2022年10月23日 (日)

京都の高級料亭 中村楼で夕食を

大阪でイベントがあるため、週末に出張しました。

私の大学生の娘が関西に住んでいるのですが、コロナ騒ぎで県外との往来が難しかったため、一度も娘のアパートを訪ねたことがありません。この機会だから、と娘と会うことにしました。

娘にどこで会うか尋ねたところ、返ってきた答えが「中村楼」。京都祇園の八坂神社境内にある老舗旅館でした。娘はここでアルバイトをしていたのです。

「ここは高いよ」と娘がいうので値段を確認すると「コースは13,000円から」。確かに私はこんな値段で食事をしたことはありません。これだけあれば家族4人分でもお釣りがきます。金持ちでない私は一番安いコースで予約してもらいました。

八坂神社で娘と合流。徒歩1分のところに中村楼はあります。日が暮れて玄関の明かりがぼーっと見えている感じ。中には着物を着た女将と仲居さんが2人、床に手をついて「おいでやす」。うわあ、高級旅館ですね。

私と娘は坪庭がガラス越しに見えるカウンター席に案内されました。娘と並んで座り、日本酒を飲みながら会席料理を楽しみます。普段食べることのない国内産の松茸の茶碗蒸し、落ち鮎の塩焼き、などなど。

料理が運ばれると、仲居さんがひとつひとつ食材を丁寧に紹介します。上品な味付けと彩り豊かな食材。魚料理を口に運んでもくさみがまったくなく、ぎんなんなどもエグみがまったくありません。高級料理だとこうも違うのかと唸(うな)らされました。

夜の7時から食べ始めて、午後8時半には食べ終わりました。もう満腹です。お会計をお願いすると値段は3万3千円。明細を見るとサービス料が3900円。それに消費税が加算されていました。高級料亭だとサービス料がつくんですね。解説が丁寧なはずです。

帰るときも、女将と仲居さんが玄関まで見送ってくれました。ここまでサービスが徹底するとお客さんも満足するはず。娘がこういうところで働いていたのかと思うと、子どもって見知らぬ間に成長しているんだなあと感慨深くなりました。

私からすればこの日の夜はできる限り精一杯の贅沢。ここで食事をできる日がもう一度あるかわかりませんが、いい思い出になりました。

わたくしの料理を食べなくなってから子に魔法はかかりにくくなり(風花雫)

2022年10月12日 (水)

仕事を成し遂げる上で大事なことは、自分の信念

昔、種子島で営業の仕事をしていたことがありました。

その会社は顧客を伸ばそうと、これまでお付き合いのないところに営業をかけていました。しかし、まったく契約できず、会社の先輩たちは次々とやめていきました。

私は彼らの穴埋めとして、そういう、いわゆる難攻不落のエリアを担当することになりました。

営業初心者の私は、最初の研修にならったとおり、マニュアルどおりにこまめに足を運びました。いろんな相手がいて、私の話を聞いてくれる人もいるのですが、その場合でも背後に契約の障害となるようなことがあって、なかなか進展しませんでした。

こんなとき、私は営業にいくときには、途中でこのエリアの氏神である神社に立ち寄り、交渉がうまくいくようにと手をあわせました。ときには、このエリアの酒屋で焼酎を買い、この神社に奉納したこともありました。

営業では、誠実に、丁寧に、あるときは人の話をしっかりと聞き、あるときは関係者に説得のお願いに行き、あるときは手紙を書き、あるときは電話をかけ、力の限りを尽くしました。

そうして3年後、私は種子島を去りました。このとき、エリアでいわゆる難航案件といわれていた人々全員と契約を結び終えていました。

周囲の人から「どうして契約できたのか?」と聞かれましたが、私にもよくわかりません。私がやったことはマニュアルにあることを実行しただけ。マニュアルにないことといえば、手紙は手書きだったことと、神社に祈願したことぐらいです。

今振り返ると、会社をやめていった先輩たちは、営業のマニュアルを実践することなく、勝手なやりかたを繰り返して、ちょっとでも契約が無理だと思うと交渉に行かなくなっていたのです。彼らは自分のプライドが傷つくのが嫌だったのでしょうね。

