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2021年11月

2021年11月24日 (水)

「頼山陽詩選」を読んでかごしまの今をしる「兵児の歌」

新幹線で移動の途中、久しぶりに「頼山陽詩選」(揖斐高訳注)を読みました。

私の祖母は詩吟の先生でした。私が子どもの頃、漢詩を吟ずる祖母を近くで見ていました。特に私が中学生の時は私に詩舞を習わせました。祖母自身が吟じてそれにあわせて孫が踊る、そんな姿が楽しみだったようです。

私が詩舞で何度も待ったのは「川中島」。正式な題は「不識庵、機山を撃つの図に題す」となります。不識庵は上杉謙信のこと、機山とは武田信玄のことです。「鞭声粛々夜河を渡る」の出だしが有名です。といっても現代の若者は知らんでしょうけど。

この「川中島」を詠んだのが頼山陽です。江戸時代の人。「川中島」に見られるように英雄のロマンを感じさせる勇壮な詩が彼の持ち味となっています。

この頼山陽が鹿児島を旅行したときの詩がいくつか掲載されていました。有名なのが「前兵児(ぜんへこ)の謡(うた)」「後兵児(ごへこ)の謡(うた)」です。

兵児(へこ)とはさつまの青少年男児のこと。私も小さい頃から「出水兵児(いずみへこ)」という言葉を何度も聞かされて育ちました。「前」は昔の、「後」が現在の、という意味で頼山陽はそれぞれ詠んでいるのです。

前兵児には「腰間(ようかん)の秋水(しゅうすい)、鉄断つべし。 人触れれば人を斬り、馬触れれば馬を斬る」というから凄まじい。秋水とは真剣のことで、腰につけた真剣で鉄を切断するという意味です。

後兵児になると一変します。「蜂黄(ほうこう)落ち、蝶粉(ちょうふん)褪(あ)す。倡優(しょうゆう)巧みに鉄剣鈍(にぶ)る」ですからね。

解説すると「オス蜂はメス蜂と交わると体色が落ち、オス蝶はメス蝶と交わると鱗粉が褪せると言われているが、兵児たちも色欲にふけって精力を消耗し、役者のモノマネばかりが巧みになって、武士の魂である刀はなまくらになってしまった」となります。

明治維新のときに勇猛無骨だった薩摩隼人も、江戸時代にこのように評されていたとはね。現代の鹿児島県人なら納得ですけど。そうなると、戦国時代の薩摩人って、本当に恐ろしい人種だったんでしょうね。現代に生まれてよかった?

秋林夕べに風多く、木葉(もくよう)掃(は)けば還(ま)た落つ(頼山陽「山水小景」より)