誕生祝いがあるなんて 30年前の私には想像できなかったなあ
仕事から自宅に帰り、2階に上がると先に帰ってきてた妻が台所に立っていました。「ただいま」と声をかけると嬉しそうな顔で振り向きました。キッチンの作業台にステーキ肉を広げて、ちょうどフライパンに火をかけようとしているところでした。
今日は私の48回目の誕生日。妻が奮発してステーキを買ってきてくれました。そして冷蔵庫には小さなホールケーキも。うれしいですね。
我が家でステーキを食べるのは年に1回あるかどうか。倹約ばかりしている家庭ではないのですが、不要な贅沢はしない家風のため、非常に珍しい一日です。
私が子どもの頃、誕生日のお祝いと言えばそうめんと混ぜご飯でした。そうめんといっても冷やしそーめんではありません。温かいお吸い物にそうめんをいれたものです。混ぜご飯は酢飯ではないちらし寿司みたいなもの。本当にそれがごちそうでした。
私が中学生になるぐらいからステーキを食べるようになりましたが、誕生祝いをしていたのはそこまで。高校は寮生活だったので家族とお祝いすることはなく、同部屋の仲間とスナック菓子を食べてお祝いでした。大学生のときは一人暮らしでお祝いすることもなし。結婚してからでしょうか、こんなお祝いをするようになったのは。でも、せいぜいショートケーキを食べる程度のささやかなお祝いでしたが。
娘が学校から帰ってきて、家族みんなでケーキを食べていると大学生の娘から電話がかかってきました。「おとうさん、お誕生日おめでとう。今日はずっと覚えていたよ」とのこと。しばらく近況について話し合いました。スマホのテレビ電話機能は本当に便利ですよね。これだけ離れているのに身近に感じることができるのですから。
私の学生時代はせいぜいテレフォンカードで公衆電話から実家に連絡するぐらい。当然、ほとんど実家に電話をすることはありませんでした。今夜、家族みんなで大学生の娘とどうでもいいような電話をしながら、30年の時間の流れを感じました。
さびしさに慣るるほかなし春落葉(西嶋あさ子)
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