2020年4月 5日 (日)

あなたが来なかったら今週のお客さんは「ゼロ」だったわよ

先週から仕事が忙しく,毎日午前様。とくにこの3日間の睡眠時間は合計6時間と異常な状態でした。

会社の仲間も似たり寄ったりの状況ということもあり,部下に「早く帰りなさい。こんな状態が長く続いたら体がもたないよ」と声をかけると「あなたこそ先に帰ってください。次,倒れるのはあなただとみんな心配してます」と返ってきました。

そうか,俺ってそんなに疲れてるんだ。仕事は山ほどありますが午後7時半には退社しました。タクシーに乗ったときに馴染みの小料理屋のことが頭に浮かびました。運転手にはその小料理屋に向かうようお願いしました。これまでバスで通っていたのにタクシーで飲みにいくなんて,わたしも贅沢になったものだ。(というか,バスに乗る気力すらないのが正直なところ)

小料理屋に行くと,やっぱりお客さんは誰もいませんでした。女将さんが「あら,久しぶりね。今週は誰も来ないから今日お店を休もうかと思っていたのよ」

この店に来るのは高齢の常連客か,近くのホテルの宿泊客ぐらい。今回の新型コロナウイルスの感染拡大によって,高齢者はみんな外出自粛。ホテルの宿泊客も激減。そりゃ誰もこないよね。

今夜はここで愚痴を女将に聞いてもらいたかったのですが,この1週間だれとも話をしていない女将は人懐かしいのか,逆に私に対して最近の出来事を息つく暇もないぐらい話し続けました。おかげで私はずっと聞き役。しょうがないですね。

料理は,最初につわと豚肉の煮物が一鉢,その後が鯖の西京焼き,焼いた鯖にドレッシングをかけたものが一切れずつ。500円玉サイズのほんとに小さな小鉢に入った和え物。今回はどうやら作り置きしていた食材を電子レンジで温めただけのようです。その代わり,鯖の下に敷いたレタスは自家製だと自慢げに語っていました。最近女将は野菜作りに熱心で,野菜作りの様子を事細かに教えてくれました。

女将の話を聞きながら,焼酎のお湯割りを3杯飲み,ほろ酔い未満で店を出ました。タクシーをつかまえて自宅に戻ると午後9時半を少々過ぎていました。妻が用意していたカレーライスをほおばり,風呂を浴びるとそのまま布団に倒れ込みました。

でも,熟睡はできないですね。夜中に仕事の緊急事態だとの夢を見て,目が覚めてしまうのです。これまでもいろいろなプレッシャーを受けてきましたが,今回のようなことは初めての経験です。

どうやら「私の人生は今このときのためにあったんだ」と思ってやるしかないようです。

夾竹桃(きょうちくとう)「自分をふるいたたせろ」と言う(四ッ谷龍)

2020年3月28日 (土)

さーくーら まーいおちーる きーおーく まーいもどーる

最近は時間があればアマゾン・ミュージックを聞いています。

私はテレビドラマをほとんど見ません。あえて見るなら映画でしょうか。しかし,映画でも2時間前後も続くと目が疲れるので,息抜きにはラジオや音楽を聴くことを選びます。

我が家のリビングにあったミニコンポは,家の家具などを整理した際に娘の部屋に移動していて,聞きたくてもそこまで行くのが面倒。そうなるとリビングに鎮座しているテレビで音楽を聴きたくなります。残念ながら私が好みの音楽番組は限られていて,選択肢は必然的にアマゾン・ミュージックになります。

今,アマゾン・ミュージックでは,春のJポッププログラムが配置されています。「桜坂」(福山雅治),「春よ,来い」(松任谷由実)など春を歌ったヒット曲が並んでいます。最初から順番に聞いていると懐かしいフレーズが繰り返し流れてきました。

「桜舞い散る中に忘れてた記憶と,君の声が戻ってくる 二人約束したあの頃のままで」

「さくら まいおちる きおく まいもどる さくら まいおちる きおく まいもどる」

言うまでもなく,「さくら」(ケツメイシ)の一節です。

私はケツメイシのファンではありませんが,なぜかこの曲だけは耳に残っています。この曲が流行したときは私が30代前半だったでしょうか。ラジオのエフエム番組で何度もこの曲を聴く度に,何度も繰り返されるこのフレーズが私の頭の中に蘇(よみがえ)ってくるのです。