私はプライドが傷つくとかどうとかは気になりませんでした。私のやっていることが世のため人のためになると信じてひたすら営業を続けました。結局のところ、そういう信念の有無が、結果となって現れるのでしょうね。

仏神他にましまさず人よりも心に恥ぢよ天地よく知る(日新公いろは歌)

2022年10月10日 (月)

友達以上恋人未満 どころか 知り合い以上友達未満

私は小学校まではクラスの仲間と友達となり、一緒に遊んでいましたが、中学校になると数が次第に少なくなりました。高校になると一緒に勉強をするという意味での仲間はいましたが、「遊ぶ」ということがなくなりました。

大学生になってからも、同じサークルの連中と飲んだり、議論したり、マージャンをしたり、ということもありましたが、交友関係は非常に狭くなりました。

社会人になってから、複数の会社を経験しましたが、同僚らと「一緒に飲みに行く」ことはあっても、趣味などの時間を一緒に過ごすことは数えるほど。就職して数年で結婚して子どもが生まれたということももちろん関係はありますが、私自身、積極的にそういった交友関係をつくろうとしてこなかったのは確かです。

子どもたちが大学に進学して自活を始めたこともあり、私はしばしば会社の若手を誘って飲みに行くようになりました。部下だから誘いやすいというのもありますが、若手連中がほとんど飲みに行かないという話を聞いて、「これでいいんだろうか」と疑問に思ったことが根底にあります。

私は職場で冗談を言うことはほとんどなく、人を褒めることもめったにありません。どちらかといえば、機械的に、能率的に仕事を処理していって、部下の相談にも端的かつ簡潔に答えるタイプです。

ちまたでは「雑談力」がもてはやされていますが、私は苦手です。私は小さい頃から戦記物を読んでいた影響なのか、日頃から弁(べん)を弄(ろう)するよりも直言実行を旨とするようになり、「言は簡を尊ぶ」が性格になってしまったみたいです。

昨夜は職場関係の飲み会でした。同じアパートの若い女性など、私以外は全員初対面という設定だったので盛り上げようとしたのですが、私の話は上滑り。逆に、相手の話に合わせようにもうまく返せず。こんな感じで一次会は終了。

2次会は別のメンバーの行きつけの店にいったのですが、こちらでは合流してきた別のグループの人達の愚痴を聞く羽目になり、肝心の若い女性とは話をしないまま。

そうしているうちに、一緒に来たメンバーが眠そうにしていたので、場を切り上げることにしました。アパートに向かう帰り道では私と彼女の二人だけで歩きながら話をしたのですが、中身が深まることはなく終わってしまいました。これでは二人の仲が進展することはなさそう。まあ仕方がないですね。20歳の年齢差ですから。

似たるこそ友としよけれ交はらば我にます人おとなしき人(日新公いろは歌)

2022年10月 6日 (木)

タロットカード 大アルカナ18「月」の啓示 女性はミステリアス 

50歳を過ぎて、なんと新しい会社に就職しました。

まったく縁もゆかりもない会社ですが、社長のたっての依頼で断るに断れず、転職することになりました。しかも、鹿児島市の自宅からはこの会社まで移動するのに半日以上かかるため、必然的に単身赴任となりました。

久しぶりの一人暮らし。ワンルームマンションでの生活が始まりました。引っ越した当日は、同じフロアと私の部屋の上下の住人にあいさつに伺いました。手土産は「かるかん」5個入のセットです。

驚いたことに、どの住人も20代か30代という若さ。そして共通するのは、誰も自分の名前を名乗らないことです。部屋の玄関に表札なし。郵便受けもすべて無記名。徹底しています。

「こんにちは。AAA号室に引っ越してきたBBです。どうぞよろしくおねがいします。つまらないものですが、どうぞ召し上がってください」と一軒一軒回ったのですが、どこもお礼をいいながらかるかんを受け取るとすぐにドアを閉めます。

ただ、1軒だけは受け取るときに私の顔を見た人がいました。私の下の階に住む20代のすごくかわいらしい女性です。やっぱり名乗りませんでしたが、私の顔をみて嬉しそうな顔をしていたので、ほっとしました。

