2020年3月 1日 (日)

トイレットペーパー騒動にみるSNSの自浄作用 

トイレットペーパー騒ぎについて家の中で話題にしていたところ。高校3年の娘が話しかけてきました。

「お父さん,このデマを流した人って写真家なんだって。今はネットでそこまで特定できるからすごいよね。非難囂々(ごうごう)で炎上しているらしいよ。アカウントはもう削除されたけど,それでも特定してるんだからね」

なるほど。ネットは簡単に発信できる反面,発信者の特定も容易です。おそろしいといえばおそろしいですね。

しかし,デマの発信者をつるし上げたところでこの騒動が収まるかは疑問。そもそもデマとはそれらしき不確かな情報があって,みんながそうかもしれないという不安を抱えたときに発生します。写真家のSNSがきっかけだったとしても,それが大きな流れとして加速していったとき,もはや止めることは容易ではありません。

朝の民放局のニュースをみていると,開店前のスーパーに並んでいるお客さんにインタビューをしていて「トイレットペーパーがもう家にないし,あちこちのスーパーで品切れになっているので開店2時間前ですけど来てみました」 なるほど,家にもうないのなら仕方がありませんよね。この騒動で大変でしょうね。

お昼のニュースをみてると,このインタビューに答えたお客さんは「家には在庫があるんですけど,不安なんで買いに来ました」 おいおい,在庫があるなら買いに来るなよ。

こういう「不要不急」の買い付けに来るお客さんが存在するから,品不足になっているわけです。こういう人もネットで炎上するんだろうな,と思いつつ見ていました。

そんなことを呟(つぶや)いていると,高校生の娘が「だから,本当に必要で買いに来るお客さんが申し訳なくってなんだか後ろめたい気持ちをもっているらしいよ。ネットにでてた」

SNSで始まったこの騒動。SNSでどこまで収束できるのか。もし,SNSでこういう過剰な買い物客を批判して,行動を抑制するようになれば,民主主義の進化形のようにも思えます。

いや,でも,と思います。これは全体主義なのではないかと。いつか見た光景ですね。「ほしがりません,勝つまでは」みたいな。80年前は国の統制と地域コミュティによる監視・束縛。情報化が進んだ現代はネット・SNSによる監視・束縛。わたしは逆に恐怖を感じます。安倍首相を批判する共産党や社民党は,こういう全体主義は批判しないんでしょうか? あっ,これはよけいなことでした。

挑発に乗るなと常にさけぶ声ついに切なしその夜半も過ぐ(近藤芳美)

トイレットペーパーの買占め対策として 値上げしてください

今朝は近くのマックスバリューに買い物に出かけました。

トイレットペーパーの棚はすっからかん。鹿児島市内のスーパーでもトイレットペーパーがないんですね。そして生理用のナプキンもすっからかん。女性のみなさんは大変でしょう。

昨日のブログでも書いたとおり,我が家では,トイレットペーパーは一袋(12ロール以上)はストックしている上に,生理用品も1月分はストックしているので今すぐ大変ということはありませんが,これが続くようだと困ります。

商品棚を見ると価格はそのまま据え置かれていましたが,こういうときには2倍の価格で販売すればいいのに,と私は思います。いわゆる需給と供給のバランスをとるわけ。売れないときには値段を安くする,売れるときには高くするという一般的な経済理論を適用するだけで,ある程度消費者の自制を促すことができるのではないでしょうか。

特に,こういう買い占めに走る人を懲らしめるためには,値上げしてスーパーが儲けをとることが大事だと思います。そうして落ち着いてきたらスーパーの在庫もだぶつくようになるでしょう。そうなれば特売をして売り出してほしいのです。

値上げしても効果がないのでは? と思う人もいるでしょう。いいじゃないですか,それでも大量に買いたいと考える人からはどんどんお金をもらいましょう。家の中にトイレットペーパーを買いだめることで無駄な出費をさせましょう。こういう馬鹿げた消費活動をする人は,すでに判断能力が低下しているのですから,何を言っても聞く耳をもちません。もっとも効果があるのは財布の中身が心配になったときです。そのときにようやく自分の馬鹿さ加減に気付くでしょう。

必需品を値上げするなんてけしからん,と思う人もいるでしょう。トイレットペーパーの値段がいくらか知ってますか。1ロールあたり20円程度です。これが40円になったところでたかが知れています。その分,あなたは必需品以外の購買をひかえてください。

年金生活者には大変? そうですね。でも商品が出回らず,ネットで高値で転売されているときに,そんな議論をして意味がありますか?

