« 2021年4月 | メイン | 2021年6月 »

2021年5月

2021年5月30日 (日)

「死」を考えなくなった日本人

講演要旨「新型コロナウイルス蔓延(まんえん)下の在宅医療」(小堀鷗一郎)を読みました。講師の小堀氏は埼玉県で訪問医療を担当している医師です。

簡単に内容をまとめると「高齢者の7割が自宅死を望んでいる。しかし、日本では患者や家族はもちろん、社会や医師までもが死を忌避する一方で、病院を万能と信じているため実現は難しい。そんな状況を一変させたのが新型コロナウイルスの蔓延である。患者の望む死の実現について考える。」

やはりコロナですか。コロナ問題で家族を最も悩ませているのは、自宅療養中の高齢者や末期患者の容態が急変したとき、どこへ電話していいかわからない、すぐに救急車が来てくれないというものです。

このような家族から相談を受けた場合、講師は「新型コロナウイルスの感染の有無に関わらず、肺炎が疑われる高齢者は入院して濃厚治療をしても元通りに回復することは難しい。患者の最期をどのような形で迎えるか、考えておいてください」と説明しているそうです。

助けようと思って電話してきた家族に対して、死について考えよと回答するこの医師はすばらしいですね。人として当たり前のことが正々堂々を言っている、久しぶりにこういう人に出会いました。

講師がいうには、今回のコロナ騒ぎによって患者の死について事前に話せるようになった、とのこと。患者や家族は95歳の親が歩けなくなっても、病院に搬送して治療すればもとどおりに元気になると当然のように考えていて、人間はいずれ老いて死ぬという認識がまったく感じられないそうです。

これを読んで寒気がしました。70歳を越えた息子が95際の親の死を考えていない。自身も70歳を越えているのだから死について考えていてもおかしくないはずですが、それも想像していないというんだから。

今では病院で死ぬことが前提となっています。統計では死亡者の80%は病院死。在宅死は13%となっているようです(残りのほとんどは老人ホームなどの施設)。

2017年に厚生労働省が行った「人生の最終段階における医療に関する意識調査」によると、末期がんで回復の見込みがないときにどこで最後を迎えたいか、との問いに対する回答の第1位は自宅(70%弱)だったそうです。

しかし、今の日本では在宅死を許さない人たちがいます。「家から死人を出したくない」との理由で患者の意向を無視して入院(1ヶ月後に死亡)させた妻。介護の大変さに精神的に追い込まれて「患者の衰弱が激しい」と嘘の電話をして入院させた長男の嫁。残り少ない人生に何を望んでいるかを全く考慮せず、延命だけを優先させて死ぬまでの半年間、患者を病院のベッドに拘束して鎮静剤を打ち続けた医師。

「死にそうな患者を家に帰す」という発想が患者にも家族にも医師にもありません。

ニュースではコロナ感染者のうち、自宅で亡くなった人の数を公表して問題があるかのように報じています。確かに必要な治療を受ければ助かった人もいたでしょう。でも、それがどの程度の割合なのかは知りえません。マスコミにとっては危機感をあおることができる事例がひとつあれば十分なのでしょう。

それをまともに受け取って右往左往している人が哀れです。

私の母の方の祖母は死ぬ直前に入院しましたが、そのときの体重は30キロ程度。食事はほとんどとらず、枯れるように亡くなりました。私の父の方の祖母は老人ホームを退所してから1年以上で自宅で介護し、自宅で家族全員が見守る中、息を引き取りました(救急車で病院に運んで死亡を確認しました)。それが死を迎えるということです。

人間は死ぬのが当たり前。しかし、今の日本では「コロナで死ななければ永遠に生きられる」と思い、死を極端に忌避し、コロナを過度に恐れています。

コロナの死亡者は本日の朝日新聞によると累計で1万3千人ほど。感染者が74万人なので死亡率は1.8%です。大腸がんの死亡者数はどのぐらいかご存知ですか。年間約5万人です。コロナよりたくさん死んでいますよ。マスク着用よりも大腸がん対策をすべきではないですか。

え、コロナ対策でそれどころじゃないって? 笑い話みたいですね。

死にたれば人来て大根(だいこ)煮(た)きはじむ(下村槐太)