2019年7月16日 (火)

予想がハズレたらちゃんと検証するよね 天気予報とカリフォルニア米

今日の鹿児島の天気は晴れ時々曇。天気予報では雨だったのですが、見事にハズレ。持参した傘は不要でした。

天気予報には降水確率というものがありますが、天気予報がどの程度の確率で当たっているかというデータを見たことがありません。天気予報の検証なんて馬鹿馬鹿しいのかもしれませんけどね。

しかし、私の50年近い人生では、この梅雨どきの天気が最もハズレることが多いと思います。もちろん、雨に降られると強く印象に残るという心理的なバイアスがあるのは否定しませんが、それでも私はこの時期の天気予報が最も難しいと考えています。

夏は太平洋高気圧が日本の上空をおおい、冬は西高東低の気圧配置で日本上空には等圧線が縦に何本も並びます。そしては春は移動性低気圧が中国大陸(揚子江周辺)から日本に周期的に雨を降らせます。

しかし、この梅雨時は梅雨前線が日本に停滞。この停滞前線が南北どちらにずれるかで降水量は全然違います。そして南北のずれは本当に予測しにくい。南にある太平洋高気圧と北にあるオホーツク気団の勢力争いが停滞前線をつくりだすのですが、どちらの勢力が優勢になるかとなると途端にさまざまな要素が複雑にからみあう、変数が多すぎるということで、気象予報士もお手上げ状態なのでしょう。

そういえば、今年の夏はエルニーニョ現象があるということで冷夏の予想でした。長梅雨で冷夏となると平成5年の8・6水害を思い出します。このときは梅雨明け宣言があったにもかかわらず雨が続きました。夏の間はおひさまを見ることが非常に少なく、ずっと曇天が続いたイメージがあります。そして秋には米が大凶作。青森県の作況指数が0(ゼロ)という衝撃的な数字をニュースで見たのを今でも覚えています。

米不足ということで大学生の私はタイ米、中国米(長粒米)と日本米(短粒米)をブレンドしたものをスーパーで買って食べていました。これがまずいのなんの。両方の米は性質がまったく異なるので、両方の米を混ぜて炊飯するのは、ちょうど小豆と大豆を混ぜて煮豆を作るようなものです。こんな料理を作る奴はいるか? 日本の農政史上、最大の失政だと思っています。ちなみに日本米とタイ米の抱き合わせ販売もあったようです。私はこんな商品を見たことはありませんが、この商品を買ったほとんどの購入者はタイ米を袋のまま捨てていたようです。本当に罪作りな政策ですよね。

ちょうどこのころ、非自民の細川内閣において米の輸入が始まりました。当時はアメリカのカリフォルニア米が日本米並みのおいしさという触れ込みでした。安いアメリカ米が日本に輸入されれば日本の米農家は大打撃を受ける。久米宏のニュースステーションをはじめ、マスコミ各社は大きく問題視していました。

ところが、この米不足のとき、私はアメリカ米を見たことがありませんでした。どこのスーパーもタイ米と中国米ばかり。日本に脅威をもたらすアメリカ米はどこに行ったのか。その後もまったく耳にしません。実はじわじわと外食産業に進出しているのかもしれませんが私にはわかりません。マスコミは20年以上昔のことだと検証しなくていいんでしょうか? 実は予測に反してまったく影響がなかったので、自分の非を追求されないようにだんまりを決め込んでいるんでしょうか? たんに流行をおっていただけなんでしょうか? たぶん最後のが正解でしょう。予測が当たるかなんてどうでもよかったんでしょうね。

梅雨晴れやところどころに蟻(あり)の道 (正岡子規)

 

2019年7月15日 (月)

統計実績対因果関係とブログのアクセス件数と私の農園

今朝は市民農園へ。大雨が続いたので心配していましたが、さほど雑草は生えておらず、草取りは10分程度で完了。かぼちゃの苗3本は元気よく伸びて大きな葉をたくさんつけていました。キュウリ2本も葉と花をつけていました。こちらは葉も花もかぼちゃとそっくり。ただし、大きさはかぼちゃの3分の1程度ですが。

それ以外のエリア(畑の6割)にはクローバーの花が咲き終わり、葉だけが生い茂っています。地表近くを見るとコオロギとクモがたくさん飛び跳ねていました。畑にコオロギとはね。驚きです。多種多様な生態系の畑にしようと思って手入れをしてきたのですが、意外な展開が続いていて毎週新たな発見があります。ちいさなカオス状態です。しかし、陸稲やゴマがまったく姿がないのが残念ですけど。