昨日の時点で,日本での新型コロナウイルスの死者は5人です。クルーズ船も含めると11人。日本全体の感染者数は確認されただけでも1千人にも満たないところです。にもかかわらずマスクなどが売り切れ,学校は一斉休校,イベントは中止・延期なんて異常な状態です。

はやいとこ新型コロナウイルスが日本全体に蔓延(まんえん)し,実は季節性インフルエンザと大差ないことに,日本国の多くの人々が気付くことを祈ります。

資本主義のとある街角必要に応じて受けとるティッシュペーパー(俵万智)

2020年2月29日 (土)

トイレットペーパーを買い占める「善良」な人々

今朝の朝日新聞に「トイレットペーパーなくなる デマに注意」という記事がありました。

内容を読むと「主にSNSで「マスクとトイレットペーパーの原料は同じ」「新型肺炎の影響でトイレットペーパーが今後なくなる」といったデマが拡散したことが品薄を招いているようだ」とのこと。

もちろんマスクとトイレットペーパーは原材料は違います。だから,マスクを増産したからといってトイレットペーパーの生産量が落ちるはずがありません。でも,そんな簡単なことがもっともらしい偽情報によって見えなくなるんですね。

私はSNSを見ない(スマホを持っていない)のでこの騒ぎを知りませんでした。たとえ知ったとしても私はこういう行動はとりません。私はこういう群集心理(みんなするから私もする,人に遅れをとったら大変)がもっとも嫌いなので,絶対に仲間になりたくないのです。

オイルショックのとき(1973~1974年)のときもトイレットペーパー騒動がありました。生産量も在庫量も十分だったにもかかわらず,買い占めが発生し,ひどいときはどこにでもいるような主婦らが箱単位でトイレットペーパーを買う始末。その結果,本当に在庫がなくなり,品不足が発生しました。

このときは大東亜戦争時代とその後の品不足を経験した人が多かったこと,中東戦争などがあったこと,メディアがその騒ぎを広げていたこと,などなどが原因だと言われていますが,今はSNSとは時代を感じますね。

こういう個人からの情報発信デマとなると,佐賀銀行の取り付け騒ぎ(2003年)が思い出されます。知り合いから「佐賀銀行がつぶれるらしい」という話を真に受けた(これも本当かどうかよくわかりませんが)20代の女性が,これは大変と「善意」でその情報を26人に一斉に緊急メール送信。これが契機となって情報が瞬(またた)く間に広がり,数日のうちに佐賀銀行から500億円以上の預金が流失しました。

こういう群集心理(パニック)は恐ろしいものです。何しろ常識が,真実が,彼らには通用しません。彼らなりの「真実」と「善意」に基づいた行動ですからね。「真実」と「善意」が支配した世界では,それに反することは「偽(いつわ)り」「悪意」です。

こういう群集心理に巻き込まれないときはどうするのか? 私はあえて不安に駆られた人たちの行動を逆の行動をとります。品不足になったらどうするか? ふだんから一定量を備蓄しているのです。非常食なり,日用品は。特売の時があるでしょ。そういうときに備えておくのです。品がないなら買わないだけのことです。

人の噂も七十五日。煽(あお)られた「善意」だから,しばらくすれば醒(さ)めるでしょ。

人のいく裏に道あり花の山 いずれをいくも散らぬ間にいけ(投資界の格言)

2020年2月24日 (月)

市民農園の後始末 笑顔で一緒にいる妻 愛(いと)しい時間

今年の3月で市民農園の賃貸契約が終了します。自然農法の実験場となったこの畑もいよいよお別れとなりました。

鹿児島市からの連絡で,整地して返却しなければいけません。今は収穫すべき野菜はすべてなくなり,クローバーのみとなっているので,この除草作業をしなければなりません。

「しょうがないなあ,私が一緒にいくから」妻が手伝ってくれました。私の畑にまったく関心がない妻も,仕事が忙しくてなかなか畑に行けない私を気遣ってくれたのです。

それにしても野良仕事は大変。まず私が鍬を入れてます。クローバの根切りです。刈り取った草を妻が一輪車に投げ込んでいきます。その後は三つ叉で根起こし。掘り起こした根っこを妻が一輪車に投げ込んでいきます。