私が子どもの頃に流行した円広志(まどか ひろし)の「夢想花」となると「とんで」と「まわって」が延々と繰り返されます。これはこれで名曲ですが,ちょっとまねできないですね。だから円広志は歌手としてではなく,関西のお笑い芸人としてのキャラになったのかも。

ところで,日本の歌謡曲は1番から3番まで,ひとつのドラマのような構成になっているが多い。例えば太田裕美の「涙のハンカチーフ」。1番から3番まで,3話連続のドラマを見ているかのようです。そしてさらにすごいのはさだまさし。「風に立つライオン」となると,演奏時間が8分を超える大作ですが,繰り返しのフレーズがまったくない! このあたりになると長編映画のようです。

まあ,それはともかく,アマゾン・ミュージックでは歌詞も表示されます。「桜」を聞いているとラップの部分の歌詞が表示され,ラジオではよくかわらなかった部分の歌詞を,今になってようやく理解できました。

かつて,この曲を無謀にもカラオケで歌おうとしたとき,難曲すぎてラップの箇所では黙り込んでしまった記憶が不意によみがえってきました。

でも,この曲は本当にいいですね。残業続きで最近の睡眠時間は4,5時間しかないのに,ゆうべは午前零時を過ぎているにもかかわらず,何度も何度もこの曲を再生して聞き続けました。

初めての春の空気に子をひたすアワユキエリカけぶり咲く道(俵万智) 

2020年3月22日 (日)

マックス・フォン・シドーと並ぶ俳優は浅野和之よりも嶋田久作では?

朝日新聞に「三谷幸喜のありふれた生活」というコーナーがあります。最近は鹿児島県の地方版の紙面に掲載されるようになりました。和田誠の題字とカットですぐに目に付きます。私は三谷幸喜作品がほどほど好きで,ちょっとばかり目を通します。

3月20日掲載分では,先日90歳で亡くなったマックス・フォン・シドーを取り上げていました。

はて? マックス・フォン・シドーって誰だっけ,と思いながら読み進めてようやく気付きました。「エクソシスト」のメリン神父役だったのか!

しかも,もう一つの驚きが。なんとメリン神父を演じたときのマックス・フォン・シドーの年齢は44歳。メリン神父は今の日本人の感覚だと70歳から80歳ぐらいの老(ふ)け役。三谷幸喜が「とうに二百歳を超えている印象だった」とコメントしているのも頷(うなず)けます。

私が「エクソシスト」を見たのは大学生のとき(公開自体は1973年)。たまたまテレビで放送されていたのを見たのですが,映画のクライマックスで,悪魔に取り憑(つ)かれた少女と悪魔払い師のメリン神父,カラス神父の壮絶な戦いは息つく暇もないほど。メリン神父が倒れ,カラス神父が二階の窓ガラスから身を投げて,自分の命と引き換えに悪魔を退治します。息絶えようとするカラス神父が友人の手を握りしめるシーンは感動的ですらありました。

以来,大学生のときにビデオを借りて5,6回は見ました。世界中で大ブームとなったホラー映画なのですが,私は今でもヒューマンドラマだと思っています。

さて,「ありふれた生活」の最後,「演技力,ルックス共に日本のマックス・フォン・シドーと僕が勝手に思っているのが浅野和之さん」と紹介されていました。残念ながら私は浅野和之という俳優を知りません。見たことはあるかもしれませんが意識したことはなく,どうもピンときません。

私にとって,日本のマックス・フォン・シドーと言えば嶋田久作しかありません。「帝都物語」がデビュー作の嶋田久作は,加藤保憲役(超能力をもつ不気味な軍人)を演じましたが,このときの印象はまさに圧倒的。彼をモデルにした「ストリート・ファイター」のボスキャラ,ベガ(ファミコンソフトのキャラクター)など,強烈な存在感・個性は後世の娯楽作品に多大な影響を与えました。

