半成人式と立志式をやめようよ 誰が望んでいるというのか?
この時期は立志式が開催されるようです。私の通っていた中学校では,私が中学2年生のときに立志式が始まりました。なぜ,こんなことをするのか,面倒くさいと思っていました。
ネットで調べてみると,この儀式(?)がいつ頃から始まったのかはよくわかりません。学校行事として実施しているところがどの程度なのかもよくわかりません。でも,昔の元服,髪上げの儀式を再現したと考えると,日本古来の伝統と言えなくもありません。
ただし,娘が通っていた中学校で立志式があったとは記憶にないので,すべての学校で開催されいるわけではないようです。
そして,小学校では半成人式(学校によっては,2分の1成人式ともいうようです)があります。私が小学生の頃にはなかった儀式ですが,小学4年生(10歳)の時に実施されるようです。私の娘の半成人式が小学校で開催されたときに出席しました。こちらは覚えています。
ネットで調べてみると半成人式は兵庫県の教師が1980年頃に始めたとありました。私が小学生のころです。体験していないはずです。
それにしても,半成人式って何なんでしょうか? 私が参加したときは,子どもが親に感謝の作文を読み上げる「儀式」でしたが,我が子が作文を読み上げる姿を見て,なんだか複雑な気分になりました。
私の周りの多くの親たちは涙をにじませて子どもの作文を聞いていましたが,私は,親から虐待を受けている子どもはどんな作文を書くんだろうか? 私が親に感謝する気持ちをもったのは大人になってからなのに,どうしてこの年齢で本当に感謝の気持ちをもつことができるのだろうか? 先生が子どもに強要しているのでは? など,余計なことをずっと考えていました。
肥薩おれんじ鉄道を舞台にした映画「かぞくいろ」でも,半成人式を迎えた少年が,亡くなった両親に会いたいと涙ながらに作文を読んでいました。とても胸が痛みました。なんて残酷な儀式なのかと。
民法の改正に伴い,成人式を18歳にするか,20歳にするかを議論する自治体が多いようです。この成人式は成人,大人になったことの自覚を促し,お祝いをする趣旨です。しかし,立志式にせよ,半成人式にせよ,いったい何の自覚を促すのか,何をお祝いするのか,私にはよく分かりません。
人生の通過儀礼という話を聞きますが,それであれば,半成人式は小学校の卒業式で,立志式は中学校の卒業式で,成人式は高校の卒業式で十分ではないでしょうか?
もし,親がこれらの儀式を望んでいるとするならば,親のエゴであって子どものためではないことは間違いありません。えっ,私の言っていることが間違っているって? だったら半成人式,立志式に出席した子ども達に訊(たず)ねてみてください。そこに答えがありますよ。
子どもは成長します。そんな儀式とは関係なく。子どもをみればわかるでしょ。あなたも親なら,教師なら。
きのうとはちがう瞳(ひとみ)のいろをして子よ夕暮れの楽隊を見たか(小島ゆかり)
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