2021年6月15日 (火)

学生酒場「ひげ船長」で一緒に一杯飲んだのは職場の20代独身女性

会社では人間関係のもつれが問題になります。私も管理職となって営業でどうやって売上を伸ばすか、利益を出すかというよりも、人間関係で社員の力が十分に発揮できていない、社員が仕事を辞めてしまうという問題に直面することがしばしば。

これまでも上司との軋轢(あつれき)に悩み、私のところに相談に来る女性社員がいましたが、中年男性の私にとって20代、30代の女性、特に独身女性からの相談にはどうしても慎重になります。

もう20年以上の昔のことですが、私は観光関係の会社で働いていました。この会社には私に親切な先輩の男性社員がいました。5歳ほど年上でしたが、仕事でも私が失敗しても怒るようなことはなく、普段は神経質な顔をしていましたが、休み時間には一緒に囲碁を打ってくれたり、よく冗談を言っては笑顔を見せてくれました。

しばらくして同じ部署に私より5つぐらい年下の独身女性が入社してきました。大学を卒業したばかりの社会人1年生。顔が小さくてスタイルもほっそり。かわいい顔をしていました。ただ、職場では踵(かかと)のないミュールを履いて服装もキャミソールなどの薄着、男性に媚びるのが上手で、年上のおじさん社員たちからちやほやされては周囲の女性に「どや顔」をするところがあり、私は生理的に嫌いでした。

何を勘違いしたのか、私の先輩がその女性に好意を抱いてしまい、彼女を飲みに誘ったり、自宅まで車で送ったり、携帯電話で「お前のことが好きでたまらんのや」と伝えてきたりしたそうです(退職後にたまたま当時の会社の上司と出会い、そんなことがあったことを教えてくれました)。

そういうセクハラ行為の末、先輩とその女性は口も聞かない仲に。数カ月後に彼女はプライベートで知り合った年下の男性と結婚して寿退社。彼女は社員全員に結婚式の招待状を送ったようで、彼女が大嫌いな私はしぶしぶ義理で参加しましたが、先輩は欠席でした。当然ですが。

そして今、中年男性の上司から二人だけで飲みに行こうとしつこく誘われて困っている20代の女性社員がいます。彼女は、友人と一緒ならとやんわり断っていたようですが、いつになっても止まないため私に相談してきました。

今日の仕事帰り、私は彼女に話をしたいと伝えるとOKだったので近くのコーヒー屋に。ところがすでに閉店。近くに赤ちょうちんが見えたので立ち寄りました。鹿児島市内では学生向けの居酒屋として長年親しまれている「ひげ船長」でした。

彼女のオーダーで鶏の唐揚げ、卵焼き、私はしいたけとピーマンの串焼きを注文。2人でそれらをつまみながら私は彼女の話を聞きました。これまでにその上司から受けた数々の性的な言動、ひとつひとつは些細なことでもそれが毎日のように続くとボディーブローのように彼女の元気さを奪っていくのですね。

雨が降る中、彼女を自宅まで送ってかずっと、冒頭の観光関係の会社のことを思い出していました。私は彼女の結婚式に出席してからすぐにその会社を辞めましたが、先輩男性は結婚式から1カ月後にうつ病を発症し、現在は行方知れず。彼女の方も結婚から2年もしないうちに離婚。その後彼女は当時仲が良かった社員たちとの連絡を完全に絶ち、消息不明。なぜそうなったのか、どちらも原因はわかりません。

人生は時代劇「水戸黄門」のように勧善懲悪で理解できるものではありません。こういうとき、私は、心の問題を解決する鍵は物語の中にあるのではと考えています。

今夜「ひげ船長」でビールを飲みながら、私は自分の学生時代のばかばかしい思い出や、社会人としての人間関係上の経験を話しました。その中に彼女にとって必要な(心に届く)言葉があったかはわかりませんが、彼女は私の物語を静かに聞いてました。

彼女と上司の仲がもとに戻ることはないでしょう。でもこのことが2人にとって20年余り前のような悲劇の始まりとならないことを願っています。

あっ、この店は焼き鳥屋なのに焼き鳥を一本も注文してないわ。このブログを書いてて思い出しました。こんなことに気づかないなんてお店に対して配慮が欠けていました。私も緊張していたのかな。ちなみにこの日のお勘定は合計3000円。安い。学生御用達(ごようたし)だけのことはあります。もちろん私が全部払いました。

