2019年6月24日 (月)

巨人大御所のダウンスイングを柳田のアッパースイングが打ち砕く

私が小学生の頃、巨人が人気実力とも他の11球団を圧倒していました。ナイターと言えば巨人戦しかなく、鹿児島では巨人ファンばかり。テレビの実況アナウンサーも当然巨人びいき。解説者も巨人OBが多く、本当に酷い偏向放送でした。

この当時、不思議な論争がありました。それがダウンスイング理論。某巨人元監督が提唱していたこともあって、周囲もそれに賛同していました。一流のバッターになるにはダウンスイングが必要な技術と信じていました。テレビ解説者も右に同じです。

ダウンスイングとはバットを上から下に振り抜く打法。レベルスイングは水平に。アッパースイングは下から上へ。当たり前ですがダウンスイングはゴロを打つのに適しています。かつてアメリカ大リーグのドジャースが強かった頃、長打力はないものの俊足の選手が多かったため、勝つために芝を刈り込み、ゴロの打球が抜けるようにする戦法でした。このドジャースの戦法を金科玉条のごとく奉ったのが当時の巨人軍でした。

理論優先、というよりも大御所優先という悲劇でしょうか。この当時のバッティング論争で席巻していた巨人の影響でしょうか、セントラルリーグの球団はどこもこじんまりとしたデータ分析のチームばかりになったように思います。一方、そんな論争とは無縁のパシフィックリーグは豪快でした。ピッチャーは思いっきり投げ、バッターは思いっきり振り抜く。ロッテの村田兆治、近鉄の野茂、ブライアント、すごかったなあ。

あれから30年。パ・リーグの球団が人気・実力とも巨人を上回っていると思えてなりません。ホークスの大黒柱である柳田選手は現在けがで欠場。それでも交流戦では巨人を破り、優勝を飾りました。柳田と言えばあからさまなアッパースイング。数年前、横浜と交流戦で対決したときに、柳田の打球は横浜スタジアムのバックスクリーンのスコアボードを直撃して観衆の度肝を抜きました。あの豪快なバッチングが見れるのもパリーグだからこそ。

今やダウンスイングなんて耳にしません。忘れられた論争です。あのときのダウンスイング信奉者はまだ生き残っているのでしょうか? 今となってはどうでもいいことですが、なんだかこだわってしまいます。もちろんダウンスイングも立派な打法です。俊足巧打のバッターなら当然の打法。イチローもそうだったんですから。

今振り返ると本当に不毛な論争でしたね。野球好きにとっての暇つぶしの話題に過ぎなかったといえば言い過ぎでしょうか。

「不器用に俺は生きるよ」またこんな男を好きになってしまえり(俵万智)

2019年6月23日 (日)

アボカドの移植は難しい 100万円の不動産も売るのは難しい

朝は市民農園へ。ゴールデンウィークに直まきをした米はまったく見当たりません。完全にクローバー畑になっています。その一方で、3週間前に植えたかぼちゃの苗は3つとも順調に生育していました。蔓(つる)が伸びてもうすぐ歩道まで届きそう。つぼみも大きく膨らんでいました。クローバーに埋もれていても元気です。また、先週植えたキュウリは生長はしていませんが元気にしていました。どうやら無事に根付いたようです。クローバーを刈った直径30センチの円の中心に小さいながらもしっかりと葉を広げていました。こちらも安心です。

畑の周囲にあるクローバーや雑草を刈り取り、周囲から苦情が来ないであろう程度に手を入れて本日の農作業は終了。薹(とう)の立ったセロリ1本も鎌で細かく切り刻んで畑にまいておきました。

帰宅してからは妻と庭の手入れ。玄関近くに植えたアボカドが1m50センチの高さまで伸びていて、妻から「こんなところに植えるんじゃねえよ。通行の邪魔だろうが。さっさと移植しろ」と常々言われていたものです。元気な今の時期に鉢に植え替えを試みました。

しかし、木の周りをスコップで掘り起こそうにもコンクリートで挟まれた20センチ程の隙間に植えてあるため作業がやりにくい。20センチ隣には低木の枝も伸びているし、地中には石があるしで土を掘ること自体が難航。結局10センチも掘ることができず、木を引き抜こうとしたときに根がボキリと折れてしまいました。根の長さは10センチ程度。一応そのまま鉢に植えましたがダメでしょうね。またアボカドを食べたときに、再度種をとっておいて、もう一度最初から育てることとしましょう。

