2020年10月21日 (水)

食欲の秋 スポーツの秋 読書の秋 今では死語になりつつある秋

私が子どもの頃は,秋になるとニュースなどで「食欲の秋,スポーツの秋,読書の秋」などのフレーズが決まり文句でした。別に季節とは関係ないだろうと思いながらも,子どもの頃はそういうもんだろう,と受け止めていたものです。

それが最近は,こういうことを聞かなくなりました。たまたま,そういうフレーズを聴く場面がないだけかもしれませんが,新聞やニュースにもないので,この傾向に間違いはないでしょう。

考えれば今は食事に季節感なんてありません。収穫したばかりのものをたべるかといえばそうではない。世界中から食材が集まり,ハウス栽培で季節に関係なく野菜がスーパーに並びます。

スポーツも然(しか)り。今や年中,プロスポーツが盛んです。夏にはプロ野球,Jリーグ,冬にはバスケットボール,ラグビーなどなど。運動会ですら春に開催するところもあるぐらい。

読書となるとますます季節とは関係ありません。なにしろ本を読まない人が増えました。大学生の半数はまったく本を読まない時代。読書量だけでなく,本の売り上げが落ち込んでいるのも当然でしょう。

こう書き連ねていくと,現代は娯楽やものにあふれているといっていいかもしれません。人の欲望の行き着く先には,季節感や日常・非日常の別が失われて,逆に感動を失っていくのでしょう。いいことなのか,悪いことなのか。

子どもらはゴミを宝の山と呼ぶ一キロで三十円のビニール (俵万智)

2020年10月18日 (日)

キンモクセイの花が散っていくよ 年々歳々花相似たり歳々年々人同じからず

土曜日は実家に戻りました。両親はどちらも元気していますが,どちらも70歳をずいぶんよぼよぼになってきました。

お昼ご飯を母が用意してくれました。午後からは父と囲碁を3番打ちました。ただ,それだけなのですが,月に1回の親孝行だと思っています。

甥っ子の二人が私が戻ってきたと聞いてやってきました。兄の方は小学校中学年。数年前までは「おじちゃんチェスしよう」とせがんできたいたのですが,最近は将棋を覚えたらしく,将棋ばかりをおねだりするようになりました。

この子は癇癪(かんしゃく)持ちで,学校でも問題児として有名なようですが,私と将棋を指すときはしおらしくしています。私がお昼ご飯を食べ終えるまで静かに待ち,いざ将棋をするとなるときちんと座って駒を並べ始めます。

棋力は大きく差があって,私が六枚落ちの上手(飛車,角,桂馬,香車の6枚ない状態)。前回対戦したときは私の3戦全勝。今日はこの子なりに考えてきたようで,3勝3敗の五分の戦績でした。一手詰みに気づかないときには「本当にその手でいいの? もうちょっと考えてごらん」を本人に考えさせて,自分の力で勝てるように見守ります。

父との囲碁を終えたとき,今度は甥っ子の弟がやってきました。何かを話すわけでもなく,私の周りごろごろするだけ。「おじちゃんと一緒に畑を見に行こうか」と誘いました。

今年の初めには近所の荒れ地を耕作して野菜をつくろうと考えていたのですが,開墾を始めた途端にコロナ騒ぎでずっと中断。最初に10平方メートル程度に鍬(くわ)を入れて,10ヶ月以上放置していたことになります。

案の定,畑は一面,枯れたツユクサに覆われていました。しばらく畑をほっつき歩いてから実家に戻ると,「おじちゃん,キンモクセイが降ってきたよ」と甥っ子がささやくように,私に教えてくれました。地面には花筵(はなむしろ)。そこに,キンモクセイの花がパラパラと落ちてきました。茶色い,小さな花弁が無数に風にあわせて落ちてきます。それとともに,かすかにキンモクセイの香りが漂いました。まだ,香りをだせる花が少々のこっているようです。

