを飲み,Tーボウルの2階で1人ビリヤード場で1時間ほど球を撞き,100円ショップで紐(ひも)通しと糸通しを買ってから自宅に戻りました。

ジャージのズボンの紐が切れてもう1年以上。ゴムも弛(ゆる)んできたので紐で結ばないとズボンがずれ落ちてしまうんです。限界でした。そして糸通しは裁縫をするときに針穴に糸を通すことがなかなかできない。老眼が進み,針仕事が苦痛になってきました。せめて糸通しは買わないと娘の制服の補修もできないですからねえ。

12月になってからあちこち家の中の掃除をすませていました。昨日は妻の実家で餅つきがあったので,家には鏡餅も飾り付けています。門松や生花の正月飾りはありませんが,簡素ながら正月を迎える準備ができました。

私が子どもの頃は,大晦日になると近所のお寺で除夜の鐘が鳴っていました。信徒の人たちが列をなして鐘を撞いていて,私は信徒ではありませんが,その時間になると家から抜け出し,和尚さんにお願いして鐘を撞かせてもらいました。もう40年ほど昔のことです。

それが今では鐘の音が騒音だと苦情が寄せられ,取りやめるところもあるとか。一見すると,日本人にはわがままな人が増え,不寛容な社会になったと思われます。正月三が日は自宅でゆっくり過ごす。親戚に挨拶にいく。それが私が子どもの頃のお正月でした。

しかし,当時はなかった24時間営業のコンビニが地方の街にも進出し,正月1日から営業を始める小売店が増えてきました。そこで働く人たちにとっては,除夜の鐘は睡眠不足の原因になる。そう考えると,利便性を追求する消費者がこういう不寛容な社会を生み出したとも言えます。でも,ここでいう利便性って誰が求めたのでしょう?

24時間営業にせよ,元日からの営業開始にせよ,労働環境はますます悪化してきました。日本人は同調圧力が強いと言いますが,どうして正月休みの圧力よりも「働け,働け」という圧力が強いのでしょう? 

人口減少社会,労働者も減ってきました。もうこんな利便性追求社会は限界に達してきたと,誰もがうすうす感じています。経営者の皆さんがお客さんを大事にするのはもっともですが,従業員も大事にしてはどうでしょう。

伝統がなんでも素晴らしいとは思いませんが,私は伝統にも三分の理があったと確信しています。どうやら私たちの暮らしも見直すときが来たようです。まずは,正月三が日だけはコンビニや買い物に行くのをやめて,自宅や親戚の家で過ごしたり,初詣に出かけたりと,ひと昔前の習慣を復活してみませんか。消費者が変われば,労働環境も変わる。それが私にでもできる働き方改革だと思います。

人間の行く末おもう年の暮(松瀬青々)

2019年12月30日 (月)

「STARWARS スカイウォーカーの夜明け」を見る

雨の月曜日。家族は出払って今日は家に私1人。そういうわけで,アミュプラザで映画を見ることにしました。映画は「スターウォーズ エピソード9 スカイウォーカーの夜明け」です。

スターウォーズは私が小学生のときに第1作目が公開されました。オープニングのときのデストロイヤーの巨大さに圧倒されました。これぞ映画!だと感動しました。以来,ずっとスターウォーズを見続けています。

朝9時前にはアミュプラザに到着したのですが,すでに行列が。チケットを取るときには前3列は空いているもののほとんどが埋まっていました。すごい人気ですね。

この作品がスターウォーズシリーズの最終作。どんな展開なのかが気になるところですが,レイア姫役のキャリー・フィッシャーが撮影前に急死していたので,どういう役どころなのかにも注目していました。

まずストーリー。戦闘シーンの連続です。ハラハラドキドキは映画の鉄則なんでしょうけど,ちょっと多すぎて食傷気味になります。また,皇帝パルパティーンの言っていること,やってることが矛盾だらけでどうにも納得できない。なんだかしらけてしまいます。そしてラブシーンがないのもちょっと残念。ハン・ソロまでは求めませんが,ちょっと単調な展開になってなかったかな?