午後は小料理屋のおばちゃんから提案のあった不動産(宅地)を妻と現地確認に。行ってびっくり、山の斜面の段々畑ならぬ、段々住宅地の一角でした。周囲には所狭しと住宅が建っています。錦江湾側が開けているはずが眺望は隣の家に隠れてぜんぜん見えない。

そして形状も最悪。山の斜面(コンクリートで塗り固めてある)に降った雨が道路を挟んでその宅地に流れ込むのが十分予想されます。しかも道路沿いに隣接する宅地とはやはり1mぐらいの段差があるため、四方が擁壁だらけ。

JRの駅からは歩いて20分はかかりそう。ここで生活するには車が必要ですが、現在の形状では車の乗り入れは無理。だからといってこの宅地を道路並みの高さに盛り土する場合、さらに周囲に擁壁を設置する必要があるため、工事費だけで土地代をオーバーしそう。おばちゃんが言うには600万円の土地ですが100万円で売りに出ても「誰が買うの?」というレベルでした。

ちなみに道路向かいの土地は駐車場。この駐車場は道路からさらに3m以上の高さがあります。入り口の坂を登って利用状況を見てみると雑草が生い茂っていて利用の形跡なし。なんだか恐ろしさを感じてしまいます。

帰りにアイスクリームが食べたくなり、近くのコンビニに寄りました。店内の棚はガラガラで商品は数種類しかありません。店員に尋ねると「今月末で閉店するので」とのこと。

おばちゃん。悪いこと言わないから格安にして早く手放すことが最善だよ。我が家のアボカドのように、早めに移植していれば対応できたことが、どうしようもないと放置すれば元も子もないことになっちゃうよ。マーフィーの法則にもあるでしょう、「最悪の時にどうしようもないと放置すると最悪と言っていた時よりももっと悪い状況になる」ってね。

アボカドの固さをそっと確かめるように抱きしめられるキッチン(俵万智)

負傷交代を乗り越えユナイテッド完勝 印象に残る田坂監督とイ・レジュン

今日からナイター開催の鹿児島ユナイテッド。対戦相手は栃木SC。

午後5時前に自宅を出てバスと市電を乗り継ぎ、白波スタジアムに到着したのは午後6時前。地元アイドルのセブンカラーズがミニコンサートで「ナナイロノキセキ」を歌っていてにぎやか。屋台で生ビールを買い求め、メインスタンドの中央付近に座りました。今日は食欲がないため、屋台フードは素通り。コンビニで買った柿の種をつまみにビールを飲んで試合開始を待ちました。

それにしても今日は普段と雰囲気が違う。まず、島美人のお姉さんがいつもの人とは違う。残念だ。NAVY STARSのメンバーで、いつもキレキレダンスを披露するチアガールが今日は姿がない。残念だ。スタメン発表では藤澤の名前がないし、ベンチにもいない。残念だ。というか、一体どうしたんだよ?

試合が始まると前半早々から冨成、牛ノ浜と次々に負傷退場。残念だ、って言ってる場合じゃないよ。大丈夫かよ。

前半は0-0。ハーフタイムに島美人の振る舞い酒のおかわりに行くと、いました、いつものお姉さんが。彼女も私に気づいて「今日はバックスタンドで仕事だったんですよ」「そうだったんだ。今日は姿が見えなかったから寂しかったよ」とうれしくてこちらもリップサービスをすると、彼女も喜んでくれました。私にとっては勝利の女神の出現です。

後半は完全に鹿児島ペース。ショートコーナーから五領の折り返しを赤尾が決めて先制。その10分後にはやはり五領のコーナーキックから。キーパーがパンチング(キャッチ?)ミスしたところを韓が押し込んで2点目。ディフェンスもがっちり守って2-0の完勝でした。

栃木は、後半に投入した超長身のレ・ジュヨンにボールを集めていきましたが、そのこぼれ球をユナイテッドの選手が拾って攻撃の芽を完全に摘み取っていました。これでは栃木もどうしようもなかったでしょうね。

