« アジアカップ 長友ハンド疑惑から見えるもの | メイン | 不動産業は今日もつらいよ »

2019年1月15日 (火)

聖堂騎士団の最後 キリスト教徒の因果応報

聖堂(テンプル)騎士団とは十字軍時代、パレスチナの地に創設された数百人の騎士団です。

聖堂騎士団はエルサレムに本拠地を置き、イスラム教徒を殺すことを目的としていました。イスラムのスルタンすら恐れていた暗殺者集団ハシッシュでさえ、彼らの前に降伏したぐらいですからすさまじい。エルサレム陥落後は地中海に面する港湾都市アッコンに本拠を置き、軍事力はもちろん、ヨーロッパのキリスト教徒からの寄付などで豊富な資金力を誇り、国家ではないものの強力なパワーをもっていました。

しかし、第7次十字軍に参戦した騎士達は全滅。さらに、捕虜となった十字軍兵士達の身代金として多大な資金を提供させられ弱体化。それから40年後、アッコンは陥落し十字軍国家は消滅。聖堂騎士団はフランスに拠点を移します。今度は彼らの存在を疎ましく思ったフランス王フィリップの命により、生き残っていた騎士達は次々と逮捕され、拷問を受けます。騎士団長ら主要人物は火あぶりに処せられ、残りは獄死。こうして聖堂騎士団は消滅します。(その後まもなく、このフランス王と事態を放置したローマ法王は急死します)

「十字軍物語3」(塩野七生)を読んでこの残酷な結末を知りました。彼らの運命は示唆的です。まあ、聖書に因果応報の教えはないでしょうが、キリスト教の歴史はそれを教えてくれます。

そして運命の皮肉をもうひとつ。第6次十字軍を率いた神聖ローマ帝国皇帝のフリードリッヒ2世は話し合いだけでイスラム側と休戦協定を結び、無血でエルサレムをキリスト教徒の手に取り戻しました。しかし、イスラム教徒を殺して力づくでエルサレムを奪うことこそが正義とするローマ法王や司教たちは大激怒。ヨーロッパでのフリードリッヒ2世の評価は最悪です。一方、第7次十字軍遠征で惨敗し、莫大な保釈金を払ったフランス王ルイは死後に聖人になります。

正義の基準の違いと言えばそれまでですが、私には理解しがたいですね。

タクシーから降りる際、日本人は日本のイメージを良くするためにこう言う。「ほらチップだよ。私は日本人だ」 一方、韓国人はこう言う。「チップなんかやるものか。私は日本人だ」(「新・世界の日本人ジョーク集」(早坂隆))

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.synapse-blog.jp/t/trackback/716622/34166164

聖堂騎士団の最後 キリスト教徒の因果応報を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