このキンモクセイは隣の家の庭に,私が子どもの頃からありました。今ではこの隣の家は荒れ果て,屋根には穴が空き,上からのぞくと廊下の床まで見えます。この40年で隣の家の主はいなくなってしまいましたが,キンモクセイはあのころと変わらぬ花を咲かせているかと思うと人の一生ってあっと言う間に過ぎていくんだな,と思わずにいられませんでした。

私は50歳直前のおじさんですが,この甥っ子のような子ども時代がありました。あの頃は町は賑わっていて,多くのお客が実家の店を訪れていました。それが今や1日店を開けて1人も来ないことも。こんな時代になるなんて想像だにできませんでした。

木犀(もくせい)をみごもるまでに深く吸う (文挟夫佐恵)

2020年10月15日 (木)

祝 アクセス10000回越え 2年で達成は遅すぎる!?

先週,このコラムのアクセスが1万回を越えました。1日平均13~14回のアクセスがあったことになります。どういう読者がいるのか知るよしもありませんが,ありがたいことです。

ここまで2年かかりました。最初は1日1回のコラムをアップすることを目標にしていましたが,この半年はコロナウイルス対策で超多忙。そのため週に1~2回しかアップできない状態でした。特にPRをするわけでもなく,他のブログのように学校関係者や保護者がいるわけでもない私にとって,これだけ多くの人が私のサイトをのぞいてくれたことは感謝の一言です。

昨日のニュースで,林真理子のエッセイ連載が世界最長としてギネスに認定されたことが報じられていました。週刊文春に37年も連載が続くなんて,超人的ですね。

私は林真理子の作品を一度も読んだことがないので,彼女の作品を評価する資格はないのですが,この「37年連載継続」だけは敬服します。

NHKの「チコちゃんに叱られる」で,どうして子どもの1年は長いのに,大人の1年は早く過ぎ去るのかを問題にしていたことがありました。その答えはというと,子どもの時は毎日新鮮な驚きがあります,ところが大人になるとその感動が徐々に失われていくために,感情の起伏が小さいと時間の過ぎる感覚が早くなっていくということでした。

毎日同じ仕事を一日千秋のごとく続けるというのは,確かに感動が薄れているでしょう。しかし,情報化社会の今,こういうことが当てはまるかは疑問です。

これだけ多くの情報や人に接する現代社会では,感動するかどうかはともかく,刺激的(ストレスフル)な毎日を過ごしていることは間違いありません。そう思えば,昔の大人は老(ふ)けていたのに,現代の大人は若々しいというのも頷(うなず)けます。

だからといって,エッセイとなると毎日の感動とは別でしょう。何しろ人が読んでおもしろいと思うような出来が必要。週刊文春の連載ですからね。

それに比べると私のコラムなんてはるかに気楽です。誰も読まなくても連載できる。ネタを考え,文章にまとめるのは苦労しますが,この苦労を2年間続けてきたのかと思うと,自分で自分をほめたいですね。

でも,残念なことがあります。それはアクセス対象のコラムが限られていること。特に,私が読んだ本の読書感想的なコラムはアクセスがほとんどありません。私の読む本って本当に世間の関心が薄いんだと残念な気持ちになります。インターネットだからごく少数でもアクセスがあるのではと期待しているのに,1回もアクセスがないなんて・・・と思うこともしばしば。ま,これが人生かな。

君の香の残るジャケットそっと着てジェームス・ディーンのポーズしてみる(俵万智)

2020年10月14日 (水)

「国家はなぜ衰退するのか」は「隷属への道」を超えたか?