そしてレイア姫。おお,ちゃんと出演しているじゃないか,と感心していましたが途中で寿命が尽きて死去。遺体の顔は隠されていても他の人が演じているのがなんとなく分かります。ネットで調べてみると今回の映像は前作(エピソード8)のときに撮影された未公開映像とのこと。なるほどね。

映画を見え終えると午前11時半。アミュの飲食店は牛タン屋を除いてどこも満員なので,ちょっと歩いて共研公園前の「ペリコカフェ」でランチをとることにしました。ここは電車通りにあるときから贔屓にしていたのですが,現在の場所に移転してからは終了時間が早まったためになかなか顔を出すことができずにいました。

半年ぶり(?)に店に入り,この店の女性マスターと話をしました。「なんだか顔が細くなったね」「そうですか? お腹に赤ちゃんがいるから栄養を吸い取られているのかも」と明るい笑顔で答えてくれました。彼女は大学を卒業してすぐに独立してカフェを経営。もう3年ぐらいになりますが,彼氏を見つけて結婚。そして妊娠中。私も舌を巻くほどのやり手です(ちょっと語弊があるかもしれませんが,それだけ彼女は人生を真剣に歩んでいるってことです)。

ランチを注文しようとしたら「もうやっていないんです」とのこと。彼女が薦めるゆず茶にしました。420円。ホットはちみつレモンみたいな感じです。窓越しに見える公園には雀や鳩が雨に濡れながら地面でエサを探しているようです。ここまで歩いている間に,雨の冷たさが靴から足に伝わり,ずいぶん体が冷えていましたが,ゆず茶を少しずつ飲むと体の芯から温まります。お昼ごはんは結局この1杯だけで済ませました。

彼女のパートナーもこのカフェで働いています。美男美女カップルで,仲睦まじくお店を切り盛りしている様子を見ていると,応援したくなります。10分ほどで飲み終え「ごちそうさま」と言い残し,バス停に向かいました。

最後に。この日,私は毛糸の灰色のジャケットに,黒のピチピチのジーンズ。黒い革靴。シャツは白地に赤茶の細い格子縞,首から軽く薄い紺色のマフラーを掛けている,そんな地味な格好でした。しかし,すれ違う女性たちが次々と私を見ていきます。「俺ってそんなにかっこいいのかな?」と思ってしまいました。ちなみにズボンのチャックは閉まっていました。念のため。

「最近は,どう」と言われて「うん,まあ」と答える貝の身をはずしつつ(俵万智)

2019年12月29日 (日)

タスマニア人絶滅の物語 潔癖な社会ほど安心・安全から遠ざかる

高坂全集の第5巻「文明が衰亡するとき」(高坂正堯)を読みました。

私は国際政治学者である高坂先生の著作が大好きで,もう20年前に出版された「高坂正堯著作集(全8巻)」が私の本棚に鎮座しています。10年以上本を開くことがなかったのですが,この週末,読みたくなりました。

今日は第1章の「タスマニア人の絶滅」です。タスマニアとはオーストラリア大陸の南東に位置する北海道ぐらいの面積の島。18世紀,ここには数万人のタスマニア人が暮らしていました。そこへイギリスから移民がやってきます。最果ての地で利用価値のない島だったにもかかわらず,フランスの領土にされたくないというメンツ丸出しの理由からイギリスが占領します。

原始人であったタスマニア人はイギリス人との闘争に敗れ,保護地区に移されたものの人口は激減。19世紀には最後のタスマニア人が死亡します。このことを高坂先生は小学生のときに授業で教わったそうです。ちょうど太平洋戦争の頃。鬼畜米英の非道の象徴としてこのエピソードが紹介されたそうですが,小学生だった高坂先生は「人種絶滅」に強い衝撃を受けたそうです。

武装したイギリス人と木の槍しかないタスマニア人では勝負にならないのは目に見えていますが,急速に人口が減少したのは他に理由があるからではないか,というのが先生の見立てでした。特に強調していたのが結核菌です。イギリス人が保有していた病原菌がタスマニア人に感染し,免疫をもたないタスマニア人はバタバタと死んでいったというのです。

これはコルホスのアステカ帝国侵攻とも似ています。スペイン軍が攻め込むと同時に現在のメキシコでは天然痘が大流行し,現地住民は次々と死んでいく。

ここから高坂先生の「疫病を抱えている文明人」と「最果ての地に住むがゆえに無菌状態だった野蛮人」を対比してします。タスマニア人は生存競争に敗れたために最果ての地へ移住し,そして世界から隔離されていただけに疫病の抗体がなかった。

