« 2020年4月 | メイン | 2020年6月 »

2020年5月

2020年5月30日 (土)

母の葬儀に出席することが不要不急? 県外から来るな? 非常識は誰か

先日,私が昔お世話になった先輩からこんな話をお聞きする機会がありました。

「関西に住んでいる友人が,お母さんが亡くなったので鹿児島に帰ってきた。母親の葬儀に出席したところ,駐車場にある県外ナンバーの車を見た葬儀社の人が『これでは葬儀はできない』として葬儀が中止になったそうだ。友人は車で鹿児島に帰ってきていたんだが,それを指摘されたようだ。葬儀が中止になったことで友人は親戚から責(せ)められ,関西に戻ってからも非難のメールが届いていると連絡があったよ」

私はこの話を聞いてなんともやりきれない気持ちになりました。「新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため,県をまたぐ移動は絶対にやめてください」と鹿児島県知事は発言していましたが,実の母の葬儀さえ参加できないのでしょうか?

中止を決めた葬儀社の問題と言えばそれまでかもしれませんが,今回のケースでは,親族たちは葬儀社の判断を当然として,その責任を県外から戻ってきた故人の子に押しつけています。ひょっとしたら,もともと親戚たちと疎遠で仲が悪かったということもあるかもしれませんが,葬儀に来るなとなると過剰反応と思えてなりません。

「村八分」という言葉があります。村落の共同体が結束してある特定の個人を無視する行為です。それでも最低限関与することがありました。それは葬式と火事のときです。ウィキペディアによると『地域の生活における十の共同行為のうち,葬式,火事の消火活動という,放置すると他の人間に迷惑のかかる場合(二分)以外の一切の交流を絶つことをいうもの』とあります。

私は,死を悼む行為は人にとって非常に重要なことだと考えています。これを蔑(ないがし)ろにしたり,軽視する人は人として信頼できません。かつて勤めていた会社では社員の親が亡くなるとかならず香典を集め,葬儀のお手伝いをするという「習慣?」がありました。とくに上司の親の葬儀となるとその人数がすごい数になりました。逆に私のような新入り(もちろん「当時は」,という意味です)には香典を出す人もごくわずか。

現在の会社ではそんな習慣はなく,香典は集めないし,葬儀の手伝いもしません。会社の人たちの考えが理解できない私は,上司部下,先輩後輩の区別なく,礼儀を尽くすべきと考えたときには香典を包むことはもちろん,葬儀にも出席してきました。逆にどんなに偉い上司でも面識がないと思えば香典は出しません。

話がずいぶん逸(そ)れてしまいました。母親の葬儀の参加できないなんて,子どもからすれば,人生最大の後悔ではないのでしょうか。しかも,そのことで非難を受け続けるなんて,こんな不条理なことがあるでしょうか。

私は先輩の話を聞いた後,しばらくの間は涙が流れるのをとめることができませんでした。まったく見知らぬ,その友人のつらさを思うと胸が締め付けられました。愚かな人たちは愚かなリーダーの愚かな発言に踊らされ,人間としての本分を守る人たちを傷つけます。私はこのような人間性のかけらもないひどい行為を止めることはできませんが,少なくともこのような愚行に与(くみ)しないことで,人としての信条を守りたいと思います。

亡き母の石臼の音麦こがし (石田波郷)