それから2ヶ月ほどたった昨日のこと。朝出勤のためアパートをでると、その彼女が見覚えのある制服を着て先を歩いていました。気になった私は「おはよう」とあいさつして、彼女の勤め先を聞くと、思っていたとおり、以前、私が勤めていた会社の系列会社でした。

ただ、このときの彼女は無表情で、私の問いに「はい」「いいえ」しか言わず、会話は発展しないまま。すぐに別の道を進んでいきました。「ああ、嫌われたかな。知らない人から突然勤め先がどこかとか聞かれたら警戒するのが普通だよな」 私によくある失敗です。

でも、気になった私は、その日の夜、彼女との関係をタロットで占うことにしました。今週の土曜日に会社の友人たちと飲み会があるので、彼女を誘ってみてみたいと思ったからです。でも、今朝の対応だと私を警戒しているのが当然。そもそも、知らない人ばかりのところに彼女が来る理由なんて思いつかない。それで誘うなんて俺って馬鹿げているよなあ、と思いつつ。

ミュシャタロットのカードを引くと、それは「月」でした。解釈を要約すると「夢の世界があなたと歓迎している」「あなたの本能を信じなさい」、そしてキーワードは「女性はミステリアス」。

このカードの解釈を読んで、「今朝の彼女の対応は彼女の本心ではない」というインスピレーションが私の心にわきあがりました。「そうだよね、女性ってわからないよね」

今夜、仕事からアパートに帰ると彼女の部屋に明かりがついていました。思い切って彼女の部屋の呼び鈴を鳴らすとドアが開き、彼女がマスクもつけずに現れました。さっそく私が飲み会に誘うと、彼女はなんとOK! その返事が嬉しくて「私がお代を出すよ、気にしないでいいからね」と言うと、いえいえそんなと言いながらも嬉しそうに微笑みました。そして彼女の名前を教えてくれました。

やっぱり女性はミステリアス。わからないものですね。

サキサキとセロリ噛(か)みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず(佐佐木幸綱)

2022年10月 4日 (火)

「あのときに勉強してれば」の嘘

成人式では、中学校や高校の時の同級生と会うのが楽しみという人も多いでしょう。私も30年ほど前に地元の成人式に参加し、そのまま中学校の同級生との立食パーティで語り合いました。

当時のクラスメートとたまたま顔をあわせました。彼は中学生のときはいわゆる「不良」で、成人式の当時は建設作業員でした。話の中で、彼が「中学校や高校のときに勉強していればよかったよ」とよくこぼしていました。低学歴ということもありますが、漢字を知らなかったり、計算が苦手だったりと社会に出てから苦労が多かったのでしょうね。

当時大学生だった私は、「大変なんだな」と調子をあわせて聞いていましたが、共感はできませんでした。当然ながら大学生の私は勉強中。彼の話を聞きながら「だったら、今、勉強しろよ」と内心思っていたのが本当のところです。

現在、50歳を越えた私ですが、ときどき同世代の人たちと飲むと「あのころ、こうしていれば」と後悔して愚痴をこぼす人がいます。取り返しのつかないことであればともかく、「勉強していればよかった」とか「もっと女性にアタックしていればよかった」とか言います。

では、そういいながら、当人たちは今何をしているのかというと、勉強もしていないし、女性に積極的にアプローチをしているわけでもありません。

勉強したいのなら、今勉強すればいいし、女性と付き合いたいのなら、好意をもった女性と付き合えるように努力すればいいのです。でも、そういう気持ちになっていないということは、軒局のところ、真剣に後悔していないのです。本気でそう思っていないのです。ただ、人生の失敗の原因をあげつらっているだけかも。

幸い、最近いっしょに飲む人たちは、人生をいきいきと過ごしているようで、そんな愚痴は口にしません。もちろん、彼らなりに悩みを抱えていますが、過去のことを悔やむようなことはほとんど言いません。私も、今どうするかについてはあれこれ考えますが、終わったことを思い出すことはあっても後悔して思い悩むことはありません。失敗して「あっ、やってしまったな。こうすればよかったな」と反省することは多々ありますが、それで終わりです。

勉強についても同じことが言えます。やり残したことがあるのなら、今、やればいいのです。人生に遅すぎることはありません。それをやらないのは本気で勉強したいと思っていない、勉強が大事だとは思っていないことの証拠にほかなりません。