そして何より顔面の長さ。アゴが突き出ているならアントニオ猪木がいますが,アゴ先から頭頂部までの長さとなるとマックス・フォン・シドーと並ぶ俳優は嶋田久作だけではないでしょうか。

そして作品「帝都物語」の難解さ,大物俳優が多数出演する豪華さ,金をかけたスタジオのセット。私にとっては「エクソシスト」に並ぶインパクトを与えました。

しかし,今では嶋田久作はドラマや映画のちょい役で出演する程度。それがちょっと悔しい。

だれの悪霊なりや吊(つ)られし外套(がいとう)の前すぐるときいきなりさむし(寺山修司)

2020年3月21日 (土)

お散歩日和(びより) 天才たちはなぜ散歩をするのか?

今日は雲ひとつない晴天。日差しがあたたかく,風は爽(さわ)やか。春本番です。

朝のうちに買い出しをすませてから近くの美容室で散髪。そのときに美容師から「今日はいい天気ですね。お散歩するんですか?」 ああ,そういえば最近散歩をしたのはいつだっただろうか? 

この2ヶ月は多忙で土日も仕事でまったく余裕がありませんでした。会社に行かない日は家でゆっくりと体を休めることに専念していました。こんな天気のいい日にずっと家にいるのはもったいない。昼ご飯を食べた後,1時間弱ですが近所の住宅街を散歩しました。

団地造成をしたときに一緒に整備した公園が,町内のあちこちにあります。それを順番にまわっていくコースにしました。最初に立ち寄った公園ではテニスコートで高齢の男性5,6人がテニスを楽しんでいました。ソフトですが,歓声をあげて楽しそうにしています。

その次の次に立ち寄った公園では,母子連れのグループが2組遊んでいました。どうやらママ友らしく,一緒にベンチに腰掛けておしゃべり。小学校入学前の子どもが5人ほどブランコなどで遊んでいます。

横目に見ながらその後も公園を巡るのですがどこも無人。10番目に立ち寄った公園は,この地域で一番広いこともあり,大人達がソフトボールの試合をしていました。そのとなりの草地では小学生らが数グループいて遊んでいます。お年寄りの男性が一人ベンチに腰掛けてひなたぼっこをしていました。

このあたりも少子高齢化が進行して子どもが少なくなりました。かといってお年寄りも公園にはでてくることなく,家に閉じこもっているんでしょうか? お天気とは裏腹に静かすぎる住宅地を歩くと,本当にここに人が住んでいるんだろうか? と考えてしまうぐらいです。

今読んでいる「天才たちの日課」(メイソン・カリー)は,世界の天才たち161人の毎日の習慣を2~3ページで紹介するエピソード集です。

この本に登場する天才たちはよく散歩をしています。アメリカ人の作曲家,モートン・フェルドマンは朝6時に起きて11時まで仕事を終えると,その後は何時間も元気に外を歩いていたとか。ベートーベンも昼食をしっかり食べた後は長い散歩に出かけ,日中の残り時間の多くがその散歩に費やされたとか。デンマーク人の哲学者のキルケゴールの一日は,執筆と散歩で占められていたようです。

それに比べて日本人はどうなんでしょう? 散歩なんて言葉を耳にしなくなりました。高齢者が歩くのは「ウォーキング」という運動として,健康づくりの一環として行うことが当然のようになっています。日本人は「~のために」やるという几帳面な性格がよく出ています。

私も暇を見つけると,天気がいいときにはよく散歩をしていました。あちこちの家々や庭の木々,草花を見ることがなんだか面白いのです。しかし,ひとりで目的もなく歩くと不審者扱い。変な世の中ですね。

少年や春着の姉をまぶしとも(藤田湘子)

2020年3月20日 (金)

引っ越し業者を確保する方法 人手不足の時代でも工夫次第?

