文章力向上のためには、とにかく書くこと、そして切磋琢磨すること
小論「書くことを教える」(堀田あけみ)を読みました。
彼女は作家であり、椙山女学園大学の教授。大学では小説を書くことを教えています。教えていく過程で彼女は自分の思い込みに気づきます。ひとつは「女子大生が面白い作品を書くはずがない」。試しに学生に書かせてみた文章に読みふけってしまうとか。文章や筋がどうとかではなく、一生懸命に書かれた作品には吸引力があったと認めています。
そしてもうひとつが「文章を書くことは教えられても上達するものではない」。書く回数を増やせばシンプルに文章力は上がるそうです。
私は小学生のころは文章を書くことが苦手でした。夏休みの宿題でも400字詰め原稿用紙で2枚も書くのがやっと。どんな課題であれ、原稿用紙4枚以上書いた記憶がありません。書くことが思いつかなかったから。日記もそうです。書くことが思いつかないので晩ご飯のおかずなどを書き、翌日は担任の先生から怒られたこともありました。
小学校を卒業してからも文章を書くことはほとんどなく、大学は法学部でしたが卒論がないのが特徴の大学でした。これじゃあ文章力がつくはずがない。
この小論を読んで面白い一節がありました。彼女は日頃、学位にふさわしい作品をつくりあげるような指導を心がけているそうですが、それが伝わる相手とそうではない相手がいるそうです。大学を卒業するための作品に、少女が魔法使いに変身、超能力少年がロボットを操る、平凡な少年が覚醒して、悪役をやっつける、異性からモテモテになる、という内容を書いてくる学生の存在です。そして問題なのはそれを恥ずかしいと思わないこと。
そんな学生はすべて男性。しかも毎年1~3人いるというからびっくり。彼女の指摘に対し「こんなにたくさん書いたのに」と反発し、長さではなく質の問題だと答えると「実は僕はいじめにあっていたんです」と、作品の質と関係ない言い訳。どうやらいじめの被害者であることはすべての問題において免罪符との認識を彼らはもっているようです。そういう学生の多くは「ライトノベル(他のジャンルは書きたくない!)作家になるために就職活動はしない。就職して汚れたくない」と彼女の意見を否定して卒業していくそうです。
しかし、そういう学生で世に出た者は一人もいないとか。逆に、惜しいところまで行ったり、大手出版社から自作を上梓したりしたのは、彼女の指導をうけてきちんと学び、教養と知識、社会的なスキルを身につけて就職した女性達だったとのこと。
「山月記」(中島敦)にも自分のプライドの高さ故に友人らとの切磋琢磨を嫌い、地方に引きこもって最後は虎になった秀才の男性がでてきます。比べるだけでも中島敦に失礼かも知れませんが、プライドだけは超一流というのは今の学生かもしれませんね。
私はこのブログを、毎日1話書いています。もちろん出張や入院などで物理的に不可能なときもありましたが、それらを除けば当初の目標どおり書いています。気づけば最初の頃よりも文量が増えました。文章を書くことに慣れてきたってことでしょうね。ただ文章力が向上したかは謎ですが。
私のブログにコメントを書く人は今までひとりも現れていません。となると私が自分のブログの評価を知るのはアクセス数のみ。どうやればアクセス数が増えるのか、誰も教えてくれません。インターネットの世界は世間の厳しさを教えてくれます。いじめを免罪符にしている学生達もネットに作品を掲載しているんでしょうか。自分の作品が読まれていない現実にちゃんと向き合えているのか気になります。
偶因狂疾成殊類 災患相依不可逃(たまたま狂疾により異類となる 災患あいよって逃がるべからず) (山月記の主人公、李徴が友人に詠んだ七言律詩の冒頭部分)
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