私は今ピアノを練習しています。ユーチューブを見ながら練習をしています。ピアノを始めたのは50歳を過ぎてから。現在練習している曲は宇多田ヒカルの「桜流し」です。非常に難しい曲で、この半年(間に2ヶ月中断がありましたが)は毎日最低1時間は練習していますが、いまだにリズムを崩さずに通して演奏することができません。

ただ、私は本気でピアノを弾けるようになりたいと思っています。毎日、鍵盤に向かい、いつも躓(つまづ)いてしまうところを繰り返し練習します。

周囲がそれをどう思おうが私は気にしません。私は好きなことを好きなだけできる。それって、素晴らしいことだと思います。もちろん、完璧に演奏できるようになるのが理想ですが、誰かさんのように「ピアノを習ってたらよかったのに」みたいなことは言いたくないですね。

はかなくも明日の命をたのむかな 今日も今日もと学びをばせて(日新公いろは歌)

2022年10月 3日 (月)

貧乏人は正直で誠実、金持ちは強欲で嘘つきというステレオタイプ

先日、とある飲み会に参加したときのことです。私と年齢がほとんど同じ男性が身の上話をはじめました。

その男性は母子家庭で育ち、兄との2人兄弟だったそうです。まだ小学校に入る前には母親が涙を流しながら山に子どもを連れていき、心中を図ったことがあるほど貧乏だったということでした。その男性が小学生の時は、貧乏を理由に相当いじめられたそうです。しかし、母親は貧乏ながらも二人の息子を育て上げ、しっかりとしつけた結果、兄弟は社会にでてから成功を収めました。現在、その男性は複数の会社を経営しています。

話を聞いて大変立派な人だな、と感心しました。そして、貧乏であっても道を踏み外さずに二人の息子を育てた母親はたいへん立派な人だったんだと想像します。

漫画やドラマでは、主人公が貧乏でも心は清く、ライバルは金持ちで傲慢、というのがよくある設定ですね。こういう設定は読者や視聴者が感情移入しやすいのでしょう。

しかし、私が少年時代に過ごした街では、決してそういうことはありませんでした。同級生でも貧乏な人はいましたが、たいていは性格が悪かった。私と話をしない人が数人いましたが、そういう人たちは私の父が経営する店の商品を万引きしていたようです。卒業後に別の同級生が教えてくれました。

当時、私は彼らに嫌われているのか、なにか私に落ち度があったのだろうか、と思っていましたが、実際はそうではなく、彼らの心のやましさがそうさせていたのだと大人になってから気づきました。

世間に強欲な金持ちがいるのは否定しませんが、生活水準がある程度安定している家庭は、子どもの育ちがよく、性格も素直です。親が勤勉で人を信用しているからこそ、収入も安定し、子どもも立派に育つのでしょう。逆に怠けて仕事をせず、人を騙そうと考えてばかりいる親は、収入は不安定でも、子育てもいい加減です。

つまり、「金持ち→子どもの性格がいい」ではなく「親が勤勉、誠実→金持ち、子どもの性格がいい」であり、「貧乏→子どもの性格が悪い」ではなく「親が怠け、背徳→貧乏、子どもの性格が悪い」なのです。

不運にも仕事に失敗して貧乏になることもあるでしょう。しかし、仕事をしっかりして人に対して誠実であれば、いずれは報われるのです。この男性の話をききながら、そんなことを思いました。

楼(ろ)の上もはにふの小屋も住む人の心にこそはたかきいやしき(日新公いろは歌)

2022年10月 2日 (日)

論語とプーチン・ロシア大統領の動員令

ロシアの大統領が9月30日にウクライナ東部南部の4州を自国領に併合しました。しかし、ウクライナ軍が反転攻勢を強めており、ロシア軍はハルキウ州から撤退した後もルハンスク州、ドネツク州の確保が危うくなっています。

そもそも今回のロシアによるウクライナ侵攻は「東部2州の住民を集団殺害から守る」ことを根拠としていました。しかし、今回の併合によって、ウクライナ侵攻の目的は嘘であることを皮肉にも証明した形となりました。

ウクライナ侵攻開始時、ロシア軍は20万人弱いましたが、そのうちの半数近くが死傷していると報道されています。損害率が40パーセントを超えるとなると、一般的には部隊は壊滅と表現します。

