老人ホームという閉鎖空間 絶望した高学歴男性のクエスチョン
学士会会報には会員のおたよりも紹介されています。学士会会員は高齢者ばかりのようで、ほとんどが第一線を退いた80代、90代の先輩方の寄稿です。
私が若いときは、このお便りコーナーは一瞥(いちべつ)もしませんでしたが、最近はしばしば目を通すようになりました。私も娘が進学で親元を離れ、50歳を過ぎて、このお便りに共感することがあるからかもしれません。
第945号には次のようなお便りがありました(抜粋、一部意訳)。
同年の女房を68歳でなくしたが(略)、生きた社会の中で働くことに生きがいを感じていた。ところが、年末路上に倒れた(略)。危篤状態に陥ったとき、息子が主任医師から救命措置をとるか否かを問われ、「苦痛を見ていられないからこのまま逝かせてください」と答えた。しかし、逆に生き返ってしまった。(略)現在は介護ホームで居住6年を数えた。そこは特別の閉鎖社会であり、同僚にトランプ大統領や安倍総理の話題を持ち出しても通じない環境だ。心身が一応働いている者にとっては、まともな居場所にならない。閉鎖社会の中で会話しなければ怖いようにボケが進んでいく。「在宅ひとり死のススメ」(上野千鶴子)では「施設の機能はそこで生活が24時間完結することです。これを全制的施設と呼びます。その典型が刑務所です。刑務所なら終身刑でもない限りいつかは出ていけますが、高齢者施設は死体にならないと出ていけません」と酷評している。(略)ここにいることは私にとって答えが出せない。ハムレットのクエスチョンだ。
まともに話ができる人がいない、そんな環境から抜けられないなんてかわいそうですね。
この日本では高齢者向けの施設があふれています。特別養護老人ホーム、サービス付き高齢者住宅、デイサービスなどなど。必要な施設なのでしょうけど。利用する人が幸せかとなると疑問符がつくようです。とくにバリバリ働いていた男性にとって、まったく異質の空間に取り残されたときの絶望感は想像もつきません。私も同じ体験をするとなったら気が狂いそうです。
幸い、私も妻は両親は80代ですが今も健在で自宅で暮らしています。また、親戚のなかでこれらの施設を利用している人は皆無です。お金の問題もありますが、高齢者施設を利用する気がまったくないのです。やっぱり見慣れた街で、よく知っている人たちと囲まれて暮らすことが幸せなのです。
唯一の例外が私の大叔母。福岡の老人ホームで暮らしていましたが、60歳で入居して100歳まで生きました。この大叔母には何度か施設を訪問して面会しましたが、いつも矍鑠(かくしゃく)としていて、訃報を耳にしたときはにわかに信じられませんでした。この大叔母はどんな環境でもいきていけるたくましさがありました。結婚したものの夫は戦死。再婚せず、子どももなく、相続人はいないこともあって、財産はまったく残りませんでした。大往生でしたね。
お便りの男性も気の毒ではありますが、今ではネットで政治談義ができる世の中です。そう切り替えて生活を送れるようになれば、毎日の景色が違ってくるかもしれませんよ。
クラス会次回またねと言っていた君の死を知る喪中はがきで(小浪悠紀子)