「国家はなぜ衰退するのか(Why Nations Fail)」(ダロン・アセモグル & ジェイムズ・A・ロビンソン)をようやく読み終えました。南米やアフリカの貧困国の例を挙げながら,収奪される経済と収奪的政治制度が相まって,貧困の悪循環に落ちていくことをこれでもかと示していきます。

そして西欧諸国や日本などのごく一部の国が,どれだけ歴史的な偶然から好循環のスパイラルにのって繁栄していったのかが丁寧に紹介されています。

社会的制度が国の繁栄・衰退を決めるというのは,何も珍しい話ではありません。私が子どもの頃は共産主義がまだ幅をきかせていました。資本主義は資本家が労働者から搾取している悪い制度であって,共産主義は生産手段を国有化,すなわち資本家から財産を奪うことで労働者を解放し,自由で平等な社会を実現しようというものです。

ソ連や東欧諸国が崩壊し,共産主義は失敗だったことが今では定説になっていますが,いまだに北朝鮮や中国では共産党が支配を続けています。

「国家はなぜ衰退するのか」を読めば,なぜ共産主義が失敗したのかを端的に示しています。共産主義は政治的に独裁である。独裁は「創造的破壊(イノベーション)」を拒む。なぜなら「創造的破壊」は経済だけではなく,政治体制を覆すほどの力があるから。

そして,共産党が資本家に代わって支配者になっただけで収奪的経済構造はそのまま維持され続けたことが明らかになっています。

この本を読み終えた後,ふと「隷属への道(The Road to serfdom)」(F・A・ハイエク)を思い出しました。共産主義思想が全盛期のとき,共産主義を批判し,資本主義の優位性を示した名著です。出版された当時はソ連の計画経済が全盛期。西欧の経済学者たちはソ連の共産主義を褒め称えていました。今では考えられないことですが,ハイエクは世界の多くの経済学者たちから酷評されたのです。

そしてこの「国家はなぜ衰退するのか」は,中国経済がめまぐるしい経済発展を続けているこのときに出版されました。中国はいうまでもなく共産党の一党独裁。私有財産は認めず,農民と都市住民は明確に差別されています。このような収奪的な構造を維持している中国経済が今後発展し続けるはずがないと予言しています。中国は現代の先進国に追いつくことはできるが「創造的破壊」に踏み込めない以上,必ず成長の限界を迎え,かつてのソ連のように衰退していくと。

久しぶりに知的好奇心をかき立てる名著に出会うことができました。そして,ハイエクの「隷属への道」をまた読みたくなりました。

ソ連なき世界はいよよ深くあれど金柑を置く餅のいただき (大辻隆弘)

2020年10月13日 (火)

みたぞのくんのきめぜりふ「ぼく,お金がない」

昨夜はなじみの小料理屋に寄りました。

お店に入って焼酎をお願いして早々,夫婦のお客が入ってきました。歳は60歳を超えているでしょうか。定年後に宮崎から鹿児島に戻ってきたと話し出しました。この店はカウンターに4席しかありません。中央に座っていた私の隣にご主人が,その隣に奥さんが座りました。

「ご夫婦で飲みに行くなんてうらやましいですね」と私から話しかけました。初めてお会いしたのですが,狭い店内。黙っているのも気まずいですからね。

この夫婦。鹿児島であちこち知り合いがいるようです。困ったおともだち「みたぞのくん」の話になりました。

「私のよく行く居酒屋に”みたぞのくん”が来たらしいわ。店内のお客さんのところにやってきて一緒に飲んでいたのに『ぼく,お金ないんですよ』って言い始めたのよ」「それでどうしたんですか」「しょうがないでしょう。だから,”みたぞのくん”は支払わずにその場にいた人がおごったんだって」「せめて割り勘でしょ」「それが普通よね」

それを聞いて,私の妻が話していたことを思い出しました。妻が出張で沖永良部島にいっていたときのこと。現地の農家の人たちが飲んでいたときに,前の知事の三反園氏が突然やってきて「私もお邪魔してもいいですか」といって一緒に飲み始めたとのこと。私の妻は三反園前知事が大嫌いなので,途中で退席したそうです。