傷つきし心の癒(い)ゆるしくみなど知るよしもなく吾は眠りぬ(大島史洋)

2021年6月14日 (月)

人権が最高の存在という狂気の時代 呉智英の「人権を疑え!」

日本国憲法は大事なことが3つあります。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義です。これは小学校の教科書でも学びます。そしてマスコミはこの3つを日本国にとってもっとも尊重すべきものであり、憲法を守れと声高に叫びます。

私は護憲派でも改憲派でもありませんが、必要ならば憲法は変えればいいんじゃない、ぐらいのスタンスです。だって、憲法には憲法改定の手続きについての規定があるんですよ。憲法を守れというなら改憲できるという規定も守らないといけないでしょ。私は非常識な人間ですが、この程度のことぐらいわかります。

それにしても「人権」とは何なんでしょう。中国共産党が支配する大陸では、日本のような「人権」はありません。だから、中国共産党以外の政党は存在しないし、中国共産党を批判する表現の自由もありません。そして農民は農民戸籍に縛られているので、上海などの繁栄している都市に自由に移住・就職ができず、農地にしばられています。

「人権を守れ」と言われるとほとんどの日本人はそれは正しいと思うでしょう。私もそうです。しかし、人権とは本来は何なのでしょう。呉智英は「人は右、車は左」という交通ルールと同じだと主張しています。「交通ルールを守る」ことは正しいことです。でも、国によってルールは違いますし、緊急時にまで守る必要はありません。交通ルールは人間が社会生活を営む上で、人為的につくられた「制度」です。真理でもなく、普遍的でもなく、人間の本性に基づくものでもないからです。

「人権」も同じです。しかし現実ははどうでしょう。それ自体が侵してはならない存在として通用します。「人権」を前にするとすべてがひれ伏してしまいます。「人権」は近代思想の「ひとつ」にすぎないのに。

20世紀は共産主義と民主主義との戦いでした。第2次世界対戦後は共産主義国家が民主主義国家を圧するかに思われましたが、20世紀の末期には共産主義の本家本元であるソ連が瓦解。イデオロギー対立は民主主義の勝利に終わったかのようです。

言うまでもなく、民主主義と共産主義は制度の違いであって、どちらが真理か、普遍的か、人間の本性に基づくか、という問題ではありません。

呉智英は「人権」もそういうイデオロギーのひとつだと断定し、かつての日本に存在した「朱子学」や「天皇制」と「人権」も同じだと論じているのです。

私たちは今、「人権」を守ることは重要なことだと考えています。これは絶対に守らなければならないと。おそらく太平洋戦争を戦っていた当時の日本人は「天皇制」を同じように重要なことだと考えていたでしょう。そう考えると、当時の日本人がなぜアメリカに対してあそこまで戦ったのかが、なんとなく理解できるのではないでしょうか。

人権が最高の存在となっている現在を呉氏は「狂気の時代」ととらえ、「思想の歴史を学ぶことによって、いずれこれが崩壊するだろうと確信ができる程度の見識はある」と自負し、「21世紀には、人権抑圧とは人権への抑圧ではなく、人権という抑圧のことであると、明らかになるだろう」と予言しています。

このブログを読んでいるあなた、「何を馬鹿なことをいってるんだ」と思っているでしょう。おそらく、大東亜戦争前の日本人のほとんどが「天皇制がいずれ崩壊する」、そして「70年後の日本人が『天皇制というとんでもない制度をなぜ守ろうとして戦争を続けたんだ』と批判している」なんて思っていなかったでしょう。

誰もが、現代の制度(思想)が昔から続いていたように、そして未来永劫続くように錯覚します。あなたもその一人なのです。

心弱きそのときどきのことば皆すでに未来に裁かれてあり(近藤芳美)

2021年6月13日 (日)

雨降りで憂鬱な土曜日 あいがて家で一杯

梅雨に入って1ヶ月。ひとときに比べれば雨の日はずいぶん少なくなりましたが、週末になると雨になる傾向は相変わらず。今週も金曜日の午後から雨が続きます。ずっと家にいると気が滅入ります。

土曜日の午後、雨がやんだのを確認してから鹿児島中央駅界隈に繰り出しました。この日の朝日新聞の広告に「バカに唾をかけろ」(呉智英)が新刊として発売されていたことが掲載されていたからです。