閑話休題。今日はブログのアクセス状況について記録しておきたいと思います。

このシナプスブログは最新24時間のアクセス記録を見ることができます。時刻とアクセスしたページが表示されます。ただし、ページは必ずしもタイトルが表示されるわけではなく、アドレスで表示されることもあります。アドレスだと何のページかわかりませんが、これはシナプスの問題なのでしょうがないですね。

表示されたページでは明らかに偏りがあります。例えばいつもランキングのトップにある「えっ山田安斗夢が・・・」は2月に書いたブログですが、7月になってもアクセスの記録があります。特に6月にはアクセス件数が急増した時期がありました。バスケットボールの鹿児島レブナイズをテーマにしたブログはほかにもいっぱい書いているのですが、アクセスがあるのはこのページだけです。不思議です。ちなみに、このブログは「レブナイズ 弱い」で検索すると上位に表示されることがわかりました。面白いですね。

「奇妙な孤島の物語」もたまにアクセス記録があります。これは書評です。超マイナーな本なのですが、なぜか思い出したように一日に数件アクセスがあることがあります。これも不思議です。どういう検索をすれば私のブログに行き着くのか? いまだに不明です。

「紅麹焼酎」「上野のイラン人、農場のベトナム人」も半年ぐらい前のブログですが、数ヶ月に1回はアクセスがあります。これらも検索方法不明。見当がつきません。

普通、仮説を立ててデータを収集し、実証するのがいわゆる学術的な研究です。しかし、いわゆるビッグデータは違います。とにかく大量のデータを収集し、相関関係を導きます。原因や理由はまったくわからないけれど効果があるかないかがわかります。例えばネットの広告がそうですね。とりあえすホームページに載せて因果関係は不明でも、アクセスが多いという事実関係が認められればオーケーなんですから。

ハンガリー出身の医師イグナッツ・ゼンメルワイスは統計調査の結果、手を洗うと病気が防げることを発見しました。しかし、当時の医師達は科学的な根拠がないとゼンメルワイスの提案を拒否したばかりか彼を解雇します。その後、彼は神経衰弱を病み、精神病院で47歳の生涯を閉じます。これは19世紀半ばの出来事。コッホが細菌(炭疽菌)を発見する前のことでした。

統計的には正しくても、因果関係がはっきりしないとその提案を却下する。私の会社でもよくあることです。それがいまでは因果関係がわからなくてもビッグデータ(AI)が正解を導くことが世間に知れ渡るようになりました。その思考過程はブラックボックスですが正しいのです。だから囲碁・将棋ではAIが人間を圧倒しました。

人間は何にせよ納得しないと行動できない。でも機械は「意識」がないから統計的に処理できる。そういうことなんでしょうね。でもこれって、「しきたり」や「伝統」と通じるものがあると思いませんか。原因はわからないけど、昔からそうやっているから私もそうしている。そういう伝統を破壊してきた「科学的思考」って、実は「あさはか」や「一知半解」と同じかもしれません。

愛してる愛していない花びらの数だけ愛があればいいのに(俵万智)

2019年7月14日 (日)

0-6惨敗の衝撃 鹿児島ユナイテッドよ 選手が変われば戦法も変えろ!

鹿児島ユナイテッドからファンクラブ会員の私にメールが届きました。その内容は、土曜日の試合結果。大宮アルディーシャに対してユナイテッドは0-6の完敗でした。

メールにあった試合のダイジェスト版を見ました。3分少々ありますが、PKとなった反則のシーンと大宮のゴールシーンばかり。ユナイテッドがボールを保持しているシーンはキックオフ直後のみ。ワンサイドゲームだったことがありありとわかります。

ユナイテッドは牛ノ浜、冨成がけがで休養中。藤澤とニウドは体調が悪いのか欠場続き。大幅な戦力ダウン状態であることは認めます。が、ホームの新潟戦に続き、アウェイの岡山戦は後半終了間際にフリーキックとPKで立て続けに失点して1-2の逆転負け。そして同じくアウェイの大宮戦は0-6の完敗、さらに天皇杯の福岡戦も延長の末1-2で逆転負け。この連敗は衝撃的ですらあります。

私は見ていない試合についてブログを書いたことはありません。なので、大宮戦に対するコメントは差し控えます。そこで鹿児島ユナイテッドの戦力分析と戦法について書きます。

センターフォワードのハン・ヨンテを起点にして、牛ノ浜、酒本、五領のアタッカー陣がからみ、両サイドバックの砂森、藤澤(最近は田中、野嶽)が攻撃参加。ショートパスでめまぐるしくつなぐ攻撃は見応えがあります。

ハンのボールキープ力は抜きん出ていています。そして砂森のセンタリング、藤澤やアタッカー陣のドリブルシュートは素晴らしい。

でも、ゴールが決まりません。なぜでしょう。もちろん、ゴールキーパーが手を伸ばしても届かないゴール隅に決めるコントロールが必要だとは誰でもわかります。それ以外に何が不足しているのか?