知事選挙で落選したばかりなのに,この厚かましさ。妻はなにか企(たくら)みがあるんじゃないかと訝(いぶか)しんでいました。次の選挙のための活動じゃないか,と思ったらしいです。

沖永良部で前知事が飲食代を支払ったかは知りませんが,この”みたぞのくん”は本当に困ったもんです。私もこういう店で一人で飲むときに,ときどき初めて会った人と一緒に語ることがあります。盛り上がったら「お代はこっちが払います」みたいなやりとりが生まれるのが普通でしょう。

”みたぞのくん”は少食でほとんど食べなかったそうですが,そうであっても一緒に語り合って,飲み合う仲になれば,割り勘ぐらいするのが社会人として常識ではないでしょうか。誘ってもいないのに参加してきて「私は下戸だから払いません」とか言い訳する人がいたら興ざめでしょう。周囲の人が「ここはわたしたちが払うから気にしないで」というならまだしも,本人から「お金がない」って支払いを断るなんて人間性が疑われます。

さて,この日は2時間弱,このご夫婦と鹿児島,宮崎のご当地自慢,というよりお互いの地元の称(たた)え合いをしました。普段はお世辞を口にしない私ですが,こういうときは結構気をつかうんですよ。やっぱりお酒は楽しく飲まなきゃね。

秋風や草におぼるる石いくつ(邊見京子)

2020年10月 4日 (日)

ユナイテッドの試合を見て,久しぶりに「楽しい」と思えました。

白波スタジアムにて,鹿児島ユナイテッド対藤枝MYFC(マイエフシー)を観戦しました。

先日購入したフラスコにウイスキーを100ml入れて,ピスタチオは途中のスーパーで購入。スタジアムグルメではアゴ肉と鳥の炭火焼き(各500円)とヴォルビック(100円)を仕入れておきました。

入場のときに,検温やマスク着用チェック,手指消毒があるのは今までと同様ですが,再入場のときには検温は免除。また,座席もこれまでは間3席空けないといけなかったのに,今日は1席ごとにと緩和されていました。

アゴ肉は初めて食べたのですがとても美味しい。甘みがある。その後に食べた炭火焼きも歯ごたえ十分。塩気が効いていてウイスキーにぴったり。

試合前半でウィスキーは飲み干してしまいましたが,風が心地よく,ご機嫌で試合を観戦できました。試合中に桜島から赤い月が昇ってきました。昨日は中秋の名月でしたね。十六夜(いざよい)の月もいいものです。

試合の方は,前半に酒本のパスを牛ノ浜があわせて先制ゴール。両チームともシュートやコーナーキックが少ないのですが,随所にプロらしいプレーが見られてとても楽しい。

ハーフタイムにはユナイテッド通の同僚に会いました。「今日は楽しいなあ」と声をかけると「アハハハ」と笑っていましたが,おそらく彼女はどう返事をしていいか困ったんでしょ。彼女は選手たちに厳しいからゲーム内容に不満だったのかも。

そうそう,私の観戦席の近くにも,グラウンドに向かって声を出している中年の男性がいました。ゲーム途中まではああしろ,こうしろと解説し,ゲーム終盤には「選手を交代させろ,控え選手を信頼しろよ」と監督に叫んでいました。

まあ,このおっさんがいうこともわからなくはないですが,もっと純粋にプレーを楽しめばいいのに,と思わずにはいられません。

ゲームは途中で藤枝に追いつかれたものの,酒本の意表を突くグラウンディングのフリーキックに藤枝のゴールキーパーが反応できず2点目をゲット。結局,その後はユナイテッドのディフェンスが守り切って2-1で勝利しました。

同点に追いつかれたシーンはユナイテッドの人数が足りていませんでしたが,それ以外はしっかりと戻っていて安心して見ていられました。ああ,楽しかった。ウイスキーを100mlストレートで飲んでも酔いませんでしたが,試合後は勝利の余韻に浸ることができて満足です。