ユナイテッドは3月まではディフェンスとフォワードの間が大きく空いて中盤に選手がいないことが多く、非常にバランスが悪かった。しかし、4月途中からダブルボランチシステムに(4-1-4-1から4-2-3-1にフォーメーション変更)してからは八反田、ニウド、中原(今日はベンチでしたが)らが中盤でボールに絡み、非常にコンパクトにボールがまわせるようになりました。それにDFの上がりや左右のポジションチェンジを頻繁にしてもラインがきちんとできているのが大きいですね。

ところで試合中、栃木監督のスキンヘッドに目がとまりました。ああ、田坂が監督なんだとこのとき初めて知りました。ベルマーレ平塚で大活躍した彼が今は栃木の監督なんですね。Jリーグ初期の有名選手を間近に見ることができて感激しました。そしてイ・レジュン。古舘伊知郎流に言えば「ヘディングするトーテムポール」。マークするユナイテッドの赤尾よりも頭一つ高い、2m近い背の高さ。これは生で見ないとそのすごさを実感できないでしょう。彼のプレーが得点に絡むことはありませんでしたが、強く印象に残りました。

来週もホームゲーム。VS新潟。島美人のお姉さん、次は最初からメインスタンドにいてね。

なつかしい自分の体を抱くようにある朝君を求めておりぬ(俵万智)

2019年6月21日 (金)

いい物件がありますよ お買い得ですよ あなただけの特別な情報です

今日で大きな仕事が一段落。久しぶりになじみの小料理屋に飲みに行きました。

お通しがインゲンのごまあえ、奈良漬けとアボガドのスライス、お造りは鯛と鰹と貝柱が2,3切れずつ、煮物はなすとかまぼこ、メインは挽肉100%のハンバーグとサラダ、デザートはメロン一切れでした。

蒸し暑い日だったのでビールを一本頼み、焼酎に三岳の五合瓶を入れました。そして帰りにはおみやげとして、小岩井の「ぬるチーズ」1箱と泥付きの「においのしないニンニク」を8個。これで締めて5800円。久々の高額出費でした。

ところでこの日、ビールを飲みながらおばちゃんと話をしていると、先日おばちゃんが相続した土地の話になりました。私に「土地と建物を100万円で買ってくれない?」

物件の写真や資料を見せてもらうと、築50年以上の平屋建が一軒、土地は200平方メートル超で形状も1:2ぐらいの長方形。ただし、接面道路から1mほど低くなっていて、西側に山があるため、日当たりはそれほどよくない感じでした。鹿児島市内のJRの駅から歩いて15分程度なので条件としてはそんなに悪くはありません。

おばちゃんがいうには「不動産屋の評価だと土地は600万円、家は0円だって。家の0円は当たり前。この家がついてこの値段なら誰も買わないよ。空き家の管理だけでいくらかかると思っているの。固定資産税も納めなきゃいけないでしょ。だからといって空き家を解体したら100万円はかかるのよ。住みもしない土地を持っても出費がかさむだけじゃない」

もう20年以上のお付き合いなので、おばちゃんの話をしばらく聞き、とりあえず物件を見に行ってみると伝えておきました。私もこれから子ども達を大学に進学させるのにお金がかかります。正直言っていくらお買い得といえども使う見込みのない土地を買うほどの経済的な余裕はありません。売れる見込みがなければババを引くようなものですからねえ。

今、空き家、所有者不明土地の管理が社会問題になっています。私には他人事でしたが、思わぬところから相談を受けることになりました。私の答えはほぼ決まっているのですが、おばちゃんの苦労を考えると第三の方法を考えてあげなきゃって思います。

自宅に帰って妻にこのことを伝えると「その場で断れ、人がよすぎる」と間髪入れずに辛辣(しんらつ)な一言。もうちょっと一緒に考えてくれてもいいんじゃないの?

子どもらはゴミを宝の山と呼ぶ一キロ三十円のビニール(俵万智)

2019年6月20日 (木)

李斯列伝 人を納得させる技術と悲劇的結末 人生の岐路

私は中国の古典が好きでよく読んでいます。私の本棚には岩波書店のワイド版「史記列伝(全五巻)」があり、いつも夜に布団に入ると数分間読んでいます。読んでいるうちに寝てしまうので、なかなか読み進みません。もっとも、過去に読み通しているのですが、何度読んでも新たな気づきがあり、面白さが発見できます。