昨夜は鹿島アントラーズ対ベガルタ仙台の試合をテレビで見ていました。アントラーズはペナルティエリアのライン上から真横にセンタリング。ベガルタのディフェンス陣は自分のゴール向かってに走りながらそのボールに対応しなければならない状況です。そこに鹿島の選手がマークから外れたところでシュート、あるいはキーパーやディフェンダーがはじいたボールをシュート。結局4-0のワンサイドゲームでした。

このゲームは前半で2-0。後半は鹿島のディフェンスが下がってベガルタのボール保持が圧倒的でした。ベガルタは何本も繰り返しゴール前にクロスを上げましたがノーゴール。鹿島のディフェンスは完全に自分のゴールを背にして守っていて、クロスに十分対応ができていました。

何が言いたいか、もうわかりますね。鹿児島ユナイテッドの攻撃はいつも相手ディフェンダーがゴールを背にして守っているとき。だからシュートの難易度が高い。これまでの試合でもゴールにつながるシーンの大半は、ハーフウェーラインを越えて10秒以内に決めています。つまり、ドリブルで突破しつつ、ショートパスで前へ進んでいるので、相手ディフェンスも自分のゴールに向かって走っている状況でした。

しかし、相手ディフェンスが自分のゴールを背にしているときは違います。ボールを回しながらのクロスやミドルシュートはほとんど得点につながっていません。さらにユナイテッドはセットプレーからの得点が非常に少ない。これが意味するのは空中戦で弱いということ。ヘディングが強い選手はニウドと堤のみ。だからショートコーナーが異常に多いのもユナイテッドの特徴です。

今いる選手の長所は何か、もう一度考えてみましょうよ。

一つはショートパスのつなぎです。ロングのクロスを蹴れる選手はいない上にヘディングが強い選手も攻撃陣にいない。だとすればショートパスを細かくつなぐしかないでしょう。かつて町田ゼルビアがそうだったように、ボールがあるフィールドの6分の1の範囲にゴールキーパーを除く全選手が集まり、旋回や上下左右のポジションチェンジを繰り返してゴールに迫る。

もう一つはドリブルの縦への突破です。相手ゴールラインまでトップスピードで切り込んでからのセンタリング。センタリングはロングではなくショートパスのイメージです。

そしてディフェンスは、相手カウンターを防ぐために高い位置で奪取。相手がボールを回しているときのみ自陣で4-4-2のゾーンディフェンスを敷く。

机上の空論かもしれませんが、黙って見ていられません。 次は勝て! 次こそ勝て! 鹿児島ユナイテッド!

人佇(た)てばそこが正面大夏野 (倉田紘文)

ふとんの打ち直しと一緒に丸洗いもするんですか? よほどのことですよ

昨日は敷き布団(ふとん)の打ち直しをお願いに行きました。

10年ほど前に打ち直したときはふかふかの布団でしたが、いまでは煎餅(せんべい)のように薄くなってしまいました。長女の大学進学で引っ越しで布団類を買ったときに、次は自分たちの分も考えないといけないね、と話していました。

敷き布団を4枚、掛け布団を4枚を車で運び、敷き布団の4枚を丸洗い、打ち直しをお願いし、掛け布団は廃棄をお願いしました。

打ち直しのときには掛け布団の綿を使うようお願いしたところ、それでも綿は余るので、残りで座布団(ざぶとん)でもつくりましょうか、とお店の方から提案がありました。しかし、私の家はすべて床張り。椅子かソファーに腰掛けるだけで、床に直(じか)に座ることはほとんどありません。今でも座布団を4枚もっていますが、いつもソファーの上に置いているだけでまったく使っていないのが実際のところ。というわけでお断りしました。

妻が打ち直しだけではなく、丸洗いをお願いしたところ、この依頼にお店の人もびっくり。打ち直しのときにほこりもとれるし、日頃布団がかび臭いなどよほどのことがないかぎり、丸洗いをお願いする人はほとんどいないとのこと。それでも妻はこの機会だからとお願いしました。