この兵力不足を補うべく、プーチン大統領は予備役の部分動員(30万人)を命じましたが、これによりロシア国内には大きな混乱と不安が広がっているようです。私の情報源であるNHKラジオや朝日新聞は、ウクライナ国民の悲惨な状況を熱心に伝えますが、肝心の軍隊に関するニュースはほとんど報じないため、ネットで最近の「ゆっくり解説」を見てみました。

それによると、新たに動員された兵士はほとんど訓練も受けずにウクライナの前線に送られているようです。予備役とはいえ、長年訓練を受けていなかった人たちです。

ヒトラーとスターリンによる独ソ戦では、ドイツ軍の精鋭部隊に対して、ソ連軍はウンカのごとく押し寄せ、殺されても殺されても前進し、最終的にベルリンを占領してナチスドイツに勝利しました。このときの戦いではソ連人は約2000万人が亡くなっています。(ちなみに第二次世界大戦における日本軍の死者は600万人と言われています。)

ソ連軍は兵士が離脱しないよう、各部隊において政治委員が監視していました。フルシチョフ(スターリンの死後に、ソビエト共産党書記長となり、スターリン批判演説を行った)が有名ですね。ほかにも督戦隊というのがありました。この部隊は、逃亡しようとする兵士たちを撃ち殺すので、前線の兵士たちはその恐怖に怯え、ドイツ軍に向かっていきました。

当時ドイツ軍は投降したソ連軍兵士を皆殺しにしていたため、ソ連兵士に投降という選択肢はなかったので、ソ連軍の兵士は文字どおり決死の覚悟で戦いました。しかし、ウクライナのゼレンスキー大統領はロシア軍捕虜を厚遇すると何度も呼びかけてロシア軍兵士に投降を促しています。ナチスドイツとの戦いとはまったく環境が異なります。

論語の子路第十三に「子の曰く、教えざる民を以って戦う。是れこれを捨つと謂う」とあります。現代語訳をすると「先生が言われた。『教育もしていない人民を戦争させる。これこそ捨てるというものだ(負けるに決まっている)。」

ロシアがウクライナ侵攻に失敗するのは決定的になりました。プーチンは核戦争の恐怖で国際社会を恫喝し続けるので戦火が拡大する可能性は非常に低いでしょうが、ウクライナ軍が自国内で戦闘する限り、ロシア軍は戦力(兵士)を消耗し続けるでしょう。

ちなみに第二次世界大戦後に、ソ連は深刻な労働者不足に陥ります。その労働者不足を補うために、捕虜に強制労働をさせてきました(シベリア抑留)。ウクライナからロシアに避難してきた(連行した)人々でそれを補わせるつもりでしょうか?

そもそもロシアは人口減少社会。今回のウクライナ侵攻による労働者不足によって、ロシア経済は相当大きい影響を受けることが予想されます。1980年代のソ連のアフガン侵攻失敗でもソ連は大ダメージを受けました。アフガン撤退から10年後にはソ連邦は解体しました。さて、10年後のロシアはどうなっていることか?

いにしへの道をきいても唱えても わがおこないにせずば甲斐なし(日新公いろは歌)

「於菟(おと)」は虎 オットー、マリー、アンヌ、フリッツ、ルイ

岩波文庫の春秋左氏伝を読んでいます。宣公4年の日本語訳に次のような記述がありました。

その昔、若敖(じゃくごう)はウンから妻を迎え、闘伯比(とうはくひ)が生まれた。若敖が亡くなると、伯比は母に連れられてウンで育てられたが、ウンシの娘に密通して子文(しぶん)が生まれた。ウンシ夫人(子文の祖母)は子文を雲夢沢(うんぽうたく)に捨てさせた。ところが虎が子文に乳を飲ませて養った。ウンシは狩猟の折にこれに出くわし、びっくりして帰ると、夫人が実情を話したので、これを引き取ることにした。楚の人は乳のことを「穀(こう)」、虎のことを「於菟(おと)」をというので、この子(子文)を闘穀於菟と命名し、これを産んだ娘を闘伯比の妻とした。

