セックスを許容できる社会規範とインターネット
先日、市立図書館の雑誌閲覧コーナーで「サイゾー」を手に取りました。今月の特集は「セックス」。「anan」のようなハウツーではなく、現代社会の中で「セックス」がどのように扱われているかを論じています。
内容のほとんどはしょうもない記事でしたが、中西やすひろの記事(マンガ)は懐かしさを感じてじっくり読みました。
同氏は私が中学生の時、週刊マガジンに連載されていた「OH!透明人間」の作者です。このマンガ、イクラを食べるとしばらくの間透明人間になれる高校生(?)男子が主人公。かわいい女の子達の胸やお尻を見放題、さわり放題という、思春期の男の子達の欲求に忠実なストーリーでした。当然ながら「こんなシチュエーションはあり得ないだろう」の連続です。
さて、同氏の言いたいことを簡単に紹介すると「最近の少年誌では、性的な描写に関して自己規制が強化され、乳首を見せることができなくなった。また、女性のパンティを描くときもしわなどをつけてリアルに表現することが許されず、真っ白な記号的表現しかできない」という嘆きでした。
それらの規制を踏まえたセックスシーンをマンガの例として2点描いていました。これはこれで読者の想像力をかき立てていいのではと思うのですが、同氏は不満なようです。
インターネットの仮想(情報)世界には、出版物ではお目にかかれないような、猥褻(わいせつ)で、残酷で、犯罪的映像が蔓延(まんえん)している一方で、現実世界では清潔で健全さを装(よそお)う、ある種の欺瞞(ぎまん)が強力に推し進められているんですね。
おそらく、双方の世界は光と影のような存在なんでしょう。光が強くなるほど、その影は濃くなるように。人はこうしてバランスをとるのかもしれません。
造成の進みゆく街禽獣(きんじゅう)の死霊は捷(と)く来て住まんとす(富小路禎子)
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