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2019年9月26日 (木)

「表現の不自由展・その後」を一面で報じる朝日新聞を読んで

慰安婦を表現した少女像や昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品などにテロ予告や脅迫を含む攻撃が殺到して中止していた「表現の不自由展」が,脅迫などのリスク回避策を講じた上で展示を再開することが朝日新聞の一面トップで報じられていました。

新聞二面には,展示会が中止になったことについて検証委員会が中間報告をとりまとめまたことがでてました。中間報告によると,作品自体は問題ないが政治性を認めた上で「偏りのない説明が必要」だったのに,芸術監督はそれを行った。そのことが騒ぎの原因。ということみたいです。

記事の最後の締めは芸術監督の津田大介氏のコメントでした。「(検証委員会の中間報告で指摘されたように)十分なキュレーション(展示企画者)だったとは僕も思わないがそれが(この問題の)本質なのか。攻撃してきた人が実際には展示を見ていないわけですから」

津田氏のコメントを見て,東尾とデービスの乱闘騒ぎを思い出しました。

私が中学生の頃,西武ライオンズのピッチャー東尾はバッターにえげつないシュートを投げるので有名でした。試合中,東尾の投球が近鉄バファローズのデービスの肘を直撃。怒ったデービスが東尾を数回殴りつける乱闘に発展しました。当時は大きな社会問題にまで発展。あらゆるメディアにおいて,いわゆる知識人たちが「暴力はいけない」的なことをもっともらしく発言していました。

私が大学生のとき読んだ「プロ野球大事典」(玉木正之)に,このことが紹介されていました。

スポーツライターの玉木は,ある記者から乱闘事件について感想を求められた。ひととおり見解を述べた後,その記者にあなたはどう思うかと聞いたところ,その記者は「実はそのときの東尾の投球や乱闘をみていなかった」。

そして最後に,玉木が通う小料理屋のおばちゃん(当時90歳)のコメントがこの事件を端的に表しているとして紹介されていました。「ピッチャーからすればヒットを打たれたくない。だから体に近いところに投げてびびらそうとするやない。バッターもぶつけられたら『なにすんじゃ,こらあっ』と怒るのが当たり前。東尾も悪くない。デービスも悪くない。悪いのは周りで『告訴する』とか『暴力はいけない』とかゆうてる連中や」

津田氏のコメントは「実際に作品を見てない連中が,文句をガタガタ言うんじゃねえ」ということなんでしょう。でも,このケースはちょっと違うんじゃない? って思います。

そもそも,これらの展示作品は「芸術作品」なんでしょうか? 私からすれば芸術に名を借りた「プロパガンダ」としか思えず,とても感動なんておきません。逆に恨みや妬みなどの人間の醜さを感じて嫌になります。

従軍画家として活躍したものの,戦後に戦意高揚の犯人扱いをされて日本から追われた藤田嗣治の「アッツ島玉砕」。この絵の迫力はすさまじい。玉砕の意味を知らなくても,この絵を前にすると戦争の凄惨さに圧倒されます。また,放送禁止用語の「土方」が歌詞にあるためテレビ・ラジオでは放送されない美輪明宏の「ヨイトマケの唄」。こちらも当時の時代背景を知らなくても,その歌声には聞く者の胸にずしりと響く何かがあります。

これらを芸術作品と呼ぶなら分かります。でも少女像って何? これで感動するヒトっているの?天皇の肖像を燃やす映像? もしそれが天皇ではなく,腹いせにただ憎いだけの相手の写真を燃やす作品だったら芸術っていえる? 

政治的な是非はさておき,私は鑑賞したくないものにお金を払う気はありません。だから,津田氏のいう「見てないのに文句言うな」はちょっと傲慢に思えます。もちろん,だからといって脅迫して展示を中止させるなんて論外です。嫌だったら放っておく。それでいいのに。

大勢のうしろの方で近寄らず豆粒のように立って見ている(山崎方代)

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