朝補習と学校教材の効果を客観的に実証したことがあるんですか?
高校3年の娘が毎日受験勉強に励んでいます。私の高校時代を思い出しました。
私がいた高校では,強制的に参考書や問題集を購入させられましたが理解しずらい内容ばかり。実力テストの範囲なのでしかたなく取り組みましたが,実力はつかず,今振り返っても時間を随分無駄にしたという感想だけしかありません。
そして朝補習。強制的に自分の勉強時間を学校の授業として使われました。教師からすれば生徒のために時間を割いているってことなんでしょうけど,当時も今も,朝補習は生徒が要望した制度ではありません。
私は日曜日は本屋に行って,実際に自分の目で参考書や問題集を選びました。高校2年生までは試行錯誤を繰り返し,3年生になって定着した勉強法がありました。
私が目指した京都大学法学部の二次試験は英数国社。英語は英語の長文の下線部を日本語に訳せ,日本語の長文を英訳せよ,の2~3問しかありません。数学は問題文はシンプルなのに数学的センスがないととけない大問が5つ。国語は現代文の要約,古文の現代語訳,文語文の要約の3問。この3科目が200点ずつ。社会は50点しか配点がないので,事実上この3科目のできが合否を左右します。
高校3年のときは英作文を毎日1問(30分)。翌朝英語の先生に添削してもらいました。数学は「大学への数学日々の解題」を毎日1問(30分)。国語は現代文の要約を1問(30分)。これも国語の先生に添削してもらいました。それ以外に覚えているのは「試験に出る英単語」(森一郎)。とにかく第一章の1399語を必死で覚えました(1日30分)。残りの宅習時間(3時間)は授業の予習復習です。
入試のとき,英語長文で「試験に出る英単語」で覚えた単語は1つしか出ませんでした。「infer」(類推する)。これは今でもよく覚えています。知らない単語があっても前後の文脈からそれこそ「類推して」解答しました。そして国語は完答(何か日本語を書けばいいので当たり前ですが)。数学は3問ぐらい解答(部分点ねらいでした)。
そんななか,最後に受けた試験が社会。私は日本史を選択しました。問題を見たとき,日本史の教科書の該当ページが脳裏に浮かび,そのページの文章をそのまま答案に書き写しました。よく印象的な文章が,本の右端とか左上とか映像で思い出すことがありますが,私はどうやら教科書も映像として記憶していたようです。といっても,こんな体験はその前もその後もありません。不思議な体験でした。
娘の話を聞くと私の高校時代と変わりませんね。強制的な朝補習。学校指定の参考書と問題集からの実力テストへの出題。でも,誰だって得手不得手があります。それを無視して画一的に勉強させる鹿児島県の受験勉強は本当に生徒の学力を伸ばしているのでしょうか?
実はどうやら曲がり角に来ているようです。これだけやっても鹿児島県の高校生の一流大学への進学率は低下するばかり。鹿児島県が進学県なんて過去の話です。
学校の先生方も,そろそろ学校側の失敗を認めませんか? いったい誰のために授業をしているのか考え直すときが来ているようです。少なくとも,進学率の低下を生徒の責任に押しつけるのは間違いです。あなたの授業のやり方,勉強の指導が間違っているのです。コペルニクス的転換をするべきは「今でしょ」。
私語やめぬ生徒を叱りつけておれば古典文法ひ,ひ,ふと笑う(俵万智)
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