帰りの車中、このことについて妻と話しました。「私たちがつかっている布団は新しく買った布団だから20年ぐらいだけど、子ども達がつかっている布団は私たちが独身の頃に使っていた布団なのよ」「えっ、そうだったかな。となると私の人生ぐらい長く使っているということか」「そう、50年近くも使っていると、もう丸洗いしたくなる気持ちもわかるでしょう」

大量生産、大量消費の時代になって久しくなりました。修理するよりも買った方が安い。布団を打ち直すと3分の1は新しい綿が入りますが、それでも50年近く使い続けているのだから極めて珍しい事例でしょうね。

我が家の家電製品のうち、結婚当時から使っているのは電子レンジ、ドライヤーぐらい。それ以外の製品は新品に買い換えていきました。とくに家を建てたときにずいぶん廃棄してしまいました。家具もまたしかり。

私が学生時代から使っているものといえば、この布団とマフラーやジッポーのライターなどの小物。妻も布団と裁縫道具ぐらい。シンプル・イズ・ベスト、とはよく言ったものですね。

お降り(おさがり)といへる言葉も美しく (高野素十)

2019年7月12日 (金)

久しぶりに実家に日帰り 年寄りの両親の話題は病気のことばかり

今日は仕事は休み。1ヶ月ぶりに実家に顔を出しました。

幸い両親とも元気にしていました。しかしどちらも70歳を越えているので話題は健康・病気のことばかり。近所のお菓子屋のご主人が脊椎狭窄症(せきついきょうさくしょう)になって大変だとか。たしか両親よりも年上。体が弱っているんですね。脊椎狭窄症とは難しい病名ですが、最近はメジャーらしく、このテーマの本がたくさん出版されているとのこと。世の中の動きはどんどん難化、細分化していきますね。ついていけません。

父も立ち上がるときは足がおぼつかないとか。母の説明では、出産直後の子馬が自力で立ち上がるような感じだとか。うーん、光景が目に浮かびます。もう歳なんだからじっとしていればと思うのですが、本人はだからこそ運動しなければと決意しているみたい。その気持ちがあれば、もうしばらくは長生きしそうです。

私の祖母が暮らしていた家が実家の近くにあります。祖母が亡くなってからもう20年以上空き家になっています。その家は梁(はり)がシロアリに喰われていて、外から見ると屋根の稜線が波打っていてとても住めたものではありません。

家の中の道具など、必要なものを取り出すなり、不要なものは少ずつゴミ処分場に搬入した方がいいのでは、と話を振ってみたのですが、父は「いずれ家を解体するからそのときでいい」と耳を貸そうとしません。

かといって、解体に要する費用がいくらかの試算もまったくしていません。ずっとそれを理由に放置しているのですから、結局のところやる気がないんでしょう。本人は放置していることが最善の選択だといいますが、残される(予定)の者からすればたまったもんじゃない。私もいつまで元気でいられるとは保証できないんだから。お金がないなら自分たちでやるしかないのに、って思うんですけどね。

実家の商売を手伝っている私の弟と話をすると、頑固な父と仕事をしているので、いろいろと衝突もあるとか。弟ももう45歳。いい歳なんだけど、父は依然として店を継がせる気はないみたい。閑古鳥がないている店を切り盛りする気力はないけど、子どもに跡を継がせる気もない。この20年あまりだらだらと続いていますが、この調子がまだまだ続きそうです。

私は中学生を卒業と同時に実家を巣立ちました。当時は少年ジャンプの黄金期。毎週200冊売っていました。夏祭りのときには店内は満員電車並みに混み合っていました。従業員も2~3人雇っていてとても活気がありました。

あれから30年経ちました。今やお客さんの姿がいない時間が一日のほとんどを占めます。あの頃のにぎわいは遠い過去のことになっています。20年前、コンビニがこんな田舎に出店するはずがないと思っていたのに、今ではあちこちに乱立状態。国道沿いの田畑は農地転用されて大型量販店がずらりと並んでいます。実家の商売がお客様のニーズにあわないから衰退しているといってみればそれまでですが、経営環境がここまで変わるなんて当時は予想できませんでした。

でも、考えてみると両親はいい時代を過ごすことができたと言えるのかも知れません。戦後の貧乏な時代に生まれ、青年期、壮年期は日本の高度成長とともに自分の商売を拡大し、私たち子どもらが全員大学を卒業できるだけの稼ぎがありました。そして現在は、売上げがほとんどない商売と同様、年老いた姿になりました。両親の人生とお店の盛衰は軌道を重ねているようです。

