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2020年6月21日 (日)

自己責任を否定すればするほど自由は奪われていく 「貧乏はお金持ち」

「貧乏はお金持ち」(橘玲)を読みました。

10年以上前に読んだことがあるのですが,今の会社を辞めてマイクロ法人を設立しようと考えているので,改めて同書を読みたくなったのです。

マイクロ法人とは1人会社のことです。株主1人,役員1人,従業員ゼロ,というシンプルな法人です。個人所得だと収入に対して課税されますが,法人の場合は収入(売上げ)から支出(経費)を差し引いた利益に対して課税されます。このからくりを最大限に活用し,法人としては赤字でもサラリーマンよりも節税できるという意味で実質所得は増えるので,「貧乏はお金持ち」と題しているのです。

著者の主張は明快です。「国家に依存するな。国家を利用せよ」

私は若いときから,国家や地方自治体の国民生活への関与は最小限であるべきだと考えていました。国家の役割は秩序維持や安全保障など限定的であるべきで,国民の社会生活に対して国家が深く関与することは危険なことだと考えていました。今でもその考え方に変わりはありません。

だからこそ,今のコロナ騒ぎに対して違和感を覚えるのです。国民全員に移動自粛や営業自粛を要請し,10万円の給付金をばらまく。私に言わせれば,国家によって私たちの自由が奪われ,国家による買収行為によって勤労意欲の低下を招きます。これは私の大嫌いな共産主義の考え方です。

「貧乏はお金持ち」はリーマンショック後の不況時に上梓されました。著者は言います。「自己責任を否定するひとたちは,決まって国家や会社やグルーバル資本主義を非難する。だが,理不尽な現実をすべて国家の責任にしてその解決を求めるのはきわめて危険な考え方だ。国家とは,無際限に自己増殖するシステムである。マスメディアが『危機』を煽(あお)れば,国家はそれを格好の口実にさらに肥大化しようとするだろう。国家が巨大化すれば,その分だけ私たちの自由は奪われていく。私たちは自由でいるために,自分の行動に責任を持たなくてはならない」

橘玲のこの意見をそのままコロナウイルスに言い換えても,まったくそのまま通用します。マスコミが危機を煽り,国家にばらまきや対策を要求すればするほど,私たちの自由は奪われていく。

「隷属への道」で共産主義経済を批判した経済学者のフリードリッヒ・ハイエクは,「消極的自由」を擁護しています。「消極的自由」とは,国家などの他者による強制からの自由のことです。そうした制約のない環境で何をするかは各自に任されているとしています。その反対の「積極的自由」とは,理性に基づく理想状態(差別のない自由な社会)を設定し,ひとびとをそこへ導くことを目指します。かつてのソビエト連邦,現在の北朝鮮です。その行き着く先は「収容所列島」です。

本書も一貫して人生を消極的にしか語っていません。だから「お金の稼ぎ方」については何も示していません。それを期待している人は怒るでしょう。さらに本書の最後には「お断り」として,「本書の内容を実践することは読者の自由ですが,それによって仮に精神的,物理的,経済的等の損害が生じたとしても,著者及び出版社は一切の責任を負わない」とあるのは,とても象徴的です。

「この日本の閉塞状況を変えるものがあるとすれば,それは理想主義者の空虚なかけ声ではなく,少しでも得をしたいというふつうの人々の欲望である」と最後に結んでいます。私も強く賛同します。私自身が,自由に自分の人生を生きるときが来たようです。

「退職の理由の例」のいずれにもあたらず「定年,転居,結婚」 (俵万智)

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