最近読んだのは李斯の列伝。李斯は秦の始皇帝に仕え、天下統一に大きく貢献しました。

李斯はもともとは楚の人。秦の人ではありません。秦の家臣として頭角を現していた李斯は、他の家臣から嫉妬されます。そしてある他国からきた家臣が反乱を起こしたとき、李斯も他国の出身者だからという理由で追放されそうになります。このときの李斯の反論がほれぼれするほど理路整然としています。

まず、過去四代の王が、他国の有能な人材を取り立てて国を強大にしてきた事実を丹念に述べていきます。そして今や秦王が、他国の宝物、名馬、特産物を手に入れていることを一つ一つ指摘します。これらの宝物は他国の物であっても手元に置くのに、なぜ人材は有能であっても他国出身だからと言う理由で追放するのかと。

そして最後に、「他国の人間を追放して敵国を助け、民を減らして仇(あだ)をふやし、内はみずから力を弱め、外は諸侯に恨みの種をまき(恨みを持った者を他国へ追いやり)それで自分の国に危難なかれと望んでも、それははたしてできることだろうか」と結びます。

秦の王は李斯の意見をもっともだとして追放令を撤回します。その後、李斯は出世して最高位である丞相まで登りつめます。

ところが、秦の始皇帝が崩御した際、趙高に説得されて陰謀に加担し、胡亥(こがい)を二代皇帝に担(かつ)いだときから怪しくなります。それまで実力主義で公正だった秦の官僚組織が、趙高によって私物化され、民は重税と重罰に苦しみ、各地で反乱が発生します。

李斯は二代皇帝に趙高を取り除かせようとしますが、皇帝の寵愛を受けている趙高の策略にはまり、逆に犯罪者として処刑されます。罠に落ちて処刑されるまでの展開は、あわれとしかいいようがありません。

列伝では毎回最後に、著者である司馬遷の感想がついています。司馬遷は「政治を正しくして主君の過ちを補うという責務に努めず、禄位の高さにとらわれ、主君におもねり迎合し、権力を強くして刑罰をむごくし、趙高の邪説に加担して、嫡子を廃し庶子(胡亥)を王にした。各地で反乱が起きてからやっと諫言しようとしたが本末を誤っている」とむごい最後を迎えて当然だとばかりに非難します。

司馬遷の考え方にはついていけないこともありますが、私はこのようなドラマチックな人間ドラマがとても好きです。史記列伝で描かれる人物は個性的かつ悲劇的です。だからこそ、何度読んでも飽きないのかも知れません。

よぢれつつのぼる心とかたちかと見るまに消えし一羽の雲雀(ひばり) (藤井常世)

2019年6月19日 (水)

歌人寺山修司との出会い 「あしたのジョー」がきっかけでもいいじゃん

「コレクション日本歌人選 寺山修司」を読みました。

寺山修司は私が小学生の時に亡くなった人です。彼が生きていた頃のことはリアルタイムでは全く知りません。「あしたのジョー」(ちばてつや)というボクシングマンガのなかで、主人公の矢吹丈の宿命のライバル、力石徹(りきいしとおる)が亡くなったとき、マンガの出来事なのに現実世界で葬儀が行われました。このとき弔辞を読んだのが寺山修司。私が彼を知ったのはこのエピソードを何かの本で読んだときでした。

天井桟敷(てんじょうさじき)という実験的な演劇分野で活躍したとの伝記はよく目にしますが、いまだに彼の作品を映像として見たことはありません。さまざまな分野で活躍したマルチ人間だったそうですが、私が知る限り「歌人寺山修司」です。

先日の日曜日、市立図書館でコレクション日本歌人選というシリーズに目を通したとき、寺山修司の名前を見つけ、さっそく借りて読んでみました。

彼の歌のほとんどは、母と故郷をテーマにしています。小さいときは父の都合で1年ごとに引っ越しをし、9歳の時に父が戦死した後は、母一人子一人の家庭で育ったこと、病気を抱えていて入院生活が長く、死を強く意識していたことを初めて知りました。

よく朝日新聞が寺山修司をとりあげます。おそらく熱心なファンが記者にいるんでしょうね。よく引用されるのが「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」。あまりにもこの短歌が引き合いに出されるので、わたしはてっきり左翼の活動家なのかと思っていました。「アカハタ売るわれを夏蝶越えゆけり母は故郷の田を打ちていむ」という歌もありますが、実際はどうなのかしら。