ひところは「世界で一番強かった」父の磁石がうずくまる棚(俵万智)

2019年7月10日 (水)

一病息災 一事故息災 危険を避けるためには小さいうちにけがをせよ

神社に祈祷するときは「無病息災」を願います。息災とは無事であるということ。

昔、私の父から「一病息災」を教わりました。持病を一つ持つと長生きすると。矛盾するようですが、自分は健康だと過信すれば暴飲暴食などの無理を重ねやすく、逆に健康を損ねてしまいます。しかし、持病をもつと自分の体を大事にしようという気持ちを持ち続け、逆に長生きできるということです。本当だろうかと思っていたのですが、50歳が近くなってきた今になって身にしみるようになってきました。

4月に脱水症状で救急車で運ばれ、1週間入院しました。初めての入院体験でした。脱水症状を起こしたときは焼酎の水割りを飲んでいたのですが、普段よりも少ないぐらい。それでも意識を失って倒れたことから、飲酒をするときは注意するようになりました。

もちろん1,2杯はビールなり焼酎なりを飲むのですが、それは1次会だけ。2次会にはそもそも行かないし、行ったとしてもウーロン茶で酔いを覚ますようにしています。長生きできるかはわかりませんが、健康に留意するようになりました。

もう10年以上昔のこと。急遽、薩摩川内市に出張することになりました。昼食を済ませて車で南九州自動車道を北上しました。普段はなんてことはないのに、この日は異常に眠気がします。途中で完全に意識を失い、高速道路の左側面にぶつかった衝撃で目が覚め、かろうじて停車しました。

周囲を見わたしたところ、他の車や人への被害はなく、私の車バンパーやタイヤのホイールが損傷した程度ですみました。事故を起こしたところは緩やかな右カーブだったからよかったものの、ここは対面通行。左カーブであれば中央線を越えて対向車と正面衝突をしていたでしょう。不幸中の幸いでした。

この事故以来、私は車の運転を控えるようになりました。少なくとも家族以外の人を乗せて運転することは避けるようになりました。昔は会社まで車で通勤していたのですが、このときから完全にバス通勤に。移動するのに多少の時間がかかる生活ですが、交通事故のことは考えずにすむ生活になりました。車なしでも思ったほど不便さを感じていないのが不思議です。私の家と会社がどちらもバス停から歩いて2分の距離にあるというのも影響していると思いますが。

私の娘が種子島の保育園に通っていた頃。当時の園長先生が「子どもは小さいうちにけがをした方がいいの。そうしたら大きなけがをしないから」と口癖のように言って、子ども達を自由に遊ばせていました。子どもの小さいけがはすぐに回復できる、けがをすれば用心するようになる、そうしたら大きなけがを避けることができる。きっと長年の経験で悟ったことなんでしょうね。

「これもいい思い出になる」という男それは未来の私が決める(俵万智)

2019年7月 9日 (火)

うつ病の本当のところ 自殺は男性が7割、自殺未遂は女性が8割

私は社員の健康管理を仕事としていることもあり、メンタルヘルスの研修にも参加します。簡単にいうと「こころの健康」。そのまんまですが、今はカタカナでいうのが流行です。

講師は山本義晴先生。横浜労災病院に勤務するかたわら、メールで相談が来たときには24時間以内に回答(対応)しているとか。しかもメールの件数が1日200以上の日もあるとか。すごい人もいるもんです。

私の会社でもメンタルヘルスの自己診断ソフトがあります。半ば強制的にやっていますが、正直なところこれでとうしろというの? という気持ちでした。自分で点数をつけたところで何も変わりやしないじゃないの? とずっと思っていました。

しかし、山本先生はこの自己診断「ストレスセルフチェック」は一次予防として効果があるといいます。でも、一次予防ってなんだろう?

一次予防とは病気を未然に防ぐこと。つまりこの自己診断は、自分が高ストレス状態にあるのかを判定することが目的なのではなく、この自己診断をやってみることで「うつ病」の発生を未然に防ぐことが目的だというのです。そういう意味で効果的だと。

うつ病は一度発症するとみんなが完治するわけではありません。となると「うつ病」を発生させないことが最も効果的な治療法(?)ということになります。ちなみに、二次予防とは病気の進行を抑えること、三次予防とは病気の再発を防ぐことを言うそうです。

「うつ病」にならないために大事なこととして「運動、食事、睡眠、休養、仕事」を一日のなかにバランスよく取り入れ、ストレスをため込まない、その日のうちに解消することを熱心に語っていました。