娘がもうすぐ関西で一人暮らしを始めます。そういうわけで今日は家電製品を買いにアミュプラザへ行きました。

冷蔵庫,洗濯機,炊飯器,電子レンジ,テレビ,チューナーなどを買いそろえたところ,総額で18万円余り。これらはすべて,関西の引っ越し先のアパートに指定日配達することで手続きが終わりました。これらは娘がネットであらかじめ調べておいた商品。なるほど,便利ですね。

それ以外の生活必需品は引っ越し先で購入することにしています。ユニクロ,無印良品,ニトリなどがアパートの近くにあるので,現地調達することにしています。こちらもすべてネットで調査済み。娘は抜け目がない。

そういうわけで引っ越しを業者に委託する必要はありません。身の回り品や衣類を宅配便で送るだけ。しかも,最初の数週間はマンスリーマンション暮らし。マンスリーマンションにはひととおりの家具や家電製品が備え付けなので,マンスリーマンションにいる間に買いそろえておけば,アパートの入居も簡単というわけです。

もちろん,マンスリーマンションの家賃の出費は痛いのですが,遠い関西で不動産を探す時間もなく,引っ越し業者を手配するのが困難な今の時代。こういう手段もありといったところでしょうか。

一人暮らしを始める娘も気分が盛り上がってきたようです。今週は晩ご飯は娘が料理にチャレンジ。昨日は鶏肉のごまだれ焼き,その前日は豚肉と豆腐のコンソメ煮。私や妻が思いつかないような料理を作るので新鮮です。しかもレシピを見ながらつくっているのでとてもおいしい。

普段はまったく親の手伝いをしない娘ですが,自分のこととなると興味をもってチャレンジするところが非常におもしろい。そのおこぼれをいただく私もとても嬉しい。

ところで,知り合いが離島に赴任することになったのですが引っ越し業者が確保できないとぼやいていました。昔は単身赴任パックという引っ越し商品がありましたが,今はなくなったとか。結局体ひとつで島に行き,現地で調達するしかないな,と話していました。

ネットショッピングで商店街は衰退し,難儀をしている人もいる一方で,興隆しているネットショッピング業界を支える宅配業者や流通・運送会社は人手不足で困っている。

似たようなミスマッチは日本国中で発生しているのですが,簡単に解決する処方箋が見つかりません。「自営業者が運輸業界に参入,あるいは雇用されたらいいのに」と思うのは簡単ですが,そうしないのが人の人たる所以(ゆえん)でしょう。

ロボットやAI導入によって職が奪われると騒ぐ人がいますが,現実をどれだけ見ているのか。人がいないくて困っているから導入されるのです。「必要は発明のマザー」(by長嶋茂雄)と言うでしょう。

建前に固執するのではなく,現実に柔軟に対応していくことが私たちに求められています。そしてインターネットという情報検索能力は,このような市場のゆがみ(情報の偏在)を正す強力なアイテムになっていることをつくづく痛感させられました。

風見鶏(かざみどり)しづかに止まれ逡巡(しゅんじゅん)ののち深き知恵得たりしように(稲葉京子)

2020年3月15日 (日)

「マンガ・アニメのトラウマ最終回」で気付いたこと 遙の夢だったんだ

先日,バスを待つ間,冷たい風を避けるために近くのローソンで立ち読みすることにしました。

何気なく書棚に目をやると「マンガ・アニメのトラウマ最終回」という黒い表紙の本が目に入りました。ぱらっとめくると「ガッチャマン」の最終回が。チーム全員が死亡するという衝撃的結末が出ていて,私がまだ保育園児だったころを思い出し,さらにページをパラパラとめくりました。

紹介されているアニメ・マンガは昭和40年代から平成初期まで。もちろん,私が生まれていない時代やテレビで放送されていない(KKBが放送されたのは私が中学生のとき,それまではMBCとKTSの2つの民放しか放送されていませんでした)ので見ていない番組もあったのですが,それでも懐かしくて,バスの到着を気にしながらもざっくりと目を通しました。

そして目が釘付けになったのが「東京大学物語」(江川達也)でした。私が高校・大学生の頃でしょうか。青年誌に連載されていたのは。その後,ドラマ化までされた人気マンガです。

妄想癖があってプライドが高く,成績優秀の主人公が,水野遙というかわいくて天然ぼけでおっぱいのおおきい,男性の欲望を如実に表現した同級生との恋愛を描くラブコメマンガです。

私が読んでいたのはコミックでいうと5巻ぐらいまで。主人公が高校3年生から東大受験に失敗して浪人生活を始めるところで記憶がなくなっています。その頃には私は興味を失っていたのでしょう。