私はこの一節を読んで、森鴎外の子どもたちの名前を思い出しました。

キラキラネームに関する本を読んだときだったと思うのですが、森鴎外の子どもは全員ドイツ人のような名前をつけています。長男の於菟(おと)から、茉莉(まり)、杏奴(あんぬ)、不律(ふりつ)、類(るい)。それぞれ、オットー、マリー、アンヌ、フリッツ、ルイ、というわけです。

ネットで調べてみると、なんと孫の名前も同様でした。真章(まくす:マックス)、富(とむ:トム)、爵(じゃく:ジャック)、というから驚きです。徹底していますね。

最近のキラキラネームは森鴎外と同様、西洋風の名前が多いようです。国際化時代には呼びやすい、親しみやすいというのが理由なのでしょう。

しかし、私は国際化時代だからこそ日本の伝統などを大事にしたいと思うのです。海外の人たちと触れ合えば触れ合うほど、「私は何者なのか」というアイデンティティを意識せざるを得なくなります。

ちなみに私の娘たちには日本古来の名前からとりました。一方で中国古典から命名するというのも、なんだかロマンを感じますね。私にはもう子どもは望めませんが、動物を飼うことがあれば、そういった名前をつけてもいいかな。たとえばヤギを飼うときにはシロ(子路:孔子の弟子)と名付けるとか。

そういえば、高崎山のサルに「シャーロット」と名付けたことに対して、イギリス王室に対して不敬だと騒ぐ、忖度(そんたく)大好きな日本人が多数登場して話題になったことがありましたね。シロという名前ではやっぱりあの人たちには理解されないのでしょうか? まあ、私にはどうでもいいんですけど。 

更衣室から出たきみが照れながらゆっくりまわる夏のまんなか(「自分の名前の漢字がとても気に入っています。名前の一文字『衣』を使った短歌をお願いします」という依頼に応えて、木下龍也が詠んだ短歌)

2022年10月 1日 (土)

老人ホームという閉鎖空間 絶望した高学歴男性のクエスチョン

学士会会報には会員のおたよりも紹介されています。学士会会員は高齢者ばかりのようで、ほとんどが第一線を退いた80代、90代の先輩方の寄稿です。

私が若いときは、このお便りコーナーは一瞥(いちべつ)もしませんでしたが、最近はしばしば目を通すようになりました。私も娘が進学で親元を離れ、50歳を過ぎて、このお便りに共感することがあるからかもしれません。

第945号には次のようなお便りがありました(抜粋、一部意訳)。

同年の女房を68歳でなくしたが(略)、生きた社会の中で働くことに生きがいを感じていた。ところが、年末路上に倒れた(略)。危篤状態に陥ったとき、息子が主任医師から救命措置をとるか否かを問われ、「苦痛を見ていられないからこのまま逝かせてください」と答えた。しかし、逆に生き返ってしまった。(略)現在は介護ホームで居住6年を数えた。そこは特別の閉鎖社会であり、同僚にトランプ大統領や安倍総理の話題を持ち出しても通じない環境だ。心身が一応働いている者にとっては、まともな居場所にならない。閉鎖社会の中で会話しなければ怖いようにボケが進んでいく。「在宅ひとり死のススメ」(上野千鶴子)では「施設の機能はそこで生活が24時間完結することです。これを全制的施設と呼びます。その典型が刑務所です。刑務所なら終身刑でもない限りいつかは出ていけますが、高齢者施設は死体にならないと出ていけません」と酷評している。(略)ここにいることは私にとって答えが出せない。ハムレットのクエスチョンだ。

まともに話ができる人がいない、そんな環境から抜けられないなんてかわいそうですね。

この日本では高齢者向けの施設があふれています。特別養護老人ホーム、サービス付き高齢者住宅、デイサービスなどなど。必要な施設なのでしょうけど。利用する人が幸せかとなると疑問符がつくようです。とくにバリバリ働いていた男性にとって、まったく異質の空間に取り残されたときの絶望感は想像もつきません。私も同じ体験をするとなったら気が狂いそうです。

幸い、私も妻は両親は80代ですが今も健在で自宅で暮らしています。また、親戚のなかでこれらの施設を利用している人は皆無です。お金の問題もありますが、高齢者施設を利用する気がまったくないのです。やっぱり見慣れた街で、よく知っている人たちと囲まれて暮らすことが幸せなのです。