ほんとうに一人となり月に見惚(ほ)れる (荻原井泉水)

2020年10月 2日 (金)

「セブン・イヤーズ・イン・チベット」を見て

今日は仕事は休み。午前中は病院をはしごして,午後からは録画していた「セブン・イヤーズ・イン・チベット」(ブラッド・ピット主演)を見ました。

ご存じのとおり,チベットは独立国でありながら,第二次世界大戦後に中国共産党に占領され,強制的に中華人民共和国に併合されました。今の南沙諸島と同じです。

結局のところ,口実はこじつけに過ぎません。占領される側になんら非がなくても,実力(軍隊)がいない国は滅ぼされ,強国に占領されていくのです。そういう当たり前のことを教えてくれるいい映画です。とくに平和主義者のチベット人がテーマになっているところが,日本を連想させてくれます。社会党や日本共産党がいかに亡国の政党であるかがよくわかります。

それにしてもダライ・ラマを中心にしたチベット仏教は非常に非科学的な宗教です。映画では紹介されていませんでしたが,ダライ・ラマは北朝鮮のような世襲ではありません。ダライ・ラマが亡くなったときに,長老たちが集まって次のダライ・ラマを探すのです。そのやり方はいわゆる千里眼を用いた方法。こんな超能力が存在するなんて,と思うかも知れませんが,チベット仏教はこうして延々と続いてきたわけです。興味のある方はネットで調べてみてください。宗教の力とは常人の理解を超えています。

ところで,最近では中国共産党によるウイグル自治区における教育という名の洗脳が朝日新聞に度々掲載されていますが,日本人の関心は非常に低いですね。中国共産党がチベットに侵攻した時には100万人のチベット人を虐殺したわけですが,日本で関心のあるテーマは中国を占領した日本人の非道ぶり。どうも納得いきません。ああ,話がそれました。

この映画を見て思うのは,今の若い人たちはこういう歴史を知らないってことです。とても残念です。自分の国の歴史すらしっかりと把握しているのか危ういのに,こういう他国の歴史を知らないことは恐ろしいと思います。

孫子にあるように「敵を知り,己を知れば百戦危うからず」。自分の国のこと,敵国のことを十分に知っていることが,戦いに負けない前提条件となります。難しいことをいっているわけではありません。情報の99%は公にされている情報でカバーできます。

今ではインターネットによってそういう情報を入手することは簡単になりました。その一方で,見たくない情報も無視することは可能です。それをどう活用するかは,結局のところ,その利用者次第,ってことなんですよ。

無理に堪え我慢を重ね生き来しと空穂は言えりテープに残る(来島靖生)

2020年10月 1日 (木)

情報通のタクシー運転手 その真偽はどの程度?

私は仕事帰りにタクシーを使います。タクシーの運転手によっては,ずっと黙っている人もいれば,やたらと話しかけてくる人もいます。この半年はコロナ関係の話題がどうしても多くなります。

「天文館で待っていても全然お客が来ませんわ」「お客さんで今日は2人目。夕方からこの時間(夜11時)まででこれですからね」「鹿児島中央駅で1日待ってもお客さんが来ないんだから。普段なら30分も待てば順番が回ってくるのに」などなど。

仕事の愚痴以外にもコロナの話題があります。大抵は「今日は3人でましたな」とか「県外客が天文館に来るから感染するんですかね」などですが,飲食店に関する情報がときどき顔を出します。

7月にお黙り男爵でクラスターが発生したときには「天文館では100店ぐらいが店を閉めているらしいですよ」と話していました。そんなにたくさん? と思っていましたが,全国の倒産情報とかを見ると全産業で全国で100社が倒産となっています。倒産情報は資本金の大きな会社に限定しているので単純に比較することはできませんが,どうも数字を盛っている感じがします。

このあいだタクシーに乗ったときには「焼き鳥が売りの西屋って居酒屋があるでしょ。11月で店をたたむらしいですよ。1つだけは残すらしいみたいですが」と話しかけてきたのでビックリ! えっ,あの西屋が閉めるの?