アミュプラザの紀伊国屋でこの本を買い、コーヒーでも飲みながらこの本を読もうと思ってお店を探したのですが、どこもお客さんが多い。ベル通りを歩いてみたのですが、どの店もゆっくりコーヒーを飲める雰囲気ではありません。午後4時を少々過ぎた時間でしたが、居酒屋に立ち寄ることにしました。

入ったお店は「あいがて家」。午後4時から開いています。2階にあがり、中には男性2名の客がいるだけで広々と空いていました。

私はメガサイズの生ビール(780円)と味噌煮込みの手羽先、なんこつ、厚揚げを1本ずつ注文。メガサイズといっても中ジョッキ2杯分の量。ゆっくりと喉を潤しながら「バカに唾をかけろ」を読みました。

著者の呉智英(くれともふさ)は私が大学生の頃から評論家として活躍していました。彼は民主主義を疑う「封建主義者」として有名(? 「知る人ぞ知る」が適切かも)です。マンガ評論も有名みたいですが、私にはよくわかりません。

彼は民主主義や人権に最高の価値を置く知識人をけちょんけちょんに批判します。批判の多くは知識人たちの日本語の誤用ですが、「真実は細部に宿る」といいます。知識人たちの思考回路の基礎に欠陥があると指摘しているといった方がいいでしょう。

それはともかく、著書の中で面白かったのが「理論とエロ話」の章。国鉄の労働組合において絶大な権力をふるった松崎明のオルグ活動の話がでてきます。

引用された左翼運動家の回顧録に「松崎さんは労働運動とはこういうものだよ、のたとえとして、職場で酒を飲みながら、猥談(わいだん)をする話をした」 別の対談集で松崎は語る。「いやあ、労働運動なんかわかるやつが(革共同のなかには)一人もいないんですよ」

革共同とは革マル派(共産主義者のうち、日本共産党とは険悪な関係にある団体)のこと。私が子供の頃(1970年代から90年ぐらいまで)中核派との激しい内ゲバ(暴力による内部抗争)を繰り広げていました。中核派は暴力革命を標榜していただけに、警察からの摘発(国家権力による弾圧)が続き、今は壊滅状況。一方の革マル派は「組織の革マル」と当時は言われていました。オルグ(勧誘活動)によって組合加入を勧めていくのが活動の中心なので警察は逮捕できない。内ゲバの結果は知りませんが、組織的には革マル派が勝利したのかもしれません。まあ、それがなんなんだと言われるとそれまでですが。

呉智英は皮肉を込めて松崎をこう評しています。「黒田寛一(革マル派の最高指導者)の本に、オルグの要は酒飲んでエロ話だとは一言も書かれていなかった。マルクス・エンゲルス全集にもレーニン全集にもトロツキー選集にも、確認したわけではないが、一言も書かれていないはずだ」「しかし、その松崎が国鉄を分割民営化に追い込む重要な役割を果たした。もし後継者が育成されていれば共産主義革命が実現していたかもしれない。酒とエロ話でオルグ、おそるべし」

黒田寛一は多くの著書を残していますが、そこに一般の人が理解できる「文章」がありません。難解というより、これを日本語と理解していいのかというレベルです。だからなのか、左翼の崇高(すうこう)な理論よりも「酒とエロ話を武器に心を鷲掴み」することが大事なんですね。

自民党が強いのもよくわかります。そして政治家がどうして教養がなくてもなれるのか、その理由もよく理解できます。本音と建前は日本人にとっては当たり前ですが、本音で語ると身も蓋もないですね。日本人は劣化し続けているはずです。

外をみると小雨が降ってきました。私はメガジョッキを飲み干しました。今日は締めて1800円弱。私は日本の将来を心配するような国士ではありません。小市民らしく、日本の衰退を前提に人生設計をしています。

樹も草もしずかにて梅雨はじまりぬ(日野草城)

2021年6月10日 (木)