慣れない野良仕事。30分もしないうちに私の握力が次第に落ちていくのが分かります。1時間も作業をしたら腰が痛くなってきました。

お昼は近くのコンビニへ。「お昼は何がいい? 私はサンドイッチにしようかな?」妻が嬉しそうに品定めをする横で,私は鶏そぼろ弁当を選びました。農園に引き返し,畑の中にある四阿(あずまや)でお弁当を開けました。周囲では数人,畑仕事をしていましたが,私たちはそれを気にすることなくおしゃべりをしながらぱくつきました。

午後,思い出したようにおしゃべりをすることもありましたが,ほとんど無言で除草作業を進めます。しゃがみこんでの除草作業は一苦労。ひざも腰も腕も,もう力が入りません。

「ここできちんとできるかがすごく大きいと思うよ」雑な仕事をしている私を,妻は優しい言葉で励ましてくれました。でももうギブアップ。通算5時間の野良仕事。おつかれさまでした。

疲労回復に効果があるからと,いったん家に帰ってから二人で温泉に行くことに。「子ども達がいなくなったら,二人で温泉に行く機会が増えるよね」妻が車を運転しながら話しかけてきました。

私と妻が出会ってから結婚するまで2年。それまでのつきあった時期にデートをしたのはほんの数回。手を握ることもほとんどありませんでした。結婚してから3ヶ月で妻が妊娠。出産してから間もなく2人目を妊娠。それから2人の子育て,仕事にとお互い頑張ってきました。

昨年長女が大学に進学,そして2人目の娘もこの春卒業し,大学へ進学します。今年の4月から20年ぶりに夫婦2人の暮らしに戻ります。

今でも私は妻が好きです。初めて出会った頃から変わることはありません。その妻とまた二人っきりの暮らしが始まります。子ども達が巣立っていく寂しさを感じると同時に,また夫婦水入らずの暮らしが始まることが,なんだかもう一度新婚生活が始まるような不思議なうれしさにつながっているような気がしてなりません。

春の野に妻と居ることふしぎなり(今井杏太郎)

2020年2月23日 (日)

娘と50分の長電話 無口な私でも家族との会話だとこうなるのかな

昨日は関西に住んでいる大学生の娘から電話がかかってきました。

娘の話は次から次から湧き出てきます。最近始めたアルバイト先で仕事ぶりをみとめられたことやそのときの出来事,別のアルバイト先であるパン屋さんでは残り物を持ち帰るときは50円の値段がついたので,持ち帰りをやめて廃棄時のつまみ食いに方針を変えたことなど,私からすれば他愛のないことを面白く話してくれました。

私はもともと無口な方で,一人本を読んだり空想に耽(ふけ)ったりするのが好きでした。だから,高校生の寮生活,大学生のときの一人暮らしも全然苦にならず,親に電話することも本当に珍しいぐらい。

今から30年前といえばテレフォンカードで公衆電話から電話をしていた時代。それからすると今の子ども達は携帯やラインでいつでもつながる,いつでも話ができる。時代は変わりましたね。

ちなみに娘の携帯代は私たち(親)が負担しています。家族4人で1万8千円ぐらい。私はガラケーでほかの3人はスマホ。簡単に計算はできませんが,娘の携帯代は頭割りして5千円ぐらいでしょうか。

大学生の娘の家賃と光熱水費も私の口座から引き落とし。これが合計して8万円弱。実質仕送りと言えるのは食費の3万円だけ。全部あわせて10万円を少々超える程度です。

私が大学生のとき。今から30年前もやはり仕送り代は月10万円でした。家賃が4万5千円。共益費や電気代が5千円。残りはほとんど食費(エンゲル係数が高すぎる!)。稼いだバイト代は本など趣味に使う。そんな学生生活でした。そして電話が学生アパートにはない生活でした。