この章では,疫病とならんで「悪」の存在を記しているところが興味深いところです。タスマニア人が「悪」の力で滅びたとは書いていません。しかし,文明国では飲酒や覚醒剤などの不健康な習慣があり,詐欺など悪知恵が長(た)けています。このような不健康や悪に対しても免疫を有していることが大事だと評価しているのです。

昔の西部劇ではインディアンが白人に土地を奪われるというシーンがよく出てきます。純朴なインディアン(ネイティブアメリカン)は純朴すぎて,白人(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)に騙されてしまうのです。これも似たようなものでしょう。

国が外国との接触を禁じることで,外国からの病原菌や悪習から国民を守ることができます。しかし,完全にシャットアウトした国(社会)は免疫がないだけに,いかにもろいかを文化大革命の中国などを例にとりながら論証を重ねていきます。

感染症が発生すればワクチン接種,家畜は皆殺しにして消毒作業,なにかにつけて安心・安全を声高に主張する政治家や有識者。この章はそんな現代の日本社会への痛切な皮肉に思えてきます。

ところで,この本の文章は標準語なのに,いつの間にか先生の関西弁のイントネーションになぞらえて読んでいる自分に気付きました。先生の言葉はやわらかいけど,文字にするとけっこうどぎつい。今もそのスタイルは色あせることはありませんね。

グルカ兵我よりも丈高からずすれ違い行く我は襟立てて(近藤芳美)

2019年12月28日 (土)

市民農園での自然農法への挑戦は本日をもって終了 その結果は?

今日はぽかぽか陽気のいい日和(ひより)でした。お昼ごはんを済ませた後,市民農園へ行きました。3週間ぶりです。私の畑はどうなっているでしょうか?

まず目に付いたのがブロッコリー。私の掌よりも大きくなっていて,早速収穫しました。ところどころ,黄色い種?のようなものがついていますが,気にせずに鎌で茎から切り取りました。自宅に戻ってから一口サイズに切り刻み,中華鍋で沸かしたお湯でさっと茹で上げ,その後はタッパーに入れて冷凍保存しました。

このブロッコリーの近くにはチンゲンサイが2株ありました。いずれも小さい。でも,文句は言えません。これは昨年育てたチンゲンサイのこぼれたね。傷んでいた外側の葉を落として持ち帰りました。こちらは根を切り,葉と葉の間につまった黒い火山灰を丁寧に水で洗い流し,中華鍋で炒めます。お皿に移してからオイスターソースをぐるりとひとかけ。菜箸で混ぜ合わせて出来上がり。なかなか美味しい。

大根もひとつ残っていました。とうとう最後の大根です。大根が一番簡単で大きく育ちました。しかもおいしい。私の畑の大根は,根がまっすぐ下に伸びず,斜めに,というか地表近くに伸びていく珍しい性質でした。だからスポッと簡単抜けます。家ではまず葉の付け根を切り取り,濡れた新聞紙でくるんで冷蔵庫の野菜室へ。葉の部分はさっと湯通ししてから細かく刻み,塩もみしてから余計な水気を切り,鰹節をふりかけてから薄口醤油で味を調(ととの)えてできあがり。ごはんの友に最適です。

そしてキャベツ。外側の葉は虫に喰われて茎だけが残って鳥の巣状態。見るも無残な姿です。かろうじて残っている葉の部分もあちこち虫食い穴が。鎌で虫食い穴の部分を切り落とすと,中は新鮮でシャキシャキしています。これは食べても大丈夫かもと思い,葉玉を引き抜きました。芯の部分が取れてしまいましたが,なかなか美味しそう。ただ生で食べるのは心配だったので,ざく切りにして電子レンジで加熱。青虫や寄生虫を退治してからハンバーグの付け合わせに。高校3年の娘はそのまま,私は雪塩(沖縄産)とえごま油をかけていただきました。お味はグー!です。

スティックブロッコリーは花が咲いていました。こちらは鎌で細かく切り刻み,畑にまきました。ほかにもぺんぺん草がところどころ生えていたので刈り取りました。畑の手入れはこれで終了。私の畑は一面のクローバー畑。それより高い野菜はもうありません。レタスやマメ,水菜や小松菜などを直まき(ばらまき)しましたが,1ヶ月経っても姿がありません。