教科書どおりにやることの難しさ 星野佳路氏の公演記録から

数年前のこと。日本棋院の碁会所が鹿児島市市内にあることを知り、顔を出したことがあります。

その碁会所では指導者と思(おぼ)しき若者に一局指導をつけてもらった後、手持ち無沙汰なお年寄りと打ちました。

私は三連星で模様を広げると、そのお年寄りが模様の中に打ち込んできたので、ツケて相手の石を重くし、地を確保しながら相手を攻める手を打ちました。するとこのお年寄りは「教科書どおりやな」とつまらなそうに吐き捨てると淡々と打ち、数手進んだところであっけなく投了。そのまま席を立っていきました。

「教科書どおり」というのはワンパターンでつまらない、という意味と同等で使われるようです。このお年寄りの言葉には「そんな手はみんな知っているぜ。工夫しろよ、バカ」と軽蔑の思いがこもっていました。

しかし、この「教科書どおり」を完全に実践している人がどれだけいるでしょうか。ほとんどの人はこのお年寄りのように、教科書を馬鹿にして我流にこだわり、成長しないことがほとんどではないでしょうか。

私は10年以上昔、不動産会社に務めていて土地の売買をやっていました。簡単にいうと不動産ブローカーです。営業の初心者だった私は凡事徹底、営業の基本を学び、面倒でもそれを忠実に実行しました。するとこの1年で、私は他の先輩職員の実績を越えたのです。

先輩たちは基本に忠実な私を見て「もっと効率よくやれよ」「とにかく現場に行けよ」「そんなことやる必要ないだろう」と馬鹿にしたり非難していましたが、営業結果が明らかになると何も言わなくなりました。

先輩たちは私よりも経験豊富だったのですが、それにかまけて教科書どおりやることが面倒になり、手を抜き始めたのです。その結果、初心者の私に追い抜かれたのです。

星野リゾートで企業を再生してきた星野佳路(ほしのよしはる)氏の公演記録を読むと、「教科書どおりにすることの大切さ」をこれでもかと徹底して説明しています。「教科書のいいとこどりではダメ。1から10まで教科書どおりにすること」を何度も繰り返しています。

教科書は誰だって読んで内容を知っています。でも、それを完全に実践している人がいかに少ないことか。成功の道は特別な場所に隠されているのではなく、誰もが知りうるところにあるのです。開かれている道に進めばいいのに、多くの人はその道を歩もうとしていない。成功の難しさはきっとそこにあるのですね。

大学院卒業したる弟は肉体(からだ)を使う仕事を目指す (俵万智)

2021年6月 7日 (月)

仕事帰りに「万八」で飲んでみました。

最近は仕事帰りにちょくちょく飲み屋に寄るようにしています。

数年前までは仕事帰りに1000円から1500円のちょい飲みをよくしていました。昨年はコロナ対策でそんな余裕はなかったのですが、今では午後6時には退社できるので。ありがたいことです。

鹿児島中央駅の近くに「万八」というお店があります。日本酒を出してくれるというのは看板で示しているのでわかっているのですが、このお店は2階にあるのでちょっとのぞいて、ということができない。そういうわけで、その店の存在を知ってから5年以上経過しているのですが、心を決めて階段を上ってみました。

中はカウンターが6席程度。テーブルが3つかな。テーブルの一つには中年男性が低音ボイスでわいわい盛り上がっていて、カウンターの奥には60歳を越えていると思われる女性が一人で飲んでいました。

この店の新人である私は入り口近くのカウンター席に座りました。カウンターには日本酒の一覧とつまみの一覧が横長A4サイズの紙に並べてあります。私は日本酒は「浦霞」(500円)とつまみは珍味として表示されていた莫久来(ばくらい)(600円)をお願いしました。

「ばくらいって何ですか?」「ホヤです」 おー、鹿児島でホヤが食べられるなんて。ホヤは三陸産が有名と知ってはいますが、食べるのは初めて。そして日本酒の浦霞も産地は宮城県。いやあ、偶然ですが結果的に相性ぴったりのセレクトです。

日本酒は冷や。白い盃の上にぐい呑のガラスのコップが置かれています。そのコップに日本酒を一升瓶からとくとくと注ぎ、コップからあふれた日本酒が盃の縁(ふち)まで満たしてくれます。

昔、宮崎駅の日本酒のお店で飲んだときは、ガラスのコップが木の枡(ます)に入っていて、コップからあふれた日本酒が枡を満たすのを見て感動したものです。それに比べると盃とはちょっとせこいなあと思ってしまうから慣れってこわいですね。

