「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」を読む
久しぶりに鹿児島中央駅のアミュプラザにある紀伊國屋に立ち寄りました。ぶらりと新書コーナーを眺めているときに「独ソ戦」(大木毅)を見つけました。「2020新書大賞第1位」の帯がかかっていて,「そういえばこの本,朝日新聞の書評にでていたなあ」と手に取ってそのままレジに運びました。
私が学生時代なのでもう30年前のこと,「ヒトラーの戦い」(全10巻,児島襄)という長編のノンフィクションが文庫本で出版されていて,当時暇だった私は全巻を読破しました。
このときに独ソ戦というのは,ドイツ国防軍は善戦したがヒトラーが国防軍に細かく指示を出したために,作戦の柔軟性,優秀性が失われ,物量に勝るソ連がドイツ軍を圧倒した,というように理解していました。というのは,この本の視点が完全にドイツ国防軍側に立っていたから。ドイツの悪事はすべてナチス(ヒトラー)が原因。また,ソ連軍は作戦は素人同然で大量の戦死者を出しながらも物量でドイツ軍を圧倒したという描写があちこちに出てくるからです。
今回読んだ「独ソ戦」はまったく違います。ヒトラーの指揮とドイツ国防軍との見解に相違があったことは事実ではありますが,これによってドイツ軍の勝利が失われたとするのは見当外れもいいところです。なにより,ドイツ軍の勝利は何をすれば勝利できたのか,という最終目標がはっきり存在しないことを明らかにしています。
例えばドイツ軍がモスクワに迫った1941年のオペレーションタイフーン。その前の秋にヒトラーの指示による包囲戦によって時間を浪費したために,冬将軍の到来によって作戦の終了を余儀なくされたという伝説があります。まっすぐにモスクワを目指せば攻略できたと。
しかし,二重の意味で誤りがあると「独ソ戦」は指摘します。まず,当時のドイツ軍は補給が完全に滞っていて速攻は不可能であったこと。仮にモスクワを攻略したとしても,それがドイツの勝利を決定づけるものではないということです。ドイツ国防軍はモスクワの占領によってこの戦いが終わるかのような幻想を振りまいていますが,スターリンがモスクワを奪われたから降伏したかとなるとまったくの別問題です。
このほかにも,マンシュタインのことも取り上げられています。マンシュタインがドイツ陸軍においてきっての名将であることは間違いありませんが,彼がヒトラーの横やりを退けて思う存分に才能を発揮したとしても,ソ連軍の「作戦術」という独自の軍事ドクトリンには敗れていたとする記述は印象的です。
ドイツ軍の高性能機関銃の一斉射撃にバタバタと倒れても,なお無表情で圧倒的多数のソ連軍兵士が押し寄せてくるというゾンビ映画のような展開ではなかったのです。
なるほど,新書大賞を受賞するだけの本だと得心(とくしん)しました。
暴王ネロ柘榴(ざくろ)を食ひて死にたりと異説のあらば美しきかな(葛原妙子)
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