運動は一日15分(山本先生は運動に毎日2時間!)。そして、食事を(特に朝食を家族みんなで)きちんと摂り、睡眠(眠くなったときに寝て、朝は始業時間の3時間前に起きる。休日には絶対に寝だめをしない)、休養(1時間ごとに5分とこまめに休憩する)。仕事(やりがいのある仕事で、みんなに必要とされている、存在意義を確認できるということで必要)をする。

またストレス解消の悪い例として「酒、薬、仕事」を列挙していました。薬は麻薬などのこと。仕事はさきほどと矛盾するようですが、仕事人間(仕事が趣味!)の人って定年退職後にうつ病を発症しやすいそうです。ストレス解消法をたくさんもつことはもちろん、毎日実践することが重要です。

ところで酒のこと。アルコールで憂さ晴らしはまずいそうです。まず耐性がついて飲酒量がどんどん増えていく。そして自殺する男性はほとんどが飲酒後に自殺するそうです。男性は悩みを誰にも相談することなく、一人で酒を飲み、酔っ払って自殺する傾向にあるとか。自殺に男性が多いのは日本の特徴だそうです。

そして女性はストレスがたまるとおしゃべりで発散するとか。つまり相談相手(愚痴をこぼせる相手)がいるということ。でも自殺未遂は女性が多いのはなぜでしょう? お酒を飲んでいないから理性が残っているということなのかも。

山本先生は、自殺したい気持ちになったとき、なぜ生きているのか疑問をもったときには「こころの耳」というサイトを見てくださいと宣伝していました。興味のある方は見てください。

山本先生のメール相談アドレス mental-tel@yokohamah.johas.go.jp

厚生労働省ポータルサイト「こころの耳」委員  http://kokoro.mhlw.go.jp

死にたくてならぬ時あり はばかりに人目を避けて 怖き顔する (石川啄木)

2019年7月 8日 (月)

中国経済の冷徹な現状分析とアジア通貨構想の甘すぎる理想主義

小論「米中対立はなぜ深刻化したのか」(阿南友亮)を読みました。1970年代の米中接近からの中国経済史を中国共産党の改革派と既得権益派の対立で読み解いています。

ターニングポイントはやはり江沢民。国有企業の民営化を行ったものの、その実態は党幹部とその家族を中心とする既得権益派の富裕化。これによって中国国内の格差が拡大します。そして江沢民政権は共産党への不満を国外に転嫁するために日米をターゲットに排外主義を大々的に煽ります。

胡錦濤政権では冨の偏在を是正しようとしますが、その後継者は既得権益派の習近平。改革の矛先が再び鈍ります。そしてこのタイミングでリーマンショックが発生します。

この金融危機に、中国は莫大な額の財政出動を行い経済の破綻を回避したのですが、これによって世界経済の信用回復に貢献したため、世界的に中国に対する評価が過剰なまでに高まり、アメリカこそ世界経済のスタンダードという通念が大きく揺らぎます。中国の既得権益派はこのことで勘違いをします。「変わるべきは中国の政治・経済体制ではなく、米国を中心とした既存のグローバル経済の方だ」という強気な論陣の出現です。

習近平政権では、国内で市場と企業に対する統制を強化し、排外主義・膨張主義のナショナリズムに一段と力を入れ、外交面で対立した国々に経済制裁や軍事的恫喝を展開します。いまだに中国の主要企業には共産党の委員会が設けられ、経営に影響を及ぼしています。

アメリカ政府が制裁解除の条件として中国側に提示している構造改革は正鵠を射た要求ではありますが、この30年、改革派が既得権益派に連戦連敗だったことを考えると一朝一夕に中国政府の方針が変わるとは思えません。トランプ政権が続く限り、米中の対立は続くでしょう。

一方、小論「米ドル体制からのアジア経済の開放」(櫻川昌哉)は、アメリカ経済が世界経済に対して強大な影響力を有するのは外貨準備高のドルが原因だとします。貿易の決済の42%、世界各国の外貨準備高の64%はアメリカ・ドルです。アメリカのGDPが世界の15%あまりであることを考慮しても過大すぎる。そこで筆者は、中国が日本の国債を、日本は中国の国債をそれぞれ50兆円ずつ購入するという、いわば外貨準備の持ち合い(アジア通貨構想)を提案しています。

