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2021年5月 1日 (土)

「エヴァンゲリオン」遂に完結 謎に満ちた映画はおっぱいの魅力で幕

とうとう完結するエヴァンゲリオンをアミュのミッテ10に見に行きました。

 劇中のセリフに登場する語句が難解で,「序」「破」「Q」そして「シン」まで,私はほとんど内容を理解できないままでした。ただ,映像を自分なりに解釈するとこうなります。

 主人公の碇シンジは,父親である碇ゲンドウの野望である「人類補完計画」を阻止するために戦うことにした。
 「人類補完計画」とは,ゲンドウとその妻(シンジの母)ユイのクローンを大量に生産し,人類のすべてが単一の肉体,精神(性格)をもつようにすること。ゲンゾウは他人と親しくなることができなかった。唯一心を許したのが妻ユイだった。ゲンドウは亡くなったユイを復活させ,ゲンドウとユイ(のクローン)だけが存在する世界を創造することを決意した。
 そのためには,現存する人類などを殲滅し,クローンが永久に生存できる環境を作る必要があった。セカンド・インパクト,サード・インパクト,アナザー・インパクトと呼ばれる地球環境の激変はこの一環だった。
 しかし,最後の段階で,シンジの仲間であるサトミが自ら創造した槍をシンジに届け,シンジはその槍でこれらのインパクトのトリガーであった使徒やエヴァンゲリオンらをまとめて串刺しにし,ゲンドウが作り上げつつあった世界を完全に破壊,地球は復元した。

 こう書くとなんとなくわかったような気持ちになりますが,実際は不思議マークだらけです。
なぜ死んだナギサがまた出てくるのか? なぜアスカやナギサを結界から現実世界へ送り出すことができたいのか? なぜネルフにはゲンドウとフユツキしかいないのに大量の兵器やクローンが作れるのか? といった物語の成立を疑うような謎から,なぜマリの大きなおっぱいが激しく揺れるような戦闘の最中でも彼女の黒めがねが外れないのか? といったくだらないことまで,謎が最後まで残り続けたままです。

 ただ,監督の意図はこうじゃないかな,というのはありました。
 シンジ,そしてゲンゾウは現在の日本に出現したひきこもりの中年男性たちの象徴。映画のラストシーン,シンジが大人になり,マリと手をつないで駅舎から街に走り出し,その世界がアニメから実写へと変化するのは,「ひきこもりのままの男性たちよ,現実世界へ飛び出せ」というメッセージを込めたメタファー。

 ここでシンジがマリ(同年齢の女性)と手をつなぐところがミソですね。ひきこもりの男性からは「マリみたいなおっぱいの大きな美人は俺の周りにいないよ」という嘆き声が聞こえてきそう。

 本当にこんなラストでよかったんでしょうか? それとも男性が生きるためには性的魅力のある女性が不可欠というメッセージなんでしょうか? 

 いや、いいおとなになった男性にはきっとこんな魅力的な女性が寄ってくる、そう解釈したいですね。 

「不器用に俺は生きるよ」またこんな男を好きになってしまえり(俵万智)

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