それを聞いた翌日。久しぶりに西屋(甲南通り店)に寄りました。20代の頃はよく西屋で食べたものです。お通しが大きくちぎったキャベツにタレがかけてあります。高校時代の先輩に連れて行ってもらったときには,「焼き鳥の串でキャベツに突き刺して食べるのがここの作法なんだ」と教わったものです。

この日もでーんとキャベツを盛った大皿がテーブルに置かれました。注文は焼き鳥の盛り合わせ(1人前,8本)と飲み放題(ショート:90分)。久しぶりの焼き鳥は美味しかった。キャベツのつけあわせも懐かしい。ビールがすすみ,ジョッキで4杯飲みました。

4杯目を飲み終えたところで焼き鳥とキャベツを平らげたので,ここでお勘定。40分の滞在で2400円。普段,一人で飲みに行って飲み放題を注文することはないのですが,今日はむしゃくしゃしていたので,初めての一人飲み放題。でも,全然酔いませんでした。機嫌が悪いときはいくら飲んでも気持ちよくならないものですね。

最後にレジでアルバイトの男性に「11月に閉めるって聞いたけど本当?」と訊ねると,きっぱりと否定されました。「誰から聞きました?」「タクシーの運転手だよ。デマだな」「11月以降も営業してますから,またお越しください」 ああ,また来るよ,と言い残して店をでました。

それが今日のこと。たまたま鹿児島中央駅の西口に行くと,駅亭の入り口に貼り紙がありました。「10月1日から夜は休業します」 そうか,あの運転手は駅亭と西屋を間違えたのかもしれないな。善意に解釈しておきましょう。でも,間違えられた店には大迷惑。無責任な発言が,こうしてデマになっていくんでしょうね。

心なし愛なし子なし人でなしなしということいえばさわやか(馬場あき子)

「今どきの日本語」を読む

小論「今どきの日本語」(金田一秀穂)を読みました。

金田一先生は「新語・流行語大賞」の選考委員を務めているんですね。私は辞書の編纂ばかりしていると思っていましたけど。学者がこういうミーハーなところに進出しているなんて,学者も偉く(?)なったものだなって思います。

それはさておき,金田一先生が流行語にしたい言葉というのが非常に興味深い。昨年選ばれたのは「ONE TEAM」でした。もう忘れていましたか? 昨年の今頃はラグビーワールドカップが日本で開催され,私はラグビー三昧の至福のときを過ごしていました。「ONE TEAM」。流行しましたね。というか,マスコミがこれでもか,と使い,政治家もこれでもか,と使っていました。私はそっちの印象が強くて嫌でした。

幸い,金田一先生も私と同じ意見でした。

「ある目的のためにそれぞれの得意なことの異なるプロフェッショナルが集まり,一緒に仕事をし,目的が達成されたらそれですぐ解散する」とう経緯を背景にして出てきた言葉なのに,「それがいいんだ」「日本はひとつ」などといい,その関係性をずっと続けようとします。これでは同調圧力と排除の理論が働き,ひどい場合はいじめに発展する。として,自分に都合がいい意味を流通させようとする年配の人たちを静かに非難しています。

この小論の中で,「へぇ」とトリビア票を投じたくなったのは「しーん」の表現です。私たちは静寂に包まれていることを「しーん」と表現しますが,これは手塚治虫がマンガの中で最初に作ったそうです。初出のときは誰も気にとめませんでしたが,いつの間にかみんなが使うようになり,すっかり定着しています。

さて,流行語に戻ります。金田一先生のお薦めの流行語が「肉肉しい」「芋芋しい」といった,言葉と言葉が連想させる感覚が一致している表現。なるほどねえ,でも,こういう言葉って流行語大賞の選からもれてしまうんですよね。イベントや芸能人,お金(商品)と無縁だから。