唯一の例外が私の大叔母。福岡の老人ホームで暮らしていましたが、60歳で入居して100歳まで生きました。この大叔母には何度か施設を訪問して面会しましたが、いつも矍鑠(かくしゃく)としていて、訃報を耳にしたときはにわかに信じられませんでした。この大叔母はどんな環境でもいきていけるたくましさがありました。結婚したものの夫は戦死。再婚せず、子どももなく、相続人はいないこともあって、財産はまったく残りませんでした。大往生でしたね。

お便りの男性も気の毒ではありますが、今ではネットで政治談義ができる世の中です。そう切り替えて生活を送れるようになれば、毎日の景色が違ってくるかもしれませんよ。

クラス会次回またねと言っていた君の死を知る喪中はがきで(小浪悠紀子)

2022年9月20日 (火)

東大卒の落語家春風亭昇吉の講演録「落語家その知られざる世界」を読む

春風亭昇吉は、岡山大学に入学後、猛勉強して23歳のときに東京大学文科2類に合格。経済学部卒業のときには当時の小宮山総長から第1回東京大学総長大賞を受賞しています。

すごい経歴ですね。もっとも受賞の理由は「2006年の全日本学生落語選手権に出場して『まんじゅうこわい』という演目で策伝大賞を受賞したことや落語ボランティア活動で社会貢献したことが評価された」というのがオチになっています。

卒業後、春風亭昇太に入門。2021年5月に真打ちに承認しました。

落語の弟子になるのも大変ですね。入門そのものがハードルが高いということですが、最近は弟子志願もさまざまで、普通は師匠を楽屋待ちして「師匠、弟子にしてください」と土下座するものですが、今の若い人たちは違うようです。

「私を弟子にする。○か✗か」という往復はがきが届いたり、ホームページからの問い合わせで弟子志願がくるそうです。本気度がどの程度かという問題はともかく、笑ってしまいますね。たぶん、そういうやり方しか思いつかないんでしょうね。

さて、春風亭昇吉の場合、「私はこういうものです。師匠の芸にほれました。入門させてください」という手紙を書き、履歴書を添えて、独演会が開かれていた某市民ホールの楽屋口でファンレターのように師匠に渡したそうです。どんな輝かしい経歴の持ち主もすぐには入門できず、何回も通ってお願いしなければならないそうです。

その後師匠から電話があり、「一度話を聞こう。落語家は食えないぞ」と言われたそうです。このとき師匠は履歴書を見て「自分を東大卒だと思い込んでいる頭のおかしいやつが来た」と思ったそうです。(笑)

そして面談の席で、師匠が「親はどう思っているんだ。家業はなんだ?」と昇吉に質問したとき、昇吉は緊張のあまり「か行ですか。かきくけこ」と答えたようです。(ほんまかいな。笑)

無事入門が許され、春風亭昇吉の修行が始まります。あれこれ苦労話があるのですが、私が感心した点が2つありましたので紹介します。

「言い訳をしない」 誤解や理不尽な理由で怒られたとき、一般社会なら理由を説明して反論できます。しかし、落語の世界には「言い訳してはいけない」というルールがあるので「どうも申し訳ございませんでした」で終わりです。

「わざと怒られる」 お客様がいる打ち上げの席などで、師匠に焼酎の水割りを作ることがあります。師匠がグラスを飲み干してから次の一杯をつくることになっていました。これを「飲みきり」といいます。しかし、それを知らないお客様が「もうすぐなくなりそうだから新しくつくれ」を言うことがあります。そのとき「師匠は飲みきりなんです」というと口答えをしたことになるので、師匠のところへ行って「師匠、新しいのをおつくりします」と言います。すると師匠が「俺は飲みきりだ。何度言ったらわかるんだ」と怒ります。その様子をお客様にみせてお伝えしていました。

この「言い訳をしない」「わざと怒られる」は、わかっていてもなかなかできることではありません。まして東大卒といえば相当のプライドもあるはず。ここまで腹をくくって落語修行をしていたということに感動しました。

私は50歳をすぎていますが、昇吉師匠を見習いたいですね。

永遠に沖田よりは年上で土方よりは年下な気が(田中有芽子)