表面張力で盛り上がっているコップに口を近づけて、日本酒をすすりました。いやあ、うまい。何年ぶりだろう。お店で日本酒を飲むなんて。

ホヤが運ばれてきました。分量は私の親指程度。えっ、これだけ! と思ってしまいました。とりあえず箸で口に運ぶとコリコリとしてうまい。塩辛のような、なまこのような、なんとも表現が難しい味です。

お通しはポテサラ(300円)でした。日本酒を味わい、ときどきポテサラで休憩。次はホヤをひとつまみ味わって日本酒で流し込む。いやあ、幸せです。

コップを手に持ち、喉を潤したあとは、盃に残る日本酒を飲み干します。こぼれないように慎重に盃を口に運び、味わう。日本酒好きにはたまらないひとときですね。

結局、これで大満足。もともと少食の私には酒の肴は肴でしかないので、腹一杯になる必要なんてないんです。日本酒を飲みたくなったら、またこの店に足を運ぶことになりそうです。

四国路の旅の終わりの松山の夜の「梅錦」ひやでください(俵万智)

2021年6月 6日 (日)

映画「おっぱいバレー」を見て思い出すあの頃

綾瀬はるか主演の「おっぱいバレー」を見ました。数週間前に録画していたのですが、今ひとつ見ようという気持ちがおきない。妻がでかけている時間に見ることにしました。

やんちゃな中学生を教える純情可憐な綾瀬はるかがバレーボールの指導を通じて、彼らをそして彼女自身が成長していくという青春ストーリーです。中学生男子のセリフが棒読みで参ってしまいましたが、脚本はとてもよくできていて最後まで見続けることができました。

それにしても昭和50年前後の設定だと思うのですが、とてもノスタルジーを感じる出来になっていてそっちにびっくり。まちなかを走る車にスバル360やダットサンがいるのはもちろん、駅や商店の前に貼ってあるポスターも当時の雰囲気を感じさせます。セットをつくるのは大変だったでしょう。

そしてBGMが当時の歌謡曲。特に浜田省吾の歌(「風を感じて」)が挿入されていたのはよかったなあ。「自由に生きていく方法なんて、100通りだってあるさ。イッツ・ソー・イージー。イージー・トゥ・ビー・フリー」

息苦しさを感じる現代ですが、昭和50年前後(1970年代)は見えない息苦しさは感じませんでした。不幸な事件もたくさんあり、校内暴力が問題化していましたが、元気な時代でした。私も中学生のとき、浜田省吾のこの歌詞をいつも口ずさんでいました。「自由に生きている方法なんて100通りだってあるさ」 この歌を歌うと悩みなんて小さくなっていきます。今の生き方が嫌なやら、他の生き方があるのさと。

ところで、若い独身女性の教師が担任、あるいは部活の顧問なんてうらやましいですね。私は小学校から高校を卒業するまで、女性の担任は小学生のときに1度だけでした。教科別でも中学生のときの音楽と家庭科だけ。高校は教科別でもなし。当時は女性の教師は少なかったんですね。

映画の中で最後に中学生男子が綾瀬はるかの胸に飛び込んで、先生のおっぱいの感触をゲット(?!)することができたというオチがありましたが、実際にあんなことがあったら、生徒たちにとっては一生の思い出になるでしょうね。甘酸っぱい青春時代として。

映画の中では中学校を卒業してそのまま就職する生徒がいましたが、私の中学校のクラスにも就職する生徒が3人?ぐらいいました。当時もほとんどは高校に進学ですが、まだ就職することも普通にある時代だったのです。

それからすると今では中卒就職は皆無。高校卒業後も大学や専門学校に進学するのが大半になっています。もう後戻りはできない。ノスタルジーはノスタルジーの中にしか存在しないのですね。

デスクに頬杖ついて 思い出す子供の頃 車にサーフボード 彼女の肩抱き寄せ砂浜で ビール片手に明日を待っていた Oh Yeah ! (浜田省吾「DANCE」)

2021年6月 2日 (水)

今日も仕事帰りにちょっと飲みたい こういうときこそ助けよう

 

2021年5月31日 (月)

いいこと日記を始めてみようよ 「ストレスフリー超大全」を読む

「ストレスフリー超大全」(樺沢紫苑)のなかに、一日の最後によかったと思えたことを3つ書く、3行日記が紹介されていました。

よい睡眠をとるためには、嫌な出来事を思い続けたままでは脳や体にとって有害。それを防ぐために寝る前に今日のよかったこと、いいことを思い出して文字に残すというものです。