さて、この本には故郷を詠んだ歌、母を詠んだ歌が多数取り上げられています。ひとつひとつが心にしみこむ味わいがありました。いいな、と思った歌をここで記録しておきます。括弧書きの解説は同書の引用に私の解釈を追加しています。

ふるさとの訛(なま)りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし (都会にでてあかぬけたかのように振る舞う友人と、都会に順応することを拒絶する自分を対比させています)

駈けてきてふいにとまればわれをこえてゆく風たちの時を呼ぶこえ (寺山修司の葬儀のときに弔辞として詠まれた歌です。辞世の句といっていいかもしれません)

夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず (解説では「わが影」を蟻の影としていますが、私は蝶の影と解釈します。そして、蟻は寺山自身を投影した存在。そう思えば、寺山は死者(死の影)から逃れられないというように解釈できるので納得できます)

一本の樫の木やさしそのなかに血は立ったまま眠れるものを (「血は立ったまま眠る」は浅利慶太が演出した劇の名前。テロを企(たくら)む過激な学生と一攫千金を狙う退屈な若者が、どちらも裏切りにあって失敗するさまを同時並行で描いたものです)

見るために両瞼(りょうめ)を深く裂かむとす剃刀(かみそり)の刃に地平をうつし (映画「アンダルシアの犬」のファーストシーン、満月に雲がたなびくと同時に鋭利な剃刀で女性の眼球を切り裂いていく、を連想させます)

かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭 (鬼は年老いた私のこと。村祭では過去と現在、あの世とこの世が入り交じります。年老いた私は、子どもの頃を私をさがしているのかもしれません)

2019年6月18日 (火)

天の川から星が降り注ぐ夜 月を愛(め)でる夜 流れ星を数える夜

私が中学生の頃、部活を終えて自宅に戻るときは夕方6時を過ぎていました。私の自宅は中学校からちょうど東の方向にあり、まっすぐに続く一本道でした。歩いて帰る途中、大きな満月が白く光り輝いて山の端から姿を現しました。その巨大さに子どもながら驚いたものです。空高くある月に比べ、地上付近の月はその3倍ぐらいの大きさに見えました。

私が20歳の頃、田舎に帰省して友人達とドライブに出かけた帰りのこと。深夜、車の調子が悪くなり、田んぼを横切る道路に車を止めて空を眺めました。雲一つない夏の夜空には、天の川がはっきりと見えていました。こんなに星があったのかと驚くほどでした。

天の川を見たのはそれから15年後。私が種子島にいたときです。仕事を終えて会社に戻る途中、海岸沿いの国道で車を停めて、夜空を見上げました。このときも天の川がはっきりと見えていました。やはり星が降り注ぐように、すべてがきらめいていて、夜空という天井から星というコインがこぼれ落ちてくるような錯覚におそわれました。

当時、中種子町は星空がもっとも見える場所として日本一だったのではないでしょうか。近く畑の中に、そんな文句を書いたコンクリートの壁が突き出ていたのを覚えています。

種子島にいたときのもう一つの思い出が流星群です。妻と当時小学校低学年だった娘二人を午前3時過ぎに起こして自宅近くの開けた場所へ移動し、夜空を眺めました。流れ星が一つ、また一つ流れる度にみんなで数えたり、願い事を唱えたり。尾を引く星の美しさ、不思議さにかすかな感動を覚えました。

鹿児島市内に家を建てて10年。夜空に星を見ることは少なくなりました。仕事を終えてバス停で降り、自宅まで歩く数分間にオリオン座やさそり座に気づく程度。天の川なんてどこにあるのか見当もつきません。鹿児島市の夜は明るすぎますね。

思えば40年以上昔は本当に夜は暗かった。暗黒、漆黒の闇という言葉が納得できるほど暗かった。台風の影響で停電になり、家の中が真っ暗になることも当時は日常茶飯事。そんな夜は恐ろしくて仕方がなかった。

しかし、今、そんな体験は皆無になりました。野宿をするにしても街灯の明かりがぼんやりと遠くで夜空に浮かぶ雲を照らしていています。まるで本当の闇は失われてしまったかのようです。

またあのときのように、満天の星空をただただ眺めてため息をこぼしてみたいなあ。

天の川小さくあれど志(こころざし) (矢島渚男)

2019年6月17日 (月)

