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2022年10月 2日 (日)

「於菟(おと)」は虎 オットー、マリー、アンヌ、フリッツ、ルイ

岩波文庫の春秋左氏伝を読んでいます。宣公4年の日本語訳に次のような記述がありました。

その昔、若敖(じゃくごう)はウンから妻を迎え、闘伯比(とうはくひ)が生まれた。若敖が亡くなると、伯比は母に連れられてウンで育てられたが、ウンシの娘に密通して子文(しぶん)が生まれた。ウンシ夫人(子文の祖母)は子文を雲夢沢(うんぽうたく)に捨てさせた。ところが虎が子文に乳を飲ませて養った。ウンシは狩猟の折にこれに出くわし、びっくりして帰ると、夫人が実情を話したので、これを引き取ることにした。楚の人は乳のことを「穀(こう)」、虎のことを「於菟(おと)」をというので、この子(子文)を闘穀於菟と命名し、これを産んだ娘を闘伯比の妻とした。

私はこの一節を読んで、森鴎外の子どもたちの名前を思い出しました。

キラキラネームに関する本を読んだときだったと思うのですが、森鴎外の子どもは全員ドイツ人のような名前をつけています。長男の於菟(おと)から、茉莉(まり)、杏奴(あんぬ)、不律(ふりつ)、類(るい)。それぞれ、オットー、マリー、アンヌ、フリッツ、ルイ、というわけです。

ネットで調べてみると、なんと孫の名前も同様でした。真章(まくす:マックス)、富(とむ:トム)、爵(じゃく:ジャック)、というから驚きです。徹底していますね。

最近のキラキラネームは森鴎外と同様、西洋風の名前が多いようです。国際化時代には呼びやすい、親しみやすいというのが理由なのでしょう。

しかし、私は国際化時代だからこそ日本の伝統などを大事にしたいと思うのです。海外の人たちと触れ合えば触れ合うほど、「私は何者なのか」というアイデンティティを意識せざるを得なくなります。

ちなみに私の娘たちには日本古来の名前からとりました。一方で中国古典から命名するというのも、なんだかロマンを感じますね。私にはもう子どもは望めませんが、動物を飼うことがあれば、そういった名前をつけてもいいかな。たとえばヤギを飼うときにはシロ(子路:孔子の弟子)と名付けるとか。

そういえば、高崎山のサルに「シャーロット」と名付けたことに対して、イギリス王室に対して不敬だと騒ぐ、忖度(そんたく)大好きな日本人が多数登場して話題になったことがありましたね。シロという名前ではやっぱりあの人たちには理解されないのでしょうか? まあ、私にはどうでもいいんですけど。 

更衣室から出たきみが照れながらゆっくりまわる夏のまんなか(「自分の名前の漢字がとても気に入っています。名前の一文字『衣』を使った短歌をお願いします」という依頼に応えて、木下龍也が詠んだ短歌)