トラウマ理論の現実 発祥の地であるアメリカでは絶滅していた
私が学生のときは「トラウマ」という言葉が一般的に使われていました。今でも子どもの時の心の傷をトラウマ、あるいは昔の失敗体験を引きずっていることを「トラウマがある」なんて言い方をしています。
この「トラウマ」という概念は、アメリカの心理学者が「幼少期のレイプなどの虐待が抑圧された記憶としてトラウマとなり、成人した後になっても多くの女性を苦しめている」と論じたのが最初。その後は世界中に広がりました。
そして、このトラウマ理論は1980年代から90年代にかけてアメリカ社会に大混乱を引き起こします。記憶回復療法によって抑圧されたトラウマ体験を思い出した被害者が、加害者である「親」を訴えたからです。ピーク時には年100件を越える訴訟が提起されたそうです。
ところがその後、認知心理学者達が次々と「記憶は作り出せる」という研究を発表したことで、「トラウマ理論」の信頼性が失われはじめます。幼少期の虐待された記憶は本当ではなく、記憶回復療法を施したセラピスト達によってねつ造された記憶だと喝破したのです。
その後訴訟件数は激減し、逆に幼児虐待で有罪とされた被告達の再審が始まります。そして「偽りの記憶」を植え付けられた女性達が、催眠療法家やセラピストに対して損害賠償を請求する医療過誤訴訟が多発。でたらめな記憶を思い出すよう強制され、家庭や社会生活を破壊されていく悲劇が露(あら)わになりました。哀れですね。
最終的には2002年のアメリカ精神医学会の会議で「記憶回復療法の論争は死んだ」と宣言されたことで、「抑圧された心的外傷(トラウマ理論)」がトンデモ心理学であることが決定的になりました。今読んでいる「読まなくてもいい本の読書案内」(橘玲)では、さらに詳しく紹介されています。興味のある方は一読を。
思えば学生時代に「オカルトにつける薬」(呉智英)という本が好きでした。当時は超能力者やUFOがオカルトの最たるものでした。こういうオカルトやトンデモ科学は現れては消えていきます。そして「科学」の仮面を被(かぶ)っているだけに非常にやっかいです。
私も多数の本を読み、いろんな理論があることは知識として知っています。しかし、それを実際に使うことは非常に少ないし、つい慎重になります。かくいう私の行動理論は最終的には「老子」の無為自然であり、食欲や性欲、好き嫌いなどの感情に関しては、自分の本能に素直に従うようにしていますから。どうしても「科学的」は信用できないのです。変な性格ですね。
「トラウマ」の話に戻ります。橘玲によると「アメリカの訴訟は「娘が親を悪魔崇拝で訴える」というもの。これはアメリカ社会が訴訟社会で、先進国のなかで例外的に精神分析療法が大衆化していて、迷信のはこびる伝統的な社会だったから」と結論づけています。しかし、そうではない日本でもトラウマ理論が一般的に信じられています。これには理由があると思います。アメリカでは幼少期の女性が被害者でしたが、日本ではトラウマをもつ人は年齢も性別も限定されません。多分、日本人はそれだけ対人関係に神経質なので、失敗をいつまでもくよくよする性格の人が多いのかも知れません。日本で「トラウマ」が生き残っているのは、結局、その理論が真実かどうかではなく、自分の行為を正当化できるかどうかによって、トラウマ理論が発生する(存続している)のでしょうね。
ひとつだけ言いそびれたる言の葉の葉とうがらしがほろほろ苦い(俵万智)
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