コンビニでそんな昔のことを思い出しながら読みすすめると,なんとこの「東京大学物語」の最終回は小学生の遙の夢だったというオチ。34巻まで連載が続いていたというのも驚きでしたが,こんな結末だったとは。しかも,この本で紹介された内容を読むと,コミックの1巻(週刊誌だとおよそ10週分)がまるごと二人のセックスシーンの描写だったこともあったとか。青年誌に連載とは言え,ここまでくるともはやラブコメマンガじゃないよ。

受験勉強を巡るマンガと言えば,私が中学3年生のときに少年サンデーに「はっぴぃ直前」(克・亜樹)というマンガが連載されていました。中学の同級生がこのマンガの熱心な読者で私に見せてくれました。こちらは難関高校を受験する平凡な男子中学生と美人家庭教師のラブコメ。こちらもマンガが高校受験を迎えたところで私も高校に進学。そうなると少年サンデーを読む機会はなくなり,その後のストーリーはわからないまま。でも,ありえないよ,という展開が多すぎて共感できず,その後のストーリーに興味はありませんでした。この日立ち読みした「トラウマ最終回」に見当たらなかったので,ハッピーエンドらしき結末だったのかも。

そしてもう一つが「冬物語」(原秀則)。こちらは大学浪人の男性が主人公。偏差値50未満の三流大学すら合格できない落ちこぼれと彼を取り巻く青春群像といったところでしょうか。登場する人物がちょっと格好よすぎるところもありましたが,夢に向かって歩きだす彼らに素直に感動しました。私が高校3年生のとき。単行本を同級生で回し読みをしていました。

受験マンガの代表というと「ドラゴン桜」ですが,私は一度も読んだことがありません(ドラマがあったのは知っていますが,こちらも見ていません)。やっぱり,自分自身が高校・大学に合格してしまうと,そういうマンガって一気に興味を失ってしまうのかもしれませんね。

ものの芽のほぐるる先の光りをり(深見けん二)

2020年3月14日 (土)

赤本を売って受験勉強を清算 寿司まどかで合格祝い 

今年の4月から大学進学が決まった娘。今日は教科書や問題集などの廃棄や,家の中の片付けなどで一日を費やしました。

午前中に教科書などの書籍類を紐でくくって近所のリサイクル置き場へ。勉強用の椅子を2つとカラーボックス,本棚を解体して車に積み込み,鹿児島市の北部清掃工場へ。粗大ゴミへの搬入は30台近い車の列。20分ぐらい列に並びました。

一度帰宅して,今度は赤本や学習マンガなど,まだまだ使えそうな本を車に積み込みました。こちらはブックオフへ。順番は4番目だったのですが,なんとこちらは1時間待ち。

いやはや,みんな考えることは同じですね。引っ越しする前に不要になった本は売りさばいて少しでも金銭で回収し,いらない家具はゴミ処分場へ。

ブックオフには56冊を持ち込み,買い取り代金は7500円。これまでで最高の売上額でした。やはり赤本の買い取り価格が高い。妻が私立の赤本を何冊も娘に買い与えたため,財源(?)が豊富だったわけです。

帰り道,寿司まどかに寄りました。娘の好物はお寿司。しかも回転寿司の寿司まどかが好みなのです。私は5貫セットに生ビール,それに巻き寿司となす田楽を追加してもうお腹いっぱい。妻と娘はそれぞれ季節の企画品と牛カルビ? サーモンチーズ焼き? 塩タン? と次々高額商品を注文。満足そうでした。

お勘定は3500円。安い。古本の売り上げで十分まかなうことができました。娘もごきげんで,いっぱいおしゃべりをしました。進学後の勉強のテーマ,海外留学などなど,将来を語る姿って夢にあふれています。30分程度でしたが,楽しい時間が過ごせました。

私は1月から忙しくて,夕食を家族全員で囲むことがありませんでした。そんな巣立っていく娘と外食をするのは今日が最後になるかもしれません。そういう意味で,私にとっては貴重な一日となりました。

あふむけば口いつぱいのはる日哉(かな)(成美)

2020年3月 8日 (日)

香川県のゲーム規制条例の盛り上がりって,私に関係ありますか?