昨年の9月から自然農法を実践してきました。不耕起,無農薬,無肥料,無除草の4なし農業でした。借りた当初は畑も更地の状態で,私は傘の先で穴を開けてはそこに裸麦を播きました。こちらは大成功。また,同時に播いた二十日大根,チンゲンサイ,カブも大成功。しかし,クローバーが繁殖してからは苗物(ブロッコリー,キャベツ,スティックブロッコリー,カボチャ,キュウリ,芽キャベツ)などは成功しましたが,種を直まきして成功したのは大根だけ。米(ハッピーヒル),水菜,小松菜,レタス,豆類などはまったく姿をみることはありませんでした。クローバーが繁茂した後は,直まきで野菜を育てるのは難しいのですね。

自然農法で面白かったのが昆虫です。青虫はもちろんですが,テントウムシや地蜘蛛がわんさか。今日も私が畑の中を歩くと,たくさんの地蜘蛛がぴょんぴょん隣の畑に逃げていきます。そして夏には大きなコオロギがたくさん。周囲の雑草のない美しい畑ではありえない光景でした。

市民農園の賃貸期間は来年3月まで。というわけで残りの3ヶ月はクローバーを畑にすき込み,草がまったくない更地の状態にする作業に入ります。野菜の世話は今日が最後となりました。あっという間でしたね。それにしても米の収穫ができなかったのは最大の失敗でした。来年は実家の畑で再チャレンジするつもりです。

芽キャベツの摘まれしところ水の玉(高田正子)

2019年12月27日 (金)

フジ三太郎を地で行く私 電話男と対決なんてしなくていいのに

私が小学生の頃,朝日新聞には「フジ三太郎」と「ペエスケ」という4コママンガが連載されていました。特に面白かったのが「フジ三太郎」。中年サラリーマンの日常風景をちょっと斜めからのぞいてみるようなおかしみがありました。

小学生なので,新聞を読むと言ってもテレビ欄,スポーツ欄,そしてこのマンガだけ。だからこそいくつかの作品は印象に残っています。

フジ三太郎が電車に乗っているときのこと。その電車は両側の壁に,それぞれ直列の座席があるタイプの車両です。フジ三太郎のとなりに若い女性が座っています。ミニスカートをはいているのに眠りこけていて,膝が開いた状態。フジ三太郎は目的地の駅に着くと,読んでいた新聞を彼女の太ももの上に広げ,彼女のバックをその新聞紙の押さえにして電車から降ります。向かい側の席に座っていたおじさん達が怒りの表情を見せている。そんな作品がありました。

今日のアミュ地下のフードコート。いつものように缶ビールを片手にむかうと,電話男が座っているのに気付きました。低姿勢で獲物を狙うタヌキのような表情を見せていました。彼の数メートル先には若い女性が一人,向かい合うように座っています。

電話男の背後からその女性の方をみると太もものほとんどが見えているほどの超ミニスカート。そしてスマホの画面に夢中になっています。「ああ,やっぱりな」と思いつつ,私は電話男と若い女性の間の席に腰掛け,缶ビールを開けて,本を読み始めました。

20分ほどで読み終わり,バスの時間も気になったので席を立ちました。その間,テーブルを挟んで私の斜め向かいに座っているミニスカートの女性はスマホの画面から目を離さないまま。私は席を立つついでに,私が腰掛けていた椅子の背もたれが彼女の太ももを隠すようにならべ,バス停に向かいました。

後ろを振り返らなかったのですが,フジ三太郎のマンガにでていた,怒れるおじさん達の表情がふと思い浮かびました。電話男もきっとイラッとしているだろうな。

フジ三太郎のマンガには予言的な作品もありました。例えば高齢ドライバー用の四つ葉マーク。今ではよく見られるようになりましたが,私が小学生のときはありませんでした。そんなとき,フジ三太郎では「初心者(若葉)マーク」に対抗(?)して「枯れ葉マーク」を提案した作品もありました。

今でも彼の作品集を書店で入手できるんでしょうか? もし販売されていたら,当時の時代(男女雇用機会均等法ができる前です)を風刺しているので,けっこう刺激的かも。ちまたのフェミニスト達ならば作品集を読んで「女性差別だ!!!!」と怒り出すかもしれません。

欲望は日に曝(さら)されてコンドームを拾える少年の風船遊び(俵万智)