アミュ地下フードコートの奇妙な人々 どん兵衛を食べるカップル
仕事帰り,いつものようにアミュ地下のフードコートで本を読みながらビールを飲んでいると,隣の席に20歳ぐらいの若いカップルが座りました。私の斜め前には茶髪のかわらいらしい女性が座り,私の隣には若い男性が座りました。
男性がもってきたのが,インスタントカップ麺の「どん兵衛」。しかも特盛。どこでお湯をいれたのかは分かりませんが,かわいらしい女性がふたを開けて,左手で髪が前に垂れるのを押さえ,右手で割り箸をもってうどんをすすり始めました。一方の男性は,それを見ることもなく,スマホの画面を一心に見つめています。
数回うどんをすすった彼女は,うどんと割り箸を彼の方に差し出しました。どうやら交代のようです。そして彼女は自分のスマホを取り出し,画面を一身に見つめています。数分おきにそれを繰り返しました。「やれやれ,なんてせこいデートなんだよ」と横目で見ながら呆れてしまいました。
しかし,しばらくしてから,二人で仲良くひそひそと話を始めました。それもスマホの画面を見ながら。私は耳が悪いので隣にいる彼らの声を聞き取れませんが,見ているほうがうらやむような親密さを醸(かも)し出していました。
つゆだけが残ったプラスチックの容器をみて,「一杯のかけそば」(栗良平)を思い出しました。あれは私が小学生のころ,40年ぐらい昔。涙なしには聞けない童話として日本中を席巻したお話です。
ある年の大晦日,そば屋に2人の男の子を連れた母親がかけそばを注文します。それも1杯だけ。親子三人で分け合って食べていきました。この親子は大晦日になるとかならずやってきます。そば屋の夫婦もこの親子が来るのを心待ちにするようになりました。いつも増量してかけそばを提供します。実はこの親子は父親が交通事故で亡くなり,貧困に苦しんでいました。この店でかけそばを食べることが唯一の贅沢だったのです。それが数年続いた後,突然,この親子が来なくなります。十数年の年月が流れた年の大晦日。再び親子がこのそば屋に現れます。子どもは成長して立派な青年になっていました。親子は3杯のかけそばを注文し喜び合って食べ,それを見ていたそば屋の夫婦も一緒に泣いて喜びをわかちあった,というところでこのお話は終わります。
まあ,私の記憶のことなので多少は違っているかもしれませんが,当時の日本人はこんなお涙頂戴話に感動したんですよ。その後,作者の栗良平のスキャンダルなど,話とはまったく関係のないことが影響して,このブームは沈静化しました。これもまた,当時の(今でも?)日本人にはよくあることですが。
ところで,アミュ地下のカップル。こぎれいな格好をして,二人ともスマホを持つぐらいなので貧乏ではなさそうです。でも,1個の「どん兵衛」(しかも特盛)をフードコートで分け合って食べるというギャップに,なんだか微笑ましく思えました。
二人で共有することが大事な,いや,うれしい時期ってありますよね。同じ時間,同じ場所,そして同じ食事。ましてや一杯のインスタントうどんを二人で分け合うなんて。
いつも一人でビールを飲むおじさんも少し反省しました。
スパゲッティの最後の一本食べようとしているあなた見つめる私(俵万智)
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