2・26事件と天皇機関説事件 思考停止になっていないか?
小論「2・26事件における一般兵士 大衆軍隊の出現の意味」(三谷太一郎)を読みました。
「天皇機関説」は「統治権は(天皇ではなく)法人たる国家に属し、国家の最高機関である天皇が政府その他の国家機関の輔弼(ほひつ)を受けて行使する」という美濃部達吉の学説です。これは長らく憲法学説の通説で、歴代政権も採用してきました。イギリス王室の「君臨すれども統治せず」みたいなものです。
しかし昭和10年。ある貴族院議員がこの学説を非難すると、当時の岡田内閣打倒を目指す政友会が便乗し、軍部や右翼と結託してこの学説攻撃を全国的に展開しました。政府は事態を収めるために天皇機関説を禁止します。
天皇機関説攻撃を徹底的に行った政友会は総選挙で大敗北を喫します。議席を301から175まで減らし、党の総裁も落選したのです。当時の国民は天皇機関説攻撃に反感を抱いていたと言えます。
そしてこの総選挙の6日後に2・26事件が起きるのです。当時の青年将校達は「奉勅命令(天皇の決裁を経た参謀総長命令)は本当に統帥権の主体たる天皇の命令なのか、統帥権を代行する機関が天皇の名において出しているのではないか」との疑問を呈していました。天皇機関説事件の影響がはっきりと出ています。
私が日本史の勉強をしたときは「軍隊が統帥権独立を唱え、軍部は国会や内閣ではなく天皇に直属していると主張したために政治のコントロールが失われた」と教わりました。天皇機関説事件もこの流れなんですね。天皇機関説が政府によって禁止されたことは、事実上の憲法改正でした。この小論では「天皇機関説事件は合法の無血クーデターだった」というある思想検事の研究報告を引用しています。政党政府がみずから天皇機関説を禁止したために、軍は政党政治に従わなくなったとすれば歴史の皮肉ですね。総選挙の結果を見ても、当時の国民は天皇機関説を支持していたはずなのに。
ついでに歴史の皮肉をもう一つ。昭和天皇は天皇機関説を支持していたようですが、それに反して自ら政治決断をしたことが2度あります。一つは第二次世界大戦における日本の無条件降伏。そしてもう一つが2・26事件の鎮圧でした。いざというときに日本の政治責任者は思考停止状態になるようです。しかし昭和天皇はそんなぎりぎりの状況で自らの責任(使命)を果たした。そんな激動の歴史に思いを馳せると感慨深いです。
国こぞり力(ちから)のもとに靡(なび)くとは過ぎし歴史のことにはあらず(柴生田稔)
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