香川県のゲーム規制条例がしばしばマスコミに取り上げられています。条例の主な内容は,「スマホ,ゲームは60分以内」といったところでしょうか?

これに対する波紋が大きく広がっています。「個人や家庭内のことに口出すな」的な意見から,「eスポーツもある現代に逆行する」という積極的反対まで,いろいろと目にしました。みなさんはいろいろと考えているんですね。すごいなあ,鹿児島県人の私には関係ないと思っているので,他人事なんですが,こんなくだらないことについて熱く語っている人を見ると感心してしまいます。

一昔前は「ネトゲ廃人」という言葉は流行していました。インターネットゲームに没頭し,昼夜が逆転。現実生活に戻れなくなった人々が存在していると,一時期朝日新聞でも取り上げていました。

そういえば成毛真もそんなことを著書で自分自身の体験を書いていました。会社に行かず,ずっとネットゲームをしていたところ,会社の部下がそのゲームに参加して「社長,会社に来てください」みたいなことをゲームの中で具申してきたとか。成毛自身も「あの頃の自分はどうかしていた」と語っていましたが,それぐらい熱中させる何かがあるんでしょう。

でも,不思議なのは,成毛氏などはゲーム依存の状態から卒業していることです。成毛氏だけではなく,多くの人は卒業しているのではないでしょうか。確かに長い人は数年も依存症になるでしょうが,いずれ気付くときが来るのではないか,なんて思ってしまいます。

私もゲームに熱中した時期があります。ファミスタをリーグ戦でずっとやってました。だからといえ,それがずっと続くかというと疑問。そのうち飽きてきて,現実の世界に戻るのです。膨大な時間が無駄になったことは事実ですけど。

さて,ゲーム規制条例に話は戻ります。あれこれ議論はありますが,年配の方は「ゲーム」を「マージャン」に置き換えてみるとどうでしょう。現在の70歳以上の高齢者,いわゆる団塊の世代は青春時代を雀荘で過ごしたはず。もちろん全員ではありませんが,おそろしいほどのめり込んだのではないですか? でも,それも一時の夢。やがて会社でサラリーマンとして働き出し,付き合いでマージャンはするぐらい。そうなってませんか?

スマホゲームにせよ,インターネットゲームにせよ,私は根っこは同じではないかと思います。一種の通過儀礼みたいなものでしょう。思春期に異性に強い関心をいだくように,多くの人にもゲームに没頭する時期がくるのではないでしょうか。ゲームにのめり込みすぎて現実生活が送れない人がいるじゃないか,って反論があるかもしれません。でも,異性に強い関心をずっと持ち続けて高齢者になってもレイプや強制わいせつ事件を起こす人だっています。そういう人がけしからんといってわいせつな本を開いたり映像を見たりするのは1日60分までと規制をかけますか?

何にせよ,極端な行為に走る人は一定程度存在します。それを排除するために,無害な人たちにも十把一絡(じゅっぱひとから)げに規制をかけるなんて,私は的外れだと思います。

ところで,鹿児島県では自転車に乗るときはヘルメットをしなければならない,自転車保険に加入しないといけないという条例があることを知っていましたか? ここ鹿児島はもちろん,全国紙でも全然話題にもなりませんが,こちらはゲーム規制条例なんかよりも,ずっと影響があると思いますよ。当たり前すぎてマスコミが取り上げないことこそ,私は大事にしたいですね。

ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ(中澤系)

京都のみやげ話「トイレットペーパーは普通に売っていたよ」

週末,娘の進学のために京都にでかけていた妻が帰ってきました。

4月から入居予定のアパートはほとんど契約済み。まともな物件はほとんど残っていないため,4月中旬から入居可,の条件が悪いアパートを申し込んだとのこと。

4月1日には入学式があるのですが,鹿児島から京都に通学するのはいくら新幹線があるとはいえ無謀です。そういう訳でウイークリーマンションを探すことを私から提案していました。

ところがびっくり。妻の話によると京都府ではウイークリーマンションが条例で禁止されていて,マンスリーマンションしかないとのこと。1ヶ月未満の賃貸契約はできないとは。