比べてみると,30年も経つのに仕送りの費用ってほとんど変わっていないことに驚きます。その内訳は時代性を反映しているのに。いかに日本が暮らしやすくなっているのかがよく分かります。失われた20年という言葉がありますが,生活の質は大幅に向上しました。コスパがすごくよくなりました。これは間違いありません。

交通費はほとんど据え置き(航空券は格安に),食事も多様化するのに費用はほとんど変わらず,家賃も据え置きで家のグレードはアップ,電話代にしても固定電話とスマホでは比べものになりません。21世紀初頭からは日本は停滞の時代だと人はよく言いますが,私にとってはこんなに生活のコスパが改善した20年はなかったと思います。

娘と電話をしながら,私はそんな30年前の貧乏学生時代を反芻(はんすう)していました。

うめ一輪一りんほどのあたたかさ(服部嵐雪)

2020年2月22日 (土)

青いユニフォーム 応援説明なし 応援BGMなし レブナイズ完敗

新型コロナウイルスの影響で,今日のレブナイズの試合は散々でした。

まず入場口の説明「マスク着用をお願いします」 私は咳がでるときだけしかマスクは着用しないことに決めています。今日は普段どおり健康なのでスルーしました。

次の説明「サイン会,試合後のハイタッチは中止します」 私はサイン会でサインをもらうことはないのでこれも関係なし。ハイタッチも同様なのでこれもスルーしました。

次の説明「選手へのプレゼント,差し入れは入り口の箱にいれてください」 私は差し入れなんてしたことはありません。こういう人がいることに正直驚きながら,これもまたスルーしました。

試合の30分前に会場の2階席に入ったのですが,いつもこの時間はちらリーディングのレイベスが観戦時の応援作法を教えています。「ディフェンス ちゃんちゃん」とか「ゴーゴーレブナイズ」とか。ところがこれがありません。

試合が始まってもいつもの応援BGMが流れません。洋曲がBGMとして流れ続けるだけ。何だか試合前の練習風景のようです。

一方観客席には小学生の団体が結構目立ちました。今日は今シーズンの鹿児島アリーナ初開催。動員ということだったのでしょう。それ以外には中年のおじさんがひとりで来ている姿がちらほら。

しかし,いつもの応援BGMがないので観客のほとんどは黙って試合をみているだけ。なんてつまらないんでしょう。

試合途中からは1階席の熱心なファンが「ディフェンス! ディフェンス!」など,いつもの応援を声を張り上げていましたが,アリーナに寒々しく響くだけ。なってこったい。

試合の方は,対戦相手がめちゃくちゃ強く,前半から圧倒されます。何しろレブナイズのシュート決定率は20パーセント前半。逆に相手は60パーセントを超えています。これでは勝負になりません。ハーフタイムでは30点差がついていて勝負への関心はすっかりなくなりました。

そして第4クオーター。残り1分となったところで私の携帯にメールの着信が。開いて見ると私の上司から。会場をでて折り返しの電話を入れると「社長からの指示で,休日明けに会議を開催する。その準備があるから日曜日に出勤せよ」とのこと。新型コロナウイルスの影響を心配した社長があれこれ言い出したようです。これで私の3連休はまた仕事に追われることになりました。

ところでこの日のレブナイズ。青いユニフォームでした。鹿児島国体の宣伝で国体バージョンの鹿児島県のイメージカラーを採用したとのこと。まったく余計なことをしてくれるよ。いつものブラックのユニフォームがはるかにかっこいいのに。

試合も大差で負け,応援もしらけっぱなし。鹿児島国体のイメージは悪くなる一方だよ,こりゃあ。間が悪いとはこのことだよな。

屏風(びょうぶ)の図ひろげてみれば長恨歌(ちょうごんか)(下村梅子)

2020年2月19日 (水)

世の中はかわいそうな人たちであふれている ようにみせているマスコミ

横浜港に停泊しているダイヤモンド・プリンセス号。新型コロナウイルスの検査の結果,陰性と判定された乗客の下船が始まりました。海外メディアはこの日本政府の隔離政策を「糾弾」していると,本日の新聞(南日本新聞? 読売新聞?)が大きく取り上げていました。

