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2019年11月

2019年11月28日 (木)

気が滅入ったときの対処法 私は私ができることをやるだけ

今日の夕方,仕事の連絡がなかなか来ないので定時が過ぎてからも職場にとどまってした。しかし,どうも遅すぎると思い相手先に電話すると「今日はもう終わりだと連絡してますよ」とのこと。

その連絡を受けた担当者は私にだけそのことを告げずにさっさと帰宅していたことがわかりました。この担当者はひどい奴だと常々思っているので特に怒る気にもなれませんが,気が滅入ります。そういう理由でいつもより遅めに退社しました。

仲間はずれをされているようですが,私はこういうことに慣れている(?)ので「またいつものことだな」と思うだけですが,不愉快であることに変わりはありません。普段から口数が少ない私には,それに見合うように話しかける人も少ないので,こういうことはときどきあります。

こんなとき,どうやって気分転換をしますか? 私は何度も何度も不愉快な出来事を頭の中で反芻(はんすう)し,やがて考えることに飽き飽きしてその思いが消えていく,というパターンが多いようです。これでは気分転換とは言えないかも知れませんが。

次に多いのが別のことを考える。村上春樹の「雑文集」に結婚のお祝いの言葉が載っていました。「夫婦生活はいいものです。・・・。でも,嫌なこともあります。そういうときは別のことを考えるようにしています。・・・」 ね,同じような対処法をとっている人もいるようです。

では,こういうときに私は何を考えているのか。一番多いのは女性のこと。恋愛であったり,セックスのことであったり。次に多いのが戦いのこと。喧嘩だったり,銃の撃ち合いだったり。そういう性や生死にかかわるような一種の興奮状態を空想するときが,最も没頭(現実逃避)できるようです。

体を動かしたり,創作活動をしたりというのは運動嫌いで不器用な私にはどうも苦手。また,酒に逃げる人もいますが,どうして体を痛めつけようとするのか私には理解できません。

ところでもうひとつやっかいごとがあります。私の部下にメンタルが心配な社員がいます。幸い,最近はやや持ち直してきたようです。しかし,私が話しかけるときには無表情であることは変わりません。私に対して敵意をもっているのではないかと思えてきます。善意に解釈しても,これはこれでだんだん嫌気がさしてきます。だからといってこの社員を見放すことはしませんが,私も人格者ではないので,どこまで根気強く関われるかと思うと自信はありません。

自分のことであれば,できることは自己努力で,できないことは空想などの現実逃避で解決できます。しかし,他人のことであれば,自分のできることをやるだけ。解決できないときは,もう私の問題ではないとあきらめるだけです。冷たいようですけど。

十通り以上の死に方語り終へ少女はおほきためいきをつく(伊藤一彦)