これによって日本円の世界に占める通貨シェアは4%から9%に跳ね上がり、逆に日中両政府から相当額のアメリカドル債が売り出されるので、ドルの通貨シェアは10%下落する。日中両政府は1銭も使うことなく、ドルに偏ったポートフォリオを是正できるというもの。これによって資産バブルや金融危機などの金融市場の混乱の頻度は減少すると断言。問題があるとするなら、日本も中国も貿易で成長しただけに自国の通貨高を心理的に嫌う傾向があることぐらいとのこと。

櫻川教授は数字上の計算が得意なんでしょうね。実現すればすばらしい(私は嫌ですけど)構想です。でも、どうやって日本政府がアメリカドル債を一度に放出できると思っているのでしょうか。米中対立が激化する中でこんなことできるわけないでしょ。また、中国の最大の輸出相手国はアメリカ。その中国が円を買ってどうするの? そして楽天的すぎるのがアジア通貨構想によって金融市場の混乱の頻度が低下するとの予測。たしかに個人であれば金融資産を現金、不動産、債権、外貨などに分散するのがリスク管理の王道です。でも、外貨準備は貿易決済に使うものですよ。中国共産党の指導のもとにある中国元の債権を大量に購入したらリスクが高まるとは思わないんですか? 正気とは思えません。

櫻川教授、せっかくですから阿南論文を一読してはいかがでしょうか。

やさしくて怖い人ってあるでしょうたとえば無人改札機みたいな(杉崎恒夫)

2019年7月 7日 (日)

熱く語る高校の同級生と20年ぶりに再会 ステージ4の悩みと驚き

関東から高校時代の友人が鹿児島に戻ってきました。私のガラケーに飲み会の案内があり、週末は当時の同級生10人が集まりました。

この仲間は構成こそ違え、年に数回は集まるのですが、私は半年ぶりに参加。体調を崩していたこともあってしばらくの間、飲み会は遠慮していました。1人ならともかく、大勢集まるとついついアルコールが進んでしまいますからね。

関東から来た友人は20年ぶりの再会。高校生の時から情熱的だったのですが、今でもその「熱さ」は今も変わりません。現在の仕事の取り組み方や考え方、最近感じていることなどをそれこそ熱く語っていました。松岡修造みたいな奴です。

いろいろと話を聞く中で驚いたのが、同級生がガンのステージ4の状態であるということ。関東の友人に病状について相談が来て知ったようです。ステージ4とは通常であれば末期。ひょっとしたらもう死を覚悟しているかもしれないと受け取った側は思っていたらしく、周囲にも相談しにくくて悩んでいたようです。

がんを患(わずら)っている友人は私も高校時代仲良しでした。クラスマッチでは百人一首大会にペアで出場したこともありました。数年前に鹿児島に帰ってきたということで飲み会をしたときも、元気にみんなと語り合っていた。その彼が・・・と思うと言葉が浮かびませんでした。

話を最後まで聞くと、今は職場に復帰しているとか。遺伝的にガンになっても治る人もいるらしく、その友人は以前も胃がんと診断され、治療して職場に復帰していたということもそのときに初めて知りました。

「がん」と聞くと普通は心配しますよね。特に若いうちは進行が早い。詳しい病状はわかりませんが、人生ってこんなにも短いのか(まだ彼は死んでませんが)と、なんだか寂しさを感じます。

飲み会では冗談を言い合いながら楽しく飲みつつ、こういうシリアスな話もどんどん乗り越えていく同級生の態度をみて、みんな立派だなって感心しました。

がんの話題が終わった後、松岡修造タイプの同級生は私に高校時代の私の言葉を何度も繰り返しました。「逃げ場をつくってあげなきゃいけない」。私が上級生だったとき、下級生を指導する彼に穏やかに諭(さと)した言葉でした。彼はよほどこの言葉に強い印象を受けたらしく、今でもこの言葉を胸にとめて人に接しているとのこと。

そういうことを言われて、うれしいような、恥ずかしような。逆に私は彼のような体験がありません。普段は流されるようになんとなく生きていることがほとんど。きっと彼は、私の何倍も充実した人生を送っているのでしょう。おそらく、今の私の人生は何かが欠けています。それが何なのか、見分けようとしてもぼんやりとした霧の中にあるようで、自分自身もよくわかりません。

総じて人付き合いが淡泊な私には彼のような「熱さ」がありません。そして、長期にわたる裁判や、難航していた契約の成立。そういった困難な仕事をやり終えたときですら、私はひとり静かに食事をしながら、誰にも語ることなく仕事の余韻(よいん)に浸(ひた)る。たぶんそれが私の性格で、もう変えられないのかもしれません。

