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2021年7月

2021年7月25日 (日)

夏休みの宿題 漢字の書き取り、自由研究なんてくそくらえ 

私が小学生のときは夏休みの宿題といえば、「夏休みの友」「漢字ドリル1日100字」「日記」、そして「自由研究」でした。(ほかにあったかもしれませんが覚えていません。理由は後文を読めばわかります)

夏休みはとにかく暇を持て余しました。よくある一日は午前中は教育テレビの番組をだらだら。宿題なんてほとんどやらない。高校野球(甲子園)が始まると朝から夕方まで試合を見ていました。

7月の下旬は夏祭りがありました。祇園祭でこども太鼓が御神幸につづき、私は中学生まではその太鼓をたたいていました。夜は相撲の練習。8月上旬に小学校の部落対抗の相撲大会があるため、毎晩、部落の公園の一角に土俵をつくり、稽古をしたものです。

お盆をすぎるとそういうイベントがなくなってきます。高校野球もベスト8が出揃い、いよいよ終盤となるころ、夏休みの宿題のことが重荷になってきます。

とにかく苦労したのが漢字練習帳。1日1ページ(100字)ならまだいいのですが、何しろ30日分はたまっているわけで、それをやろうとすると途方もない絶望感が押し寄せてくるのです。書き取りをしたからといって漢字を覚える? 苦痛でしかありません。(中国の宮廷ドラマでは罰として写経を命じるシーンがよくあります。まったく同感です。漢字の書き取りは「罰」に近い)

そして日記。毎日同じような1日が繰り返されるのに何を書けというのか。テレビの内容や食事のメニューのことを書けば担任の先生から怒られたものです。なぜ怒られるのか? 日記のために毎日違う体験をしろというのか?

夏休みの友は内容が簡略でとても楽ちんでした。夏休みの宿題はこれだけで十分なのに、なぜ漢字や日記などの宿題を大量に課したのか?

学生は勉強するものですが、本当にそうなんでしょうか? 夏休みなのになぜ休んではいけないのか(勉強しなければならないのか)? 日本人の年休取得が海外諸国に比べて少ない理由もこの強制的な「勤勉性」を小学生の時に教育されたからではないかと勘ぐってしまいます。

宿題の最大の難関が「自由研究」でした。毎年、何をテーマにしようかと考えて、そのまま9月1日を迎えることがほとんどでした。つまり、まったく「研究」をしませんでした。

学校の先生に問いたい。夏休みの宿題によって学力が向上したという証拠はあるのでしょうか? 中高生は受験という目標があるから夏休みに学力をつけようという目的があることは理解できます。しかし、小学生に宿題(勉強)を強制するなんて、教師の自己満足としか思えませんでした。

親がうるさいからって? 子どもに勉強させたいなら「自分の」子どもだけに勉強させればいいのです。宿題が少ないと学校に文句を言って、結果的に他人の子どもに勉強させるなんてことになるなら迷惑千万。そんな親を世間知らずというのです。

「勉強」=「いいこと」=「夏休みにさぼったらだめ」=「夏休みの大量宿題」という構図が、長年放置されているといっていいでしょう。こういう構図はそろそろ終わりにしませんか?

じゃあ、夏休みに子どもがゲームばかりしてもいいのかという人もいるでしょう。そんなこと言う人は、その時点で親失格です。自分の子どもですら、しっかりしつけることができないのですから。他人の子どものことを言うならほっといてください。あなたは育てる責任なんてないのだから。

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