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2020年5月

2020年5月24日 (日)

私は評論家にはなりたくない,決断をする人でありたい

私は会社では中間管理職です。少なからず部下もいるので毎日のように決断する機会が訪れます。そういうときは決して「空気」を読みません。自らの判断基準に従います。私の価値判断は明確です。

1 即断即決(決断の先送りは無駄な業務を生じさせるケースがほとんど)

2 部下は上司の決定に従う(上司の決定がでれば部下は実行するのみであり,上司の決断が出た後に迷うのは時間の無駄である)

3 問題を放置しない(放置,先送りするほど解決は困難になる)

4 問題の重大性(人権侵害の有無,金額の多寡など)を考慮し,軽微であれば簡易な処理を行い,重大であれば厳格な処理を行う(通常はこれとは逆になりがちです。実務をしている人はうすうす感じているでしょうけど,簡単なことは知っていることなので厳格に対応し,重大・困難なことは隠蔽したり,責任を回避するために決断に関与しないようにする人が多いのです。)

5 判断が間違っていたときはすぐに軌道修正する(決断を変えると評判が悪くなることを気にする人が多いけど,私は自分の評判が悪くなっても問題が解決できればいいのです)

私の愛読書にカール・フォン・クラウゼビッツの「戦争論」があります。非常に読みにくい本なのですが,ビジネスの示唆に富む内容です。「決断」についても「戦争論」に記述があります。

「戦争における情報」のなかで「指揮官は,自分自身に対する確乎たる信頼に基づいて,そのときどきに心を脅かす見かけだけの危険に惑わされぬように心がけなければならない」(岩波文庫:上巻130ページ11行目)と断言しています。

「正しい判断」をすることが大切なのはサルでもわかります。しかし,どんなに見識の高い人でも判断を誤ることがあります。だからといって判断を誤ることをおそれては何もできなくなります。そんな批判に耐えるだけの鈍感さ,信念がリーダーには必要だと思います。

私もこれまで幾多の判断をしてきました。もちろん,間違った判断もいっぱいあります。これまで大過なく過ごせたのは周囲のサポートや幸運によるものが多いのは事実です。そうであっても,やはり「決断する」ことこそ,私のやるべきことだと思うのです。

最後に,「正しい」ことを決断・実行することについて,いいことを書いている本があります。「プロカウンセラーが聞く技術」(東山紘幸)から抜粋します。

「正しいこと」は決して一つではありません。評論家はある正しいことをして時期を失して失敗するとなぜ早く手を打たなかったのかと叱責します。逆に急ぎすぎて失敗するとなぜじっくり考えなかったのかと非難します。彼らはいつでも正しい,自分ではいつでも痛みを感じず,痛みを人に押しつけます。だから正しいことを言う人は評論家か傍観者になるのです。正しいことばかりを言う人はどこか信用できないのはこのためです。なぜなら正しいことを言い続けようとすると,自分は何もできないからです。

流弾のごとくしわれが生きゆくに撃ちあたる人間を考へてゐる (森岡貞香)