ちょっと違うんじゃないの? と思ったのは私だけでしょうか。2週間前は,感染が疑われる乗客がいるというだけで,クルーズ船から下船させるなと言う世論が圧倒的だったのではないですか。その隔離政策を支持していたのは,その世論を錦の御旗にしていたマスコミ各社だったのではないですか。

ここに来ての掌(てのひら)返し。すごいですね。海外の「糾弾」を大きく掲載するってどういう神経なんでしょう。痴呆症の老人みたいです。晩ご飯を食べたことを忘れて「ばんごはん,まだ?」と話しかけるような。

今週は月曜日から,この季節一番の寒波が鹿児島にも訪れました。火曜日の朝は路肩に雪が積もり,今朝も入来峠は凍結していたようです。

昨年末は雪不足でスキー場も営業ができず,「雪乞い」の儀式をしているニュースが流れました。しかし,今,そのスキー場がほくほく顔で営業している様子はニュースになりません。

また,今年の暖冬で野菜が安くなり,農家が困っている様子がニュースに流れました。しかし,消費者が安くて喜んでいるニュースはありません。逆に農家を心配する消費者のインタビューが放送されていました。よく見つけましたね。やらせではないかと疑ってしまいます。

そうなんです。人が困っているときは,その恩恵で喜んでいる人たちの様子をメディアは絶対に取り上げません。必ず困っている人,苦しんでいる人のみ取り上げます。

その結果,ニュースを見るとかわいそうな人たちがこれでもか,これでもかと出てきます。暗い話題を好んで取り上げながら,「明るい話題がないですね」とコメントする偽善ぶりにあきれてしまいます。だったらこの2週間下船をさせるなと叫んでいたネット世論を取り上げて「ネットの書き込みをしていた人は非常に喜んでいることでしょう」ぐらいコメントしたらどうでしょうか?

それにしてもマスクがよく売れてますね。鹿児島でも品切れが続いているようです。先日,とある人と話をしたとき,「1月に東京に行ったときはマスクをしているのは2割程度だった。それが先週東京に行ったときは8割ぐらいはマスクをしていた」と話していました。確かに,ラグビートップリーグの試合を見ると,観客の半数以上はマスクをつけています。私からすれば異様な光景です。

私がマスクをつけるのは咳がひどいときだけ。マスクをしないとしぶきが周りに飛んで迷惑になると思うからです。今の私は咳をすることはまずないのでマスクをしていません。そもそもマスクが感染予防になるんでしょうか? 私は予防としてのマスクは無意味だと思っています。

そんな私の考えを後押ししてくれる動画がありました。「マスクが広げる新型コロナウイルス」「岩室紳也」で検索してください。私の意見を聞くよりも,この動画を見る方が納得できます。

咳をしても一人(尾崎放哉)

2020年2月16日 (日)

デジタル人民元がアメリカドルの地位を奪うって本当?

今日の夕方,NHKの「世界のいま」を見ていました。国際通貨として最強の通貨であるアメリカドル。アメリカは中国企業との取引ではドル決済をしないよう求める動きを見せる一方,中国はデジタル人民元で対抗する動きを見せていると紹介していました。

ドル通貨の決済だと,国際間の取引では自国の銀行,アメリカの銀行,相手国の銀行の3つの関所を通らなければならないため,時間と手数料がかかります。しかし,デジタル人民元はそれらが不要。簡便かつ安価なデジタル人民元が出回るようになるとアメリカの力の源泉であったドルの威力が減じていくというシナリオでした。

確かにネット銀行に象徴されるように,手数料がかからないことは大きな魅力です。銀行制度が発達していないアフリカなどでは,送金手数料のかからないデジタル通貨(スマホ決済)がシェアを圧倒しているといいます。先進諸国では伝統的な銀行決済が圧倒的ですが,世界は広いですからね。デジタル人民元が世界的なシェアでドルを凌駕(りょうが)するというシナリオもそれなりの説得力があります。

しかし,デジタルの世界というのはどうも安心できません。ビットコインなど,情報技術の発達によってそれなりの信用性を確保しつつありますが,デジタル人民元も本当に信用性が確保されているんでしょうか?

