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2020年9月23日 (水)

「ウィズ・ザ・ビートルズ」を読む 恋愛に憧れたころ

「一人称単数形」(村上春樹)を読みました。これは8作からなる短編小説集です。そのうちのひとつ,「ウィズ・ザ・ビートルズ」が深く印象に残りました。主人公は名前がでてきませんが村上春樹と思えばなんだか納得しそうです。この小説は一人称で書かれているので,半分自伝では? と思わせるような内容なので。

ビートルズのLPレコードを抱えた美少女を高校の廊下で見かけた思い出から,この物語は展開していきます。そして,今では結婚して娘を二人もうけてそこそこの暮らしをしている「私」が,かつてのガールフレンドの兄と偶然出会い,ガールフレンドの死を知り,あの頃に思いを馳せて,この物語は終わります。

ストーリーはもちろん素晴らしいのですが,なんといってもその書き出しが秀逸です。「歳をとって奇妙に感じるのは,自分が歳をとったということではない」「驚かされるのはむしろ,自分と同年代であった人々が,もうすっかり老人になってしまっている・・・とりわけ,僕の周りにいた美しく溌剌(はつらつ)とした女の子たちが,今ではおそらく孫の二,三人もいるであろう年齢になっているという事実だ」

私は村上春樹とは違って,高校生のときに「美しくて溌剌とした女の子」と出会ったことがありませんでした。高校は理数科だったこともあり,クラスには5,6人の女子しかいませんでした。その5,6人とは特に話をすることもなく,性的な興味もなく,当然ながら恋愛感情も生まれることはありませんでした。

学校全体からすれば,もちろん女子はたくさんいたのですが,周囲が美人だとか,かわいいだとかいう女子生徒を見ても,特段の気持ちが起きなかったのが正直なところです。どうしてそうだったのかよくわかりません。セックスに対してはやる気満々だったのですが,恋愛感情を抱くような経験は一度もないまま,高校を卒業しました。

しかし,高校生のときにラブレター,というか告白する手紙を書いたことが1度だけありました。その女性は中学生のときに,昼食時間に1度だけ話をしただけで,そのとき名前を知ったぐらい。中学を卒業して高校は別々だったのですが,高校1年か2年のころに偶然同じ列車に乗り合わせ,その女の子に当時悩んでいたことを話したことは覚えています。それから数日後に,彼女の住所を卒業アルバムで調べ,手紙を書いたのです。

彼女からは手紙の返事はありませんでした。その後,市の成人式に出席する機会がありました。このときは中学校の同級生が集まるのです。期待していたけれど,彼女の姿を見かけることはありませんでした。今ではもう彼女の消息を知るよしもありません。何しろ,現在住んでいるところが出身地とは離れているし,中学校の同級生と会うことも皆無,しかも彼女と親しい人が誰なのかすら知らないのですから。

でも,あのとき,どうして手紙なんか書いちゃったのか? と思うと不思議です。そのとき,その女の子が本当に好きだったのかと問われると,答えが曖昧になってしまうのです。おそらく,当時の私は彼女が好きというよりも,恋愛をするということに憧れていたのではないだろうか,と思うのです。

私は今49歳。白髪がずいぶん目立ち始め,髪も薄くなってきました。ビートルズのレコードを抱えた美少女と出会うことがないまま村上春樹が歳を取り続けたように,私もラブレターを書いた彼女と一度も会うことなく30年以上の時間が過ぎていきました。

今もし,彼女と再会したらどういう気持ちになるんだろうか,とふと思います。彼女の容貌の変化に驚くのか,あの頃の胸がキュンとした気持ちを思い出すんだろうかと。

日が陰(かげ)る校舎の隅に響いてた和声の中に君を探した (竹内亮)

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