私が思うに,流行語ってもっと単純で身近なものでもいいのではないでしょうか。例えばスマホを多くの人が使うようになり,短縮言葉が流通しています。例えば「り」。数年前,娘の返信メールが「り」の一文字だったので,????となったことがあります。

後で「了解」を短縮しての頭文字「り」だと知りました。なるほど,言葉としてしゃべるのであれば気になりませんが,メールでボタンを押すのであれば,短くした方が早くて簡単。こういうことこそ流行語となってもいいんじゃないかなあ。まあ,流行語大賞を選考する出版社にとっては金にならない話だろうけど。

べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊 (永井陽子)

2020年9月29日 (火)

御楼門が豪華すぎる 一点豪華主義は昔も今も変わらない

仕事帰りにいつもの小料理屋に寄りました。

「ずいぶん秋めいてきましたね。この涼しさはいいですよね」と話しかけると,小料理屋のおばちゃんも「雲が入道雲から,筋雲になってきたでしょ。本当によかったわ。でも,この冬はすごく寒くなるらしいわよ。テレビが言っていたわ」

そんなたわいもない話から始まりましたが,しゃべりはおばちゃんと私は9:1ぐらい。圧倒的におばちゃんがしゃべり倒します。

話は鹿児島城の御楼門のことになりました。

「このあいだ,お友達が3人ぐらい遊びにきたのよ。そのとき,御楼門が見たいって話になってね。近くだから下見をして,それから案内したのよ。そしたら閉まってるの。お休みなんだって」

へーっとおつまみをつまみながら聞いている私を尻目にどんどん話が続きます。

「西側の裏口が開いていたから,そこから入って中をみたんだけどね。御楼門のほかに何もないでしょ。あれじゃあだめよね。私はあそこにお茶屋があればいいと思うのよ」

なんでまた,お茶屋なんですか?

「あのあたりは休憩するところがないでしょ。黎明館じゃちょっとねえ。それよりも番茶200円とか,抹茶500円とかで飲めた方がよっぽどいいわ。だいたい御楼門が立派すぎるのよ。それに比べてまわりになんにもないんだから」

黎明館にもレストランがあったと思うけど。あれじゃだめなんですか?

「鹿児島はお茶の産地でしょ。だからお茶なのよ。昔,ソムリエの田崎真也が城山観光ホテルに泊まった事があったのよ。そのとき,すごく怒ったことがあったんだって。ホテルの寝室に番茶のティーバッグがあったのがいけないって。それはそうよ。鹿児島はお茶の産地。茶葉が欲しいでしょ。ティーバッグなんて全国どこでもあるから」

なるほど。

「黎明館にもお茶のできるスペースがあるのよ。知ってた? でもあれはダメなの。御楼門からちょうど黎明館の反対側になるし,なによりあそこはガスがないから大変。黎明館が引火する可能性があるからと言ってガスの使用を認めてくれないのよ」

行政って本当に面倒くさいですよね。しかし御楼門は鹿児島の経済界の発案。民間の活力でお茶屋ぐらいはできそうですけどねえ。

「本当。お茶を習っている人っていっぱいいるでしょ。そういう人は人前で披露する場所なんてないじゃない。そういう人こそ,こういうお茶屋でお稽古をかねてやればいいって思うんだけど。あなたはどう思うね」

確かに何かをやろうとすると人件費が大変です。行政はハード整備はできても運営が負担になって失敗する例が山ほどあります。お茶を勉強されている方々にチャンスを与えるっていい考えかも。ところで,お友達は御楼門を喜んでくれましたか?

「それがね。途中でおしっこが漏れるって言ってそのまま黎明館のトイレに行ってね。御楼門なんて見てないのよ。いったい何しに来たんだか」

接待役は大変ですね。

無人駅ここに居らざる駅員を幻肢のごとく思ふたまゆら(高野公彦)