マーティン・ウルフ(イギリスフィナンシャル・タイムズ紙の経済論説主幹)は,4年前のインタビューでこう述べています。

「アメリカは自由な資本主義市場をもっていて,それが他の市場と比較して比較しても割合うまく運営されている。そして法律に則(のっと)ってこれらの市場で,このお金を自由に引き出したり,使用したり,交換したりすることができる」「中国はこれらの条件を提供できない。法の支配もないし,次の週に中国の政治システムがどうなっているかも確かに予測できないし,ましてや10年先にどうなっているかまったくわからない。そうなると,巨額の人民元をもっていても,誰もそれを自由にトレードできる確信がなければ,ほぼ交換不能通貨ということになってしまう。これでは世界通貨としてのスタートラインにも立てない」

そしてデジタル人民元を予測したかのように,次のようにコメントしています。

「デイトレード,つまり貿易取引の決済のためのお金については,人民元が使われる可能性が高くなるだろう。しかしそれは,流動資産としてであって,世界の主要な資産となることとは異なる。中国で政治的変革が起こらない限り,人民元が巨額のアメリカドルに代わることはないだろう」

さすがですね。本質を突いています。確かに日々の決済ではデジタル通貨を使うでしょう。でもそれを資産として信用されるかはまた別の話。デジタル人民元をいくらもっていても換金できなければおもちゃの紙幣と同じです。

ビットコインがそうだったように,相場が乱高下すればその取引市場は破綻します。結局,世界通貨としての価値は,その通貨の安全性,経済性ではなく,その通貨発行国の世界的信用度の高さにかかっているというべきでしょう。

アメリカが嫌いな人はたくさんいます。でも,アメリカという国は建国以来,ずっと「アメリカン・デモクラシー」の国。多少の強弱はあっても「自由」に最高の価値を置く国です。この国の価値観はそう簡単に変わらないでしょう。

「中国共産党が第一」と考える中国が,「自由」を最高価値とするアメリカにとって代わる日がくるなんて到底思えません。そうなると人民元がアメリカドルを超えることはないでしょう。

ちなみに,中国は100兆円以上のアメリカドルをもっています。

赤い椿白い椿と落ちにけり(河東碧梧桐)

2020年2月15日 (土)

バレンタインデーから一夜明けて 今日も仕事です

昨日はバレンタインデー。職場の女性職員一同からのチョコレートをいただきました。もうすぐ50歳の大台に乗ることもあるのでしょうが,以前のようなうれしさ,トキメキを感じませんでした。少々さびしい。とうとうここまで老(ふ)けてしまったか。

職場では女性職員からの義理チョコをいつもいただいています。結婚してからは妻もチョコをプレゼントしてくれるようになりましたが,食べるのは妻か娘たち。私はチョコを欲しがりながらも実は甘い物はあまり食べないんですよね。

最近はチョコを食べると右の奥歯に沁(し)みるようになってきました。同じ理由でキャラメルやからいも飴も口にしません。トホホ。

毎年,アミュプラザではチョコぱくを開催しています。過去は横目に眺めながら通り過ぎていましたが,今年は眺めることすらありませんでした。1月下旬から毎晩残業でタクシー利用。鹿児島中央駅に立ち寄ることもなく,チョコの匂いすら感じません。

本来なら休みの今日も9時過ぎに出社。夕方5時までみっちり仕事。その後はバスに揺られて家まで帰りました。この1ヶ月は平日は退社は午後10時から午前2時。休日も普段の会社の勤務時間と変わりません。どうなってるんでしょう。終わりが見えません。

今日は会社に行くと女性職員が2人がんばっていました。1人は同世代。もう1人は30歳。どちらも独身。30歳の女性職員はまったく化粧気がない。それでも何かにつけて笑い声をあげる明るい性格なので,残業続きの職場でもなごみます。

これまでも私が経験した会社では,ちょっとしたアルバイトだったり,女性がわずか数名いるだけでも,職場の雰囲気は明るくなりました。

でも逆に暗くなる職場もありました。数年前,私のいる課は全員男性。隣の課は20~30代の女性ばかりという会社にいました。当時,2つの課はまったく交流がありませんでした。その女性ばかりの課の上司が交流を完全にシャットアウト。その上司は,私がその課の女性と話をしようものなら「下心があるんだろう」と因縁づけて嫌みをいう,本当に嫌な奴でした。そうなるとかかわりたくなるので,自然とその課の社員達とは疎遠になりました。