嫌なことも1行だけ書いてもOKです。そういうときは出来事を簡単に書いて、最後に「でも大丈夫。これでいいんだ」と肯定して文章を終える。それからいいことを3つ書くのです。

面白いなあと思ったのは幸福を脳内に分泌されるホルモンで科学的に分析していること。セロトニンは健康(やすらぎ)、オキシトシンは人とのつながり(家族、恋人、友人)、ドーパミンは達成感(金、名誉)といった具合です。

「よかった」と思えることはこの3種類のどこかに分類できます。多くの人はドーパミン的な幸福を「幸せ」と感じるのではないでしょうか。筆者はセロトニン、オキシトシンが大事だと説(と)きます。セロトニンは「今朝は美しい青空だな」とか「空気が清々(すがすが)しい」といったこと。オキシトシンは家族とのふれあいなど。ありふれたものですが、こういう「幸せ」を「幸せ」と気づくこと、そして文字として記録することが大事だというのです。

友達がいない私の場合、普段ある「つながり」は家族(今では妻だけ)、そして知り合った女性たちとの何気ない会話でしょうか。

飲みに行けばその店の女性店員と話をすることもできますが、相手にとって私は営業相手。これをふれあいとか、つながりと言えるかはちょっと考えものですね。

数年前までは、私は月に10回は飲みに行き、若い女性店員との会話を楽しんでいました。しかし、そういう私に嫌悪感をあらわにした娘が現れ、それっきり、その店に行くことはもちろん、女性目当てに飲みに行くことをやめました。

それで幸せ度が低くなったかというと、そうでもありません。当時はだんだん、女性との会話がつまらなくなってきていたからです。そういう意味では、オキシトシンも相手を選ぶ必要があるのかも。

さて、3行日記のこと。幸福感が高まるように、よかったこと、親切にしたこと、感謝したこと、そういうポジティブな感情を与えてくれた出来事を書き留めたいですね。

いつのまにか吾を呼び捨てる男いてフルーツパフェを食べさせたがる(俵万智)

2021年5月30日 (日)

「死」を考えなくなった日本人

講演要旨「新型コロナウイルス蔓延(まんえん)下の在宅医療」(小堀鷗一郎)を読みました。講師の小堀氏は埼玉県で訪問医療を担当している医師です。

簡単に内容をまとめると「高齢者の7割が自宅死を望んでいる。しかし、日本では患者や家族はもちろん、社会や医師までもが死を忌避する一方で、病院を万能と信じているため実現は難しい。そんな状況を一変させたのが新型コロナウイルスの蔓延である。患者の望む死の実現について考える。」

やはりコロナですか。コロナ問題で家族を最も悩ませているのは、自宅療養中の高齢者や末期患者の容態が急変したとき、どこへ電話していいかわからない、すぐに救急車が来てくれないというものです。

このような家族から相談を受けた場合、講師は「新型コロナウイルスの感染の有無に関わらず、肺炎が疑われる高齢者は入院して濃厚治療をしても元通りに回復することは難しい。患者の最期をどのような形で迎えるか、考えておいてください」と説明しているそうです。

助けようと思って電話してきた家族に対して、死について考えよと回答するこの医師はすばらしいですね。人として当たり前のことが正々堂々を言っている、久しぶりにこういう人に出会いました。

講師がいうには、今回のコロナ騒ぎによって患者の死について事前に話せるようになった、とのこと。患者や家族は95歳の親が歩けなくなっても、病院に搬送して治療すればもとどおりに元気になると当然のように考えていて、人間はいずれ老いて死ぬという認識がまったく感じられないそうです。

これを読んで寒気がしました。70歳を越えた息子が95際の親の死を考えていない。自身も70歳を越えているのだから死について考えていてもおかしくないはずですが、それも想像していないというんだから。

今では病院で死ぬことが前提となっています。統計では死亡者の80%は病院死。在宅死は13%となっているようです(残りのほとんどは老人ホームなどの施設)。

2017年に厚生労働省が行った「人生の最終段階における医療に関する意識調査」によると、末期がんで回復の見込みがないときにどこで最後を迎えたいか、との問いに対する回答の第1位は自宅(70%弱)だったそうです。