ハンガリーグレース・ケリーシンケン本わたせせいぞう武宮正樹

本ノコテプロジェクトに参加してみました。

鹿児島在住のハンガリー人が、日本の絵本や漫画などの古本を母国のハンガリーに送り、日本文化を紹介しようという取り組みです。5000冊集めるのが目標なのですが、集まりが悪いという話を聞き、私もいくらか力になろうと家の中の思(おぼ)しき本を探してみました。

もともと対象となる本が、絵本、マンガ、日本文化を紹介できるもの。かつ日本語が平易であることです。私の本は小説、古典、歌集がほとんどで漢字が多く、外国人にとっては読みにくいものばかり。はて困った。

娘の絵本はほとんどブックオフに売ったり図書館に寄付したりしたためほとんどありません。1冊だけあった絵本は「ピヨピヨマーケット」。こんなの今読むの? と訊ねると「これはとっておいて」と猛反発。それでは、と「学習漫画 グレース・ケリー」について訊くと「オーケー」

私の本からは、村岡花子の文とわたせせいぞうの絵を組み合わせた「アンを抱きしめて」、打碁鑑賞シリーズの「武宮正樹」、そしてハウスメーカー、シンケンのお宅紹介の3冊を選びました。

私はわたせせいぞうの大ファン。それを知っている妻が、数年前に私の誕生日プレゼントとして買った絵本でした。しかし、話の内容やイラストがいまいち。私はカップルをモチーフにしたわたせせいぞうの作品が好きなのですが、残念ながらこの本にはそれがない(でも、とてもいい本ですよ)。

そして鑑賞シリーズの武宮正樹。言わずと知れた宇宙流の大御所です。彼の囲碁にはロマンがあります。美しい棋譜です。彼はヨーロッパでも人気があるというのも頷(うなず)けます。

そしてシンケンの写真本。かつてシンケンで建てた家のその後を写真に納めた本です。オレンジ色の温かい照明と木目の内装。緑あふれる外観。家族の団らん。日本らしさとは違うかも知れませんが、日本の家屋を知ってもらうにはいいなと思いました。

ハンガリーではどんな人がこの本を手に取るのかと思うとわくわくします。これらの本は文章が少なく、絵や写真、棋譜(番号で手順を表示)が多いので日本語が読めなくても楽しめます。ハンガリーとの交友にわずかながらですが貢献したいですね。

子を真似て私も本を噛んでみる確かに本の味がするなり(俵万智)

2019年6月16日 (日)

畑は自然の恵みを得られるようにするだけ 私の人生は私が決断するだけ

今朝はいつものように市民農園へ。畑にまいた麦わらはほとんどクローバーに覆われていました。2週間前に植たカボチャの3つの苗は元気に葉を広げていました。今回はキュウリの苗を2本新たに植えました。自宅のプランターに種を播いていたものが先週本葉を広げたからです。カボチャと同様、畑に移植しました。

ハッピーヒルを播いたのに全然姿が見えません。もう1ヶ月以上経過しました。もう無理だろうという妻のアドバイスもあり、米を播いたスペースにゴマの種を播きました。ゴマはどんな土壌でも生長するようで、米よりも早く9月には収穫できるようです。

キュウリの苗を植えるために、クローバーを刈り取って地表に広がる根を剥ぎ取ると、大きなミミズが姿を現しました。全長20センチもある大きなミミズです。この畑で初めてミミズを見ました。こちらは土づくりがうまくいっていることの証明。とても嬉しくなりました。

家に帰り、朝日新聞を取り出すと1面の記事が興味をひきました。

今朝の1面は「ひきこもりのリアル」。ひきこもりの44歳の男性が紹介されていました。私と同世代です。中学時代のいじめで人に心が開けなくなり、高校時代は友達もできず必要な時以外は学校で一言も話さず、現役合格した京都大学では4年間ほとんど行かなかった。5年目から通い始めたが単位を取りきれず中退。就職案内は5年目からは激減。就職活動を諦めて以来20年両親の世話になっている。

私の人生を振り返ると、中学は部活、高校は寮生活、大学は体育会、と常に誰かとかかわらないといけない環境でした。しかし、無口な性格なので、学生時代は一日中ほとんどしゃべらないこともありました。大学ではまじめに勉強せず、就職活動はまったくしませんでした。そして就職が決まらないまま大学を卒業。

