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2019年6月 8日 (土)

郷原は徳の賊なり 「論語」は「品行方正であれ」なんて教えてません

私は漢文が好きで、今でも中国の古典を手元に置いています。

なかでも孔子の言行をまとめた「論語」は最も有名でしょう。そのほかにも「孫子」「老子」「荘子」「大学・中庸」「呂氏春秋」など白文と読み下し文がセットになった本を買い求めました。今でも残っているのは「論語」と「老子」。他の本はいまいち説教臭かったり、難解だったりで手放してしまいました。

とくに「論語」は時間が空いたときに、ぱらぱらと開いては目にとまった一節を読んだりします。もう20年以上、こんな読書(?)が続いています。

一般に論語というと、孔子という偉い人が弟子達に君子(理想像)について説教を垂れているイメージです。下村湖人の「論語物語」はこの典型的なパターン。だから全然面白くありません。しかし、中島敦の「弟子」は全然違います。孔子の一番弟子である子路の弟子入りからその死まで、スリリングな展開です。中島敦の文語文が、硬骨な子路の性格に重なるようで読めば読むほど読みごたえ、味があります。呉智英が評価しているように短編小説の傑作です。

呉智英も「現代人の論語」という好著を出版しています。全学連活動を経て、封建主義者として世相を斬っていた評論家(読書家)です。彼が論語に関する私塾を開いたとき、その塾の名前が「以費塾」。「陽貨第17の5」にある、公山不擾が費の町で反乱を起こしたとき、孔子がその反乱軍に参加しようとした一節からとった名前です。孔子の反骨精神、チャレンジ精神が旺盛であることを示すエピソード。呉はこのエピソードが相当好きなようです。(最近は呉はぜんぜん出版界にでてきません。元気にしているんでしょうか?)

私もこういう過激な節が好きです。なかでも「郷原は徳の賊なり」(陽貨第17の13)は爽快感すら覚えます。「郷原」とは、これという欠点もないかわりに長所もない八方美人のこと。現代語訳では「善人と言われる人は(うわべだけ道徳家に似ているから、かえって)徳を損なう」となります。私たちが思っている論語とはずいぶん違うとは思いませんか?

私は若い頃、仕事をする上でよくクレームを受けました。なぜ一生懸命やっているのにひどいことを言われるんだろうと悩みました。そんな時、この一節を読みました。「郷人の善き者はこれを好(よみ)し、その善からざる者はこれを悪(にく)まんに如(し)かざるなり」(子路第13の23)。現代語訳「土地の人が善人を褒め、悪人を憎むというのにはおよばない」。私はこれを「悪い奴から憎まれるぐらいでないとたいした人間ではない」と解釈しました。私には救いでした。

原書を読むと、世間一般のイメージを大きく裏切っていることが多々あります。それだけ、生半可な知識、表層的な知識が世の中にはあふれている。そういうことを知っておいて損はないと思います。

紫のもっとも淡き一群(ひとむれ)に想いをのせんあじさいの花(俵万智)

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