しかし、今の日本では在宅死を許さない人たちがいます。「家から死人を出したくない」との理由で患者の意向を無視して入院(1ヶ月後に死亡)させた妻。介護の大変さに精神的に追い込まれて「患者の衰弱が激しい」と嘘の電話をして入院させた長男の嫁。残り少ない人生に何を望んでいるかを全く考慮せず、延命だけを優先させて死ぬまでの半年間、患者を病院のベッドに拘束して鎮静剤を打ち続けた医師。

「死にそうな患者を家に帰す」という発想が患者にも家族にも医師にもありません。

ニュースではコロナ感染者のうち、自宅で亡くなった人の数を公表して問題があるかのように報じています。確かに必要な治療を受ければ助かった人もいたでしょう。でも、それがどの程度の割合なのかは知りえません。マスコミにとっては危機感をあおることができる事例がひとつあれば十分なのでしょう。

それをまともに受け取って右往左往している人が哀れです。

私の母の方の祖母は死ぬ直前に入院しましたが、そのときの体重は30キロ程度。食事はほとんどとらず、枯れるように亡くなりました。私の父の方の祖母は老人ホームを退所してから1年以上で自宅で介護し、自宅で家族全員が見守る中、息を引き取りました(救急車で病院に運んで死亡を確認しました)。それが死を迎えるということです。

人間は死ぬのが当たり前。しかし、今の日本では「コロナで死ななければ永遠に生きられる」と思い、死を極端に忌避し、コロナを過度に恐れています。

コロナの死亡者は本日の朝日新聞によると累計で1万3千人ほど。感染者が74万人なので死亡率は1.8%です。大腸がんの死亡者数はどのぐらいかご存知ですか。年間約5万人です。コロナよりたくさん死んでいますよ。マスク着用よりも大腸がん対策をすべきではないですか。

え、コロナ対策でそれどころじゃないって? 笑い話みたいですね。

死にたれば人来て大根(だいこ)煮(た)きはじむ(下村槐太)

2021年5月27日 (木)

聖火リレーは今どこに? まったく報じなくなったのはなぜ?

もうすぐ東京オリンピック2020が開催されます。最近のNHKおはよう日本のスポーツコーナーはオリンピック報道を明らかに優先しています。プロ野球やJリーグなんて試合結果すらみることがありません。

こんなに盛り上げようと頑張っているのに、聖火リレーのニュースをまったく見なくなりました。もう終わったんでしょうか?

ネットで調べてみると今日は滋賀県で実施となっていました。オリンピックを盛り上げるために聖火リレーがあるのにどうして報じないのでしょうか。もはや聖火リレーはローカルニュース扱いに墜ちたんでしょうか。哀れですね。

もともとオリンピックでの聖火リレーが始まったのはベルリンオリンピックからです。当時はヒトラー政権時代。ゲルマン民族の優秀性を示すべくプロパガンダ全盛。このときもは採火したギリシアからベルリンまでの陸路をリレーする、正真正銘の聖火リレー。

それに対して今度の聖火リレーは「なんちゃって」ですからね。ぶつ切りもいいところ。ひどいのは鹿児島県本土と離島を一日で「つなぐ」というもの。そんなことはもちろんできっこない。つまり、聖火があちこちに同時に存在しているということなんですよね。あっ、みんな知ってましたね。

だったら聖火リレーは全国一斉に同時にやればいいじゃないの? 各県を2〜3日づつかけて少しずつ走ることがオリンピックを盛り上げるという目的があるとしたら、すでに失っていますよね。だって、他県の聖火リレーは報じないんだから。

聖火リレーのホームページを見たら、コロナの感染が拡大している福岡県、広島県、岡山県、兵庫県などは点火セレモニーだけで、公道を走るようなことはしていないんですね。なるほど、だから全国ニュースにならないのか。点火だけじゃ絵はどこも同じ。ニュースで放送すればするほど盛り下がりますからね。

聖火リレーはいつまで続くのでしょうか。国民の大半が知らないままにしばらく続いていくのでしょう。ところであなた、オリンピックを見ます? 私はわざわざ見ようなんて気はありません。おそらくオリンピック特番が始まれば、テレビのチャンネルを変えるでしょうね。関心ないから。

ああ今日も終わるねなんて言いながらスポーツニュースを見ており父と(俵万智)