ずいぶん私と重なるなあと思いました。就職浪人のときは私も将来が非常に不安でした。

今、幸いにも仕事に就いて、彼女ができたことはないものの縁があって結婚でき、子どもも授(さず)かりました。私は運がよかっただけかもしれません。

新聞では両親が死んだ後のことを心配していました。が、日本には「生活保護」という制度があるので経済的には心配はいらないのです。朝日新聞はそのことについて何のコメントもありませんでした。そんなことを言っても何の慰めにもならないからでしょうね。

新聞を読んで思うのは、ひきこもりの男性の半生において、彼が主体性を発揮した様子がほとんど感じられなかったこと。あえて言えば彼が5年生のときのアルバイト経験か。

私にとって大事なことは自分の人生は自分で決めることです。周囲の反対を押し切って京都大学をいちかバチかで受験したのも、留年したのも、就職浪人したのもすべて自分の決断。他人と話をしないのも自分の性格を優先した結果。就職したのも自分の決断。たとえこじつけとしか思えなくても、そうやって納得してきました。

今の自分の境遇を環境や第三者の責任に帰する考えは私にはありません。変えることができるのは自分だけ。環境や第三者といった「運」は待っていてもつかむことはできません。自分で引き寄せるしかないのではないでしょうか。

父の外に立ちいる決意少年に氷湖は固き風景となる(武川忠一)

2019年6月15日 (土)

HLA適合血小板の協力依頼で考える「池江璃花子」効果のすさまじさ

5月の連休明けに日本赤十字から電話がありました。ぜひ成分献血をお願いしたいとのこと。しかし私は4月に400ccの献血をしたばかり。最低2ヶ月は間隔を開けないといけないはずでは、と問いかけると「それは承知している。2ヶ月経過した6月15日に成分献血をお願いしたい」とのこと。そこまでいうならと私も了承しました。

そういう訳で今日の午前中に「かもいけクロス」に行きました。

採血前に、なぜ私に成分献血を依頼したのかを担当の看護士に訊(き)いてみると、「HLAが陽性だから」とのこと。「???」なので再度丁寧に教えてもらいました。

簡単にいうとHLAとは白血球の種類(型)のこと。血小板の輸血を繰り返し受けると効果がなくなってくるようで、そういうときは白血球の型が一致する人の血小板を輸血しなければならないそうです。今回は、九州ブロックの登録者のデータを検索し、たまたま一致している私に白羽の矢が立ったということでした。患者さんも県外(九州内ですが)の人のようでした。

自宅に戻ってからネットで検索してみると血液型とは単純ではないことがわかりました。通常、血液型といえばA,B、AB,O型の4つとRHプラスとマイナス。しかしこれは赤血球の型に限ったことでした。白血球にも同様に型があります。その数ざっと数万種類。兄弟ですら一致するのは25%の確率。これが他人だと一致するのは数百人から数万人に1人の割合だとか。

看護士が私にいいました。「陽性と言っても問題があるとかではないんです。骨髄バンクと一緒で一致する方が珍しいんです。私も登録しているんですが一度も声がかかったことがないんで、あれっ、オレって登録したかな、って思うぐらいです」

そういえば水泳の池江璃花子選手が白血病のため、治療に専念するとの衝撃的な発表をしたのは今年の2月のことでした。自宅に戻ってから統計を見ると、骨髄バンクの登録者数は毎月3000人から4000人で推移していたのがこの2月はなんと11000人(!)と通常の3倍に急増していました。池江選手のカミングアウトが多くの人の関心を集め、動かしたことは間違いないようです。

その後、3月は7000人、4月は5000人、5月は4000人と徐々に減ってきています。余計なことですが「人の噂も75日」ということわざも本当だなということがよくわかります。そして池江選手を助けようと登録した人がおよそ1万人もいたことが推定されます。すごいファンの数ですね。

私はブームや流行を追うことは大がつくほど嫌いですが、献血と募金は自分の判断でぼちぼち続けています。献血は社会人になってからは年に5~6回。募金も年に1000円程度でしょうか。本当に微々たるものです。今日採血した血小板がどこの誰かに渡るのかは知りません。相手が池江選手かどうかも気になりません。ただ私(の血)を必要とするその人の生きる手助けができて本当によかったです。それだけでも私が今生きている価値があります。

人のよろこびわがよろこびとするこころ郁子(むべ)の花咲く頃に戻り来(く)(道浦母都子)