背に腹は代えられず,マンスリーマンションを1ヶ月申し込みました。13万円するというから大金です。簡単な家具や家電製品はついていて,調理もできるという便利さなので仕方がありませんが余計な出費ですね。

あともう一つ。妻の話では,京都市内のスーパーやドラッグストアには,トイレットペーパーが商品棚に積まれていたそうです。山積みというわけではなりませんが,通常のように販売されていて,特に買い求める列も見当たらないというのです。京都市民,流通業者は立派ですね。

さて,鹿児島市内。帰ってきた妻と一緒にマックスバリューとタイヨー,マツモトキヨシに買い物に行きましたが,どこもトイレットペーパーの商品棚は空っぽ。これで2週間,買うことができないことになります。京都市内と鹿児島市内では流通が違うのか,鹿児島の人々がデマとわかって買い占める馬鹿なのか。鹿児島って独りよがりの人が多いのか。

マスコミの報道も疑問ですね。品不足はこれでもかって報道します。「人々が困っています。デマを信じないでください。国内で生産されていて十分足りています。冷静な対応を」と呼びかけながら,空っぽの商品棚や買い求める行列を映像で流します。

おいおい,あんたがやってることは立派なデマ便乗のあおり行為だろう。「褒め殺し」のニューバージョンか? わざわざ空っぽの店を映像で流さずに,たまには商品が十分置いてある店を取材しろ!

わってますよ。商品棚に商品がきちんとあるのはニュースにならないんでしょ。絵にならないんでしょ。品不足で大変じゃないとマスコミの存在意義がないんですよね。自覚してやってるんですよね。

そして,それに乗せられて右往左往する人たち。哀れやな。

大工町寺町米町仏町老母買う町あらずやつばめよ(寺山修司)

2020年3月 7日 (土)

ラグビーもサッカーも試合がない週末に,無観客のオープン戦を見る

毎週土曜日,日曜日はサッカーのJリーグか,ラグビーのトップリーグを観戦するのが日課になっていました。しかし,新型コロナウイルスにヒステリックな人たちがいるために,私は土日も業務に追われてしまい,とても楽しめる状況ではありませんでした。

2月末に安倍総理がイベントの自粛要請をしたこともあって,3月中旬まで全試合が延期。ちょうどいいといえばそうなのですが,今日は午後はようやく仕事を休めたのに楽しめるものがありません。ああ,なんてこったい。

仕方なしにテレビを見ていると,BS朝日でオリックス対巨人のオープン戦が放送されていました。いわゆる無観客試合。静かです。本当に静かです。なんだか,草野球みたいです。

ピッチャーの投げたボールがキャッチャーミットに収まる度に,雷を思わせるような破裂音が球場内に響き渡ります。ジャストミートするとそれに劣らぬ快音が生まれます。ベンチや野手からは野次とも激励ともつかない,声が聞こえてきます。ファールが客席に入るとゴツンとやや低い音が聞こえてきます。

いつもは応援団のトランペットなどの騒音で聞き取れない,これらの音を聞きながら,小学生の頃のことを思い出しました。

私は小学校の同級生が出場している野球の試合をよく見に行っていました。観客なんて私だけ。選手達のかけ声とボールをキャッチしたときの音,ボールがバットに当たった音,よく聞こえました。空はよく晴れて,風はここちよかった。そんなのどかなグラウンドで,私はのんびりと芝生に腰掛けて無邪気に応援していました。

テレビでは解説者が「無観客では選手の気合いが入らない」とコメントしていましたが,本当にそうなんでしょうか? 野球選手は観客にアピールするのもプロとしては大事だと思います。でも,野球をすること自体に影響があるとは思えません。観客の目を意識しない分,自分のプレーに集中できるのではないでしょうか,スタンドプレーを考えなくていいってことなんですから。

テレビを見ている私も,いつもとは違って,野球本来の音が聞こえることを楽しんでいます。あれこれ過剰なサービスがあふれる今日,こういう日があってもいいよなって思いました。

世界とは時代とは数限りなき固有名詞の羅列にすぎず(藤原龍一郎)