じゃんけんで負けて蛍に生まれたの(池田澄子)

2019年7月 6日 (土)

進化論をめぐる争いと誤解 ヒトは進化の頂点ではないってこと

「『読まなくてもいい本』の読書案内」(橘玲)を読んでいます。今、進化論の章です。進化論はアメリカでは多くの有識者が受け入れがたい(拒絶している)説だと知っていますか? アメリカはアマゾン、フェイスブック、アップル、グーグル(いわゆるGAFA)に代表されるようにITの最先端を行く国ですが、その一方で聖書にあるノアの箱舟やアダムとイブの話を多くの国民が信じているキリスト教社会でもあります。彼らにとってはヒトは神が創造したものであるので、進化論とは水と油の関係なのです。

そして、進化論を信じている人々にも進化について誤解があります。その典型例が「ヒトを高等生物として、昆虫、魚類、は虫類、哺乳類、霊長類を直線状に並べること」。ヒトに近い生物ほど優れている(進化している)という考え方です。

でも進化と進歩を混同するのはまったくの間違い。トカゲやアリはもちろん、ウイルスであっても40億年の進化の歴史を経て現在の姿になったのです。自然(生態系)はヒトを頂点とする一本の棒ではなく、峠がたくさんある、ごつごつした岩山のようなもの。そして筆者が強調しているのが、「いちばん高い山の頂にいるのがヒトであるとはかぎらない」こと。進化の基準を知性(意識の複雑さ)に置くなら、ヒトがもっとも優れているのは疑いがありませんが、子どもの数や繁殖度で進化の効率を測るのなら、もっとも成功した生き物はアリやハチなどの社会性昆虫になるわけです。「進化論的に優れた生き物」を議論するよりも、すべての生き物がそれぞれの進化の頂点にいると考えた方がすっきりする。進化論は生き物には優劣も貴賤もない、「リベラル」な科学というわけです。

この著書の中では進化論を巡るさまざまな論争とその結末を記していますが、非常にドラマチックで事実を事実として受け止めることがどんなにやっかいなことか気づかせてくれます。

それと並行して、小論「遺伝統計学で迫る日本人集団の適応進化」(岡田随象)を読みました。橘玲の紹介する進化論を読んでいればおもしろさも倍増します。特におもしろかったのは2カ所。

ひとつは染色体の数です。ヒトは23対(46本)の染色体があります。この染色体にはヒトゲノム(遺伝子情報)が収められています。染色体が多いほど高等生物かというとそうではありません。ショウジョウバエは8本、猫は38本、金魚はなんと104本もあるとか! 驚きでしょう。

そしてもう一つ面白かったのが三葉虫の進化でした。古生代(恐竜どころか地上に生物がいないぐらいの大昔です)の世界中の海に生息していた三葉虫は、それぞれの環境に適応して、長い棘(とげ)のはえたもの、目玉が飛び出たもの、5ミリ程度の大きさのもの、70センチ程度の大きさのもの、甲羅を二つに折り丸めるものなど、1万種類(!)以上の種がいました。しかし、徐々に絶滅し、最後まで生き残ったのは最初に登場したのと同じシンプルな形の三葉虫だったとの研究結果です。

いまや科学技術の進歩で社会環境はものすごいスピードで変化していきます。環境に抵抗していくために私たちも日々勉強、成長していきます。でも、最後に生き残るのがもっともシンプルな形だとしたら、ヒトの場合も最先端技術を求めない、多少の不便があっても適応しない、もっともシンプルな生活こそ、もっとも最後まで生き残るのかもしれませんね。

ところで今朝は市民農園に行ってきました。かぼちゃは手のひらよりも大きな葉を10枚程度広げていました。どんどん地表を這って伸びていくのですが、うまい具体に通路へは飛び出ず、クローバーが密生する畑の縁に沿って伸びています。土がむき出しのところにはかぼちゃも進みたくないんでしょうね。キュウリもいよいよ蔓(つる)を伸ばし出しました。

連日の大雨で周囲の畑はどれもこれも畝が崩れ「まったいら」になっていました。幸い病気とかの発生はないみたい。私の畑は最初から畝がない(耕してもいない)ので普段どおり。あーあ、それにしても、どうして陸稲は芽が出なかったんだろう。2ヶ月経過してもクローバーだらけとは。寂しすぎるよ。先月まいたゴマも見当たらない。ぜんぶ雀や昆虫に食べられたのかしら。

憂(うき)ことを海月(くらげ)に語る海鼠(なまこ)かな(黒柳召波)