« 「京大的文化事典 自由とカオスの生態系」を読む | メイン | イヌマキ1本でライオンが10頭買えるって素晴らしい!?  »

2020年9月21日 (月)

あるときは「怒る人」 あるときは「レーニン」 その正体は折田先生

京都大学の吉田キャンパスには,高名な先生の胸像がいくつかあります。そのうち,いつも「いたずら」されている像がありました。折田彦市像です。

私の記憶に残っているのは「怒る人」です。折口像の顔に赤いスプレーで吹き付けられ,土台となるコンクリートには「怒る人」と同じように赤スプレーで吹き付けられていました。一体何を表現したかったのかは不明です。

もうひとつは「レーニン」。折田像は胸像なので,胸と顔だけで腕はありません。しかし,「レーニン」と土台に書かれていたとき,白い両腕がついていて万歳をしようとする格好をしていました。こちらも一体何を表現したかったのかは不明です。

こんなイタズラをされている折口先生とは何者なのか。大学生だった私はまったく知らないまま卒業しましたが,先日読んだ「京大的文化事典」(杉本恭子)には,折田先生の経歴が紹介されていました。

折田先生は薩摩藩生まれ。旧制第三高校の初代校長です。本書によれば「生徒の人格を認めることから教育が始まる」という信念をもち,三高から京大へと自由の校風をインストールした人。

三高は当時の京都大学教養部に相当します。三高の卒業生は「三高の自由は折田校長の人格に由来する」といっていたそうですが,まさに先生はその人格を通じて「自由」を伝えたといえます。学生たちの自主性を重んじて極力干渉せず,やりたいことをするにまかせ,何よりも学生たちと親しむことを心から喜んだようです。

興味深いのは,いくら調べても「三高の校風は『自由』である」と先生自らが定義した記録が見当たらないこと。おそらく,先生の教育,そして人格そのものをとおして受け取ったものを,三高生たちが言語化して共有したのが「自由の校風」だったのではないだろうか,と著者は記しています。

私は,大学で学ぶと言うことは知識を身につけることはないと考えています。

「薫陶(くんとう)」という言葉があります。初等教育は知識の習得が大事でしょう。しかし,大学教育になると「薫陶」,すなわち,雰囲気,匂い,人格などの要素が大きく影響します。リベラル・アーツという言葉に代表されるように,これこそ大学の存在意義だと思います。

娘たちが大学に進学しましたが,今年の前半はオンライン授業ばかりでキャンパスには一度も足を踏み入れていません。これで授業料をとるなんて,大学はどうしたんでしょう。「授業料を返せ」とは言いませんが,放送大学と同じことなら,自らの存在意義を放棄していると思われてもおかしくないでしょう。

もうわれを叱(しか)りてくるる人あらず 学生の目を見据えて叱る (永田和宏)

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.synapse-blog.jp/t/trackback/716622/34216669

あるときは「怒る人」 あるときは「レーニン」 その正体は折田先生を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