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2022年2月 2日 (水)

「女のいない男たち」というよりも「女に逃げられた男たち」

私の中学校の1年上の先輩で、私と同じく大学に合格した人がいました。

入学当初はお会いしてあいさつをしたりしていたのですが、その後、キャンパスで見かけることはありませんでした。そして私の大学在学中、田舎の親から先輩のご両親は離婚したという話を聞きました。

先輩のご両親は夫婦で毎晩のように麻雀をしていたそうです。いわゆる賭け麻雀で日銭を稼いでいたというのです。夫婦で示し合わせてイカサマをしていたらしく、悪い噂をよく聞いていました。

私とはあまりつきあいがなかったこともあり、離婚の詳細な経緯や理由はわかりません。金の切れ目が縁の切れ目といいます。先輩が就職して仕送りの必要がなくなったので別れた、という噂もあながち冗談ではなさそうです。

私が子どもの頃は、離婚するなんて大事件でしたが、今ではごく当たり前の社会になってしまいました。昔は親や地域のしがらみで離婚することがとてものできなかったけれど、いまでは完全に個人主義の社会になり、嫌なことは嫌だと言えるようになったからとも言えます。

私の父方の親族には離婚した人はいません。一方で母方の方のおじ3人は離婚しています。というか離婚していないおじは一人だけ。おばは離婚していないのがせめてもの救いですが。

私が昔、相続調査をしていたときの話ですが、離婚する家系というのが確かにありました。親、兄弟で離婚の発生割合が非常に高いのです。逆にまったく離婚がない家系というのも存在しました。

子どもは親の背中を見て育つと言いますが、夫婦仲が悪い家庭で育った子どもは愛し合う夫婦像を想像できない、逆に夫婦仲の良い家庭で育った子どもは円満な家庭を身近に知っているのでうまくいく「こつ」を無意識のうちに身に着けているのかもしれないと思うほどでした。

いま、私のいる会社には離婚した男性が何人もいます。身勝手だったり、妻や家族を束縛したり、だらしがなくて妻に捨てられた、離婚の原因はほとんど男性にありました。私はどうしても彼らと仲良くすることができません。話をしていて気持ち悪いのです。生理的といっては失礼ですが、「嫌なものは嫌」なんですよね。すてられた男性たちは哀れだと思いますが、とても共感や同情ができないままです。

冬の苺(いちご)匙(さじ)に圧(お)しをり別離よりつづきて永きわが孤(ひと)りの喪(も)(松田さえこ)

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