天の川から星が降り注ぐ夜 月を愛(め)でる夜 流れ星を数える夜
私が中学生の頃、部活を終えて自宅に戻るときは夕方6時を過ぎていました。私の自宅は中学校からちょうど東の方向にあり、まっすぐに続く一本道でした。歩いて帰る途中、大きな満月が白く光り輝いて山の端から姿を現しました。その巨大さに子どもながら驚いたものです。空高くある月に比べ、地上付近の月はその3倍ぐらいの大きさに見えました。
私が20歳の頃、田舎に帰省して友人達とドライブに出かけた帰りのこと。深夜、車の調子が悪くなり、田んぼを横切る道路に車を止めて空を眺めました。雲一つない夏の夜空には、天の川がはっきりと見えていました。こんなに星があったのかと驚くほどでした。
天の川を見たのはそれから15年後。私が種子島にいたときです。仕事を終えて会社に戻る途中、海岸沿いの国道で車を停めて、夜空を見上げました。このときも天の川がはっきりと見えていました。やはり星が降り注ぐように、すべてがきらめいていて、夜空という天井から星というコインがこぼれ落ちてくるような錯覚におそわれました。
当時、中種子町は星空がもっとも見える場所として日本一だったのではないでしょうか。近く畑の中に、そんな文句を書いたコンクリートの壁が突き出ていたのを覚えています。
種子島にいたときのもう一つの思い出が流星群です。妻と当時小学校低学年だった娘二人を午前3時過ぎに起こして自宅近くの開けた場所へ移動し、夜空を眺めました。流れ星が一つ、また一つ流れる度にみんなで数えたり、願い事を唱えたり。尾を引く星の美しさ、不思議さにかすかな感動を覚えました。
鹿児島市内に家を建てて10年。夜空に星を見ることは少なくなりました。仕事を終えてバス停で降り、自宅まで歩く数分間にオリオン座やさそり座に気づく程度。天の川なんてどこにあるのか見当もつきません。鹿児島市の夜は明るすぎますね。
思えば40年以上昔は本当に夜は暗かった。暗黒、漆黒の闇という言葉が納得できるほど暗かった。台風の影響で停電になり、家の中が真っ暗になることも当時は日常茶飯事。そんな夜は恐ろしくて仕方がなかった。
しかし、今、そんな体験は皆無になりました。野宿をするにしても街灯の明かりがぼんやりと遠くで夜空に浮かぶ雲を照らしていています。まるで本当の闇は失われてしまったかのようです。
またあのときのように、満天の星空をただただ眺めてため息をこぼしてみたいなあ。
天の川小さくあれど志(こころざし) (矢島渚男)
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