そんな会社でも救いがありました。当時,受付の女性社員が私と同世代で子どもの年齢もおなじぐらい。おっとりした感じで,美人というわけでもないのですが(ごめんなさい!),仕事の合間にたびたび駄弁っていました。知り合って2年目のバレンタインデーで,その女性から直接手渡しで義理チョコをもらいました。それが私がもらったバレンタインチョコ唯一の思い出でしょうか。いい歳していて,それでもうれしかったな。

このときもらったチョコレートは全部,妻と娘が食べてしまいましたけど。

バレンタイン君に会えない一日を斎(いつき)の宮(みや)のごとく過ごせり(俵万智)

2020年2月11日 (火)

非常時こそ人の真価が問われる 他人のせいにしたがる人たち

新型コロナウイルスが中国で猛威をふるっています。今朝の朝日新聞を読むと感染者は4万人,死者は900人を超えました。致死率は2.3%をやや下回る程度。また,横浜港に停泊しているクルーズ船,ダイヤモンド・プリンセスでも感染者は130人を超えました。

ウイルスの国内侵入をやみくもに恐れる人々のせいで,港に留め置かれた乗客・乗員はストレスがたまるでしょうね。その窮状を伝えるマスコミは偽善面もいいとこ。船から出すなとだれが煽(あお)っているんでしょう?

このクルーズ船が鹿児島港に寄港した影響で,私の会社にも相変わらず苦情の電話がかかってきます。「クルーズ船に乗っていた香港の感染者は行動が非常に怪しい。細菌をばらまくテロリストではないかと,近所の人といっているんですよ」と上品な口調で話し続けるおばさま。「鹿児島で感染者がみつかったらお前は死ね」と延々と怒鳴り声を上げてくるおっさん。

こういう状況になると,我が社の社員も両極端になります。一方は対策に追われて激務が続く人,もう一方はなにをしていいのかわからないまま時間が過ぎてゆく傍観者。まあ,こういう非常時には「たぬき寝入り」状態になるのも無理はありません。

連日あちこちからさまざまな意見が押し寄せます。これを克服するのは大変なことかもしれませんが,私は戦うだけです。

かつて私が不動産業界の仕事をしていたときのこと。土地所有者とトラブルになっていて5年も放置されていた案件がありました。昨日の怒鳴り声の苦情主同様,ヒステリックに相手に罵声を浴びせ,決して当社の話を聞こうとしない中年男性が交渉相手でした。

会社の先輩達に相談しても「あんな奴にかかわるのは時間の無駄。ほかのところへ営業に行けよ」と相手にされませんでした。それでも私はたった1人で,毎週のように,電話をしたり,足を運んだり,激しい口論になったりを繰り返し,2年後には契約締結にこぎつけました。

そうなると先輩らは「ひとりよがりなことをしやがって」など,今度は私に嫌みを言うようになりました。私はいちいち相手にせず,聞いてないふりをしていましたけど。

今回のクルーズ船が鹿児島に寄港したことによる苦情の嵐も同じような展開になりつつあります。本当に困難な事態に直面したとき,どういう態度をとるのか,社員の意識・姿勢が問われます。そして日本人の意識・姿勢もまた同じ。

それにしても不思議なことがあります。本日の朝日新聞によると,中国以外には新型コロナウイルスの感染者が453人います。このうち,死亡したのはわずか2人(香港,フィリピン各1人)。致死率0.4%とインフルエンザなみの致死率しかありません。しかもフィリピンの1人は中国人(武漢からの観光客)。これってどういうことなんでしょう?

また,この453人のうち,もっとも感染者が多い国(?)は,ダイヤモンド・プリンセス(135人)で,2位のシンガポール(43人)に圧倒的な差をつけています。日本(国内)は25人。これって単純に検査をしっかりしているってことの証明ではないんでしょうか。そう考えると世界各国の潜在的な感染者はこの10倍以上いてもおかしくありません。でも,中国以外の国ではパニックがおきるような肺炎は発生していない。ますます不思議です。これってどういうことなんでしょう?

東京湾にフランケンシュタイン哭(な)く声はをんをんと走り子は耳聡(さと)し(川野里子)